第316話 通用する人、しない人

 ウェスタはガニメデ隊と協力して芳野への全ての道を封鎖した。

 適時有斗のところにもたらされる報告によると、敵はやはり多数の間者を派遣して、こちらを探っていたようであった。山中では猟師に扮し、大河沿いでは漁師に扮した間者を幾人も捕らえ、同時に殺した。もちろんこちらの被害も多い。しかしここで敵の耳目を塞いでおくことは後々の戦いに響いてくる。後の戦で多数の死傷者を出さないためにも止める訳にはいかない。

 そしてその間も有斗は王都のラヴィーニアと連絡を取り合い、翌春の上州遠征の下準備を粛々と進めていた。

 長駆、越へと遠征するのだ。万が一、芳野の敵が残留した王師を打ち破り、河東へと進出して王師の糧道を断ったとしても平気なように、半年分の兵糧を渦高く積み上げ、これを同道させることにする。

 大量の兵糧だ。輜重隊とその警護の部隊の行軍速度は遅くなるが、上州攻めにはそう多数の王師は必要ないからかまわないと有斗は判断した。

 オーギューガと戦うその時までに追いついてくれればいいという考えだ。

 それに河東の諸侯もカヒが完全に瓦解した今、謀反を起こす兆しは見られない。オーギューガに呼応する様子も見られない。

 多数の軍需物資を抱えているとはいえ、輜重隊を襲うこともないだろうと同時に判断しての指示だった。


 後は芳野牽制に誰を残していくかだけが問題として残った。

「というわけでガニメデ、君に芳野の敵軍を抑える大役を任せたい。王師がオーギューガに勝利するまで、芳野の敵軍を河東に攻め込ませず、また同時に越へ退却させないように、この地に釘付けにして欲しい」

 有斗はそういってガニメデにその役を引き受けさせようと試みた。

 だがガニメデは王直々のその頼みにもすぐさま了承の言葉を発しなかった。もっとも他のどの武将であっても首を容易くは縦に振らなかったであろう。

 もはや有斗の天下一統の完成は秒読み段階に入った。来るべきオーギューガとの戦いは平和をもたらした最後の戦いとして、未来永劫歴史に残る一大決戦になるであろう。その決戦に参加できずに、王師の将軍が場末の芳野で敵と睨み合ってるほうを選ぶとしたら、その方が問題だった。

 陛下のためにその栄えある戦場で働けないことほど辛いことは無いと、ガニメデはとつとつと愚痴をこぼす。

 もっともそれが有斗への心からの忠誠心からというのではなく、どちらかというと王の目の前で赫々かくかくたる武勲を立てたいという色合いが濃いことは、鈍い有斗であってもなんとなく分かった。

「ガニメデのその気持ちは大変嬉しいけれども、芳野にいる敵を抑えるのは一つの功績だ。確かにオーギューガの兵は強兵だがその数は一万、それに正対するのは王師四万五千。容易い戦ではないが十分勝ち目のある戦だ。だがこの地に残していく王師は一軍五千だ。敵にはカヒの四天王の一人デウカリオ、そして関西の名将バルカ、カヒの四翼四千に芳野の諸侯の兵一万がいる。彼らに向かって軍を率いて対峙するだけでも簡単なことではない」

「お言葉ですが、確かに敵は手強いですが、仮にも王師の将軍であるならば、打ち破るのはともかくも彼ら相手に持ちこたえることなど半分寝てても可能なことでしょう」

 とはいえザラルセンやベルビオあたりだと敵の罠にかかって大敗しそうだがとガニメデは心の底で思ったが。

「確かに守るだけならば王師の将軍とあろう者ならば誰であってもできるかもしれない。だがこれは誰にでも与えられる任務じゃない。王師がオーギューガに勝利するまでバルカやデウカリオと対峙して持ちこたえなければならない。それだけでなく、もし彼らが上州での戦いに加勢しようと芳野から出て行こうとしたら、その足を掴み邪魔をしなければならない。並みの武将には無理だ」

 有斗はその仕事がどれだけ重要で意義あるものかを強調し、ガニメデの説得に取り掛かったが、それでもガニメデはなかなか命を受けようとはしなかった。

 王命で高圧的に命じるという方法も無くはないのだが、この役目は重要で、本人にやる気を出してもらわないとどんな間違いが起きるか分からない難しいポジションだ。なるべくなら自発的にやってほしい。

「今までの戦を振り返ると、王師は幾度か敗北を被ってきた。特にあのバルカとかいう将軍には亡きアエティウスをはじめとして幾人もの王師の将軍たちが手酷い目にあってきている。だがその中で一人、彼相手にも互角以上に渡り合った将軍がいる。それが君だ。王師の中で君だけがバルカに、あの七経無双に敵することができる。だからこそ僕は君をこの役目に選んだんだ」

 最後に決め手になったのはこの言葉だった。

 本当は有斗がガニメデをこの役目に据えようとした最大の理由は、芳野の中にいる王師を動かすと敵に怪しまれるといった意味合いが強かった。芳野に残っていたのがリュケネだったらリュケネになっていただろうし、ザラルセンならザラルセンになった、その程度の理由である。

 だがその口からでまかせはいたくガニメデを感動させたらしく、「やります。陛下からそこまでおっしゃっていただけるのなら、お断りする理由はございませぬ。是非やらせていただきたい」と、やる気が十分な様を有斗の眼前で大きく披露し、その姿を見た有斗を申し訳ないようななんともいえない微妙な気持ちにさせた。


 一人になった有斗は一人つぶやいた。

「意外と褒めてみるもんだなぁ・・・」

 使命感や仕事の重要さで説得しても動かなかったガニメデをついに動かしたものが褒詞ほめことばだったことを有斗は意外な想いで受け取っていた。

 阿諛あゆ追従などでいい気になるのは馬鹿な王様や無能な二代目社長だけだとばかりに思ってたけど、どうやらそういうものでもないらしい。

 しかしそれで物事が上手く行くのなら、お世辞や追従も案外棄てたもんじゃないななどとも思う。

 もちろん同時に王である有斗はそのようなものに惑わされないように心を強く持たなくちゃいけないなどとも自戒する。ガニメデほどの人物であっても褒詞の効果があるのだ。当然それは有斗であっても例外で無いと考えるべきだ。

 そこで丁度、ガニメデを送り出してアエネアスが部屋に入ってきたことを見て、ちょうどいいと思い、実験を試みることにしてみた。

「アエネアス」

 有斗から声をかけられたアエネアスは振り返る。その出で立ちはいつものように赤い特製の羽林の服、かんばせは僅かに薄く引いた紅、それだけが化粧けわい、それでも長い睫毛に整った顔立ち、よくよく見ると美人である。

 いやそもそも美人ぞろいの後宮にいる有斗が、その顔を見て周囲の女人に劣るなぁなどと思わなかったことを考えれば、勝ることは無くても劣ることも無いほどの美人なのだ。

「・・・どうしたの有斗、人の顔を見てぽかんと口を開けて?」

 いつまで経っても有斗の口から言葉が発せられないことに業を煮やして、アエネアスのほうから用件を訊ねる。

「アエネアスは言うまでも無く美人だけどさ、今日は一段と綺麗だなと思って見とれていたんだ」

 一瞬、何が起きたのか把握できず、逆にぽかんとした口を開いて固まったアエネアスだったが、やがて有斗に自分の容姿が褒められていることに気が付き、真っ赤になった。

「な・・・・・・!」

 それはいつも見るアエネアスでは無い、可愛い女の子としての姿がそこにあった。

 やっぱりアエネアスといえども女の子、容姿を褒められて嬉しくないことは無いんだな、と有斗は意外な弱点を見つけてほくそ笑む。これでこれからはアエネアスに小言をもらわずに済みそうだ。

「ど、ど、どど、どうしたのよ急に! 何かおかしなものでも食べた!? ウェスタから変なお菓子とかもらわなかった? わたしがいない時は油断しちゃダメだってあれほど言ったじゃない!?」

 だがアエネアスはいつものアエネアスだった。褒められたことを嬉しがるどころか逆に不気味に感じたらしい。

「・・・何も食べて無いよ」

「だとしたら何!? 何が目的!? まさかわたしの体目当て!? ウェスタが移ったの!?」

 ・・・何故そうなる。僕はそんなに女に飢えてはいないぞ、と有斗は反論したかったが、よくよく考えてみれば女に飢えているという事実だけは否定できないことなので、反論できずに口をつぐんだ。

「いや・・・別にアエネアスに何かしようっていう魂胆とかじゃなくてね・・・人間誰だって褒めてくれる相手には悪い感情を抱かないもの、人間関係の円滑化には褒めることがいいんじゃないかなと思ってさ。試しにアエネアスを褒めてみようと思ったんだけど・・・おかしいな、うまくいかないのか」

 首を傾げる有斗にアエネアスは頬を赤らめたまま、力説する。

「そんなの、相手と条件によるよ! いきなり前振りも無く突然そんなことを言われても、何かの陰謀とかじゃないかって疑うのが普通なの! そういうことは不断の積み重ねが大事なんだから!」

「・・・じゃあ、もしアエティウスがアエネアスのことを綺麗って褒めた場合はどうなのさ」

「それは喜ぶよ。兄様に褒められて嬉しくないわけが無いじゃない! それに兄様はわたしに嘘を言ったりしない人だったもの」

 僕だってそんな無闇に嘘をついたりはしないんだけどな、と有斗はアエティウスとの扱いの差に不満を覚えた。

「いきなり有斗に褒められても、しかも二人きりの時なんて、下心があるんじゃないかと思っちゃう!」

 アエネアスはまだ悪寒がするのかしきりに腕を手のひらで擦っていた。

 ・・・どうやら誰に対してでも無条件に効くわけではないんだな・・・と、せっかく万能の対人攻略法を見つけた思いだっただけに有斗はがっかりした。


 二月下旬、ぎりぎりまで待って有斗はついに王師九軍とマシニッサなどの一部の諸侯の兵を連れて東進を開始した。

 出立を決意したのは、もはや上州からは雪が消え、三月の月初めには越と上州の間も無理をすれば軍隊を通行させられそうだとの見通しがついたからである。

 残されたのはウェスタの兵とガニメデ隊だけである。これからは彼らだけで芳野を牽制してもらわなければならない。

 難しいことだとは思うが、全てを任せると決めたからには後は信じるしかない。

 ウェスタからはここ半月、芳野と河東の間を行き来する敵の間者をほぼ完全に排除することに成功し、おそらく情報の漏れは無いとの事だった。

 ここまで厳重に情報統制をしたからには当然、敵も不可思議な思いで王師を見つめていることだろうが、大きな動きを見せる気配は無いことを考えると、芳野に対する荷止め程度な目的くらいに考えていてくれているのかもしれない。

 確かに地理上、芳野は交易の荷を止められると干上がってしまう。実際に槍を交えるだけが戦ではない。経済、物資面で敵にダメージを与えることも立派な戦であることを考えると、デウカリオらがそう捉えてくれていると考えてもおかしな話ではない。

「とはいっても芳野と越の間の雪が融けなければ、敵も動きようがないだろうけどね」

 雪融けの頃にはオーギューガとの戦いもあらかた始末がついているだろうしと有斗はエテオクロスに明るく語りかけた。

「御意」

 有斗の明るい様が乗り移ったのか、芳野での度重なる敗戦にめげていた王師の空気も春空のようにからりと晴れ上がった。


 三月二日、有斗は因縁の地、エピダウロスに到着する。

 まずはエピダウロスで戦死した将兵たちを祭った石碑を訪れ、その霊を弔い、碑に酒肴を供える。双方の犠牲者を悼み、礼を尽くすことは、王師の兵たちだけでなく、近隣諸侯や住民の心を得るためには必要なことだった。

 だがここまで来れば上州までは目と鼻の先である。ここから先は全て敵地であると心得なければいけないだろう。

「王旗を掲げよ!」

 有斗の命令に、これまで伏せられていた王旗が大きく掲げられ、風になびいてはためいた。

 ここまで来たからに、はもはや王師が東進することを隠す意味合いは無い。テイレシアを引っ張り出すためにも大々的に王師が来たという噂を広めなければならないだろう。

「まずは諸侯の城を攻撃し、テイレシアに救援要請を出させるように仕向けようか」

 有斗は笑いながら軽くそう言うと将軍たちに命を下した。

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