第310話 翻弄(Ⅲ)

 三方面に分けた軍から、有斗の下に届いた最初の知らせは、リュケネからのその勝利とも敗北ともどちらとも取れる微妙な報告であった。

 それはこのオーギューガ相手の戦役において、越に攻め込む前の緒戦で、王師がいきなり初っ端から毛躓けつまづいたことを意味する。

 確かに王師としてはパトラ伯領を制圧し、芳野平定に一歩前進したことも事実ではあるが、敵にいいように翻弄され、一方的に犠牲者を出したということもまた事実である。

 この事態が有斗に馴染みのない芳野の諸侯に対していい影響があると考えるのは、あまりにも虫のいい考え方であろう。

 むしろ王師恐れるに足らずと、鼻息を荒くしてますます抵抗を強めることが目に見えるようである。

「リュケネは慎重な将軍だ。当然移動するにあたって、周囲を警戒していたに違いないんだよ。それでも奇襲を防げなかった。芳野の兵は地元を知り尽くしている。今後もこういった戦い方を続けてくるに違いない。・・・思ったよりも厄介な相手かもしれない」

 芳野は山が深い上に、似たような風景が延々と続く。偵騎では思ったような効果が得られないのだろう。

 歩兵の斥候では警戒できる距離が格段に狭くなってしまう。しかも敵を発見してもすぐに報告することができない。下手をすると自らが本陣に報告に帰るよりも早く、敵兵が襲い掛かっていることすら考えられる始末だ。

 しかも大軍勢で地理を知らぬ王師は山に入るわけには行かない。すなわち常に平地にいることになる。芳野の諸侯は常に王師の位置を把握できるということだ。

 それに対して芳野の諸侯は山に隠れることができる。つまり王師から、そしていついかなるときにでも王師に対して奇襲することができるということだ。

 対策としてはなるべく森から離れた見晴らしのいい場所に陣営地を作るしかない。

 有斗は羽林の兵のほかに王の警護のために残されたただ一つの軍である第十軍の将軍である、ガニメデに胸にわいたその懸念をぶつけてみた。

「なるほど、オーギューガとの両面作戦だったとはいえ、カトレウスが芳野を手に入れるのに十年必要だったというのもうなずけますな」

「感心してばかりではいられないよ。こんな戦い方をされては、二十四時か・・・いや、十二刻中、兵士たちは常に緊張状態を強いられる。消耗しきった兵では戦闘も覚束ないよ。王師は敵と本格的な野戦や攻城戦を挑む前に敗北する。・・・敵もそれが狙いだろうしね」

「このような動きをしていられるのも、芳野の諸侯には民からの情報が常に入るのに対して、侵略者と思われている王師には、民の協力がまったく得られていないからです。地道に敵の城砦を一つ一つ破却し、芳野の民に諸侯が王師の前では無力であることを見せつけ、敵の行動範囲を狭めていき、敵の居場所を特定する。そして民意が離れ、それまでのような撹乱かくらん戦法が使えなくなり、苦境に陥った敵に決戦を決意させる。これが良策かと」

「しかし所詮数では大差がありすぎる。こんな戦をしてもいずれ押し切られるのは目に見えて明らかだと思うんだけどな。あくまで打つ手が無くて足掻あがいているだけということだろうか?」

「オーギューガの援軍が来るのを待っているのでしょう。それにいずれ押し切れるとは臣も思いますが、それでも下手をすると何年にもわたる戦役になるかもしれません。思ったより厄介な敵、そして厄介な地形ですからな。そうなれば数では優位に立っている王師ですが、朝廷としては出費が痛い。そこで優位な条件で王と和睦できなくもないと考えているということもあるかもしれません」

「なるほど・・・そんなところだろうね・・・わかった、ありがとう。実に参考になったよ」

 兵力差が絶対的な戦力差ではないことは言うまでもないが、それでも未だオーギューガの旗影を見ない現状では、兵数、兵站、装備、錬度、士気、全てにおいて王師のほうが圧倒している。地味な作戦にはなるが、堅実な戦い方だといえる。とはいえ苦しい戦いになることだけは間違いないだろう。

 有斗がそういった深い思考の迷路に入り込んでいる横で、同じように考え込んでいたガニメデがぼそりと誰に言うでもなくつぶやいた。

「あるいは・・・敵は大魚を釣り上げようと狙っているのか・・・」

 その声に思わず有斗は現実世界に引きずり戻された。

「・・・大魚?」

「あ、いや、なんでもございません。単なる独り言です」

 有斗はガニメデのそのいぶかしげな態度に首を傾げたが、特にそれ以上訊ねようとはせずに、再び自らの思考の中へと意識を追いやる。


 有斗はさっそく今回の戦いの顛末てんまつと、敵の戦術が遊撃戦であり、その目的がおそらく王師を疲弊ひへいさせることにある以上、これからも似たような手段で攻撃されるであろうと全軍に告げ、警戒を呼びかけた。

「エレクトライとリュケネがやられたのか」

 ベルビオと共にステロベからその説明を受けたザラルセンは思わずうなった。

 ザラルセンの見るところ、王師の中で部隊を率いる将軍としてもっとも手堅い戦をするものがリュケネである。

 派手な戦い方、個人の武勇、兵卒に愛されているということにおいては他の将軍に右を譲るが、敵の奇手にもっとも引っかかることはない堅実さがあると思っていただけに意外だった。それだけ敵将が優れているということかもしれないが、それでも驚愕するに足る事実だった。

 とはいえ、そういった戦い方は北辺の流賊上がりのザラルセンにとってもお手の物である。

 もちろん敵に合わせてその戦い方を、この王師の大軍勢に流用するわけには行かないが、敵が取ってくるであろうおおよその対応は考えに織り込むことができるということである。

「芳野の諸侯のこの戦い方は、河北東部と芳野一帯の山岳地帯に古くから行われてきた少数の軍勢特有の戦い方だ。大軍勢での平原での決戦に慣れた中原の兵には珍しいかもしれないが、餅は餅屋さ、俺に任せときな。対処法はある」

 自慢げに胸を張るザラルセンにステロベは一瞬奇異な表情を浮かべるが、ザラルセンの前身が何であったかを思い出した。

「そうだったな。ザラルセン卿は北辺の出であったな。ならばこの際、その経験を大いに当てにさせてもらおうか」

 ステロベの言葉にザラルセンは力強く頷いてそのたくましい胸板を叩いてみせる。

 さっそくその日からザラルセンが宿営地を決めることとなった。

 敵は山間部を兵を伏せて移動し、王師に気づかれぬように宿営地に近づいて奇襲をかけるものと思われる。山間部の獣道は道を選べば馬を連れて通れないこともない。だが複数の馬を連れての行軍はいななきや馬という巨大生物の動く気配から容易く遠くから敵に居場所を察知されてしまう。つまり奇襲を旨とする部隊は徒歩かちで近づいてくることになるわけだ。そして山麓から平野部へと降り立った兵は敵陣へと姿を隠したまま近づかなければならない。そうでなければ奇襲できないのだから。もし奇襲に失敗すれば数に劣る奇襲部隊は王師に簡単に踏み潰されてしまうのだ。

 すなわち、王師を襲うであろう奇襲部隊は草むらや低地などの兵が容易に発見できぬ場所を選んで王師に近づくことになる。

 そういった地形は芳野であっても限られる。そこに逆に兵を伏せて監視すれば敵の発見を容易に把握できるというわけだ。

 そうすれば宿営地の兵士たちに常時緊張を強いることも無くなるわけである。

 念のために、経路となりうる複数の場所に見張りを置き、念には念を入れて報告のために騎馬兵まで配備するという念の入れようである。

 がさつでズボラなザラルセンにしてはよくやったほうであったろう。

 現にザラルセンからどのような方策を取るか聞いたステロベも、これなら大丈夫であろうと満足したほどだった。


 その王師の動きは民の口から諸侯の兵へ、そして諸侯の兵からデウカリオら首脳部へと口伝えに伝えられた。

「王師はこちらの目論見どおりに、見通しの悪い、我々の進行経路になりそうな地点を選んで兵を伏せている。こちらの奇襲に備えようとしているようだ」

 ということは完全に打つ手を封じられたということになるのだが、その割には話すデウカリオの口調に暗いところは微塵も見られなかった。

「的確な素早い対処、敵はこの芳野において一般的だが、他の地域ではあまり見られないこの戦法に深く通じているということです。やはり馬人ケンタウロスの紋章のあの旗はザラルセンの物でした。これで我らの作戦は八割方成功したといってもいいでしょう。あの旗が我らを欺くための偽物という可能性も考えていたのですが・・・」

 バアルの取り越し苦労をデウカリオは笑い飛ばす。

「そこが貴卿の悪いところだ。敵を疑いすぎる。敵は全知全能の神ではないのだぞ、我らの打つ手を全て読んでいると思っては、我らは何一つ手が打てないではないか。それに曲がりなりにも誇りある王師だ。なるべくそういった奇手奇策は使うまい」

「しかしあらゆる可能性を考えて策を立てなければ、不測の事態に備えられません」

 戯言ざれごとへのバアルの生真面目な反論にデウカリオは渋い顔をした。こういう両者の協調が必要な時に、何も喧嘩を売るように我意ばかり押し通そうとしなくてもいいではないか。

 本当はこれがバアルの一番悪いところだと腹の中で苦々しく思う。

 しかし色々我慢して、せっかく築き上げた共闘体制だ。些細なことで崩すまい、とデウカリオは不平不満を押し殺した。

「ま、ともかくもだ。これで我らは当初の計画通り、一切の変更もせずに作戦を開始することにしよう」

 バアルはデウカリオのその言葉には重々しく頷き同意を示す。

「サビニアス殿の腕の見せ所ということになりますな」


 ザラルセンの陣営に、見張りから急の知らせが告げられる。

「西の潅木かんぼくに潜ませていた見張りから知らせが! やつらがこっちへ向かってくるそうですぜ!」

 待ち望んでいたその知らせにザラルセンは膝を手で打つと、その七尺の巨体をゆらりと持ち上げ、立ち上がった。

「よし! 敵は網にかかった! 出るぞ! 迎撃する!!」

 兵が集まるのも待たず、そのまま一人でも出て行きそうなばかりの勢いのザラルセンに部下が単独行動することへの懸念を表した。

「兄貴、他の将軍方に知らせなくていいんですかい?」

「ああ、そうだな。忘れていたな。・・・よし、知らせてやれ。まぁ、奴らにも少しくらい戦功のおすそ分けをしてやらねば嫉妬するだろうしな」

 ザラルセンはそう言ってにやりと笑ってみせる。敵は奇襲という秘策を看破された以上、もう打つ手は無いはずだ。

 ならばザラルセン隊だけでも勝利することは容易いことだが、まぁ今回は奴らの面子も立ててやろうといったふうに考えたらしい。ザラルセンには珍しく、気前の良さを見せた。

 ザラルセンは同僚たちに敵の存在を掴んだことを知らせると同時に、馬上の人となった。

 ザラルセン隊の主力は軽装の騎馬である。一騎駈けで陣営を飛び出したザラルセンの後を準備のできた騎馬から慌てて追いかけた。やがて彼らは前方にて戦塵が舞い上がっていることに気が付く。

 だが見張りには念のために交戦しても一瞬で壊滅しない程度に、それなりの規模の兵を残してある。それに戦闘が始まったと分かれば、近くの他の場所に伏せさせた兵たちも加勢に駆けつけるはずだった。

 現に、その場で交戦しているザラルセン隊の兵は一箇所に伏せさせた兵としては多すぎる数だった。

「どれ、間に合った」

 ザラルセンは馬上で手庇てびさしを作って戦場をうかがう。

 おそらく周辺の兵を集めて、こちらから奇襲をかけたのだろう。戦場は数が少ないにもかかわらず、王師が押していた。

 それを見たザラルセンは部下に軽口を叩く余裕すら生まれるほどだった。

「やれやれ。このままでは他の隊の連中どころか、俺らも戦功にはあずかれんかもしれんぞ。急がねばな。行け! 味方が圧倒的に押している!! このまま押し倒してしまえ!!」

 一斉に喚声をあげてザラルセンたちは矢を放つと、うろたえる敵兵の群れの中に飛び込んだ。

 敵はもはや抵抗力を失っていたようだった。ザラルセン隊に突き入れられると、反撃できずに脆くも崩れ去った。

 奇襲をかけるつもりだったのに、逆に奇襲をかけられて心に余裕が無くなったかな、などとザラルセンは戦闘中にも関わらず、寸評する余裕すらあった。


 だが、ザラルセンの予想と違い、見張りが積極的に敵の不意を突き、攻撃を主体したのではなかった。攻撃は芳野側から仕掛けられたものであった。

 つまりザラルセンが各所に配していた見張りの存在は敵にすでに知られていたということになる。

 だが奇襲を受けた見張りの兵は応戦すると同時に、一斉に各所に救援を求めた。その騒ぎにつられるように、救援要請を受けた近場に伏せられていた他の見張りの兵たちだけでなく、離れた場所に配されていた見張りの兵も次々と戦場へと集まってきた。敵を見つけたからには自らの役目は終わったと判断したということだ。

 当初こそ戦闘のキャスティングボードを敵に握られた王師だったが、味方が少しずつ加勢する度に敵を押し返し始める。

 つまりザラルセンが遠目に戦場を確認できる位置に近づいたときには完全に優勢な情勢だったので、救援に赴いたザラルセン隊の主力は敵がザラルセン隊の見張りに気付いて率先して攻撃を仕掛けたということを考えもしなかったのである。

 兵数では未だに芳野側が多いにもかかわらず、これだけ優勢に戦を進めていってるということは、こちら側から戦闘を仕掛けたに違いないと勘違いしてしまったのだ。

 だから彼らはこれがザラルセンが各所に布陣した見張りの兵とその目を一箇所に集めるためだけのものだとは思わなかったとしても仕方が無かったであろう。

 さて、ザラルセン隊と交戦を始めた芳野側の兵は芳野の諸侯主体で、主将はサビニアスである。

 パトラ伯やザダール伯などの王師に領土を侵略された諸侯中心で、王師に対する敵意で士気こそ高いものの、さすがにその質と数はザラルセン隊にすら遠く及ばない。

 ザラルセンは既に自身が到着する前に形成有利となっているその情勢に、戦場にすぐにでも突入したそうな部下を制し、率いてきた兵を左右に振り分けて両翼からの三方包囲に切り替えるように旅長たちに手短に指示をした。

 以前の賊の棟梁としてのザラルセンならしゃにむに勢いで敵を押すことだけを考えていただろう。ここは少しは王師の将軍として成長しているところを見せた。

 兵たちはザラルセンの指示に従い、敵の兵と交戦し続ける味方の後方を追い越して両翼から綺麗に芳野諸侯の兵を包囲しようとする。それを見た芳野諸侯の兵は大きく動揺を見せた。

 ザラルセンはそれを当然の反応であると見た。正面に正対する雑然とした陣形の王師の兵すらあしらえない軍が、三方からの包囲に耐え切れるほどの堅固さを持っていないことは誰の目から見ても明らかである。

 ザラルセンは動揺が広がり陣形が波のように脈打ち乱れる様を見て、それを敵が崩れ去る兆候であると見た。

「よし! 完全に包囲陣形を整えるまでも無い! 敵は浮き足立った!! 手柄を立てるのは今だ、行け!」

 ザラルセンは本陣周りの彼自慢の精鋭たちを惜しむことなく前線に投入した。

 北辺の流賊時代から共に戦い、王師やカヒ相手の苦闘にも生き延びた文字通りザラルセンの手足と言ってもよい存在の彼らだ。元々、屈強な流賊の中においても衆に卓越していた彼らだ。それが数々の戦の度に最前線に立ち、激烈な勝ち戦を、惨絶な負け戦を戦い生き延びてきた。カヒとの十年戦争を生き抜いた芳野の諸侯の兵といえども敵ではなかった。

 その力が解き放たれるや、夏の終わりを告げる雷光の矢のごとく敵陣深く突き刺さり、敵の陣形を中央から左と右とに切り裂いた。

 これ以上支えきれないと見たのか敵は後ろを向いて逃げ出した。

「いいぞ! 敵は思ったよりも弱い! お前らの敵じゃないぞ! このまま地の果てまでも敵を追え! 追って血祭りにあげて味方の仇を取れ! 一人も逃がすな!!」

 ザラルセンはそう言って将兵を鼓舞し追撃を命じるだけでなく、逃げる敵兵の背中に自らも矢を放った。

 ここで敵兵に打撃を与えておくことはこの先の戦いを考えても無駄になることでは無かった。この先の侵攻作戦も容易になるし、これに以降、これに懲りた敵は再び大規模な奇襲を行おうなどといった考えが浮かばなくなるに違いない。

 一方的な殺戮さつりくの時が訪れるかと思われたその時、敵を包囲しようと回り込んでいたザラルセン隊の左翼から大きな喚声があがった。

「やれやれ俺の部隊はどうも好戦的な連中ばかりでいけねぇや」

 いくら敵を殲滅できる好機とはいえ、そこまで喜ばなくてもいいではないかと思って顔を向けたザラルセンの目に映りこんだものは、敵に押され逃げ惑う味方の姿だった。

 左翼の更に向こう側にいつのまにかどこから来たのやら敵が取り付いていた。舞い上がる砂煙にて、よくは見えないがどうやら騎兵のようだった。

「別働隊がいたのか! してやられた!」

 今現在ザラルセンの部隊は最初の標的に向けて半包囲の体制を取っている。新手の敵はそのザラルセン隊の左翼を斜め後方から襲い掛かり、既存の部隊との間とで挟撃を行おうとしているのだ。

 だが今のザラルセン隊はあちこちから集まってきた部隊が前方の敵と戦うためだけに慌てて作った陣構えだ。今からその乱れた隊列を整えて、前方の敵に対処しながらも、左方に現れた新手に兵力を向けるという行動はとても取れそうに無い。

 そもそもそういった細かい動きはザラルセン隊の最も不得手とするところだ。

「急げ!! まずは左右に分断した前方の敵をこのまま一息で壊乱させるんだ! その後、改めて全軍を回頭し左方より攻撃を仕掛ける新手の敵に対処する!」

「はっ!!!」

 だが命令を伝達しても、一向に旅長たちは兵をザラルセンの思う通りには動かしてくれなかった。

 ザラルセン隊は完全に いわば爪先立って殴りかかろうとしている状態だったのだ。腰は伸びきり、体勢は前掛り、いわば前へ行くしか進むすべは無い。

 しかもそれまで防戦一方に追いやられていたはずの前面の芳野諸侯の兵が生き生きと蘇り、ザラルセン隊を押し返した。

 つまりこれまでの陣営の崩壊というのは半ば演技だったのである。ザラルセンたちの強硬な攻撃に戦列を分断させられたのは予定外であったけれども。

 次から次へとザラルセン隊の左翼は壊滅していく。その勢いの凄まじさに、ザラルセン隊の兵たちは怯え、萎縮してますます思ったような攻撃をすることができない。

 唯一優勢にことを進めているのはザラルセンが途中から戦法を変更して、戦力を集中して叩き付けた中央部だけだった。

 だがそこも左右に戦列を分断することには成功しても、突破にまでは至らない。

「ちきしょう・・・! どこのどいつだ! こんな舐めた真似をしてくれやがったのは!!」

 ザラルセンは百倍にして返してやると歯をぎりぎりと噛みしだいた。

「兄貴、赤獅子の旗だ! 大菱旗もある! 諸侯ではなく、カヒの兵かと!」

「デウカリオとバルカのやつか!」

 よりにもよって嫌な奴が自隊に対して有利な体勢をとっている敵の別働隊の方にいやがる、とザラルセンは舌打ちする。

 ただでさえ相手をするのに厄介な連中に、有利な体勢で攻めかかられてはザラルセンには勝利する方策が見当たらない。

 いや違うな、とザラルセンは思い直した。ザラルセンらが当初交戦した部隊の方が別働隊で、後から襲い掛かってきた方が敵の主力である本隊なのだ。

 そしてようやくザラルセンも敵の意図が読めてきた。敵はわざと囮の部隊に敵の目を集中させ、ザラルセンが構築した監視体制を無効化し、その隙に遠くから迂回させてきた騎馬兵を持って囮の部隊と挟撃するという策を立てたのだ。

 確かに山間部を騎馬兵が通行するのは困難なことだし、気配で悟られては奇襲のかけようも無い。ならば王師が気付くはずも無いような遠くの地点で山を降りて、そこからは長駆馬を走らせて奇襲すれば万事解決する。もちろんそのまま近づいても気付かれてしまうから、王師の目を惹きつけるための囮の部隊を編成したに違いない。それにまんまとザラルセンは引っかかってしまったというわけだ。

「それにしても・・・なんてやつらだ」

 敵の現在の居場所、行軍速度から割り出される未来の場所、そして周囲の地形、味方の現在位置、囮の部隊の経路、そして騎馬兵の経路、それらを秤で量ったかのように緻密に組み合わせなければ、この作戦は成功しない。

 半里でも半刻でも、どこかにずれが生じれば、崩壊しかねない繊細な玻璃はり細工。

 それを一切、破綻させること無くこうしてやり遂げてみせる。その武将としての手腕は大きくザラルセンを上回っていた。

 しかし今は敵将を褒めている場合じゃない、とザラルセンは気を引き締めかかる。

 大切な部下の命を救うためにも、いや、大事な自分の命を救うためにもここは踏ん張り時だ。

 ザラルセンは押し返された兵をもう一度、敵に向かって突撃させる。活路を斬り開くために。


 半刻の戦いの後、ザラルセン隊はやっとサビニウス率いる芳野諸侯の軍を真っ二つに裁断し、その向こう側へと抜け出すことに成功した。

 だがその間にザラルセン隊の左翼は完全に背走し、残った右翼の兵も今や二方向からの攻撃を受けて退却しつつあった。

 ザラルセン隊は既に軍隊の形状をほぼ成していなかった。もはやこれ以上の継戦は不可能な上、無意味だった。

「敵は窮地を脱したかに見えるが、友軍と合流するには我らを打ち破らなければならない。よし、このまま攻勢を強める! ザラルセンの首も取れるかもしれんぞ!」

 既にザラルセンらの退路を遮断する位置にデウカリオは手回し良く兵を動かしていた。だが快勝に笑みを浮かべて舌なめずりするデウカリオの袖をバアルが引っ張る。

「デウカリオ殿、あれを」

 そしてバアルはゆっくりと南西の地を指差した。デウカリオもしぶしぶ首を向ける。

「む・・・新手の敵、援兵か」

 そこにはもうもうと土煙が舞い上がっていた。かすかに喚声や人馬のとどろきも聞こえてくる。

「我々の目的は敵を疲弊させることと、敵の注意を我らに惹きつけることにあります。我らの兵は所詮は寡兵、王師との野での長期戦闘は援兵の見込める王師有利で我等は不利。今回も敵に対して大勝しましたし、ここらあたりが退き時だと思われます」

 デウカリオはザラルセンの残された戦力と南西にあがる土煙とバアルの顔を交互に眺める。やがて決心が付いたのか、ようやく口を開いた。

「わかっている。今回はこれで退こう」

「御賢明な判断です」

「なぁにここでザラルセンの素っ首切り落とせなかったのは残念だが、後々の楽しみもあることだしな。で、例の件は何時頃やるのだ? 次の次くらいか?」

「何度も同じことをやっては敵に乗じられる恐れもあります。この次はどうでしょうか? そろそろ頃合かと思いますが・・・」

「そうか! ならよい! 次にしよう!」

 けたたましく乾いた笑い声をデウカリオは立てた。そして次の瞬間引き締まった精悍な表情に舞い戻る。

「次か・・・次が楽しみだな」

 デウカリオはそう言うと、口元の端だけを大きく曲げた。


 その知らせは再び有斗のいる本営に届けられた。相次ぐ敗報は心痛の種の一つとなった。

「ガニメデ、今度はザラルセンが敗れたそうだよ」

 有斗は続けての敗戦の報告に大きく肩を落とした。

「先ほど聞きました。ザラルセン殿は河北の出身、芳野の諸侯が取る遊撃戦術のことをよくご存知だ。だがそこを逆手に取られましたな。取ってくるであろう対策を見越して策を立て、取りうる選択肢を極力排し、我らの行動を縛る。敵は相当なやり手と見えます」

「そんなに敵を褒めなくっても・・・まさか王師の将軍では太刀打ちできないとか思っている・・・?」

「ハハハ、大丈夫です。確かに個々の戦闘では負けていますが、王師は敵対勢力を打ち破り、日々行動範囲を広げています。全体として王師は優位に戦を進めています」

 それはそうではあるが、勢力圏を縮めてはいても、敵は兵力を護持したままだ。このままではいつまでたっても敵の戦力を無力化できる見通しが立ってない。

 このまま遊撃戦を続けられたら・・・敵を壊滅させるより早く、王師が消耗しきってしまわないだろうか。そこが有斗が不安に思うところだ。

「・・・次に敵はどうしてくるかな?」

「敵は我々の三方面軍のうち二つを叩きました。東のリュケネ殿、北のステロベ殿、進行方向からいっても、敵の支配圏内にただ一つ飛び出しているという位置関係を考えても、次は西にいるエテオクロス殿たちを叩くというのが常識的な考えですな」

 ガニメデは有斗の諮問にそう答えた。

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