第304話 謀者まみえる

 ガルバは唇を動かさずに周囲に聞こえないくらいの小さな声で女官に再び話しかける。

「お前が後宮にもぐりこんでから早二年か。そろそろ王の側に近づくことが出来るような地位についたか?」

「まさかまさか。私のような下っ端は、何間も離れた場所から王の姿を見かけるだけでも数えるほどしかありません。いまだ満足に顔を拝むことすらできていませんよ」

 それも女官や羽林に囲まれた豆粒ほどの大きさの王を、である。

 側を通りかかった王に対して足元で平伏したことすらない。王が近づくとその進行線上に存在する下級官吏や下級女官は前もって羽林に排除されるからである。

 実はそれほど有斗に近づく者に対して気を使っている。官吏だけでなく後宮で働く女官であっても有斗に接触できる人間を制限し、管理していた。アエネアスもああ見えてきちんと仕事をしているのである。

「さすがに後宮の人数を三倍以上に増やしたからと言って、すぐに新参が王に近侍できるほど甘い世界ではないか」

 かといって今の状況で焦って行動を起こすのはもったいないことだ。せっかく苦心して、ガルバの息のかかった人物を後宮に送り込んだのだから。

 後宮の女官は玉体に直接触れる可能性のある数少ない存在だ。身元調査もしっかりとなされるし、後宮に入った後も監視の目がつく。また後宮に入る女官の多くはあわよくば王の寵愛を受け、あるいは後宮で高位を得て自身と一族に栄誉をもたらしたいと考えている者がほとんである。つまり同僚は上司や部下であっても、中の良い友達であっても、潜在的には敵なのである。女官同士の足の引っ張り合いも多々ある。少しでも怪しげな行動を取ったら、たちまち上司に報告され後宮から追い出されること必至だ。

 大きな目的がある彼らにとっては、少しでも疑われるような動きをせずに、あくまで王に忠誠を誓っている良心的な女官のふりをして出世の階段を着実に一歩一歩上がっていくしかない。

「それはもう、当然です。ただ下級女官でも膳司ならば食膳を運ぶときに王に近づけますし、内侍司の女孺となれば礼服を王に着せるときに玉体に触れることすら可能です。両者共に欠員がありますので、上司に働きかけを行って次の人事異動の時を待っております。もちろん王に近づける職ですので競争率は高いですけれどもね」

 女官はそう言って、ただ日々を無駄に過ごしているのではないと、自分の努力を強調する。

「上司・・・か」

 ガルバはふとその言葉に一人の人物のことを思い出した。

「上司といえば今、思い出したが、お前の本当の上司は此度の我らの計画に対してどう考えているのだ? 賛成か? 反対か?」

「どちらとも。計画を告げても特に反対する様子は見られませんでした。会議で決定されたことならば従う、とだけ。かといって積極的に賛成はしてくれていなさそうですが」

「そうか。それにしても、あいつがもう少し我らに協力的ならば、もっといくらでも遣り様はあったのだが」

「しかたがありません。あの方は穏健派です。我らのやり方そのものに賛同しておられぬ様子」

「困ったことよ。かといって、あれをまるっきり無視するわけにもいかぬ」

 彼ら強硬派は首脳部においては圧倒的多数を保持しているが、組織全体としてみれば少数派なのだ。

 それに強硬派は強硬派で内部の主導権争いが激しく、互いの足の引っ張り合いがすさまじい。もちろん当のガルバだってメッサが王の暗殺をしくじった時には散々その足を引っ張ったものだ。

 つまりあいつは緩衝材として組織全体の均衡を図るためには必要な存在だと言える。

「ま、オーギューガと王が揉めている現状は、我らにとって望外の出来事だ。これでしばらく我々は決起までの時間を得ることができるだろう。焦って今まで築き上げた全てを不意にすることは無い。気長にやることだ」

「心得ております」

 それきり二人は沈黙する。無駄に長話をして誰かに不審を抱かれたらことだ。

 ここはあくまで中書令に呼ばれて始めて王城に入った一商人と、それを案内する女官を装っておいたほうがお互いの安全の為であろう。

「ここが中書省になります。役人様にその紹介状を見せれば後は大丈夫だと思いますよ」

「いやあ、ありがとうございます。やはり天下の王城ともなれば広いものですな。案内が無ければ迷うところでした。本当に助かりました」

ガルバはわざと大きく明るい声を出して、気のいい如才ない商人を装った。

そのガルバに対して女官も、さも初対面の人物に対して相手をする時のような外面を取り繕った事務的な愛想で対応する。

「では私はこれにて失礼いたします」

 ガルバは去り行く女官に対して何度も何度も頭を下げる。もちろんそれは偶然彼ら二人の姿を見た周囲を通る官吏などに不審を抱かれないようにするためだった。

 官吏は目聡いものだ。一商人が王城内で女官相手に堂々としていては怪しまれる。少なくとも奇異なことだと感じて記憶の片隅に引っかかったまま残るかもしれないと考えてのことだった。

 とにかく、決起の時が来るまでは、我らは世の中の陰に隠れて、見えないままでいるほうがなにかと都合が良い。

 それを終えるとガルバは中書令の建物に入ろうとするが、当然の如く入り口で止められる。

 通行許可書を見せて、幾度も説明を繰り返してやっと入り口でガルバを止めた官吏たちを動かすことが出来た。入れてもらえたのではない、ようやくそのような許可を出したか、確認の為に動いてくれることとなったのだ。

 いつも思うが官吏のこういう横柄な態度は気に食わない。しかも相手が民間人だということで無駄に威張り腐ってやがる。その細い首根っこを掴んで圧し折りたい衝動に駆られるが、そこは当然我慢する。 

 とはいえ以前と違って賄賂を露骨に要求されなくなっただけでも少しはマシかという気もする。

 ちなみにラヴィーニアはその手のことに酷くうるさい。賄賂を取ったことを理由に中書省だけでも十人が首になり、五十人近くが地方の官職へ飛ばされた。

 しかもラヴィーニアの追求は執拗でその後も彼らの動きを詳しく調べ、その五十人のうちさらに問題を犯した十八人を死刑に、二十七人を首にしている。

 やがて中書省の奥から先ほどの官吏が顔を青くしてバタバタと足音を立てて戻ってきた。

「中書令様がお待ちです。ささ、奥へどうぞ」

 先ほどまでと違って丁重な態度である。どうやら怒られでもしたのだろう。ということは、いちおうガルバを呼びつけたことを中書令は忘れたわけではないようだ。

 こうしてガルバはようやく待望の中書令との面会にまでこぎつけることに成功した。


 ラヴィーニアを見たガルバは自己紹介を受けてもまだ目の前の人物が中書令であることに得心が行かなかった。

 噂では聞いていたが、本当に小さい。どうみても子供だ。成長が幼い少女の頃に止まったということだろう。そうそうあることではないが、稀にあると聞いたことがある。

 だがガルバは見かけだけで人を判断する愚を冒さなかった。相手は天与の人の朝廷を切り回している稀代の能臣であり、関西やカヒとの戦いを裏で智謀で支え、さらには天与の人である王を一度は絶体絶命の窮地に陥れた稀代の謀臣であることをガルバは忘れていなかった。

 それにその目だ、とガルバは思う。

 幼げな少女の貌の中にきらきらと強烈な意思を湛えて光るその瞳だけは、少女がその辺に転がっている十把一絡げなありふれた少女ではないことを如実に表していた。

 一通りガルバを観察したその目が笑みを湛えると同時に、ラヴィーニアは軽く一礼するとさっそく話を切り出した。

「貴方がガルバ殿か?」

「お初にお目にかかれて光栄です。私はガルバと申すしがない商人でございます。中書令様直々のお召しとあり、喜んで参上いたしました」

 ガルバもラヴィーニアに腰を折り曲げて深々と礼を返す。

「忙しい時期だろうにわざわざ呼び出してすまなかったな。どうしても訊ねたいことがあってな。招きに応じて来てくれたことに感謝する」

「いえいえ、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの中書令様にお目にかかれるとあらば、他の用など何ほどのものでありましょうか。これからもぜひとも中書令様のお力になりたい所存でございます」

 ガルバは抜け目の無い商人らしく売り込みに余念がない。ならば御し易い。利をチラつかせればすむのであれば、ラヴィーニアが知りたい真実について語ってくれるだろう。

「それはありがたい。頼みたいことなどは山ほど抱えているからな。そのうち頼むとしよう」

「ぜひお任せを」

「で、だ。肝心の用件についてだが・・・小耳に挟んだのだが、ガルバ殿といえばカヒ家お抱えの大商人だったと聞いた。かつては関西の朝廷にも太いコネを持っていたと聞く」

 ラヴィーニアはさっそく話の核心部分に触れた。そしてガルバの態度を深く観察する。

「あ、いや、確かにそのようなことはありましたが、もう過去の話ですから・・・今はしがない一商人でございます」

 ガルバはラヴィーニアの目の前で大いに恐縮したていだった。

 もっとも正確には大いに恐縮したふりをしていた、だが。

 既にセルギウスを通じて話が来た段階でラヴィーニアの用件は粗方推測できたことだ。うろたえることなど何も無い。切り抜けられるだけの言い訳は充分用意できている。だがガルバはここで大いに狼狽したふりをした。一介の商人が中書令に責められているのに、あまりにも堂々とした態度でいると、却ってそっちのほうがおかしなことだと不審を抱かれない。

 あえて愚鈍を装うことでガルバの真の正体から目線を逸らさせようとしたのだ。

「しかし、今でも付き合いはあるだろう? そこでだ、聞きたいのだが大量の食料を集めているようだな。一介の商人が必要とする量じゃない。何の目的でそんなに集めるというのだ? まさかとは思うがカヒの残党やオーギューガに回してはいないだろうな? うん?」

 顔も目も声も笑ってはいたが、言葉のもつ意味を考えるとそれが単なる詰問でないことは容易に感じられた。

 答えの言葉一つを誤っただけで、きっと俺の胴と首は永遠の別れを告げねばなるまい。

 さすがのガルバも心底が凍りつくのを感じた。

「まさかまさか、そんな畏れ多いことを・・・! このガルバ、天地神明に誓ってそのようなことしてはおりませぬ!」

 図星を突かれてというよりはあらぬ濡れ衣を着せられてといったふうに、慌てて打ち消しに入るガルバにラヴィーニアは苦笑した。

「勘違いするな。私は真実を知りたいだけ。別にガルバ殿がオーギューガやカヒに食料を回していたってかまいやしないさ。それが本当ならば、今となってはむしろ感謝したいぐらいだ。これで大手を振ってカヒの影響力を七郷から取り除き、オーギューガを討つことが出来るのだから。カヒの残党を根絶し、オーギューガから領土を削り取ることは、将来を考えると有用なことだからな」

 それは口先だけのこと。カヒ残党やオーギューガに兵糧を送ったと自白させ、処罰させる目的であろう、そう判断しガルバはなおも否定を続けた。

「いえいえ、決して違います!」

 だがそれは却ってラヴィーニアの猜疑をかきたてる。ラヴィーニアにとって、カヒにせよオーギューガにせよ多少の兵糧が増えたところで何も問題ではない。想定の範囲内で物事を帰着させる自信がある。むしろラヴィーニアが今だ頭に描ききれない何らかの陰謀に使われるほうが厄介だ。

 ラヴィーニアであっても、自身が思いつかない陰謀に前もって対処しておくことは不可能なのだ。

「ならばなんだ。まさか他にも朝廷に逆らう諸侯がいて、その者たちの挙兵の為に兵糧を集めているとでも言うのか?」

 例えば、関西再興を目論む連中とか。

 このとき、ラヴィーニアは限りなくガルバらの不貞な陰謀に近づいていた。

 ガルバは今度こそ本当に慌てた。ラヴィーニアの思考は手探りでガルバの真の姿に近寄ってきているように思えた。それを是非ともここらで食いとめなければならない。

 やはり前もって返答を考えてきてよかった、とガルバは用意していた返答をラヴィーニアに向かって披露した。

「南部にはこの戦乱の間に領主に一定の租税を支払う代わりに、難民を使って荒野を開拓して荘園地を得るというやり方が浸透しております。彼らは平和になったこの機会に乗じて、豊かな土地ではあるが今まで戦争で荒野になってしまった土地に手を伸ばし、その規模を拡大させて利を得ようと目論んでいるのです。ですから集めた難民を食べさせる為に大量の食料が要るのですよ。決してオーギューガなどに回していたわけではありません。なんならお確かめください」

 ガルバの話は一応理は通る。

 しかしラヴィーニアにはそれは俄かには信じられない話だった。そういった制度が南部を中心に存在していることは把握している。

 確かに平和になったこの機会にそれらに従事している者がさらなる利を求めて一斉に開墾に走ることは全然おかしなことではない。

 だがそれにしては多すぎるのではないかという思いも頭から離れようとしなかった。

「・・・」

「確かに俄かには信じられないとは思いますが、事実なのです。嘘だとお思いならお調べください」

 ガルバは一言も言葉を発せずに見つめるだけのラヴィーニアにさも濡れ衣を着せられたが相手が権力者だけに怒るに怒れないといった演技で応えた。

「・・・そうか」

 話が嘘か真かは分からぬが、目の前のガルバとか言う男は簡単にこちらの望んだ答えを話さぬ男だということはラヴィーニアにも分かった。

 どんなに真実を語っても、本当に混乱状態にある時は話の整合性が取れないということのほうが多いものだ。

 だが外面こそ慌てふためいているものの、ガルバの話と話す口調には一切の乱れが存在しなかった。とんだくわせものだ。締め上げて簡単に根を吐くような男じゃないであろう。ここは泳がせて動きを見張るに限るかとラヴィーニアは結論付ける。

「わかった。ガルバ殿がそう言うのなら信じよう。以上であたしの質問は終わりだ。悪かったねわざわざ来てもらったのに、疑ってしまって。どうも根が疑い深いものでね、許しておくれよ。そのうち官の美味い仕事を回すからさ」

「いえいえ、疑いが晴れたのでしたらよかった・・・何せ中書令様に睨まれたら、このアメイジアで私なんぞが生きていくことはできませんからな」

 ひたいにじんだ汗を拭き拭き、ガルバは何度も頭を下げた。

 その姿をラヴィーニアはにこにこと笑みを浮かべながら、内心では警戒を強めていた。

 確実な陰謀や悪事の印はないが、ガルバの言動はいちいち何かがラヴィーニアのこころに引っかかる。

 こんな体験は初めてだ。後で密かに調べなければならないだろう。

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