第303話 暗闇に潜むもの

 有斗が出兵を決意したのはもはやオーギューガを放っておくことが可能な情勢でなくなったからだ。

 オーギューガが王師と争い、それを打ち破ったということは、朝廷がそれを知ると同時に王都中に知れ渡り、すぐさま四方へ噂となって飛び散った。

 ようやくよろよろと立ち上がったばかりの朝廷を揺るがしかねない事態だ。機密事項に指定していたのにおかしなことである。

 とはいえ全朝臣が参加した朝議で話したのだ。完全に情報を封じ込めることは不可能に近いとは誰もが思っていたが。

 それにしても噂が広がるのが早い。

 いや、早いどころか、不思議なことに朝廷に伝わるより早く噂が広がったのではないかという節さえ見られた。

 しかもその内容が真実と少し違う。いや、むしろ肝心なところだけが決定的に違う。

 東国の、つまり河東の有斗にどちらかといえば疎遠な地域では、戦の原因は王師がテュエストスの引渡しを拒否しただけでなく、矢をもって使者を追い払い、さらには交渉に来たテイレシアに侮蔑的な言葉を浴びせてあざ笑ったからだ、というふうにオーギューガに同情的に語られているというし、王都や南部などではテュエストスとテイレシアの仲介を果たそうと間に割って入った王師の兵を、オーギューガの兵が有無を言わさず襲い掛かって一方的に虐殺したというふうに、王師に非はまったく無いかのように伝わっていた。

 そんな中、これを機会に朝廷に取り入ろうとでもいうのか、周辺諸侯からはオーギューガの無視できない動きが次から次へと報告されてくる。

「テイレシアは七郷のカヒ残党に支援をしたため、七郷の民は不穏な挙動を示しており、明日にでも反乱が置きかねない情勢です」

「上州に新しい城を築き、越の国境はどこも堀を割り、砦を作って防衛体制の確率に余念が無いとの噂です」

「オーギューガは傭兵を雇い入れて、今や軍の総勢は五万と号しているとか」

「東山道を東へと向かう庸兵隊の列は今だ途切れないとのことです」

 中には関西の女王や関西の残党と結びついて一斉に蜂起し、東西から挟撃するという噂まで流れ、民は不安でおののいていた。

 このまま有斗がテイレシアに恩義を感じているからといった理由だけで、座して見ていることは許されなかった。

 民はいつでも自身が属する国家に正義を欲しているのである。それは悪は罰され、正義は勝つという、実に分かりやすい非現実的な正義のことである。己が属しているものが正義であると思うことで、自身も正義の存在であると錯覚したいものなのだ。

 ここまでオーギューガが悪く、王師は正しいと民が思っているのに、有斗がオーギューガの悪を懲らしめる態度をいつまでも見せなければどうなるかは、火を見るより明らかであった。

 民は不正を見逃す者も悪であると認識するのである。批判の矛先は逆に王や朝廷へと向けられることになりかねない。正義を正す力も意思も持たない朝廷ならば、自らが代わって新たな正義をもたらす支配者となろうとするに違いない。

 当然、東国においては逆にテイレシアが有斗の立場になることになる。オーギューガも座して過ごしているわけにはいかなくなるだろう。

 ここまで噂になっては、もはやどんなに両者が和平を望んでいても、現実的にその手段を取ることは難しくなっていたのだ。

 朝廷は朝廷の、そしてオーギューガはオーギューガの、それぞれの威信と誇りを懸けて戦う以外に道は無い。

 戦ってどちらが正しいのかということを、どちらかが勝利する形で民に見せて納得させるしかない。


 それにしても、朝廷に比べればオーギューガが積極的に戦う理由も、戦うための戦力も圧倒的に少ないはずなのに、何故、噂はかくもオーギューガが積極的に動いているという噂ばかり流れるのであろうか?

 そのふと感じた疑問を有斗はラヴィーニアにぶつけてみた。

「いいところにお気づきになられましたね」

 ラヴィーニアは有斗を、まるで不出来な生徒が珍しく正しい解答を黒板に書いて見せた時のように大げさにめた。もっとも、あまりにもわざとらしいその行動は、有斗の自尊心を満足させるのではなく、ただ苦笑させるだけだった。

「・・・まぁね。あまりにも不自然すぎる」

「陛下がこの世に現れて、民は戦国の世の終結という希望を見つけた。民が戦国の世の終結を願い、その障害となりうるものを排除したがっているのは理解できます。民がそれがオーギューガだということに無意識に気付いて、朝廷とオーギューガを戦わせたがっているという可能性も無くはありません。だが、それにしても、オーギューガが戦を避けたがっているという噂があってしかるべきです。あらゆる噂が同じ一点を指して集中しているという事態はおかしなことです。この背後に何者かの意図が働いているのではないかという疑いを抱かざるをえません」

 テイレシアと僕が戦うことを望んでいる存在とはいったい何者なんだ・・・? 有斗は困惑を深めた。

 まず朝廷とオーギューガを戦わす目的がまるで思いつかない。普通に考えたら、その戦いに付け込んで漁夫の利を得ようとでもいうことが考えられないことは無いが・・・

 カヒや関西が健在だった頃ならば、それは説得力を持った説だったであろうが、今となってはその考えは荒唐無稽こうとうむけいだ。かつてなら関西の朝廷もカトレウスもその間隙をついて関東に攻め入ることが出来る。利を得ることができる。だが今、そんなことをしようとする諸侯は関西にも河北にも南部にも河東にもいないであろう。王師は二正面作戦を余裕でこなせる兵力を持っているから、同時に挙兵しても叩き潰されるのが落ちだ。

 いるとすれば辛うじて関西やカヒの再興を目論む勢力くらいか。

 しかし今、オーギューガは朝廷に匹敵できる唯一の巨大戦力と言っていい。もし朝廷とことを構えようとするならば、もはやオーギューガを味方につけるしか方策は無い。

 関西の残党にしろ、カヒの残党にしろ、カヒの滅亡後のごたごたで、今はとても充分な準備は整っていないだろう。その現状でオーギューガと王との間に戦闘が始まれば、充分な協力も出来ずにオーギューガが負けることは分かりきっている。大事な味方になりうる戦力をみすみす失うようなものだ。そんな馬鹿なことを行うはずは無い。

 だからさっぱり思い当たらず困惑したのである。

「それは・・・いったい誰だ? それにそんなことをして、いったいその者に何の得があるっていうんだい?」

 その、ラヴィーニアならば分かっているのではないだろうかという、有斗の期待をあっさりとラヴィーニアは打ち砕いた。

「・・・分かりません。あたしにもどちらもまったく思い浮かびません」

 ラヴィーニアには珍しく、自説にはまったく物証が一つもなかった。ラヴィーニアの感情だけが証拠だった。

 だがラヴィーニアの勘が告げていたのだ。誰かが確実にテイレシアと有斗とを戦わせたがっている、それだけは間違いない。

 だが、それはいったい誰であろうか。

 そして、何の目的で・・・・・・?

 それらを糸口すら見つけられていなかったという現実にラヴィーニアは屈辱を感じ、打ち震えずにはいられなかった。

 ラヴィーニアはその時初めて、アリアボネの他に自分に匹敵する陰謀家がこのアメイジアには潜んでいることを感じ取っていた。


「これがその紹介状でございます。中書令様の通行書もこれこの通り」

 外郭内の王城裏への通用門の前で一人の男が守衛たちにぺこぺこと頭を下げていた。

「確かに二つとも本物のように見えるが・・・セルギウスは確かに王城に出入りを許された政商ではあるし、昔から朝廷に出入りしている由緒正しき商人だ。その紹介状はそなたが所持していることは分からぬでもない。しかしお忙しい中書令様が、たかが一商人風情に面会を許可する書状など書かれるということが考えられん」

 実に疑わしげな目でガルバを上から下まで観察する。

 だから共に行かなければ厄介なことになると言ったのに、とガルバは内心不満だった。

 ガルバを呼び出したのはセルギウスなのに、重要な商談ができたとかで直前になって同行できなくなったことを謝ってきた。代わりに中書令から貰った中書省までの通行許可書を渡されたのだ。

 だがそれを見た金吾の兵が偽物ではないかと疑い、半刻もここで足止めを食らっているというわけだ。

 とはいえガルバは目の前のこの仕事熱心な金吾の兵たちを恨まなかった。もし自分が相手の立場なら同じことをすると思ったからだ。

 中書令は国家の要、目の前の威張りくさった金吾の兵でも会ったことすらないであろう雲上人だ。

官吏でない一般人が、しかもそれまで王城に一回も来た事が無い一介の商人が、中書令の印の入った書類を持ってやって来たら、誰だって疑いを持つだろう。

 むしろ怪しまない金吾の兵がいたら、そいつを首にするべきレベルである。

 もし俺が単なる商人に過ぎないんだったら、後難を恐れて既に引き下がっているところだな、とガルバは思った。


 ガルバがラヴィーニアの招きに応じ、危険を承知で王城にやってきたのは、もちろんセルギウスの顔を立ててやったとかいった殊勝な考えからではなかった。

 ガルバは王の知恵袋とも称される中書令ラヴィーニアの顔を見ておきたかったのだ。もしかすると知遇を得られるかもしれない。それに城内の様子は正確な図面で知ってはいるが、やはり図面で見るのと自分の足と目でじかに確認するのとでは雲泥の差がある。是非とも体感しておきたかった。どちらも後々のためになることであろうし。

 そして王城の重厚な警備に舌を巻いた。

 ここに来るまでにいくつもの城門を抜け、検問を受けねばならなかった。だがここは出入りの商人なら荷物を運ぶ小物ですら入ることが出来る地区だ。この地区など他に比べると警備は緩いはずである。官吏だけ、あるいは公卿だけ、さらには一部の官吏と高級女官だけが入ることが出来る後宮などはガルバには視線すら入ることが許されないであろう。

 さすがに王城、警戒は厳重だな、とガルバは感心する。

 そしてこうも思う。やはりこれは攻めるのならば内部からだな、とも。外部からの侵入はおそらく成功しない。


 やがて中書省までわざわざ行っていた金吾の兵が走って帰ってきて報告をする。

「・・・何ぃ? 本物だって?」

 その部下の報告が信じられずに、金吾の隊長は思わず聞き返した。

「そういえばそういった約束をしていた、通してやって欲しいと中書令様直々にお言葉を賜りました!」

 とても偉い人物に直々に声をかけられたことがよほど嬉しかったのか、その若い金吾は頬を紅潮させて嬉しそうに復唱した。

 ガルバがどこか怪しかったとしても、そこまで確かならば通さないことは却って不自然だ。むしろ金吾としての責任問題になりかねない。

 その門を守る隊長はしぶしぶガルバの通行を許可した。

「いいぞ、通ってよし。だがちょっと待て、待たせた代わりに道案内をつけてやろう」

 金吾の隊長は急にガルバに協力的になった。中書令に直に会ったときに苦情でも言われたら厄介だと思い当たったらしい。

「ありがとうございます。ですが道順は紙に裏書されておりますし、一人で大丈夫です。お忙しい金吾の方々にご迷惑をおかけするわけには参りません」

「そうはいうもののな・・・初めての人間にはちょっと分かりにくいところにあるぞ」

 ここから中書省までは遠い。道に迷うことも考えられる。それに一人で行かせては、この男が怪しい振る舞いをしても誰も止められない。

 しかしわざわざそんな遠くまで、こんなむさくるしいおっさんと一緒に行きたいと思う金吾は皆無であろう。

 先ほどは一番若く年下の金吾に嫌な役目を押し付けたが、さすがに二回も嫌な役目を押し付けるというのは心苦しいものがあった。

 とそこに救いの女神が現れた。もちろんそれは金吾の兵にとってはということで、彼女にとってはいい迷惑であったかもしれないが。

 一人の女官が通ろうとしたのだ。着物の色からはその女官が後宮と官吏の間の橋渡しをする役目のものだと気付いたのだ。すなわち、その女官は中書省の場所まで苦もなく行けるということだ。

 隊長はその若く美人の女官にずうずうしく頼み込んだ。

「この客人は、中書令殿に面会の予定があるらしい。しかし我々は見ての通り手が離せぬ。できれば案内をしていただきたいのだが・・・」

 断られるかと思ったが、

「わかりました」と、その女官はその虫のいい申し出を受け入れる。

 あまりの嬉しさに隊長は飛び上がらんばかりに喜んだ。

「いやあ、そうしていただけると実に助かる!」

「では私の後を付いてきてください」

 女官は先に立ってガルバを案内しようとする。その女官に金吾の隊長はそっと音も無く近づいた。

「確かに中書令様はこの者に会いたがっているようではあるが、どうも怪しい。気をつけてくだされ。怪しげな動きをしていないか常に見張っていただきたい」

 とガルバのほうに視線をやって侍女にこっそり耳打ちした。どうやらまだ疑っているようだ。

「わかりました」

 とは言ったものの、侍女は金吾の隊長のその疑い深さに、さすがに苦笑いを浮かべていた。


 すれ違う人々にぶつからないように気をつけながら、ガルバは女官の後を付いて歩く。

 ふと人の流れが途絶えた瞬間が訪れる。

 突然ガルバがその女官に語りかけた。

「ここで会うとは奇遇だな。どうだ? うまくやっているか?」

 その語り懸けに女官は、表情も口も動きも、そして目線すら一切変えずに返答した。口を半ば開いてはいるが、一切唇を動かさない奇妙なやり方であった。

「・・・口を動かさずに話してください。王宮では常に誰かの目が光っていると思っていただかないと困ります」

「おっと、すまん」

 もっともなことである。ガルバは彼女を見習い同じような手法で話すことに切り替える。

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