第302話 討伐準備
「なんだって僕だけがあんなに責められなくちゃならないんだ」
さすがに王である有斗に向かって、どうしてそんな馬鹿なことをしてしまったんですか、とか文句を言ってくる不貞な家臣はいなかったが、むしろ言ったほうがせいせいする、あんな顔で一斉に僕を睨むなんて口に出して馬鹿にするよりもたちが悪い、と有斗は思った。
もっとも、もしそんなことを家臣が口に出して言ったら、さすがに温厚で篤実な、もしくは単に気の弱い王であると見られている有斗だって、手元にある書類か何かをそいつの顔にぶつけてやったかもしれなかったが。
それほどこの理不尽さに納得できないものを感じていたのだ。
だから有斗は朝議で抱いたその不満をアリスディアに向けて愚痴っていた。愚痴らずにはいられなかった。
といってもアリスディアに向かって言ったところで何が解決するわけでもない。本気で解決させたいと思うのなら、朝議で群臣一同打ち揃ったところで本音をぶつけるしかない。だがそんなところでうっかり口からこんな言葉を漏らす訳にはいかない。
遠征であまった兵糧や予備費を有斗が荒民対策や諸侯への褒章に使ってしまったのは事実なのだ。
それでは却って有斗がその自分でしでかしたことを、あくまで結果論ではあるが過ちになってしまったという事実を理解できない、認められない愚かで狭量な君主だと思われてしまうのだ。
ようするに王として大っぴらにできない不満を、嫌な顔一つせず聞いてくれるアリスディアに聞いてもらうことでストレスを解消していたのだ。ようはアリスディアに甘えていたのだ。
「大体、帰ってくるなり荒民の問題をこのまま放置しておくわけにはいかないと上奏してきたのは彼ら官吏だし、カヒ滅亡後の支配体制を早期に確立する為に、諸侯領と王領の確定を急げとけしかけたのも彼らなんだよ? 何故僕だけが責められなくちゃならないと言うんだ」
しかも官吏のその動きの裏ではより莫大な褒章を、すなわち領土を得たい諸侯から賄賂をもらって結びつき、官吏が有斗へと働きかけているということも有斗には分かっていた。
こちらは国全体のことを考えて公正無私にやっていて、向こうは半分私利私欲でやっている。それなのに責められるのは有斗だった。まさにやってられないとはこのことである。
「そのくせ僕が真に勲功ある諸侯に領土を封じようとすれば、諸侯に大領を与えるのは良くない、金や食料だけにしろとか言って反対するし・・・」
だからしかたがなく、取りあえず七郷への遠征で諸侯が出費した分だけでも早期に穴埋めしておくことにしたのだ。恩賞を行わずに放っておき、諸侯の間に不満が高まり、治世に影響が出ても困る。遠征に必要な費用は借金でまかなった諸侯も多いのである。
「しかも僕が最後に決断を下したかもしれないけれども、その試案は彼らが立てたものを下敷きにしているんだ。つまり彼らは僕と同じで当事者のはずなのに、まるでその責任が自分にはないかのような顔をしているんだ! 酷いと思わない?」
そう有斗が同意を求めるように言うと、アリスディアは自身が粗相をしたかのように恐縮して有斗に頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下」
「あ、いや、アリスディアはまったく悪くない。謝る事はないよ。こうして嫌な顔一つせずに愚痴を聞いてくれるだけでも充分感謝してる。ありがとう」
ここがアリスディアのすごいところだ。誰だって自分に関わりない愚痴など聞きたくも無いのが本音だろう。それで気が済むのならと、困ったような顔をして聞き流すだけでも上出来の態度と言うべきだ。
だがアリスディアは心の底から僕のことを心配して話を聞いてくれる。
まぁ、ほんとのところは心の底から心配して話を聞くふりをしてくれているだけかもしれないけど。でもそれでも僕の心は少しは癒されるんだから充分だ、他の人よりずっといいと有斗は思った。
例えばアエネアスやラヴィーニアあたりなら、むしろ愚痴を言う有斗をたしなめる方にまわりかねない。いや、それどころか自分たちの方が大変だと愚痴を僕にぶつけてくるに違いない。ああ、その光景が直ぐにでも目に浮かびそうだ・・・。あの二人はもう少し、思いやりや優しさというものをアリスディアから分けてもらえばいいのに、と有斗は思わずにいられなかった。
そんなことをぼーっと考えているとアリスディアがそれを有斗が苦悩している証であると勘違いし、優しく声をかける。
「陛下の御苦労はこのアリスディア、深く理解しております」
「あ、ご、ごめん。また心配かけちゃったね。あはは」
と、執務室の扉からラヴィーニアが入ってくると二人の会話に割り込んだ。
「まるで王の労苦なら全て存じているような言い方だねぇ、さすがは後宮にその人有りと知られる
そう言って、今日も運んできた書類をどすんと文机に置いて、グラウケネと書類の引渡しに関する手続きを始める。
だがラヴィーニアのその何気ない褒め言葉は、アリスディアにとっては王に対して僭越な振る舞いをしていると言っている様に聞こえたらしい。
「そんな・・・陛下の全てを単なる一臣下が見通すなどと畏れ多いことです。もちろん我々、
「皮肉に聞こえちゃったかい? それはゴメンよ。ただ陛下のことをよく理解しているなって思っただけ。それほど理解しているのなら、もっと傍によって陛下を支えてさしあげればいいのにって思っただけ」
「もっと傍って・・・?」
有斗はその言葉の意味を空間的な距離のことだと勘違いをした。
有斗の執務椅子の直ぐ横にアリスディアの椅子をくっつける姿を夢想する。小学校の頃、教科書を忘れると隣の子に見せてもらったものだ。当然、その隣が女子であることもある。今まで特に気にならない女子とかでも妙に意識して気恥ずかしいものだったし、ドキドキしたものだ。それがアリスディアともなればなおさらだろう。
ひじとか何気なく触れ合っちゃったりしたりしたら、いやそれどころかうっかりおっぱいにひじが触れ合うことだってないとは言えないぞ・・・! ニヨニヨすること疑い無しだな!
それにアリスディアっていっつもいい匂いがするんだよなぁ、変な気持ちになっちゃったらどうしよう、と有斗は幸せな妄想に耽溺する。
ところが、というべきか、当然というべきか、ラヴィーニアの言葉は有斗にそんな甘い時間を与えるための提言ではなかった。
「王配として陛下をお支えすればよいのではないかと申し上げているのです」
「また、その話か・・・」
ラヴィーニアはあの話が朝廷内外にどれほど混乱をもたらしかをもう忘れたとでも言うのだろうか。二度とあんなごたごたはごめん被りたい。是非とも避けたい話題だ。
「カトレウスも片付いたことですし、そろそろ本格的に考えていただかないと困るのですけれどもね」
じろりと優柔不断な態度に終始する有斗をにらみつけた。
「オーギューガの件もあるし、諸侯だって全然朝廷に信服していない。まだまだそんなことに浮かれている場合じゃないよ」
まぁ、陛下のお気持ち次第ですから無理にとは申せませんが・・・とラヴィーニアは珍しく素直に自説を引っ込めさせる。もっとも有斗にあてつけるように長々と嘆息するのを忘れなかったが。
「で、話は変わりますが・・・先ほど朝議でのご不満をお話されたように聞こえましたが・・・」
有斗はそれほど大きな声で話していたという自覚は無いのだが、外にまで聞こえていたようだ。
「単なる愚痴だよ。別にラヴィーニアに向けて話したことじゃないし、気にしないで」
「あたしに聞こえてたってことは、扉の向こうで警備している羽林や偶然廊下を通った小間使いや女官の耳にも聞こえているって言うことです。そこから誰かに漏れ伝わったらどうするのですか。朝議ではご不満を腹の中に押し戻して、せっかく王としての体面を保ったというのに、それが無意味なものになるのですよ。愚痴を言うのも結構ですが、もう少しお静かにお願いいたします」
と有斗の方に向き直ると苦言を呈して、有斗を空いたままの口を塞ぎにかかる。
「それにしても・・・諸官から責められる様な目で見られたことがそんなに不満でしたか」
「そんなことを言うけどさ、オーギューガと
「我々官吏は陛下の諮問に合わせて様々な案を出すことが仕事ですので、陛下に乞われたなら案を出すのは当然のことです。ですがそれらの中からどれが一番いいか判断して決定するのは陛下です。ですからその決定がもたらしたことは全て陛下が責任を負わねばなりません。それが王というものです。それともあれですか。陛下は下の者に責任を押し付けて尻尾を切って、自分は聖人君子で過ちなどないと気取るほうがお好きですか。でしたならば官吏を好きに処分なさってください」
そう言われたからといって、はいそうですかと言える訳が無い。
不祥事が起きた時、現場に全ての責任を押し付けて解雇し、自分はしれっと居座り続ける経営者というリーダーの悪い見本ではないか。
有斗は天与の人となると誓ったのだ。そんな暴君になる気はこれっぽっちもない。
「陛下、政治は結果です。過程がどんなに正しくても、結果が誤っていればそれは誤りと言うことになります。なぜなら政治の結果を受け取る側である民にとって、政治の過程などなんの係わり合いももたないのですから。結果がよければ王は聖君と褒められ、結果が悪ければ王は暗君と
「それって結果だけが全てだってこと? 結果さえ正しければいいという考えはラヴィーニアの言葉でも同意したくないなぁ」
「陛下のそのお考えは当然、正しい。誤った過程を経て積み上げられた政治は、一見上手く行っているように思えても、どこかに
「確かにそうだ。だとするとオーギューガに対して今回、僕が取りうる行動の中で正しい過程と正しい結果とはどういうものだと思う?」
「陛下、あたしはどんなことがあっても、例え後世から陛下が、恩人であるオーギューガを冷酷に取り潰したと罵られようとも、今回のことを機会にオーギューガを叩き潰すことを提案いたします。この世で唯一全ての権力を持つ機関が朝廷だけであるということを示す意味でも、三万もの大軍団を解体しておく意味でも、私戦を許さないという姿勢を見せる意味でも、全てにおいてここは戦って朝廷の威を見せ付ける場面です。これは戦国という世を終わらす為には必ず必要なことです」
ラヴィーニアは相変わらず対オーギューガ強硬派のようだ。その言葉に理はあるとはいえ、非情であるということも言える。
「・・・ラヴィーニアはもしテイレシアが自分の非を認めてきても、それを許すなと言いたいわけ? だとすると僕は小さな出来事を針小棒大に取り上げて、直情径行ではあるけれど清廉潔白で知られているテイレシアを打ち滅ぼすというわけか・・・きっと後世の歴史家は僕を冷酷非情で悪辣な君主だと見るだろうな・・・」
それだけじゃない。きっと民にも官吏にも、いやアメイジア中の人々から人間的に嫌な奴だと思われかねない。
だがここでオーギューガのしたことをうやむやにすれば、有斗の名声は保たれるかもしれないが、代わりにいろんなものを失う。朝廷はオーギューガから諸侯を守ってやることもできず、攻撃した相手に反撃することも出来ない程度の実力しか持たないとアメイジア中に思われるということだ。朝廷の権威は軽んじられ、これでは一時の安定を得たとしても、後々再び戦国の世に逆戻りする可能性が高い。
「ですが代わりに何年、いや何十年の太平の夢を万人に与えることが出来ます。この百年、誰一人見せることが出来なかった安寧の時が来るのです。それでいいではありませんか」
有斗が考え込んで黙り込むのを見たラヴィーニアは、それを有斗の拒絶の意思の表れと取ると溜息をついた。
「もちろん、それはあたしの意見に過ぎず、陛下の意見ではありません。陛下、最後に朝廷が行ったことの全ての責任を取らねばならない御仁は陛下です。よくお考えになって、結論をお下しになっていただきたい」
ラヴィーニアはそう言って深く頭を下げた。
有斗は結局オーギューガの罪過を見逃さずに、兵を用いること覚悟で立ち向かうことを決意した。
しかし朝廷の空気にただ流さたわけではない。それ以外に良い結果をもたらす正しい過程をもった選択肢が存在していなかった。
「まずは問責使を送る。だがオーギューガはおそらくテュエストス殺害を正当な行為だと言い張るだろう」
もしそれが過ちだったと認めるくらいなら、当初からこんな馬鹿なことをしでかさなかったに違いない。
朝廷はテイレシアが全面的に非を認め、謝る事以外の選択肢を許さない。だがテイレシアはオーギューガに喧嘩を売ったテュエストスに兵を向けただけだと弁明するだろう。
諸侯同士の紛争は当事者同士が自力解決するという戦国の一般的な掟に従っただけ。王師と戦ったことは事件の現場における緊急回避的なものだと言い張り、謝意を示すことはないだろう。
つまり双方が納得しうる着地点を模索して、対話で解決を図るのは不可能だということだ。
皆を代表してエテオクロスが有斗に訊ねた。
「ですが、その問責使に対してオーギューガが満足な返答を返さなかった場合はいかがいたします?」
「秋の収穫が近い。それを待って兵を発し大河を渡る」
おお、という低いどよめきが大極殿に響き渡る。
「・・・では!?」
「オーギューガを征伐する。皆、そのつもりで心して準備して欲しい」
有斗は重々しく宣言した。
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