第305話 風雲、越の空へ
問責使は越へと向かった。
彼は芳野経由で越に入ってきたが、どの街道も資材を運ぶ馬運車で溢れ、河東と芳野の国境、また芳野と越との国境の地には大掛かりな柵と陣地が今も建設中であり、それだけでなくどの諸侯も己の館の補修や改造に大忙しであった。食料、秣、工作部材などの軍事物資もあちらこちらに集められて積み上げられていた。戦備に
すれ違う武者と
聞くまでも無い。オーギューガの意思は明らかだった。
例え相手が天与の人であろうとも、オーギューガに槍を向けるのであれば、受けて立つ気なのであろう。
問責使がテイレシアに差し出した有斗からの問責状は簡潔に
まず有斗が任命したカヒ公を殺害したこと、及びその過程で王師に向けて槍を向けたこと、この二つは朝廷に対する明確な反逆行為である。
まずは誰であろうと反論しようが無いであろう、その二点を激しく責めていた。
ただし、そちらにも言い分があるのならば謝罪し、王に逆らわぬという誓紙を差し出した上ならば、弁明の機会を与える用意があるとオーギューガ側にも一定の配慮が示される。
そして次にこれは王権への挑戦ではないかと問題となっている事柄に話題は移る。その後、朝廷への申し開きも無く越へ帰り、しきりに道の普請や城砦の修造を行う理由を問い質す。さらにはアメイジア各地から多数の傭兵を呼び集め、雇い入れていることも同様に問い質す。
これらはどちらかというとオーギューガの動きに対する牽制と言う意味合いが強い。オーギューガのしていることは朝廷は既に把握しているのだぞと告げているのだ。
そこでここからは理ではなく情に訴えて事態の打開を計ろうとする。これらのことが天下に各種の風説を生んで、再び戦乱の世が来るのではないかと民衆が大きく動揺していることを書き記し、長い戦いを経てようやく収まった兵火であり、ここは民の為にも再び兵馬を用いて物事を解決するというのは間違いであることを告げる。
そして最後に、もし上洛して陳謝するならば、有斗としても一切のことを不問にし、
有斗としては是非、朝廷の面子が保たれる形でオーギューガに折れてもらいたい。その為、ある程度はオーギューガの面子も立つような決着が計れるよう文章の隅々に含みをもたせていた。
もっとも実際に中身を書いたのはラヴィーニアだから、王の言うとおりの内容には書いたが、言葉の端々に上段から物を言うような言い回しを使い、取り様によっては人を小馬鹿に嘲笑しているかのような文面であった。
もっとも王から諸侯への文面だから上から物を言うのは当たり前といえば当たり前ではある。それでも本当ならばオーギューガに気を使い、多少は反感を減らそうといった努力はするものだ。無駄に
もっともテイレシアの心のうちを知っていれば、そんな小細工を
テイレシアはその書状を読んでも怒ることはなかった。むしろどこか楽しそうに笑みを浮かべた。
「確かにお尋ねにあるようにオーギューガの兵が王師の兵に槍を向けたことは事実ではあるが、その原因は王師にある。オーギューガが王師と共に身の安全の保証をし、和議を取り交わしたアルイタイメナスを殺害するという暴挙に出たのはテュエストスである。非はテュエストスにある。和議を踏みにじられた形となったオーギューガにはそのテュエストスを殺す権利が当然発生した。しかるに王師はオーギューガ側のテュエストス引渡しという正当な要求を拒み、あろうことかテュエストスを不当に保護しようとした。むしろ非があるのは、王師の将軍のほうである。オーギューガは持っている権利の回復を計っただけのこと」
テイレシアはこともなげに言い切った。自身の行動に一寸も非がないと信じているようだった。
発する言葉を失い、目を丸くするだけの問責使に続けざまに言葉の矢を放つ。
「次にお尋ねの件であるが、テュエストスをこのテイレシアが殺したことが罪になると書状では書かれてあるが、そもそも諸侯を殺すことが王に対する許されざる罪に当るなど聞いたことが無い。それは朝廷が今回、急に言い出したこと。今までそれをやってきたどこの諸侯がそのことを咎められたというのか? カトレウスは? マシニッサは? 陛下のお気に入りのダルタロス公家とて、この百年で周辺諸侯を五つも飲み込んでいる。陛下はそれを咎めたことがございましたか? どの諸侯も戦国の世をそうやって生き延びてきたのです。南部も河北も関西も河東もこの百年、朝廷に正義を訴えても正しいお裁きが下されることは無く、自力で解決することが通例となっていた。それが東西分裂後のアメイジアの真の姿ではなかったかとお伝えいただきたい。アメイジアの法令は多くを通例を積み重ねる不文法をもって形成されている。であるならばテュエストスを殺したことは罪にあたらぬものと心得ています。前もってその言葉を預かっていたならいざ知らず、後で言われてもこのテイレシア、納得いたしかねる」
「それでは陛下に謝罪なさる気は一切無いとおっしゃるので・・・?」
「オーギューガに非がない以上、謝する必要はどこにもない」
テイレシアは使者に向かって昂然と胸を反らせ、そう言った。
「しかし城砦の修造、道の普請、国境での物々しい警護、傭兵の雇用といった天下に大乱を起こすかのような動きは如何釈明なさる!?」
「それは何者かがオーギューガを貶める意図でことさら大げさに言い立てているだけのこと。今だ天下に兵雲収まらぬ中、城砦の修理はごく当然なことである。さらに陛下に頂戴した新領に道を開くことも領主として当然のこと。さらにいまだカヒの残党や野盗や群盗といった連中が各地に
使者はその返事に鉄拳で殴りつけられたかのような痛みを後頭部に覚え、ぐらついた。
なぜなら王を目の前にしては、例え越の龍オーギューガといえども膝を折らねばならないであろう、実に楽な使いになると、高を括っていたからだ。
この使者のように朝政に関わらぬ中級から下級役人にとって、王の実態を知る機会は無い。
彼らにとって、王は僅か数年のうちに戦に告ぐ戦でアメイジアを手に入れたサキノーフ様を上回る武断の王、気に入らないものを武力で持って丸呑みにする恐怖の覇王なのである。彼にとって王がそうであるように、テイレシアにとっても王は恐怖の対象であると思い込んでいたのだ。
その使者に、いや、使者の後ろにいる王に向けてテイレシアは言い放つ。
「天与の人である陛下が周囲の
使者はまた再びぐらりとよろめいた。もはや顔面は蒼白だった。
「なにを馬鹿な! それでは朝廷に対して挑戦状を叩きつけるようなもの! 馬鹿な考えは捨てなさるべきです! 陛下は上洛し、謝罪すれば一切のことを不問にし、以前と変わりなく
「上洛し、ありもしない罪について謝罪する・・・か・・・」
テイレシアはその目に深い悲しみを
「それがオーギューガが生き残る唯一の道ですぞ。朝廷もこれ以上は譲ることが出来ないのです!」
「いや、駄目だな。それでは
テイレシアは万乗の君に向かって来るなら来いと挑戦状を叩き付けた。それは越えてはいけない最後の一線を越えたということでもある。
使者は震える手で一礼すると退出し、その日のうちに東京龍緑府に向けて足早に出立した。
朝廷とオーギューガが不毛な交渉を続けている間も有斗の見えないところで事態は動き続けていた。越を目指す傭兵が街道から姿を消す日はなかった。
いや、傭兵だけではない。もはや王に向かって膝を屈しない存在はオーギューガだけとなってしまった。
王に対して思うところがある者たちは、畿越の不和を聞くとテイレシアの英名を慕って越へと集まって来ていた。例えば関西の旧臣、取り潰された諸侯、あるいは四師の乱で反乱側について、その後ラヴィーニアと違い不遇を託つ者などである。その中には関西でかつて一師を率い、西京前の戦いで有斗に破れたパウサニアス将軍のような大物もいた。
もちろん関西王師といえば
それにまがりなりにも一軍を指揮した将軍である。兵を指揮する最低限の
オーギューガの本隊以外の寄せ集めの軍を指揮する将軍はどうしても何人か必要だ。王師の攻撃を支えきるにはオーギューガの兵だけでは数が足らなすぎるのだから。その役目に当るには格好の人材といえるだろう。
軍神とも称されるその才が本物で遺憾なく戦場で発揮できるとしても、テイレシアは所詮はこの世で唯一人、王師に多方面作戦を立てられて、テイレシアのいないところだけを攻めるという持久戦法を使用されてはジリ貧に陥ること必至だ。
オーギューガにも将軍はいる。特に双璧を
だがカヒに比べてどちらかというと少数精鋭であるオーギューガの軍は、テイレシア一人の指揮で事足りる程度の規模の軍でしかなかったため、一隊を率いる猛将は数多くいれど、一軍を預けるに足る将軍が彼ら二人に育つ余地が無かったのである。
もっともオーギューガの将軍は同数の兵を率いさせることに関しては、カヒの翼長にも王師の旅長にも右に出る者はいないであろうが。
ともかくパウサニアスがいてくれれば寄せ集めの傭兵隊や諸侯の軍とても、それなりの戦いをしてくれるはず。王師に簡単に負けるようなことはないであろう。少しは善戦を期待したとしても罰は当るまい。
だがテイレシアにとって何よりも心強かったのは、おそらく芳野にいるデウカリオと四千のカヒの遺臣が王と戦うに当って味方になってくれたことであろう。
一軍の将としてのデウカリオの器量にはなんら不安は無い。それは長年敵として戦ってきた当の相手であるテイレシアが身をもって体験していることだ。
さらにはデウカリオとカヒの四翼がオーギューガの味方についたことで芳野の諸侯もオーギューガを裏切りにくくなった。
それに王師が真っ直ぐに越に攻めかかってくるならば、その通り道は中越街道を芳野経由で攻めかかってくることになる。もしデウカリオが王に味方するならば芳野の諸侯も諸手を上げて降参し、防衛線は一気に越と芳野の国境まで後退する。
芳野は四方を険しい山岳に囲まれ、内部も山で四つの
それだけではない。七郷の旧アルイタイメナスの一派も王に組する事をよしとせず、デウカリオを慕って次々とオーギューガに味方する気配を見せている。
王と戦うと決めたテイレシアではあったが、後悔はしていなかったものの、勝算の目処はまったく無かった。こんな状態で戦うことを決意したことが自分自身でも理解できず、自ら下した決断の愚かしさに思わず笑ってしまうくらいだった。
これらの知らせはそんな中で久々に聞いた良い知らせであった。
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