第296話 手打ちを計る。

 梅雨も終盤に差し掛かると、畿内の主街道と違って石畳で舗装されていない河東の東山道はいたるところに水溜りが出来、梅雨の増水で突如姿を現した小川に寸断され、主街道とは思えない状況になる。

 特に王師の兵馬に耕された格好となった今年の東山道は路面状態が最悪で、人も馬も足を取られること多々、行軍速度は一舎に満たない。しかも梅雨末期のだるような暑さに体力はさらに奪われる。辟易する思いで王師は七郷へと来た道を戻った。

 兵が、こんなことなら七郷を動かなければ良かったのにと文句ばかり呟く様にリュケネは苦笑した。

 王師の兵がいる状態では七郷で乱が起きる余地は無かったのだから。

 予想していたよりも早いテュエストスの反撃にアルイタイメナスは戸惑った。予想では一旦、遠征を終えた王師を再び坂東へ向けるには時間が必要だ。アルイタイメナスには少なくとも半年の猶予は与えられるはずだった。

 その間に彼らに同調する気配を見せない郷士を討ち、民に善政を施して、カトレウスの出来の良い四男としてしか馴染みのない七郷の将士や民と強く結びついておく心積もりだった。

 七郷を手中にしたとはいえ、それは七郷の者がアルイタイメナスとテュエストスとを比較した場合、今現在、優勢な姿を見せている弟の側にとりあえずついただけという色合いが濃い。最後まで行動を共にするといった強固な主従関係ではないのだ。

 このままではいざ王師といくさという段になっても、彼らが使い物になるかは疑問符が付く。

 しかも始末の悪いことに敵は王師だけではない。カヒの宿敵とも言えるオーギューガの兵が敵に加わっているという。

 オーギューガにとってカヒが特別であったように、カヒにとってもオーギューガは特別だった。

 だが敵にはテイレシアはいるが、味方にはもうカトレウスはいない。これが七郷の民にいい影響を与えるかと考えたら、否、と考えざるを得ない。

 その不安はアルイタイメナスだけの者ではなく、彼と共に反乱を起こした側近たちも同じ思いであるようだった。

「七郷のカヒの旧臣はアルイタイメナス様を御館様と認めましたが、果たして戦場にて戦力になりうるでしょうか? いや、彼らが戦場に出てくれるかさえも分からない。これで戦えるのでしょうか・・・・・・?」

 遠慮がちにだが、不安におののく内心を吐露する。

 王相手に戦を挑もうというのだ。正直、多少きつい戦いになることは覚悟の上だったが、それでも少なくとも味方を一枚岩に纏める時間くらいは存在するはずだったのだ。

 それすら与えられなかった現状に、やはり彼らの中にも不安はあったのだ。

「だがやるしかない。不安要素は大きいが、我らが生き残るには戦って勝つしか道はありえない」

 少なくとも戦って抵抗を示して王師に損害を与え、七郷は外部の支配を受け付けないという不快な現実と妥協しなければならないと王に思わせる程度には戦わなければいけない。

「急げ。有力者に使いを出して兵を急ぎ揃えよ。七つ口で敵を迎え撃ち、敵を一歩たりとも七郷内部へ入れてはならぬ」

 堅牢な七つ口の関所のほとんどが打ち壊された。だがそれでも尚、七つ口を攻めるのは容易なことではない。

 先に兵を置いて抑えさえすれば、王師やオーギューガの兵であっても、そう簡単に攻め落とすことは出来ない。

「鹿留川はどういたします。再び攻め口に使われるやも」

「もちろん警戒を怠るな。だが一度使った手をそう何度も行うとは思えぬ」

 あれは十万という数をもってようやく成功した、いわば窮手である。

 下流域にあれ以上の被害が拡大することを嫌った有斗が、堤防の破壊を命じたが、実は既に築き上げた堤防は半壊して鹿留川は水で溢れかえっていたのである。それだけ鹿留川の水量は多く、流れは速いのだ。

 あの一手はこの時代の治水技術では成功したことが不可思議なくらいの奇跡的な出来事であったのである。

 それにああいった奇手は一度切りの手段で、二度は使わないのが定石だ。

「それにああいう手段があるということが分かっているのなら、対策はいくらでも取れるものだ」

 鹿留川に常時見張りを張り付かせて、異変があれば報告させればよい。

 鹿留川を道路に見立てて下ってくることはできても、そこは悪路だ。一度に大勢の兵を短い時間で送り込むことは出来ない。待ち構えて迎え撃てば、むしろ各個撃破の好機ともなる。アルイタイメナスにとってはむしろその手段を取ってくれた方が有難いくらいである。

 だが敵は普通に考えたらまずは七つ口を目指すはずである。

 王師に先んじて七つ口の西側にある峠を確保し、以前のような石造りの関所は無理でも、木で作った仮柵くらいは設置しておきたいものだ、

 それでこそようやく王師と戦う土俵に立つことができる、と自身がカトレウスに遠く及ばないことを知っているアルイタイメナスは冷静に考えていた。


 だがアルイタイメナスのその考えは既に内部から崩壊し始めていた。

 テュエストスの無事を知り、その支持派がこっそり七郷を逃れ出て次々とテュエストスの下へと駆けつける動きが見られたのだ。

 このまま七郷にいれば敵と間違われかねない。王師の槍先の獲物となっては何の為にテュエストスの味方となったのか分からないということだろう。

 テュエストスは彼らの忠誠心を大いに褒め称えたが、彼らにテュエストスの手足となって戦場で働くよりも別の手段を命じることにした。

 内部で離間の策を用い、アルイタイメナスから七郷の郷士を切り離そうというのだ。だがそれは言葉で言うより簡単なことではない。

 なによりもそれは今現在の七郷の支配者であるアルイタイメナスへの裏切り行為である。

 迂闊に説得を試みれば、相手によってはアルイタイメナスに告げ口をされ首を取られかねない。

 渋る彼らをテュエストスは説得し、再び七郷へと送り返す。

 彼らの中にはテュエストスの為に働き、その結果二度と返らぬ旅路へと向かった者もいた。もう少し賢い者は、アルイタイメナスらに疑われるような行動を一切せず、まるでアルイタイメナスの忠実な家臣ででもあるかのように振る舞い、この切所を切り抜ける。

 さらに賢い者だけが、慎重に相手を見極め、そろりそろりと調略の手を伸ばした。手応えのある返答が返ってくることは稀であったけれども。

 だが数打てば当るとの言葉通り、その手を握り返した者もいたのである。

 カトレウス亡き今、王に逆らうことは勝算が無いのではないかと考えている者がカヒ内でも増えていたということでもある。

 七つ口の中で西から攻め入るときの攻め口は六浦道、小壷坂、稲村路。

 その中で最も南に当る小壷坂を固めていた将の一人が内応に応じたのである。

 その男は峠の頂上までテュエストスの案内で王師が攻めてくると、築いた柵を押し倒し、味方を背後から攻撃し、王師と一手になって戦い始めた。

 もちろん複数の郷士、一手の将が小壷坂を固めている。卑怯な裏切り者を許すまいと残された兵が怒髪天を突く勢いで奮戦し、一度は押し返し持ち直したかに見えた。

 だが熱狂的なカヒへの忠誠心を持つ一部の兵を除いては、討てども討てども涌いて出てくる王師に兵は怯み、逃げ出すものが相次いだ。

 さらにはテュエストスに声はかけられたものの、態度を明らかにしていなっかった者たちが次々と裏切りはじめる。

「仔細あって、テュエストス殿に味方する! 者共急げ!」

「卑怯者が! それでも誇り高きカヒの兵だというのか!」

 ここを破られれば、もう後はないとばかりに残った者たちが奮戦するが、狭い戦場、同時に投入できる兵の数に限りがあるといっても、数の差が厳然として存在している以上、時間と共に劣勢に追いやられていく。

 やがて抵抗する者は次々と命を落とし討ち取られていき、小壷坂は死者が流した血で小川と化したほどだったと云う。

 先の七郷攻めと違い、あっけなく王師に進入を許したアルイタイメナスには打つ手が無くなった。

 もっとも内部から裏切り者を出した段階で、もはやアルイタイメナスらの戦略は破綻していたといっても良かったのではあるが。


 小壷坂が破られたと聞くと、六浦道も稲村路も逃亡する将兵が相次ぎ、もはや戦闘をするどころではない騒ぎとなった。

 アルイタイメナスはこれ以上、七郷入り口での抗戦を諦め、順次撤退を開始した。

 それでも王師やオーギューガの追撃を退けつつ、離脱する将士こそ大きく出したが、反乱を起こす隙を与えずにそれなりにまとまって後退することができたのは、カトレウスが愛したというその将器の片鱗を見せたと言ってよいだろう。

 彼らは離反者、裏切り者を大量に出したが、それでも三千の兵を擁し一旦東へと引き下がった。


 その間に小壷坂だけでなく、放棄された二口からも王師とオーギューガの混成軍は兵を七郷へと侵入させる。

 まずは三つに分けた軍を国府台へと進め、合流させる。そこに次々とアルイタイメナスを見捨てた将士が勝ち馬に乗ろうと馳せ参じた。

 もはや戦力差は圧倒的だった。テュエストスは即時の攻撃を主張したが、テイレシアがそれを押し留める。

「テュエストス殿の計を持ってなんとか七郷に入ることができたが、それまでに払った犠牲も大きい。このまま力攻めでは双方被害を被り、遺恨を残すだけだ。何も得な事はない。どうだろう? ここは痛み分けということで決着を計ってはいかがでしょうか? あえて戦況が優勢なこの時に和平を持ちかけ、彼らに矛を収めさせる換わりに王師に槍を向けた罪を許す。七郷のものは陛下に逆らっても無駄であることをこの戦いで知り、同時に許されることで陛下の寛大さを知る。よい落としどころだとは思いませんか?」

 テイレシアのその提案に、テュエストスは露骨に顔をしかめ語尾も荒く反論する。

「しかしアルイタイメナスは陛下が任命した私に槍を向けた。すなわち陛下に槍を向けたも同然! 我が弟ながら許されざる大罪人です! しかも我が父、カトレウスがあれほど負けたのを見ていたのに、兵を挙げたのです。このままではきっと再び兵を挙げる! 後々の世の為に、ここで憂いを断つべきです!!」

 どうやらテュエストスはアルイタイメナスが再び兵を挙げるんではないかと心配なようだ。

 危うく命を落としかけたテュエストスにとっては他人事ではない分、仕方がないかもしれない。

「安心なされよ。アルイタイメナス殿の身柄はこのテイレシアが請け負おう。アルイタイメナス殿には越に来ていただく。テュエストス殿の許しがなくば決して越より一歩も出さぬ。テュエストス殿には安心なさるがよい」

 リュケネもエレクトライもその提案に否やはなかった。

 朝廷にとって恐れるのはこの戦いが長引き、戦乱が拡大すること。戦って負ける心配はないが、取り逃がす危険性はある。地下に潜んで抵抗を続けられては対策の打ち用がない。

 それに戦で勝利しても、七郷の民に遺恨を残しては、反乱の火種を残すことになる。

 ならば双方手打ちで片がつくのなら、それで済ますに越したことはない。

 だいたい有斗は常々、信を持って天下を制するとか、罪や過ちを許すことこそ一統に必要なものではないかと口にしていた。テイレシアのこの提案は有斗のその考えに沿っているのではないか、と両者は考え、賛成をしたのだ。

 それに高潔で清廉なテイレシアには武人の中に心酔者が少なくない。彼らもご多聞に漏れずその一人であったのだ。そのテイレシアの言うことなら賛成しておいても間違いはないといったところが二人の頭の中にあった。

 さて、王の許し無く、このようなことをしていいのだろうかと思う方もいるかもしれない。

 だが坂東を預かった形となったリュケネには、坂東に関する専断が認められている。

 一旦、撤退命令は出たものの、兵符を王に返上するまでは、それは存在していると考えるのが当然である。

 であるから、ここでの決定は朝廷の正式な決定ということになった。

 テュエストスはそれでも不満な様子を垣間見せたが、テイレシアだけでなく王師の二将軍まで賛意を示されてはどうしようもない。押し黙るしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る