第297話 解決手段

 テイレシアの申し出をアルイタイメナスはあっけなく受け入れた。

 受け入れるにはわけがあった。戦おうにももう手元に兵がいなかった。西へ向かう間にもじわりじわりと知らぬ間に兵はぽろぽろと櫛の歯が欠けるようにいなくなった。残るはカトレウスの遺命を奉じる強硬派と、彼の元々の家臣やその眷属けんぞくだけだった。

 これでは最期の戦を挑もうにも華々しい散り際を見せることも出来ない。

「しかたがない。今はテイレシアの申し入れを受け入れることにしよう。今回はテュエストスの迅速な動きにしてやられた。オーギューガに手回しを忘れていた私の落ち度でもある。その勢いで敵に押し込まれてしまった。裏切られても仕方が無い。裏切った彼らを恨む気にはなれぬ。だが兄はあの通りの男だ。きっといつか失政をする。生きてさえいれば必ずや復権の機会は訪れる。私を信じて越に共に来て欲しい」

 アルイタイメナスは無念の思いで一杯だった、と同時に内心安堵している自分に気がつく。

 これでアルイタイメナスは強硬派や彼をカヒの棟梁にしようと目論む部下たちから失望されること無く、無事に一旦事態を収拾することができる。これ以上無謀な戦いを続けることなく、今を生きる手段が与えられたことになる。

 もちろんそれが大勢の人間の犠牲と引き換えに辿り着いた結論であることは否定しようがない。そう考えると忸怩じくじたる思いが湧き上がってくる。

 とはいえそれらは全て結果だ。アルイタイメナスは生き延びるためだけに彼らを血の海に沈めたわけではないのだ。

 カヒの再興という彼らが見たい夢を見せよう懸命な努力をしただけだったのだ。そう、精一杯戦ったのだ。

 できるだけのことはした、私は悪くない、とアルイタイメナスは自分に言い聞かせた。

 アルイタイメナスと違い、多くの者は涙にくれた。彼らはカトレウスの遺命が、そしてそれを実行しようとするアルイタイメナスの行為が正義であると信じて戦ってきた。ここでその旗を降ろさざるをえないことが残念でならなかったのだ。

 そんな彼らを慰めるように優しくアルイタイメナスは語り掛ける。

「それに越に行くことは無駄ではない。デウカリオたちと合流できるではないか」

 それを聞いて途端にしょげていた者たちは目を輝かせ息を吹き返した。

 デウカリオはいつ何時も強硬派で主戦論者だった。きっとデウカリオならアルイタイメナスの弱気を叱り飛ばして、もう一度カトレウスの遺命に従って立ち上がるための策を考えてくれるであろうと彼らは思ったのだ。

 そしてそれはそう相手が考えるように話すことが出来るだけの柔軟な政治的な思考力をアルイタイメナスは持っていたということでもある。


 王師やテュエストス旗下の兵とアルイタイメナスの兵が争わぬように、アルイタイメナスと彼の側近の身柄の受け取りと、兵の武装解除はオーギューガが行うことになった。

 それだけテイレシアが信義の人であると広く知られている証でもあろう。

 テュエストスも反乱に加わった将士の助命を約束し、各地に逃げ散った軍の解体は順調に進む。

 数日後、テイレシアは後を王師に任せてそろそろ帰ることをリュケネに告げた。

「そろそろ領内に帰って政務を執らなければなりません。少しばかり長く越を留守にいたしました。どうぞお許しいただきたい」

 リュケネは迂闊にも今の今までそのことに気を回さなかったことに気付き、申し訳ない思いで一杯だった。

 諸侯であるオーギューガには王師の兵と違い朝廷から兵站が受けられるわけでもない。もう今は戦国ではないから、足らないからと言ってこれまでのように七郷の民から奪い取ることも出来ない。

 オーギューガは自腹で出兵しているのである。一日過ごす度に大量の金銭が要るに違いなかった。

「これはご迷惑をかけて申し訳ありません。七郷に平和を取り戻す為に助力していただいたこと、感謝いたします。きっと後ほど陛下からも恩賞の沙汰があることでしょう」

「そんな恐れ多い・・・これもアメイジアの平和の為、陛下の恩為です。それにカトレウスとは長き因縁がございました。その子であるテュエストス殿に頼られたのも、こうして兄弟の仲を取り持つのも何かの宿縁でございましょう」

 テイレシアが七郷での後始末がつく前に越に帰ろうとしたのは、もちろん金銭的な問題も考えてのことである。

 しかしそれ以外の要因もある。というよりは要因としてはそちらのほうが大きかった。

 いつまでも七郷に兵を留めるのは危険である。なにしろオーギューガは長年カヒの宿敵だったのだ。それを忘れていない者もいるだろう。ちょっとしたいさかいから大事に発展して、兵乱の新たな火種になりかねなかったからでもある。

「これ以上引き止めるのは申し訳ない。後のことは我らが承ります。一刻も早くお帰りください。また王都ででもお目にかかれることを楽しみにしています」

 リュケネの丁重な言葉にテイレシアも笑みを浮かべて一礼を返す。

「それではまたいずれ」


 テイレシアの命令でオーギューガは出立の準備に直ぐにかかった。

 そんな中、オーギューガが出立することを聞きつけ、僅かな供を連れテュエストスが挨拶に駆けつけた。

 兵を催してくれたこと、自分を諸侯に復してくれたこと、一通りならぬ感謝の念を表し、何度も何度も頭を下げた。

 陣中見舞いにとテュエストスは金品を差し出す。もちろんテイレシアはそれを何度も何度も断ったが、テュエストスの押しに負け、終に受け取る羽目になった。

 とはいえ手弁当で参戦したオーギューガにとってはそれは実際とても有難いものであったが。

 最後にテュエストスは遠慮がちに一つの願いを口にした。

「今生の別れとなるかもしれません。ぜひ弟に会わせていただけないものでしょうか?」

「それは・・・」

 テイレシアは思わず口篭る。

 つい先日までカヒ家の支配権を巡って命のやり取りをしていた二人だ。他人ならまだしも、なまじ兄弟なだけに二人の間の憎しみも倍加しているに違いない。テュエストスにとって単なる別れの挨拶のつもりでも、喧嘩に発展する可能性もありうる。会わせない方がいいと頭は告げていた。

 迷いを見せるテイレシアにテュエストスは人懐こい笑みを浮かべて尚も頼み込む。

「私としてもこのような形で別れ、一生恨まれるのは心苦しい。私のしたことはカヒを後世に残すために必要で、仕方が無いことだったと言い聞かせてやりたいのです」

 だがしおらしくそう言うテュエストスにテイレシアはつい情にほだされ、会見の許しを与えてしまった。

「それもそうだ。今後の七郷の安定の為にも二人は和解しておいたほうが何かと都合が良かろう」

「ご恩は一生忘れません」

 テュエストスはもう一度、その人懐こい笑みを浮かべてテイレシアに頭を下げた。


 アルイタイメナスは天幕を一つ与えられ、衣食の不自由なく暮らしていた。

 とはいえある程度の行動の自由も与えられているものの、常に警戒の目は光っていた。天幕は入り口だけではなく周囲を厳重に衛兵で囲まれている。何か企まれると厄介なので、彼だけでなく主だった者はこうして一人一人別々の場所に隔離されていたのだ。客人と幽閉の間といった扱いである。

 だが兵を挙げるという反逆行為を行った罪人としては破格の扱いであると言えよう。

 テュエストスはそこまで付いて来た側近たちを天幕の外に残し、中へと入る。

 処罰を恐れて震えているかと思いきや、天幕の中でアルイタイメナスは悠然と書物を読んでいた。

「意外といい扱いではないか。しかしこんな時でも相変わらず本を手放さないとは、読書人であることよ」

 アルイタイメナスは勉強好きをよく父であるカトレウスに褒められていた。それに対して俺はよく叱られてばかりいたな、などと苦い過去が脳裏に蘇る。

「これは兄上ではないか、哀れな敗残者であるこの弟にいったい何の御用で?」

 アルイタイメナスは読みかけの本を閉じると顔を上げ、皮肉たっぷりに返答した。

「そう皮肉を言うな。」

「父を裏切りカヒを滅ぼした元凶、王の下僕に成り下がった男などに話す言葉などない。帰れ」

 テュエストスはアルイタイメナスの目に籠められた殺気に不満げに鼻を鳴らす。勝利者はこちらなのだ。敗者に命じられるいわれなど無かった。

「俺が率いる兵は当時ないも同然だったのだぞ。俺一人裏切ったくらいで滅びるのであるならば、俺が裏切らなくてもカヒなどいずれ滅んでいたとは思わないのか?」

「いいや! 正面から戦えば王師などに決してカヒは負けぬ!!」

 抗弁もここまでくると馬鹿らしいものだ、とテュエストスは内心思った。イスティエアからこの方、カヒは一度も王師に勝利しなかったではないか。

「・・・現に今回もこのように負けたではないか。カヒは戦国屈指の巨大諸侯だったが、それでもオーギューガを滅ぼすことは出来なかった。今や敵はそのオーギューガだけではない。天与の人が治める東西分裂を統一した朝廷もいるのだ。その二者を相手にどうやって勝利する? 現実を見ろ。そして大人になれ。カヒという名家を残すには王に膝を屈して生きていくしかないのだ」

「・・・理屈ではそうかもしれないが、カヒの者としてそのような生き方は肯定できない。私はたとえ滅びるとしても父の遺志を貫く」

「理解できるなら、そう行動しろ。王に向かって槍を向けるなど正気の沙汰とは思えぬ」

「私は裏切り者のお前に向かって挙兵しただけだ。王に槍を向けたわけではない」

「それはお前だけの理屈だ。朝廷には通用しない。王や朝廷がお前の行動を見てどう考えるか、お前の自慢の脳みそで考えてみれば分かることだろう?」

「論戦をしに来たのなら帰れ。これ以上は話の無駄だ」

 双方しばしの時間沈黙する。やがてテュエストスが諦めたように溜息を吐く。

「確かにもういいか。我ら二人、やはり生きる道は違うらしい」

「ああ」

「だけれども一つだけ言っておくぞ。王に逆らってのカヒの復興など絵空事だ。俺が取っている道だけが唯一カヒを後世に伝えていくことが出来るのだ」

 それが賢い生き方であることを、いやそれどころか正しい生き方であるかもしれないことをアルタイメナスも充分理解できていた。

 だが同時にそれが出来ない自分がいる。父への思慕、カヒという集団に属することへの誇り、仲間たちへの同情、それらが邪魔してその行動を取ることは許されないのだ。

 だから感情を隠して兄に返す返事はそっけないものだった。

「・・・お前はその道を行けばいい。私は違う道を歩む」

「どうやら同じ結論に達したらしい。そういうことになりそうだな」

 テュエストスの言葉にアルイタイメナスも目線で頷く。

「さよならだ」

 テュエストスはそう言って立ち上がると、突然、剣を抜き放ち、深々と机の向こうに座るアルイタイメナスの下腹部に突き立てた。

「!!!!!!!」

 アルイタイメナスは何が起きたか理解できなかった。気がつくと突然腹部に激痛が走り、剣が突き刺さっていた。それが彼の殺害を意図していると理解するのに少しの時間が必要だった。

 オーギューガの庇護を受けていることで油断をしていた。いくら兄でも降伏して無力になり、越へ配流という処遇が決まった者をどうこうするということは無いだろうと高を括っていたのだ。

 とはいえ降伏してからはアルイタイメナスは丸腰だった。例え少しばかり警戒していたところで防げなかったであろう。

「貴様・・・! ここまで・・・!」

 腐った奴だったのか、と言おうとしたが出血の痛みで舌を動かすことも満足に出来なかった。

 足がすべり天幕にもたれかかるように倒れこむ。剣を抜いた傷口から血がどんどん溢れて地面を黒く塗りつぶす。

「お前は不安要因なのだよ。お前がいる限りカヒの一部の跳ね返り者は常に陰謀をたくましくすることだろう。できればお前にはそういった連中と縁を切って俺と共に新しいカヒの為に働いてもらいたかったのだが・・・それができないならしかたがない。お前は黄泉路へと向かうが良い。ここで死んでもらう」

 カトレウスの遺命を果たそうとする連中も担ぐべき神輿がなければ、何をする事もできなくなる。最後にはテュエストスに頭を下げることになるだろう。解決手段はこれしかない、とテュエストスは腹を括ったのだ。

 腹部に突き刺した剣を抜くと、止めを刺そうと弟の頭部目掛けて上段から剣を切り下ろす。

 だがそれは弟の右ももを切り裂くだけに終わってしまった。アルイタイメナスは転がって剣先を避けたのだ。

 アルイタイメナスは激痛に顔を歪めながらも腹部を押さえて立ち上がり、こけつまろびつ天幕から脱出した。

 天幕から聞こえた突然の絶叫と騒音。次いで転がり出る重傷のアルイタイメナスに天幕周辺を囲んでいた衛兵たちは一種の恐慌状態に陥った。

 もし身柄の奪回なり、暗殺を企てる者がやってきたとしても外部からの攻撃であり、内部でこのような騒ぎが起きるとは想定外だったのだ。

 片や共に七郷に攻め込んだ新カヒ公の兄、片やテイレシアが身の安全を保障した弟。どちらが悪いのかも、どちらを守るべきかも分からない。

 とりあえずオーギューガの兵たちは二人の間に割って入り、これ以上の争いごとを止めさせようとした。

「どけい! どかねば斬る!!」

 それに対してテュエストスは剣を振りかざして脅しをかけるが、彼らは一切動じること無く、逆に睨み返される始末だった。

 ここにいるのは歴戦のオーギューガの武人なのである。テュエストスごとき小僧に一喝されて怯むような柔な男はいないのだ。

 さすがにテュエストスも屈強なオーギューガの兵を押しどけることはできなかったし、ましてや邪魔をするオーギューガの兵を斬ってまで弟を追いかけるわけにはいかなかった。そんなことをしたらここにいるオーギューガの兵を全て敵に回す。

 人垣の向こうでふらつくように遠ざかる弟の後姿を指をくわえて見ているしかなかった。

「ふん・・・まぁ、いい。あの傷ではどうせ助からだろうぬしな」

 剣は内臓を貫き破壊した。出血も激しい。命の火が消え去るのは時間の問題だった。

 剣を振って血を振り払うと、悠然とさやに剣をしまう。弟を殺そうとしたのに動揺一つ見られない。

 この人は尊大で非情なところだけカトレウスに似ている、と集まってきた側近たちは困ったように顔を見合わせた。この先のことを思うと大いに不安を感じた。

 だがその彼らの感想はある意味的を得ていたのかもしれない。頭のほうはカトレウスに似ていないと言っているのだから。

 なぜならアルイタイメナスを殺すことに躊躇いが無かったからである。だがそれは、神文に懸けて命の保障をし、ようやく彼を降伏させたテイレシアの面子を大いに踏みにじることでもある。

 つまりオーギューガの誇りを足蹴にすることがどれだけ高くつくかということを、カトレウスの傍にいたのに一切感じなかったということだ。

 こちらは王に任命された同じ諸侯である。助力には感謝するが、家内のことに口を差し挟まないでもらいたい、そういった程度に兄弟のことをテュエストスが軽く考えていたということを示していた。

 テュエストスの協力要請に快く応じたテイレシアの態度を、自分の後ろにいる王の威光に配慮したからだと考えたということもある。王の威光に配慮せざるをえないなら、テュエストスがアルイタイメナスを殺しても、怒りはするだろうが我慢するしかないだろうと甘く見積もったのだ。

 もしカトレウスがこの場にいたら、息子を殴りつけていたことだろう。

 カトレウスは上州の一諸侯の相続争いに首を突っ込んだが為にテイレシアの怒りを買い、何十年にも渡る不毛な争いの末、天下を手に入れる機会をとうとう逸したのである。

 テイレシアの誇りを踏みつけることが、どれだけ高くつくことになるか、彼ほど身をもって知っている人間はこのアメイジアにはいなかったのだから。

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