第295話 テイレシア、動く

「父カトレウスの威光はまだまだ七郷では強いのです。弟はそれを利用して、恐れ多くも天与の人である陛下に任じられた正当なる諸侯である私から、その地位を実力で奪い去ろうとしているのです。この苦しみ、父カトレウスと戦い続けていたオーギューガのかたがたならばお分かりいただけると思う。同じ陛下に仕える諸侯のよしみで、どうかお力をお貸し願いたい」

 ひれ伏して助力を懇願するテュエストスの姿にテイレシアは困惑を浮かべつつも、それでは諸侯としての体面が整わなかろうと、取り合えず立たせてから話をしようとする。

 オーギューガの宿老たちはその姿を複雑な気持ちで眺めていた。

 彼らにしてみればテュエストスは憎っくきカトレウスの息子、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとのことわざが示すようにあまり好ましからざる人間である。その息子がこうも情けない姿をして彼らの前で主君にひざまずいていることに、諧謔かいぎゃく的な愉悦を感じないわけではない。

 しかし同時にそのカトレウスに繋がる人間であるからには、それなりの人物であって欲しいということも同時に思うのだ。

 テュエストスがみっともない姿を見せれば見せるほど、自分たちが長年に渡って戦い続けてきたカトレウスまでもがしょうもない人物であるのではないかと思えてくるのだ。ならばそのカトレウスにあれほど苦しんだ我らも、実はくだらない存在でしかないのかと思ってしまうからである。

 彼らは彼ら自身の為にもカトレウスやカヒに連なる者たちには立派であってほしいとも思うのだった。

 それに他にも困惑する理由がある。

 テイレシアが芳野にデウカリオ率いる四千のカヒの兵をかくまっていることは公然の秘密である。

 そしてテュエストスが新カヒ公になっても、そのデウカリオらが行動を共にしないのみならず、祝辞一つも送らなかったということは、彼らがテュエストスを支持していないということを表している。

 ということは彼らはテュエストス以外の誰かを主君として仰いでいるということだ。それは誰かと常識的に考えると、アルイタイメナスということになる。

 ならばデウカリオらを知らぬ顔をして匿っているテイレシアがアルイタイメナス側に加担していると考えるのも、また常識的な考えであるはずだ。

 彼ら、オーギューガの家臣たちも主君の立場をそう考えていた。

 実際、テイレシアは折を見て王にカヒの旧臣たちの赦免を求め、小なりであってもアルイタイメナスを諸侯に復帰させる考えを持っていた。それはデウカリオらに頼られたからという理由だけではなく、真の平和や正義というものが相互理解や協調や調和といったもので実現できるとテイレシアが固く信じているからでもある。

 テイレシアの敵は周辺諸侯を圧迫し拡大政策を続けるカトレウスであり、カヒの民ではないというのが彼女の考えだったから、かつて敵としたカヒを擁護する形になることも彼女の運動を妨げる障害とはならなかった。

 テュエストスもそのテイレシアの動きに気付かないはずは無い。さすがにそこまでは馬鹿ではないだろう。

 しかし普通の精神の持ち主ならば、そのテイレシアを頼るなどと考えるのはおかしい。門前払いされるならまだいい、命を失いかねない。

 むしろ王都へ行って袞龍こんりょうの袖にすがったほうが、確実に助力を得られる。

 何を思ってテュエストスははるばる越へ来たのか。彼らオーギューガの宿老にとってテュエストスはあらゆる意味で不可思議な存在であった。


 テュエストスはただ、当ても無くオーギューガに来たわけではない。

 テュエストスの後ろには王がいるのである。最終的に己が勝利することをテュエストスは疑わなかった。

 だが王都は遠すぎる。行って帰ってくるまでにアルイタイメナスの基盤が確固たるものにされていることが怖い。それではアルイタイメナスらを打ち破ってカヒを取り戻しても、内実の伴わないがらんどうのものが七郷に残るだけである。それが第一。

 そしてテイレシアは頼られると断れない性格であることが第二の理由である。

 もしこのまま何もしないでいると、テイレシアはきっとアルイタイメナスの立場に沿って動くだろうと考えられた。

 その結果、テュエストスの頭ごなしに王とテイレシアの間でこの事態の解決が図られ、カヒ公の位はアルイタイメナスに奪われるなどということになる可能性はゼロではないのだ。

 確かに王に任命された諸侯であるテュエストスに対して兵を挙げる行為はどんな言い訳を使おうが、王権の否定であることは間違いない。王にとっては自身の政治的権威を否定するその行為は、決して許されざるものではあるが、だが政治とは現状の力関係を認識した上で妥協を図ることに異ならないものだ。少なくともテュエストスの考える政治とはそういうものであった。

 だから再び坂東の彼方へと派兵することへの出費、出費に対する官吏からの突き上げ、派遣される兵の不満、そして王も無視できない巨大諸侯オーギューガの意向、全てを加味するとそういう決着方法が計られてもおかしくない、とテュエストスが考えたとしても仕方が無いことであろう。

 そこでテュエストス自らテイレシアに助力を願うことにしたのだ。

 こうすれば人のいいテイレシアは両者の間に板ばさみの状態になる。

 積極的にテュエストスに加担することはそれでも無いかも知れないが、少なくともこれで大っぴらにアルイタイメナスに助力することもしにくいであろう。アルイタイメナスを新カヒ公に推すことも、芳野にいる四千の精鋭をアルイタイメナスに渡すこともできなくなるに違いない。

 四天王最後の一人デウカリオと四千の精鋭がアルイタイメナスの下に行かないだけでも、テュエストスにとっては大きな差があることなのである。

 こう見るとテュエストスはやはりカトレウスの子供だった。虎の子は虎、意外に抜け目の無いところがあった。


 テイレシアは少し考えた後、テュエストスの申し出を受け入れることにした。

 せっかくアメイジアに和平の気分が高まっているのだ。大乱の兆しを放っておくわけにもいかない。それが王より大領を預かったオーギューガ家の使命であろうと思ったのだ。

「これは天下に対する反乱と言うよりは、家中で起こったいさかいに過ぎないように私には見える。だが、このままでは双方にとって良くない結末に陥ることは目に見えている。非力ながらご助力いたす」

「では・・・!」

「私にできることはそう多くないが、お二方の間に起きた誤解を解いて差し上げようと思う。兄弟仲良く国を治めることこそ、先代カヒ公にとって真の供養になることでしょう」

 テイレシアはそう言って笑いかけたが、テュエストスはその言葉が自身の考えと違ったのか、少し不満そうだった。


「御館様、御館様」

 テュエストスを賓客として持て成すように従者に指示を出して、一人になったテイレシアにカストールが近づいて声をかけた。

「どうした?」

「芳野の客人たちはいかがいたしましょう。七郷へ行きたがると思いますが」

 その言葉にテイレシアは端正な眉を歪ませた。オーギューガはテュエストスの他に厄介な荷物を抱えていたのだった。

「・・・知らせない」

「それでは後々不満を持つのではないでしょうか?」

「・・・だろうな。だがそれしかない。まずもって、この戦は即戦を旨とする。アルイタイメナスに万全な備えが出来る前に戦いたい。だが彼らを越に呼び寄せるには半月以上かかるだろう。それに彼らを七郷へ連れて行っては厄介なことになる。私は兄弟が和した上でカヒを再興することで、坂東に平和になってもらいたい。彼らを連れて行けば兄弟のどちらに味方するにしても、味方したほうに大きく均衡が崩れる。勝てると思った者はなかなか私の話を聞こうと思わないであろう。和平の障害となりかねない。それにもし反乱側について反乱が大規模になれば、それを匿っていたオーギューガの責任問題となる。だから帰趨きすうの分からない、敵に回るかもしれない四千もの精鋭を連れて行くのはやめるべきだ。彼らを芳野から動かすなよ」

「承知いたしました」

 カストールは了承して、深々とテイレシアにお辞儀をする。


 テイレシアはさっそく白鹿近隣の兵を招集し、通り道に当る上州諸侯にも参陣を促がす使者を送る。

 白鹿近隣の兵が二千ばかり集まると、テュエストスが落ち延びてきた翌日にはもう白鹿館を後にしていた。

 後二、三日は温泉でも入ってゆっくりしていけると思っていたのだがな、などとテュエストスは残念な思いで一杯だった。ちなみに越は上質の温泉が涌くことで有名である。

 それはさておき、上州に入るとテイレシアは諸侯の兵が集まるのを待ち、行軍速度を落とす。

 さすがに七郷に攻め入るのに、二千程度の数では話にならない。アルイタイメナスがどれほどカヒの遺臣から支持を受けているかは分からないが、二千の兵では七郷に入ることすらできずに敗北することであろう。

 そこにテュエストスにとって大変いい知らせが舞い込んできた。

 王都に帰ったはずのリュケネとエレクトライの王師二師が七郷で乱起きると聞いて引き返してきたのだ。

 目的は七郷の乱をしずめること以外には考えられない。

 これで名実共にアルイタイメナスに加担する行為は王に逆らう行為ということになる。

 穏健派は反乱に参加することを躊躇ためらうだろうし、参加している者を切り崩すこともできるだろう。

「風が俺に吹いてきやがったぞ」

 とりあえずカヒの地を取り返すまでは大いにテイレシアやリュケネたちにゴマでもすっておくか。

 テュエストスはこの機会に王師やオーギューガを利用して自身に反対する勢力を七郷から駆逐し、ついでに領土を奪い取ってやろうなどと考えていた。


 王師二師一万が合流することはテイレシアにとっても実に心強いことであった。

 もちろんテイレシアは独力でもテュエストスの為に戦い、諸侯に復帰させた上で、両者の仲を復旧しつつ、その功績に換えてカヒの遺臣たちと王との間を取り持つつもりだった。

 だが坂東のことは正しく朝廷に伝わりにくい。

 朝廷にこのことは七郷全土をカヒの手に取り戻すという要求を通す為の、テュエストスとアルイタイメナスの猿芝居だと思われたり、更にはテイレシアもその詐欺の片棒を担いでいるなどと思われたりしたら厄介である。

 だが実際の戦に王師が関わっていたとなれば話は早い。両者のいさかいも事実ならば、テイレシアが反乱を鎮圧したことも事実、そして坂東の動揺を押さえるには、カヒの遺臣、民の声を無視することは出来ないということも報告してくれることであろう。

「王師第四軍を預かりますリュケネと申します。お見知りおきを」

「同じく第九軍の将軍を拝命しているエレクトライです。名高いオーギューガ公にお目にかかれて光栄であります」

 王師の将軍がわざわざ自陣まで馬に乗って訪ねてくれたことにテイレシアは恐縮しきりだった。

 公位は確かに一地方の主だが、官位という朝廷の枠の中であっては、先々公卿という朝廷の高官に昇ることが約束されている王師の将軍のほうが格は上である。

「オーギューガ公テイレシアです。此度の七郷での反乱、カヒ公の要請に対して兵を出しました。名高い王師の将軍方と鞍を並べて戦えること、一生の誉れとなりましょう」

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