第294話 逃れ行く先
アルイタイメナスたちがよりによってテュエストスが鷹狩りに出かけたその日を挙兵の日に設定したことは当然、単なる偶然である。
もちろん、前もって入り込ませていた間者によってテュエストスが突然鷹狩りに出かけたことは直ぐに知ることができた。その対策として、急遽テュエストスの行き先へも兵を振り分けることとなった。
多くない手持ちの兵を二手に分けなければならなくなったことに少しばかり不安を覚えるが、今更計画を変更するわけには行かない。
王師は七郷より帰還の途についたものの、若干の官吏やそれを護衛する兵など朝廷の手先が七郷には残っている。同時にそれらを強襲して身柄を押さえる者や、挙兵と同時に近隣の有力豪族や旧臣に合力を頼む為に四方に散っている者もいる。彼ら全てに計画の中止を告げようとしても間に合わない。
また、兵を動かしたのは早朝とはいえ人目はある。野良仕事に出かける農民など多くのものに見られているはずだ。
ここで中止したら七郷内にアルイタイメナスらが潜んでいることが公になってしまう可能性が高かった。
まさか彼らの姿を見た者を一人残らず殺していくわけにもいくまい。
アルイタイメナスにはもはや退路は無かった。行動あるのみである。
「物々しいな」
テュエストスの館は周りに環濠を巡らし、四方に見張り台を配し一通りの防備を備えた、七郷の主に相応しいだけの風格を持った屋敷に生まれ変わっていた。周囲に館を持っていたものは替地を当てがわれたとは言うものの、無理やり立ち退きを迫られ追い出されていたのだ。
これも人心をテュエストスから離れさせることになった。
確かに国府台の館に入らず、そこを先の戦で死んだ者たちを供養する場所にするという発想はカヒの遺臣にテュエストスに対していくばくかの親しみを抱かせる効果をもたらしたが、自身を守る為に周囲の、つまり元カヒの重臣を追い出して館を拡張することは、カヒの遺臣からしてみると、彼らを軽視するテュエストスの心の現われで、慢心、増長しているように見えたのだ。
結果論にはなるのだが、テュエストスは人心を掴む為に、多少の危険は覚悟で、彼らと住まいを共にしたほうが良かったかもしれない。
ともかくもそこまでして防備を施したつもりのテュエストスの館であったが、その効果はまったく見られなかった。五十人ばかりのアルイタイメナスらに素早く門を突破され、館に押し入られる。
館の設計に問題があったわけではなく、防備に当った人間に問題があったことを工事をしたものの名誉を守るために追記しておく。
館で働いている者の中には少なからずアルイタイメナスの与党がいたし、彼らに抱きこまれていた者も多くいて、防御体制をとる前に館へすんなりと侵入されてしまったのである。
その上、ほとんどのものが事情を察し、抵抗せずに降伏した。中にはアルイタイメナスに進んで加担する者も見られる始末だった。
僅かな者たちだけが抗戦を試みるも、多勢に無勢、命からがら逃れ出るしかなかった。
アルイタイメナスは見せしめとしてテュエストスの館に火を放って燃やし、国府台の館に入る。
すると事態を知った近場に住むカヒの旧臣たちが続々と挨拶に駆けつけて来た。
この者たちの助力がどうしてもこの先必要になる。
そう思ってアルイタイメナスは祝辞を述べる彼らを機嫌よく応対をしつつ、テュエストスを討ち取ったという別働隊からの知らせを首を長くして待った。
だが待ち望んだその知らせは結局届くことは無かった。
鷹狩りに向かったテュエストスを殺害する為に派遣された人数は五十余である。
そこは広い一面の野原、彼らは一応物陰に姿を隠しながら半包囲の陣形を敷いてテュエストスに迫ったが、テュエストスは武器を手にした物騒な人影が近づいてくるのに目聡く見つけると直ぐに危険を悟り、鷹も武器も投げ捨てて、その場に留まることなく馬の背に掴まったまま逃げ出した。
彼らも慌てて後を追ったものの、幾人かのテュエストスの近習の者が最後まで頑強に抵抗し、それを始末するのに時間がかかってしまった。
更には少しでもテュエストスに近づく為に馬を別の場所に繋いでいたことが裏目に出て時間を浪費し、結局姿を見失ってしまったのだ。
「討ち洩らしたのか・・・」
テュエストスが包囲の輪の中を潜り抜け、逃走したとの報告はアルイタイメナスをいたく落胆させた。
七郷の中でテュエストスに信服し、彼の為に水火を恐れずに行動する者はそれほどいないではあろうが、それでも、もう一度神輿として担がれて王が七郷に攻め入る口実に使える駒にはなる。
「もうしわけありません」
済まなそうに頭を下げてしょげる武者たちにアルイタイメナスは慰めの声をかける。
「良い。どうせ王都に逃げ込んで王の膝に
「で、これからいかがいたしますか?」
「まずは七郷の掌握に努める。カヒの遺臣全てに働きかけ、再び二十四翼に近い形で軍を再建する」
「む」
その意見にはそこに集った全員が一様に賛意を表した。
「次いでデウカリオを通じてテイレシアに働きかける。七郷は難しい土地、七郷の者でないと所詮治まらないということを理解させるのだ。朝廷から送り込まれてくる諸侯や官吏では七郷の民を抑えきれないということをなんとしてでも分からせる。と同時に、これは愚劣な兄に対する反乱であって、王に反乱したものではない。王に臣従する気はあると伝えるのだ」
アルイタイメナスのその言葉は一同に波紋を投げかけた。我が意を得たりと大きく頷く者もいれば、困ったような視線を向ける者もいる。
「急げ。王に腰を上げさせる隙を与えてはならぬ。一刻も早く七郷を一つに纏め上げるのだ」
七郷に住む者の意思は一つで、それを認めない限り、何度でも七郷の人間は立ち上がると思わせれば成功なのだ。きっと妥協を図る。
もちろん朝廷があくまでも七郷の支配者は朝廷が決めると泥沼の消耗戦を厭わぬなら話は別だが。
集まっていた者たちはアルイタイメナスの命令を受けて、書状を持って各地へと一斉に使者となって駆け去って行った。彼らはそれぞれ郷士や有力者を訪れ、アルイタイメナスに対する支持を早急に取り付けるのだ。
一人その場に残ったのは二十四翼の元将軍でカトレウスの遺命を聞き、それに沿って最後まで王師と戦い続けた男である。すなわちカヒの最強硬派だ。
「王に降伏なさるのですか?」
「そう残念そうな顔をするな。例え七郷の将士が全て私に
「そんな・・・!」
例え彼らがそうであったとしても、アルイタイメナスには別の手段を選んで欲しかった。
それが彼の思いであり、そしてカトレウスに最も愛されたアルイタイメナスの責務というものではないのだろうか。
大きく落胆した表情を見せる。それはそうであろう、彼はそんなことのためにアルイタイメナスに力を貸しているのではないのである。
「だがそれは今は、だ。王はこの僅かな期間でアメイジアの再統一を成し遂げた、まさに天与の人だ。しかしあまりの神業に見とれて多くの者は見逃しているが、同時に各所にひずみを残したままでもある。国家とは積み木細工のようなものだ。速く性急に積み上げたものは、ゆっくりと慎重に組み上げたものよりも
それを聞いて将軍はたちまちのうちに顔を明るく輝かせた。
「なるほど! 得心いたしました!」
つまりアルイタイメナスの言葉を、まずは王の一諸侯となって兵を養い、人心を蓄え、時期を待ち、いずれ挙兵するという意味だと理解した。王に膝を屈するのは本意ではない、と。
その顔をアルイタイメナスは複雑な思いで見ていた。
なぜならアルイタイメナスにとって今ここで言った言葉も真実ならば、先ほど述べた言葉もまた真実である。
アルイタイメナスの下に集まった者たちは様々な思惑を持って集まった者たちである。
カトレウスの言葉に縛られ、王と彼ら、どちらかが死ぬことで決着をつけることを望む者、アルイタイメナスをカヒの主にしたがっていた元々の彼の与党、またカヒを裏切った形となったテュエストスの下に付くのを良しとせぬ者、テュエストスに召抱えられずに職を失い、アルイタイメナスを諸侯にすることによって職を得ようとする者など、色々なのである。
それぞれの目的が違う者たちが、ただアルイタイメナスを奉じ七郷を手に入れるという一点だけを持って結託しているというのが事実だ。
その彼ら全ての支持を失うわけには今は行かない。七郷が一丸となって纏まっているということを見せ付けることだけが唯一、王に譲歩させる余地が生まれる可能性があることなのだ。
アルイタイメナスは今、非常に難しい立場に立たされている。
今の現状のままではこのアメイジアの中のどこにもアルイタイメナスが生きていける場所が無い。
このままカヒの家に戻ったとしよう。いくらテュエストスが愚かだとは言っても、自身より人心を集める弟を受け入れることはないであろう。殺されるのが落ちだ。つまり降伏はできない。
一人静かに田舎の片隅でひっそりと暮らそうにも、彼を奉じてカトレウスの仇を討つ夢を見ているカヒの遺臣や、アルイタイメナスにカヒの新しい主になって権勢を握りたい配下の者たちがそれを許さないだろう。もちろんアルイタイメナスの誇りもそれを許さない。
しかもこのままいつまでも潜伏生活を続けるわけにもいかない。戦国の世ならお家再興の物語も、親を殺したものに対する復讐劇も、ある程度の魅力を持って人々の心を捉え続けるに違いないが、だが今は一統間近、そしてカトレウスを殺したものはこの世界の覇王、王がカヒを取り潰し、カトレウスを戦死させたことは、むしろ逆にある程度の正当性をもって人々に捉えられていることだろう。
今は侵略者に抵抗感を示して彼を支持してくれる七郷の民も、王の支配に慣れ、それを受け入れていくに違いない。きっと先細るだけであろう。
つまり彼らの心が離れる前になるべく早く挙兵して七郷を手中にし、そこからは硬軟取り混ぜて朝廷と時に戦い、時に交渉する。
そうやってアルイタイメナスは再興されたカヒ家という居場所を自らの手で七郷に作るしかない。
七郷をいつまでも保つことが出来る手法とか、王師に抗することができる戦略とか、王に受け入れられる方策を考えている時間はなかったのである。
そして七郷を手に入れるのも、それを保つにも、王師と戦うにも、彼ら全てを惹きつけておく必要があった。
であるから各人各人に合わせて話を述べて、彼らの心を繋ぎとめておくしかない。もちろん嘘をついているわけではない。違った切り口で真実を一部切り取り、彼らの望む形で話しているだけだ。
ここまではアルイタイメナスの思惑通りにことが運んだ。
さっそく七つ口の全ての出入り口は封鎖された。アルイタイメナスはカトレウスの生前の時のように軍を組織し、政治機構を作る。カヒという大家がたちまちのうちに七郷に再び現れた。カヒはアルイタイメナスの下に一丸としてまとまったのだ。
もっとも中には少しは不満を持つ将士もいたかもしれない。だが、近隣の者が次々とアルイタイメナス支持を打ち出す以上、反対を表すなど自殺行為だ。出来るわけがなかった。
それに彼らにも武人として守らなければならない
それにカヒの旧臣内の穏健派も、アルイタイメナスの目的が兄がカヒを継ぐことを認めないということだけであれば、事後的に王もこの新しいカヒ家を諸侯の一人として許すかもしれないと思ったのである。
何故なら坂東へ兵を送るのは国庫に負担をかけるし、諸侯の内部での相続争いなどには朝廷は本来、口出しをしないものだからである。
だが反乱は反乱。再び七郷は王の支配権というものを否定したのである。
これは七郷を完全に王の支配権の下に統治したいラヴィーニアにとっても思惑通りであった。
だがここでアルイタイメナスの計算が狂う事態が一つ起きていた。
いや、それはアルイタイメナスに限ってという話ではなかった。この時点でアメイジアで一、二を争う智謀の持ち主であるラヴィーニアも、いやカトレウスやアリアボネが今ここにいたとしても想像できなかった事態が発生していたのである。
テュエストスは王都へは向かわなかった。
向かったのは越。
越のオーギューガの本拠、白鹿館へ命からがら逃げ込んだのである。
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