第291話 役者は七郷へと集う。

 ラヴィーニアは貧民の出では無いが、格別、豊かな家の出身ではない。若い頃は夜の明かりをケチらなければならないような有様だった。科挙に備える勉強でも目を酷使したこともあって近眼である。

 背が小さいこともあって仕事中は机に突っ伏したような形で仕事をする。

 それに一つのことにのめりこむと没頭する性質である。自然、机の前に誰か立ってもなかなか気付くことはない。

 その男は先ほどからラヴィーニアが筆を休めるのを待っていたが、千字を越えてもまだ筆が動き続けるのを見て、おずおずと控えめに声をかけた。

「ラヴィーニア様。ご無沙汰しております」

 官吏には見られない口の利き方に思わず顔を上げると、そこにはもみ手をしたセルギウスが立っていた。

 セルギウスはラヴィーニア懇意の政商である。長征時の兵糧の買占めや東征時の食糧輸送などではラヴィーニアの手足となって大いに働いてもらった。

 もちろんそれでセルギウスもそれなりの利を得ているのだから貸し借りは無しだ。

「ああ。セルギウス、珍しい顔じゃないか。元気でやってた? だが最近はどの商人も陛下の天下統一を機会に河東や越へ商圏を広げようとしているじゃないか。こんなところで油を売っていていいのか? 商売敵に遅れを取るぞ?」

 ラヴィーニアの皮肉に合わせてセルギウスはおどけてみせる。

「それは酷い。私だって忙しい中をラヴィーニア様のお役に立てばと思って、時間を割いて駆けずり回って手に入れた情報をお持ちしましたのに」

「あたしの・・・か・・・?」

 セルギウスは役に立つ男ではあるが、今現在、さしあたって彼に頼まなければ解決しない事項は見当たらなかったし、彼に物を頼んだ記憶もなかった。

「ええ、何やらラヴィーニア様は米価の値上がりに頭を痛めているので、その原因を探ってきて欲しいと官吏に言われたのですが・・・違ってましたか?」

 それで合点がいった。確かに一週間ほど前にそういう話はした記憶がある。

「ああ、頼んだね」

 だが頼んだのはセルギウスにでは無い。他の省の若い下官にだ。・・・あいつ自分で探すのは嫌だから王宮に出入りの御用商人に頼んだな。それでちゃっかり自分で報告して自分の手柄にするつもりだったといったところか。

 頼んだのがラヴィーニアの顔見知りのセルギウスだったから、発覚してしまったが。

「なんだ・・・結局お前のところに行ったのか。まったく最近の官吏は朝廷の権威が確立し、命令に逆らうものがいなくなったことをいいことに、仕事を他者に投げ出すことが官吏の仕事だと思ってる輩ばかりだ。自分の手足を使うことどころか、自分の頭で考えようとすらしない。困ったものだよ。手間をかけさせた。すまないね」

「いえいえ、ラヴィーニア様のお役に立てるなら構いません。無駄働きでないのなら光栄なことです」

 全土を制圧した朝廷はこれからは持てる力を戦争にではなく、復興と開発に注ぎ込むことになるだろう。そのおこぼれにありつけるかありつけないかは高官との人脈が物を言うことになるだろう。

 ならば誰と一番仲良くしておいたほうが良いかは分かりきったことだ。何せラヴィーニアは政権の要、中書令なのである。

 しかも今やアメイジア全土を手に入れた覇王に恐れずに苦言を呈することができるのも、王の意見を左右することが出来るのも公卿の中で中書令だけと言われるほどの存在感を朝廷内に確立している。

 仲良くしておくに越したことは無い。

「それで理由は分かったのか? まさかお前が買い占めて、値を吊り上げてるんじゃないだろうね?」

「まさか・・・! ラヴィーニア様の目が光っているのに、そんな危険なことをしませんよ! それに、値が崩れて赤字を出したらどうするんですか? 私を始めとしてほとんどの商人はカヒがエピダウロスで敗北したと聞いたら、直ぐに売り払いましたよ」

「ふん。一応、理屈は通っているな。で、『ほとんど』ということは、その情報を聞いても売らなかったやつもいるということだな」

「ええ。売らないどころか買いに走ってましたよ。ガルバときたら」

「ガルバ・・・? 王都では聞かぬ名だな・・・新興の商人か・・・?」

 有斗が東西を合一したことを契機に、各地で消費されずに停滞していた物資が輸送され、経済が回り始めていた。これを好機と見て、新しく商売を始めたものが増えている。だがそういった者は総じて原資が少ないから、相場に影響を与えることがあるとは思えないのだが。

「いえ、古株です。ラヴィーニア様には馴染みが無いかもしれませんね。関西、南部、坂東を繋ぐ南海航路を抑える大物ですよ。新しい商家の一代目ですが、もともと老舗の家の番頭をしておりました男で、主人が廃業する時に暖簾を引き継いだ形ですから、由緒もあります。お得意様も多く、人脈は幅広い」

「ほう。なかなかの大物ということか」

「カヒと関西の朝廷の同盟を組んだ際にも両者の仲介役を果たしたとされる男です」

「・・・そりゃあ超の付く大物じゃないか。お前など足元にも及ばない。しかしそれが本当ならば大変だ。下手をすると王の不興を買い、罪に問われかねないじゃないか」

 ラヴィーニアはその罪に問いかねない人の一人のはずだが、何故か他人事のように言ってのけた。

「・・・だが変だね。カヒという大事な後ろ盾をなくした今は慌てているはずだ。今は目立つことは避けたいに違いない。むやみに米価を上昇させるとかいった政府を刺激するようなことならなおさらだ。普通なら行わない行動だ。それに何のために米を集める必要がある? カヒは滅んだ、戦は終わったのだ。もはや大量の米を必要とする目的が見当たらない。値が崩れるのを分かって食料を集めているというのは理屈に合わない。何故そんなことをする? 奇妙なことだらけだ」

「まさか・・・!」

 突然セルギウスが叫び、考え込んでいたラヴィーニアを驚かせた。

「何か心当たりでも?」

「カトレウスは死に、カヒは滅びました。しかしカヒの将士が死に絶えたわけではありません。挙兵に備えて兵糧を蓄えようとしているのではないでしょうか。カヒの再興を企んでいるのでは? ・・・まさかとは思いますが」

「理屈には合うが・・・いや、それはないな。残党が挙兵するなら七郷だ。七郷には彼らの家がある。蓄えがあるはずだ。その場合の目的は七郷を手に入れることで、王都に進撃するのではないのだからな。手持ちの分だけで十分ということさ。それに挙兵するのならその兆候を少しでも隠そうとするものだ。米価が高止まりするほど買い込むなど阿呆のすることだ。カトレウスが死んだからと言って、カヒがそんな馬鹿しか残っていないというのか?」

 そう言われると、セルギウスには返す言葉も無かった。口を塞ぐしかない。

 だがラヴィーニアにもこの現象を上手く説明できる理由を思いつくことは出来なかった。

 しかし一つだけ言えることがある。何か、ラヴィーニアが想定できない何かが、今アメイジアで起こっていることだけは間違いない。

 そしてラヴィーニアが想定できないということそのものが、その事態の深刻さを表しているようにもラヴィーニアには思われた。

 少しばかり自信過剰な気がしないでもないが。

 そんなラヴィーニアにセルギウスが得点を稼ごうと一つの提案をする。

「お望みなら、一度、連れて来ましょうか?」

「そうだな・・・それがいい。本人から直接聞くのが手っ取り早いか」

 伝聞や推定であれこれ言っていても仕方が無い。

 本人に直接問いただしてみれば、真実が明らかになるものだ。例えそれがよからぬ目的で、そのガルバとかいう男が誤魔化そうとしても嗅ぎ付けてみせるだけの自信がラヴィーニアには充分あった。


「国府台近辺の上七郷近辺だけとはな・・・他の諸侯とさほど変わらぬでは無いか。せめて七郷の半分はもらえると思っていたのだが・・・これでは何の為に親父を裏切ったのやら」

 七郷に封じられ、ようやく気苦労の多い王都暮らしから開放されたテュエストスは帰りの道中、そう愚痴を言いっぱなしだった。

「若、今や陛下はアメイジア全てを治める王、不満など申しては・・・! どこからか王の耳に漏れ聞こえたら大変なことになりますぞ!」

「ははは畿内ならともかく、もはや河東、誰も私の放言を聞いても王に告げ口するものなどおらぬ、安心せよ」

 口うるさく注意する家老に、お前も気苦労が多いな、とテュエストスは笑い飛ばす。

 その浮かれた様子に家老は益々苦々しい表情を浮かべる。

 少し浮かれすぎではないだろうか。テュエストスが思い描いていたほどではなかったかもしれないが、それでもアメイジア屈指の大領の君主となったのだ。浮かれる気持ちは分からないでもないが。

 だが、その封地はカヒの旧領土なのである。カトレウスはカヒの家中の尊敬を一身に集めていた存在だった。カトレウスの作戦では河東西部でテュエストスがいくらかでも足止めしてくれることを前提として篭城策を取ったはずだ。テュエストスの降伏で全てが狂ったといって良い。結果的にはテュエストスがカトレウスを殺したと思っている者も少なからずいる。そこまで思わないとしても、領民も兵士も郷士もテュエストスにいい感情を持っているとはとても思えない。

 おそらく完全に支配権を確立するまでには、さまざまな厄介なことが起こるに違いない。もちろん命に関わることすら起きかねないのだ。

 それを考えたら浮かれてなどいられないはずなのだ。

 若はそこのところをあまり分かっておられぬようではある、とテュエストスの家老は心配が尽きぬようであった。


 七郷南東部の険しい山の中深くにある狭い山小屋に十二名ほどの男が集まっていた。

 そこはこの辺りを狩場とする少数の猟師が泊まるだけの簡易宿泊所である。この人数で使うには明らかに狭い。だが彼らはこの狭い山小屋に身を潜めるしかなかった。水を汲みにいくのも人目に触れることを恐れて夜間である。

 彼らは追われる者───カヒの残党である。

 一度、東北へと逃れた彼らだったが、七郷内部の厳しい探索がひと段落着いて、追求の目が七郷の中から外に変わったのを見計らい、再び七郷へと舞い戻ってきていたのである。

「テュエストス様たちがまもなく王都より戻って帰られるとのこと、新しい国府台の館にて働いている者より報告がありました」

「ということは朝廷は七郷の後始末が大方ついたと考えているということです。王師も近々帰還するかもしれません」

 男たちは一斉に顔を見合わせる。ならば前途の見通しは明るい。

「それをもって挙兵の合図といたしましょうか?」

 彼らはいっせいに一人の男の顔を見る。その男、カトレウスの四男、アルイタイメナスである。

「まだ王師二師が七郷にいる。それに王師の監視の目を気にするあまり、我々もまだ多くの者と接触を取れていない。我らを含めて同志は未だ百人足らずだ。この不確実な情勢下ではまだ挙兵は出来ぬ」

「蜂起したら、カトレウス様の恩徳を浴びた者は続々と集まってくるでしょう。心配は要らぬかと。それに迂闊に計画を知らせる人物を増やしてしまうとどこからか漏れてしまうかもしれません。むしろそちらを恐れるべきです」

「もちろん勝ち目があると思えば集まってくるだろうが、今の規模では蜂起の成功は覚束ない。それに人は最後は自分が一番大事だ。当てにはできぬ」

 七郷の民も兵もカトレウスと苦楽を共にしてきた仲なのである。それを忘れるほど時間が経ったわけでも、七郷の民が薄情であるのでもない。それに今だ王の恩徳に浴してない以上、敵に回る理由は少ないと思うのだが、アルイタイメナスの目にはそうは映ってはないようだ。

 だが同時に頼もしさも感じた。その人間不信はカトレウスを思い起こさせるものがあったからだ。

「でしたら・・・どうでしょうか。テュエストス様にも密かに手を回してみては・・・テュエストス様は王に攻められてやむなく下ったのでしょう。味方になりうるやもしれません。なにより七郷の領主としておおっぴらに兵を集めても不審を抱かれませんし・・・」

「ありえぬ。もってのほかである。兄の口から計画が漏れて失敗でもしたら悔やんでも悔やみきれぬ」

 そう言われると反論の言葉も無い。胡乱うろんなテュエストスならば、うっかり漏らしてしまうことも大いにありうることである。

「しかし・・・それでは血を分けた実の兄弟で争うことになりますが・・・」

 一人の郎党が主の心をおもんばかって、遠慮がちにその可能性を指摘したが、

「わが兄といえども、カヒに対する背信は許されることではない。死んでいった将士に申し訳が立たん。私情は捨てた。気にすることは無い」

 アルイタイメナスはまどうことなく、そう言い切った。

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