第290話 物事は静かに動く

 有斗の頭を今、悩ませるのは論功行賞のことである。

 今回の遠征は諸侯に多大な負担をかけた。さすがにそれをお褒めの言葉だけで済まして終わりにすることは不可能だ。

 それですましたら有斗は信賞必罰を正しく行わない王と皆に思われ、威信が低下してしまう。

 領土なり、金なり、官位なり、その功績の大小に合わせて王から諸侯へと下さなければならない。

 また、首魁のカトレウスが死んだ以上、カヒ側に付いた諸侯をこれ以上処刑する必要は見当たらないが、一切お咎めなしという訳にもいかない。

 それにカヒ側の諸侯と言っても、最初から内通を約束していたもの、攻められた結果しかたなく王についたもの、中立を最後まで保ったもの、様子見に終始したもの、最後まで抵抗を示したもの、それぞれに事情が異なる。

 どういった処分を下すのが妥当か、試しに朝議で話し合ってみたが、さまざまな案が提出はされるものの、妥当な案が出てこない。

 当たり前だが、諸侯は少しでも罰は受けたくないし、賞は少しでも多く頂きたい。その為に力のありそうな高官に近づく。高官たちも今後の朝廷での影響力を増そうと、彼らを自派閥に取り込もうとするから、その願いを聞き入れた案になってしまう。各高官ごとに賞罰の格差が激しくなって、その差が問題になるのが原因である。

「どうしたもんかなぁ・・・」

 机に頬杖ついて真剣に考え込む有斗を見て、アリスディアもアエネアスも何一つかける言葉が見当たらない。

 二人ともこういうことに対してはとても疎いのだ。

 そんな有斗に救いの声をかけたのは書類の受け渡しに来たラヴィーニアだ。

「陛下、賞罰するに当って参考になるお話をいたしましょうか?」

 ラヴィーニアのその言葉に有斗はすぐさま飛びついた。

「なになに? 役に立つことなら何でも聞きたいな」

「戦国で群雄が割拠する原因は、もちろん王が二派に分かれて正閏せいじゅんを巡って争ったことが第一の原因ですが、関西と違い関東でだけ群雄が割拠するようになった理由は何か、おわかりになりますか?」

「そういえば・・・そうだね。関東だけ群雄が割拠したというのは深く考えると不思議なことだね。そうだな・・・関西は大諸侯が少ないからかな? 朝廷に反逆するだけの力を諸侯が持つことが出来なかったというのが大きいとか?」

「それもあります。だが関東は大諸侯もいましたが、その分、関西より地味が豊かで東京と南京という二つの都を抱え、なおかつ大河という天然の大動脈を持つ関東の朝廷は、分裂直後ならば関西を遥かに上回る国力を保持していました。もし鼓関こかんという要塞がなかったら関西に逃れた者たちは、たちまちのうちに滅びていたことでしょう。国力比で考えると、坂東や南部の大諸侯といえども、関西の朝廷と関西の諸侯との比率に比べてみれば、それほど特別に大きな諸侯というわけではなかった」

「わかった! 大河だ! 大河が河北や河東と近畿とをへだてているから、一旦反乱を起こされたら、攻め込んだりするのが難しくなる。それに関西の朝廷とにらみあっていれば反乱討伐に使える兵力も限られてくる。そうやってずるずると戦っているうちに朝廷から次々と諸侯が離脱してしまったとか?」

「惜しい! いいところを突かれました。さすがは陛下です」

 王であっても遠慮というものを知らないラヴィーニアから褒められるとは珍しいことだ。実に気分がいい。

 だがそこはラヴィーニア、しっかり正しく認識した有斗を褒めることだけでなく、間違いがあるので駄目出しもする。有斗を褒めて気分良くさせるだけが目的のおべっかなどというものからラヴィーニアは一番縁遠いところにいるのだ。

「ですが、東西の戦いはしばしば膠着こうちゃくしますし、余剰戦力を別方面に振り向けることは容易いはずです。分裂直後は圧倒的な国力を持っていたと先ほど申し上げましたように、関東の朝廷は関西に比べて強大だったのですから」

「ということは・・・なんらかの理由でそれができなくなった。国力が落ちたってことか」

「そういうことです。国力が落ちて王師六軍を維持できなくなった。その結果、各地での諸侯の反乱や私闘に兵を派遣しても望むような成果が得られず、王権は低下し、諸侯は好き勝手に争い始めた。そうやって戦国は歯止めの利かない巨大な水車のように誰もが止めることができなくなったのです」

「国力が落ちた原因は何?」

「公領の減少です。西京の周囲に公領が集中分布している関西と違って、関東は河北や南部、さらには河東、坂東と、公領は諸侯の間に挟まれた重要な土地に点在しておりました。平和なときはそれでも問題はありませんでしたが、一度世が戦国になると、王都とそれらとの間の連絡がままならなくなって、やがてその土地は諸侯らに横領されたり、現地の官吏がわたくしし、諸侯を名乗って独立したりして、朝廷の収益は減り、関東の王朝は力を無くしていったというわけです」

「なるほど・・・で、それは分かったけど、今度の賞罰に何の関係が?」

「陛下が本当に戦国の世を治めるのが望みなら、未来のアメイジアが再び戦国の世にならぬように心を配ることも必要では?」

「あ・・・つまり、公領は各地に分散するのではなく、まとまって畿内中心に作れってことか」

「御意」

「公領の規模を昔のように復するべきとの意見は確かにあったけど・・・だけど今度得た領地はカヒの勢力圏の河東や坂東、畿内にはひとつも無いよ」

「ですから近隣諸侯から今現在所持している伯位を取り上げ、新たな爵位を封じて遠方に飛ばしてしまえばいいのです」

 諸侯の反発が強そうな案だな。一筋縄ではいきそうもない。だがその理屈は理解できる。

 その候補者は・・・と諸侯の顔を思い浮かべていると、打ってつけの人物がいたことを思い出した。

「じゃあマシニッサなんかは関東の奥地にでも飛ばしたほうがいいね」

 そうすれば近隣諸侯も有斗も枕を高くして眠れるというものだ。引っ越してきた先に元々いる諸侯からしたら、とんだ迷惑だが。

「ですが祖先代々の墳墓から離れるのです。単なる爵位のげ替えでは納得しないでしょう。現在トゥエンク公である息子、南部のマンドゥリア伯、関西のレフカァダ伯としてマシニッサが所有する領土は全てで二万二、三千貫といったところです。少なくとも三万貫から四万貫は無いと首を縦に振らないでしょう」

 ラヴィーニアの言葉に大嫌いな名前が含まれているのを聞いて、思わずアエネアスが二人の会話に割って入る。

「あんたはアレを甘く見ているわね。アレは少なくとも四万貫でないと首を縦に振らないよ。でも四万貫あれば兵を三千は養っていける。もはやアメイジアでも有数の大諸侯だ。大諸侯になったマシニッサを遠方に置くのはマズい。周辺諸侯を調略して、第二のカトレウスになるかもしれない」

「羽林将軍は相変わらずキツイな。だがその言葉には一理ある。トゥエンクのような大諸侯、またはマシニッサのような野心家に加増する時は気をつけるべきです。畿内から遠くに封じる為ことだけを考えるあまりに大領を与えると、後々の世に禍根を残すことになりかねない」

「それよりは各地に所領を分散させたほうがいいってこと? 領土が分散していたら、兵力を一箇所に集中できないから迂闊に挙兵するわけにはいかなくなるし、挙兵しても小規模な兵力になるから討伐しやすい。そもそも領土を失うことを恐れて叛旗を翻しにくくなるといったやつかな?」

有斗は以前マシニッサに加増を考えたときに自身がとった手法を思い出して、そう言った。

「その通りです。それに移封するには大幅な加増が無いと諸侯の了承を取り付けにくい。大きな諸侯であればあるほど加増する幅は大きくなるに違いありません。ようやくカヒという巨大諸侯を苦労して潰したのに、代わりとなりうる新たな大諸侯を作るというのでは倒した意味がありません」

「でも領土が分散しているから危険性は減るといっても、大諸侯ということには違いがないんじゃないかな?」

「遠距離にある領地は統治しにくい。それに諸侯の子は一人とは限りません。長男に公位を継がせ、次男には遠隔地にある伯の位を与えるといった方法を取ることは珍しいことではないのです。だが兄弟は他人の始まりと申すように、最初こそ親密であろう二つの爵位の間も、二代三代と経るうちに関係が薄れていくものです。これは王権にとって都合がいい形です。ですから大きな諸侯に加増する時は各地に散らばった形で与えたほうがよいのです」

 なるほど・・・今度の戦で活躍した小諸侯を中心に、今度の戦で得た河東や坂東に移封させ、王領を畿内に近い中心部に集めるのがベストということか。

「ありがとう。ちょっとは参考になったよ」

「お役に立てたのならよかった。それが臣にとっても何よりの幸いであります」

 ラヴィーニアは小さな体を折り曲げ、藍色の頭を優雅に下げた。


 ラヴィーニアの助言を考慮し、有斗はさっそく自らの手で領土に関する論功行賞を行うことにする。誰もが納得できるような説得力のある試案が出る見込みがない朝廷はもはや当てにしていなかった。

 さすがに今度の論功行賞は一筋縄では行かなかった。まず諸侯の罪と功を書き出して、河東の諸侯から領土を取り上げながら、空いた土地に関西、河北、南部から諸侯を移す。そしてその空いた土地を王領にしたり、他から諸侯を移動させてきたりを繰り返して、この難解のパズルを組み上げていく。

 有形無形な手を使い、抵抗を見せる諸侯もおり、その作業はなかなか直ぐに終わらすといったことは難しかったのだ。

 まずは完全に朝廷の手に入り、いかようにも始末できる七郷から手をつけた。

 親を裏切った不義の者、そのような者に大国を任すのは危険ですという、官吏の反対を「約束した以上、果たさなければ」と有斗は押し切って、七郷の四分の一、国府台近辺のカヒ発祥の地をテュエストスに与えて、新カヒ公とする。

 朝議を終えて帰ってきた有斗にアエネアスが羽林の兵から聞いた話だが、と前置きをし、

「テュエストス、朝議から退室するとき、随分不満そうな顔をして出て行ったらしいよ。陛下からは見えなかったと思うけど」と告げた。

「え? 与えた領土は肥沃だし、全諸侯中、三番目か四番目の大封だよ? 文句など出る余地は無いと思うんだけどな・・・まさか・・・七郷を全部もらえるとか思ってたわけじゃないよね? それじゃあ苦労して僕がカトレウスを倒した意味が無いじゃないか。単なる親子の首の挿げ替えの為に王師を率いてはるばると坂東まで遠征したってことになるんだけどな」

「そのまさかみたいだよ?」

 アエネアスは高望みをするテュエストスの姿を思い出してか、意地の悪そうな顔を浮かべた。

「弱ったなぁ・・・親を裏切ってまで味方してくれたのだから、その功績を無碍むげにするわけにはいかないけど、これ以上の領土を与えるわけにもいかないし・・・とにかく弱った」

 あとは官位でも与えてなだめておくしかないか、と有斗は思った。


 その頃、中書令のところに下官が一人訪ねていた。気になることがあるので報告したいということだった。

 ラヴィーニアは政権の中枢、中書省のトップ、そして王の片腕。その関心を惹こうと大した用件でもないのに忠義面して報告してくる奴が後を絶たない。ラヴィーニアに覚えてもらって除目などで便宜を図ってもらおうというのだ。

 最近はその手の輩が増えて、執務に使える時間が減ってうんざりしているところだが、だからといって役目がら聞かないわけにも行かない。

 だがどうせたいしたことではないのだろうと適当に聞き流していたら、それはラヴィーニアが見過ごすことが許されない大事だった。

「中書令、雑穀の価格は下がりだしましたが、麦と米の値は高止まりです。庶民、特に都市部の民が食べる物に不自由しており、不満が高まっています。何らかの手段を講じるべきではありませんか」

 それは意外なことであった。遠征用に米を買いあさったから米価が上がってはいたが、だが戦争は終わった、これ以上の需要の伸びは無い。ならば商人たちは下がる前に売り抜けようとして、備蓄を放出するから値が下がるはずだ。

「遠征用に確保しておいた米はもう必要ないだろう。災害救済用に備蓄を定められている以上のものは市場に放出したらどうだ? なんなら今年の収穫が入るまでのあと四ヶ月分だけ残して・・・つまり八か月分の備蓄分を放出してもよい」

「いえ、すでに行いました。しかしそれだけの量を市場に流し、一旦価格が下がったにもかかわらず、たちまち市場から在庫が枯渇し値段がじりじりと跳ね上がっているのです」

「まだ高いだと・・・? 妙だな・・・」

 ここ数年の不作と度重なる遠征で、確かにアメイジアの全人民の口に入る量の米は今は無い。

 だが庶民は米が高ければ麦、麦が高ければ稗、稗が高ければ粟を食すものだ。つまり米の需要は一時的に減っている。一度に大量の米を放出した以上、需要を供給が上回り不良在庫を抱えることを嫌った商人は値を下げるはずだ。また値が上がるという動きは市場原理だけでは理解できない。

 つまり・・・誰かがこの好機に利を貪ろうとして相場を操作しようとしているな、とラヴィーニアはこの事態の原因を推察した。

 これだから商人は油断がならない。やりすぎると国家権力が介入せざるを得なくなるとあれほど警告しておいたのだが。

 どんなに金を稼いでも王の怒りを買って処刑されたらどうするのだ。金はあの世まで持っていけない。葬式代くらいにしか使い道は無いと言うのに。それも国家が財産を没収しなければと言う仮定あっての話しである。飛びぬけて利を蓄えた商人は見せしめに財産を没収されるのがお約束だ。

 だが民の間に飢えが広がれば、それはすなわち政権に対する不満へと変化しやすい。一刻も早く何らかの手を打たねばならないことだ。

 もっとも、そんな仕事は本来京兆尹けいちょういん配下の市司いちのつかさがやるべきことなのだが、そこから上奏が上がってきていない以上、今や有斗の何でも屋と化している中書省がやらねばならないだろう。

「わかった。調べてみよう」

 ラヴィーニアはそう言うと、もう一度だけ原因になりそうなことがあったかどうか、ここ最近見た書類を記憶の中から引きずり出して考えてみる。だがそれらしい物は何一つ思い浮かばない。

 おかしなことがあるものだ、とラヴィーニアは不思議そうに首を斜めに傾げた。

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