第292話 撤収

 燃え落ちた国府台こうのだいの館の跡地には王が滞在する間に仮普請して、その後はリュケネたちが使っていた急ごしらえの館がある。

 坂東に近い一帯の施政権と同時にその館もテュエストスに譲渡されることとなった。

 王師は七郷最深部を離れ、しばし七郷中央部に留まって様子を見、各地に封じられた諸侯が問題なく施政を開始したのを見届けてから王都へと帰還することになる。

「新カヒ公になられたこと、心よりお祝い申し上げます」

 リュケネとエレクトライは上七郷の新たな主の帰還にわざわざ門外に出て出迎える。

 テュエストスはそれを見て、大いに恐縮した態を見せた。

「これは・・・王師の誇る両将軍に出迎えていただけるとは恐縮次第もございませぬ。心苦しいことです」

「そんな堅苦しい挨拶をされるとこちらまで気恥ずかしいですな。貴方様は新カヒ公、新しい七郷の主、王師の将軍よりも地位は上ではありませんか」

「それも全ては陛下の御人徳の成されたこと。天与の人に抗うなどという非道を行ったカトレウスの子である私に大領を預けるなど誰が思いつくことでしょうか。そもそも王師の皆様方のご活躍に比べれば、私に何の功があったと申せましょうか。功も無いのにこのような大領を頂き、恥ずかしいばかりです」

「お父上は王に逆らったというきずはありますが、戦国の世でありながら、治水を行い、農耕を奨励し、善を評し、悪を罰し、民を慈しむ政治をなされた。民にとっては無二の主君でありました。それゆえ、誰が後任となってもカヒを治めるのは難しい。そこで土地風俗のことをよく理解し、土地の人々に縁ある貴卿が適任であるとご判断なされたのでしょう。ご苦労もおありかと思われますが、我らも新カヒ公の恩徳が民に染み渡り、七郷が落ち着くことを心より願っております」

「未熟なれども尽力する次第です」

 両者の会談は和やかな雰囲気の中で無事終わった。


「やれやれ肩が凝った凝った」

 テュエストスは凝った肩をほぐすように手を回して首を傾げた。

「そうは言われても、共に王の臣下となったからには、この先長い付き合いになるのですから、仲良くしておくことにこしたことはございませぬ。特に王師の将軍は先々、公卿に昇られるお方、宮廷内に太い人脈を持つことは損にはなりませぬ」

 開放感を味わうテュエストスに水を差すように家老が小言を言う。

「まあな。だから慣れぬお世辞を言ったではないか。だが早いところお引取りを願いたいものだ。窮屈でかなわぬわ」

「殿!」

「しかし、さすがに急ごしらえで作られたとはいえ、一時なりとも王が住んだ屋敷だ。いい木材を使っている」

 テュエストスは床材を足で踏み鳴らすが、歪みも弛みも無い。天井を見上げても組み上げたはりは見事な形をして館を支えるように広がっている。

「近隣の豪農の家を解体して木材として使ったそうですからな」

「作りも広く大きく、まさに王の住まいに相応しい」

 坂東で兵乱が続くときに仮の大本営となるように、将軍や官吏の働く場が広く大きく設けられている。

 暗殺者や反乱に備えられて、守りやすく攻めにくい。まず文句の出ない館であった。

「しかし、生活に使うとなると少し不便なつくりですな」

「それよ! それを言おうとしておったのだ。やはり王の権威を表す為に立派ではあるが、暮らしのことを考えて作られてはおらぬな」

 不審人物を入れないためであろう。下働きのものや物を入れる倉庫といったものは、全て館の外に出されている。また、出入り口も一箇所ならば、奥の居室に通じる道も一本で、とかく移動に不便だ。

「では手を加えるといたしましょうか? 内郭を区切り、西側に雑人の住む区域を設け、今の広間を奥座所にする。いかがでしょうか?」

「悪くない。だが、私には既に七郷に本宅がある。あれで良い。王の御座所に住まうとなれば、王気取りであるとの悪い噂が立たないとも限らない。王の耳にでも入ったら大変なことになる。王に遠慮して入らなかったと広言すれば、王に対してもいい顔が出来る」

「しかし、ここは七郷を見渡せる絶好の位置にあり、用水路を掘と見立てることもできます。王師のような大軍は防ぐことが出来ませんでしたが、土豪の反乱、民の強訴、さまざまな要因を考えれば守りに適したこの場所に館を持つのがよろしいかと愚考しますが」

「いや、止めておこう。ここは親父の最期の場所だ。・・・そうだな、墓でも移転してやるか。親父や叔父貴、弟や甥の供養にもなる。今だ親父の恩徳とやらをありがたがっている村の長老どもにも好印象を与えることができるぞ? そうだ、それが良い。ハハハハハ・・・我ながらいい考えが思いついたものだ」

「しかしあそこは周囲をカヒの親族衆や譜代の家が取り囲んでおりますぞ。少々危険では?」

 どこの家も大勢の家族、家人を失った。テュエストスの裏切りを恨みに思っていることだろう。

「立ち退かせればよい。どうせ主人はほとんど討ち死にしているのだ。その上で周囲を拡張して環濠を巡らせばことは足りる。それにな。毎夜枕元に親父が立ったらどうする。おちおち寝てもいられないだろうが」

 一応この緊張感の無い、極めて暢気のんきな男であっても、少しは罪悪感を感じているんだなと、家老はその心の中をおもんばかる。

「はぁ・・・」

 とはいえ、だからと言ってこの危険な状況が改善するかというとそうは思えないのであるが。


「新たな主の七郷への到着、顔見知りも多いはずなのに、民は遠巻きに眺めるだけ。歓迎の様子は見られませんでしたね」

 エレクトライはテュエストスの到着時に見た光景を思い出しつつリュケネに己の疑念をぶつけた。

「あのような御仁がカヒの新たな君主になって、カヒの元家臣たちは納得がいくのでしょうか?」

 先ほどの光景は同じ諸侯であるエレクトライから見て、現状でもテュエストスにとって十二分に危険な兆候であると感じられた。

 テュエストスはついこの間、ツァヴタット伯に封じられたばかりの出来立ての諸侯である。つまりエレクトライらと違って譜代の家臣がいないのだ。今の家老は教育係として長年彼を教育していたカヒの家人が昇格したに過ぎないという。

 さらにはツァヴタットの地に来て新たな家臣を召抱える間もなく、王に攻められ降伏した。その時にカトレウスの命で彼について来た者のほとんどが七郷へ帰る道を選んだ。

 すなわち彼の為に政務を取り、彼に代わって策謀を立て、彼と共に戦場で戦うといった支える者が少なく、戦のとき彼の手足となるべき現地の土豪、民の支持まで無いのである。

 しかも無いだけならともかく、どちらかといえば敵意を持たれているのである。それで諸侯としてやっていくのは至難のわざに等しい。エレクトライならば頭を抱えるところだ。

「・・・無理でしょうな」

「やはり、テュエストス殿では器量不足だと?」

「器量・・・いや、テュエストス殿の器量が不足しているといった問題でもないのかもしれない。例え誰が後任になったとしても、七郷は難しい土地です。先の領主カトレウスは周辺諸侯を騙し、圧し、無理難題を突き付けて領土を奪い取る虎狼のような男でしたが、領民にはその凶悪な面を一切見せず温大で慈愛に満ちた顔を見せ、偏りの無い統治を見せる優れた領主でした。対して新しい主君はその領主を倒した侵略者の手先と見られる。反発が無いほうがおかしい。しかも陛下は寛恕を持って世を治めようとなさっている。それは立派で素晴らしいことだが、同時に悪人にとって付け入るべき隙ともなる。普通なら旧勢力は後顧の憂いを絶つべく、征服時に徹底的に痛めつけて二度と反抗などしないようにしておくものだが、陛下はそれをなさらなかった。ここにはまだ大勢のカヒの家人が残されている。王に敵意を抱いたままの万に及ぶ兵力が、です。我らが撤兵すれば、たちまちのうちに一斉蜂起があってもおかしくない」

「考えられないことだと言い切れないのが残念ですね」

 リュケネもその懸念を常に抱いていた。であるから王師が滞在するのは河北のときと比べても長くなることも想定していた。二年になるか三年になるか・・・だが王の帰還命令はリュケネの想像と違い、こんなにも早く下りた。

 これでは七郷に乱を呼ぶのも同然ではないか。

 もちろん国庫の都合上、朝廷が王師をあまり長い時間、七郷に置きたくない事情も承知してはいるが。

「そうなると厄介です。あの男でこの七郷の暴発を抑えきれるか・・・無理ではないでしょうか?」

「だが、逆に言えば好機とも言える。坂東に根付いているカヒの影響力、カトレウスの亡霊を根こそぎ退治することができる」

「それは危険な考えです。確かに坂東に朝廷の力を見せ付けるには好機と言えましょうが、その火が延焼し、一面の燎原りょうげんに燃え広がれば、朝廷といえど手に負えなくなること必須。しかも今度は以前のカトレウスのように倒すべき明確な敵が見当たらず、何年にも渡って手を焼く事態になりうるやも」

「しかし坂東に荒療治が必要なこともまた事実。さきの戦でカトレウスやカヒの指導部を始末したものの、その他の者の罪を許した。それは陛下の生き方として正しいことだ、我らが口を出すことではない。それにカヒという諸侯は巨大すぎる。一度にカヒの全てを全て消し去ろうとすれば、それだけ反発も大きく、坂東は荒れ、争いは長引いただろう。今の王師に長期に渡って坂東で戦い続ける力は無い。残念ながらな。であるからあの時点で多くの者を許したことは間違いじゃない」

「ですが朝廷に信服しない者が多くいるこのままでは、いずれ坂東は再び火の海となる!」

「その通りだ。それを防ぐ方法は、公平な治世と平等な賞罰。これを長年に渡って行い、陛下の恩徳を骨の隅にまで染み渡らせる」

 それは河北でリュケネが、関西でステロベが行った治世に近い。もちろん、軍人上がりの二人が行う行政には柔軟さが欠ける。だがその分、規律に厳しく、腐敗した官吏に慣れた関西や法の及ばない無法の地と化していた河北では好ましく受け取られた。それが両地において短期間で有斗を支配者として受け入れる下地を作ったことは間違いない。

 だがこの手は優れた政治的手腕で治められていた坂東では通用しない。反感を買うだけであろう。

「それは言うよりも難しいのではないでしょうか。官吏は権を振りかざし、私腹を肥やしたがる。その官吏を隅々まで管理し続けるなど神の業に等しいことだ。つまり、ほぼ不可能ですよ」

 リュケネの言葉を否定するようなエレクトライのその言葉に、何故かリュケネも同意を示した。

「私も同感だ。しかしもう一つこの状態を解決する妙手がある。つまり王に逆らうものを一箇所に集めて除いてしまう」

「あっ・・・!」

「あの流れのままなら、己の命も家族の命も保障されるか分からないのだから、周囲の者に流されるようにして多くのカヒの者が王に対して抵抗することになったであろう。戦友やカトレウスの弔い合戦という名目もある。反乱は止まず、その規模は広がり続け、我らとて対処に苦慮しただろう。しかし今は、一度負けたことで多くの者は抵抗する気力を無くしている。それに一度終わったことで戦の熱狂から頭も覚め、冷静に今を判断できる。命が惜しくなり、家族との大切な生活を守りたくなる。朝廷はカヒの者の旧悪を問わないことを公にしている。彼らはこのまま平穏無事に暮らしていくことが出来る。新たに領主が任命されれば、名高いカヒの将士、抱えて置いて損は無いとばかりに声がかかることは目に見えている。彼らは引く手数多あまたなことであろう。仕事に困ることは無い。例え、誰かが焚きつけて反乱の火の手が上がったとしても、賛同する者は実は少ない。十分に対処可能だとは思わないか?」

 リュケネのその考えはエレクトライに新たな視点を与えるものであった。確かに坂東を抑えるにはテュエストスの実力では大いに疑問符の付くが、坂東にて不満を持つカヒの旧臣を焚きつけるにはテュエストスは適切な人材なのである。

「つまり、その為に、あえて坂東に乱を引き起こす為に、テュエストスにカヒ公の地位を陛下が与えたとリュケネ卿はお考えで?」

 だとしたら捨て駒にされるテュエストスにはいい迷惑ではないか。その瞬間、エレクトライはテュエストスに少しだけ同情した。

「まさか! 陛下は人の良い方、そこまで非情なことは考えてはいない。むしろテュエストスに約束を果たしたいと思っただけでしょうな。しかし陛下のこの判断を否定しなかった連中はどうかな・・・? 例えば、あの中書令は何故この人事に反対しなかった?」

 エレクトライはその判断に舌を巻いた。王のしたことを別の思惑でもって実行する官吏がいる可能性をエレクトライはまったく考えに入れていなかったのだ。

 自身が間違っていると思えば、例え王の意見であっても否定するといわれる、あの不遜な中書令がこの人事に反対したということは聞こえてこない。

 それはよく考えると変なことである。多くの官吏やエレクトライやリュケネが見出すことが出来る、テュエストスにカヒ公の地位を与えることで生じる危険性を、あの辣腕らつわん家がうかうかと見逃していたと考えるのはとてもおかしなことなのだ。

「まさか・・・」

「中書令の心の内は我らには分からない。それに我らは王師だ。政治的な動きには極力近づかないほうが利口だろう。とにかく言えることは、我らは少しゆっくり王都に向かったほうがいいかもしれないということだ」

 一刻も早く家族の元に帰りたい兵士たちには気の毒だが、その方が後々のことを考えるといいかもしれない。

 何せ軍が大河を越えるのは、色々と準備が要ることなのだから。

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