第281話 七つ口

 エピダウロスから七郷まで、逃げるカヒの兵を有斗は追いに追いかけた。

 カヒは幾度か険所に拠って抗戦を試み、王師の足を食い止めようとしたのだが、それは所詮個々の部隊の動きでしかなく、一部の諸侯だけ、あるいは決死の覚悟を決めた二十四翼の将軍によるもので、カヒという巨大な組織の統一された活動ではなかった。

 よって健闘したといえる働きも無かったわけではないが、王師の足を最後まで掴んだままでいることはできなかった。

 王師は東へ東へと昼夜兼行で駆け、七郷へと迫り来る。

 だが全てがまったくの無駄と言うわけでもなかった。王師がグラウコスらまで後一舎と近づくその都度、兵の命をにえとして再び距離を稼ぎ出すことに成功したのだから。

 おかげでグラウコスは七郷に駆け込むことができ、急ぎ居残りの将士を招集し、七郷へ入る七つ口と呼ばれる入り口全てを通常にも増して厳重に警戒することを厳命した。

 七つ口は以前話したことがあるとおり、山を切り崩して作られた両方を崖で挟まれた人工の道である。

 そこを塞ぐ形に待ち受ける関は石造で、高い壁だけでなく楼閣まで備えられている。今いる少ない守備兵でも持ちこたえられるはずだ。

 それに兵も続々と帰還している。この戦でカヒが受けた被害は甚大で、カトレウス、マイナロス、二十四翼の将一人、少なくとも兵三千がいなくなっている。しかもそれは分かっている範囲でのことだ。これから実情が明らかになるに連れて、被害はどこまで拡大するかグラウコスは想像することすら恐ろしかった。それに雇っていた傭兵たちは逃げ出し、カヒの旗下に組した諸侯は本拠地へと逃げ去った。だがそれでも二万近いカヒの兵は残っている。当然、敗走の間に逃げたり、隠れたり、道に迷ったりした者もいるだろうから、全てが七郷へと辿り着くことはないだろうが、それでも一万を下回ることはないはずだ。

 大丈夫だ、俺が本当のカトレウスではないとしても、まずは持ちこたえてみせる、とグラウコスはカヒ家当主に圧し掛かる重圧で不安に揺れ動く心を必死に押し静めた。


 昼夜兼行で追うといっても、文字通り全力で敵を追い続けるわけではない。そんなことをしたら馬も人も一日で潰れてしまう。敵に追いついても槍を上げる力すら残っていないだろう。

 だから毎晩宿営地を作らないとか、いつもよりも行軍時間を増やすとかいう意味である。

 それは王である有斗も例外ではない。戦場であっても、天幕で囲まれた王に相応しい空間を所持しているものだが、寝台や文机といった重いだけの荷物は輜重に預け、兵士と同じく文字通り身一つで先へ進むこととなる。

 周囲に見張りは置き、厳重な警戒はするものの、有斗は行軍時に乗る馬車に幕をかけただけのもので睡眠をとることになる。

「陛下、話があるんですけど」

「アエネアス、何?」

 食事を終えた有斗が特にする事も無いので、こんな時こそ充分な睡眠を取ろうとうきうきと寝る準備をしていると、馬車にかけられた幕が持ち上がり、アエネアスが顔を出した。

「俄かには信じがたい話で、その・・・話半分に聞いて欲しいんですけど・・・」

「うん」

「夕方、食料を買いに行った先の村で聞いたので、その真偽はわたしには分かんないよ。それにそんな野にいる唯人ただびとが知っていると言うのも、よく考えると変だと思うんだけど、もしかしたらという可能性を考えたら、言っておいたほうがいいかと思ってさ」

 何事にも直球勝負のアエネアスには珍しい、含みのある持って回った言い回しだった。

「いいよ、嘘であってもかまわない。言ってくれないかな」

 真偽はともかく情報は少しでも多く所持しておくにこしたことはない。それに他の情報と照らし合わせれば、大体の真偽は掴めるものだ。何より諸事を片付けて、有斗は早く寝たかった。

「一昨日、カトレウスが何者かに襲われ、死んだらしい」

 その言葉の持つ意味の大きさに、咄嗟とっさには有斗は全ての意味を把握することができなかった。混乱したのだ。

「・・・誰が?」

「・・・カトレウスが」

「・・・どうしたって?」

 アエネアスは有斗の的を得ない質問に、馬鹿にされたと感じて真っ赤になって叫んだ。

「何者かに暗殺された、死んだんだよ!!」

「何で怒るんだよ!」

「ですから、おかしいってことはわたしも分かってますって! 何故、撤退途中と言う居所がなかなかつかめない中で、カトレウスを襲うことができたか、何故、今この時に、そもそも誰が暗殺を命じたのか、何故、そのことを唯の村人が知っていたのかとか考えたら矛盾だらけだもの! 何度考えても真実とは思えない!! でもそれでも念には念を入れて知らせようと思ったんだから!」

「・・・いや、それはおかしい」

「わたしのどこがおかしいの!!?」

 おかしいという対象を自分のことだと勘違いしているアエネアスに、有斗は言葉の真意を説明する。

「だってカトレウスが死んだと言う嘘を広めてカヒに何の得がある?」

「あ・・・そういう意味ね」

 アエネアスは有斗の言葉が自分に向けられているのでは無いと知り、落ち着きを取り戻した。

「そうね・・・油断を誘えるってのはあるかも。あのカトレウスがいないカヒなど蟷螂とうろうの斧に等しいと大した策など用いずに、わたしたちは一気呵成かせいに攻めていくことになる。そうやってわたしたちの隙を突いて奇策を用いるのかも」

 そのアエネアスの意見は筋道は通っているようだったが、深く考えると矛盾が存在する。

「だけども僕はそんな愚かなことはしない。それに・・・今おそらくカヒが一番恐れていることは王師にこのまま勢いに乗って七郷へと攻めてこられることだと思う。態勢を立て直したいと思っているはずだよ」

 確かに有斗にとっては最初っからこの東征は七郷陥落を目的に起こしたものだ。だがそのことはあくまで有斗の胸の中だけ、カヒにとって見れば、この戦はカヒ相手に起こしたものということは分かってはいるが、その目的までは把握してないだろう。

 戦国の常識から考えると、まずは河東西部を確実に王の支配権下におこうと考えているだけだと思っていてもおかしくはない。

 だとすればカトレウスが死んだと言いふらすことによって王師に七郷を攻略させる気を持たしかねないこの状況は、彼らにとってむしろ避けるべきことであるように思える。

「それにカトレウスが死んでいるという噂が流れれば、彼らにとってそれだけで危険だ。諸侯が一斉に離反して今以上の劣勢に追いやられかねないし、諸侯だけでなく下手をすると親族や譜代からも裏切り者が出るよ」

「しかし、もしそれが真実だとすればもっとおかしなことがあるよ? カトレウスの死は陛下の言うようにカヒにとって秘匿したい事実じゃない。口封じのために村人全員を皆殺しにしてもおかしくないよ?」

 確かにそこまで言われると有斗にも確信は持てなかった。

「それはそうなんだけど・・・」

 口篭りつつも、有斗は考える。カトレウスの死が真実か否か。

 だが間違いない事態が一つある。誰かがそこで死んだことは間違いない。しかもそれは村人たちから見てもカトレウスだと思われるほど尊貴な存在に違いない。

 カトレウス・・・もしくはカヒの親族でも有力者、あるいは四天王の一角だとかそういった人物なのだろう。だからカトレウスが死んだと言う噂話が一定の真実味を持って話されているのだ。

 有斗はこの噂を何かに利用できないか考え始めていた。

 情報が真実か嘘かはこの際、関係なかった。真贋しんがんを問題にするのではなく、利用できるかできないかを考えるべきではないだろうか。

 アリアボネやラヴィーニアならばこの噂を使って何か策謀をめぐらすのではないか、そして彼女らが傍にいない今、そういったことを有斗が考えなければならないのではないだろうか。そんな気がしていたのだ。


 王師は逃走するカヒの兵を追って終に西七郷山脈が見える地点まで辿り着く。

 王の足が、いや王の権力が坂東に、いや河東に及んだのは遥か昔、戦国が始まる以前のことである。

 であるからもちろん王師の将士の中で、坂東を目にしたことがある者は一人もいない。

 だから彼らが見るその風景は単なる坂東の最西端の景色、七郷を囲う三つの山脈の一つではなく、王が偉業を成さんとしている証であった。そして同時に、その偉業の一端を自らが担っているという誇りを実感した。

 七郷を西から攻めるには大きく分けて六浦道、小壷坂、稲村路の三つの切通を通るのが近道である。

 そこで有斗は、まず一方ではエテオクロス、ヒュベル、エレクトライを大将として、二万の兵で六浦の切通へ向かわしめ、他方ではリュケネ、ザラルセン、アクトールを大将に、二万の兵をつけて小壷坂へさしつかわし、残る一方を自らを主将として、ステロベ、プロイティデス、ガニメデ、ベルビオが五万余を引き連れて稲村口へと向い、三方から攻めかかった。

 カヒ方でも、カヒ四天王の一人ダウニオスが防御の総司令官として任じられ、兵を三手に分け、ニカノル、アガトン、コイノスといった二十四翼でもとりわけ名の知れた将軍が各手の大将となってそれぞれの場所を固め、王師を迎え撃った。

 切り通しとは幅は広いところでも二間(三・六メートル)に満たない。山を掘削したために左右に逃げ場の無い真っ直ぐな道、しかも切り開いたといっても何十メートルも掘削するわけは無いから登りが続く険しい山道だ。

 その制高点近くに決まって櫓を備えた石造りの門構えが存在する。つまり大軍を持ってしても、一度に注ぎ込める兵力は限られることになる。まさに守りに適した地である。

 王師は攻め寄せた朝から直ぐに合戦取り合いを始めると、昼夜休まず攻め戦った。

 戦いでは流れが重要である。勢いといっても良い。最初に守勢に回るとしばらくは守勢にならざるを得ないし、最初に敵を叩くことに成功すれば、始終優位に立ったまま戦を続けられるものである。

 だからカヒ側もまずは打って出て、坂を登って押し寄せる王師を迎え撃ったが、寄手は大軍で新手を入れ替え立ち替え攻め立てので、カヒ方は防ぐに適した場所がなく、悪戦苦闘してじわりじわりと後退しつつも、辛うじて崩壊を支えていた。

 三方からときの声があがり、矢がうなりをあげて飛び交う、まさに天を響かし地を動かし、敵も味方も入り乱れて縦横に攻め防ぎ、あるいは前後に当って左右を取り合い、さらには組みついて勝負をし、刺違えて共に死ぬ者まで出る激戦だった。

 万人死して一人残り、百陣破れて一陣となっても、なお何時終るともわからぬ激戦であった。

 三日間かけて攻略したが、最後は終始東向きの風向きを利用して三方から火をかけ、カヒの兵をようやく押し返すことに成功する。

 だが焦りは王師の側にあった。想像以上に手負いの兵が増えているのだ。しかもこちらはようやく敵を関所内に押し返しただけ。今だ誰一人として七郷へと足を踏み入れた王師はいない。火も石造りの城壁の前には効果が少ない。

 昼夜を問わず攻めれば普通ならば防御側の士気が下がって、どこかに綻びが見えるものなのだが、そういった欠片すら見つけることができなかった。


 狭い山道に山をくりぬいた切通、それを抜けた先に立ち塞がる城門、想像以上に被害者を出し、王師は攻めあぐねた。

 ならばと山に分け入っても見たのだが、山に慣れた兵であっても向こう側に抜ける道すらないほど急峻な山脈である。

鼓関こかんも天下の名城でありましたが、それでも少なくとも城の前面は三町(約三百メートル)はありました。だがここはどの攻め口も僅か二間の広さすらない。まさに難攻不落とはここのことを申すのですな」

 ガニメデがそう言って口をつぐむと、他に誰も口を開くものすらいない有様だった。

 有斗自慢の名将も猛将も、打つ手を見出せずに犠牲者ばかりが増えていった。

 有斗は将軍たちと共に攻め口を求めて七郷の南北へも足を向ける。そこで有斗は事態を打開するものを発見した。

 それは鹿留川である。


「鹿留川の水量が減っている・・・?」

 グラウコスは自身だけではこの難局を乗り越えられないと見て、ガイネウス、ダウニオスらとほぼ毎日諸々のことに対する会合を設けていた。

 この話題はそこで出た。

「夜間に密かに船を出して見たところ、王師は上流にせきを設けようとしている様子が見られたとの報告を受けております」

 七郷には三つの河川があるが、西側から流れ込む鹿留川が一番水量が多い。七郷の多くの民が生活をその水流に頼っていることは否めない事実だ。

 嫌なことをする、とガイネウスは顔をしかめた。

 他に二つの河川もあり、井戸だってある。直ぐに飲食に不自由するわけではないが、残り二つの川だけでは七郷全ての田畑はとても賄えない。特に稲は作付けできない田がでてくることであろう。

 王師がいつまで七郷攻略を行うかは、情報を持たないグラウコスらには正確なところは判断できないが、正直そう長いことではあるまいと高をくくっていた。だが例え早めに撤退したとしても、撤退の時期によっては今年の稲の作付けを諦めなければならない。

 そうなると民が食っていくのがやっとという惨状になりそうだった。今でさえ不足している兵糧がさらに不足することにもなる。

 今年の冬にもう一度攻められると兵糧が無いために両手を上げて命乞いをするということになりそうだった。

 頼みの綱は鹿留川の水流の多さ、流れの速さ、川の広さだが、王師は十万近い数の兵士がいるのだ。いわば十万近い作業員がいることと等しいことになる。その数を持ってすれば、その大工事も可能になる公算が高くなる。

 このままではまずい。実に困ったことになった、とグラウコスは頭を痛めた。

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