第271話 袋の中

 有斗が今の膠着こうちゃくした状況を嫌い、あえて半舎後退することでカトレウスを誘い出し上州に閉じ込めた上で、オーギューガの兵と挟み撃ちにしようと計画したことは七里半(約三十キロ)も離れていたにも関わらず、なんとその日には既に上州を行軍中のカトレウスの下にも届いていた。

 王師の大軍に恐れをなして味方した河東諸侯だったが、当然のごとく多くは後難を恐れてカヒとも通じていたのだ。

「王はわざわざ兵を一舎も退けて上越道を空け、我々をエピダウロス経由で上州へと誘い込んでから閉じ込めるつもりらしい。既に我々はこの様に脇街道を通って上州にいると言うのにな。我々がまだエピダウロスの野で睨みあったまま動いてないと思っているとは・・・馬鹿な王に付き従う兵たちの苦労を思うと哀れなことだ」

 せっかく綺麗に宿営地を整えたのに、それを解体してわざわざ無意味な後退をさせられる兵は大変だな、などとカトレウスは思う余裕すらある。

 これで上州にカトレウスが二十四翼だけを率いて入ったと王が知るのは確実に数日は遅れる。あるいはまぬけなことにカトレウスらが上州から撤退し終わるまで気がつかないかもしれない。

 例え知ったとして、それから動き出すことになる。しかも当初より更に半舎遠い。やつらが上州に入る頃にはカトレウスはもう既に撤退し終えていることだろう。

 カトレウスは上機嫌に高らかに笑った。

 それからおもむろに上州のカヒ兵を呼び寄せるための使者を発した。

 今回の作戦は上州の兵と合流することであるが、同時に味方の諸侯にそれは上州にいる軍と共同して王師と戦う為であると思わせなければならない。そう思わせずともいいのならば上州にいる三男たちをただ七郷へと撤退させればいいだけだったのだから。

 だから戦う意思を見せるためにカトレウス自らが上州に入る必要があった。だが上州の中で合流しさえすればそういった言い訳は十分立つ。

 何もわざわざ三男のいる城近辺という、上州の奥深くに入ってまで合流する必要は無い。

 戦うと思わせる相手である王師は上州の入り口近くにいるのだから、上州の七郷よりの地点で合流したとしても、戦おうと思っていたと抗弁するには十分の距離のはずだ。諸侯たちも少しくらいの距離は大目に見てくれるだろう。


 二日後、城を放棄し一族郎党を率いて上州を南下してきた兵たちとカトレウスはようやく合流する。

 有斗と歩調を合わせるように出兵したオーギューガの兵はまだ越との国境の峠を越えたあたりだとか。後ろから追撃される気遣いは無用だった。

 これで成功した、王の鼻っ柱を圧し折ってやったとカトレウスは得意満面だった。

 あとは帰るだけである。七郷へ無事に帰れば、当初の予定通り持久戦術をもって王と戦える。

 天険の要塞と死をも恐れぬ二万の精兵、それだけで十分なのに更に余剰戦力が三万以上ある。王の兵糧が尽きるまで守り抜くことは赤子の手を捻ることより簡単だ。

 今回はカトレウスにとっては戦場で負けなければ勝ちに等しいのである。楽な戦である。

 だけどここは上州、まだカトレウスは七郷へと帰ったわけではなかった。

 そう、それはあくまで無事に帰れればの話である。カトレウスは迂闊にもそのことにまだ気付いていなかった。


 その一報が伝わったのはその夜、食事の時間の時であった。

 上州は敵地とはいえ、さすがにカヒの大軍勢を見ると明らかに敵対するものはいない。行軍速度も一定で順調に予定をスケジュールどおりに消化していた。

 だがそれを打ち破る喧騒が近づいていた。

「御館様! 大変です!」

「どうした騒がしい。食事中だぞ」

 入ってきた兵士をカヒ四天王の一人マイナロスがたしなめる。

 昼間の報告ではオーギューガは昨日になってようやく全軍を峠越えさせ、敵陣にいる河東諸侯からの文によると西へ半舎退いた王師は一昨日時点でまで動きを見せず、エピダウロスの端にて布陣している味方の諸侯からは相変わらず敵影も見えないと楽観的な書簡が届けられた。つまり本当の意味での急ぎの用件などあるはずがなかった。

 御館様は久々の三男との食事と会話を楽しんでおられるのだ、少しは気を利かせて食事の後に出来ないのかといったのがマイナロスの思いだった。

「王は兵を二つに分けて、その一方を上州へと振り向けたとのことです! しかもその軍は既に上州へ入り、東へ向かっているとか! このままでは退路を断たれます!」

 その場にいた全員が背筋が凍るような悪寒に襲われた。

 カトレウスすらその知らせに思わず箸を取り落としたほどだ。

「それは確かなのか!?」

「シフォーク伯が念のためにと、王が部隊を退いたはずのエピダウロスの南方を探したところ、兵の影どころかひづめの跡すら無かったそうです。不審に思い、敵の目を盗んで今度は北へ物見を送り出したところ、上州でその姿を発見したとか・・・!」

 それは敵軍中にいる河東諸侯の名前だった。慎重で、噂話に踊らされるその辺の諸侯と違って確かな観察眼のある男だ。

「やつが言っているという事は、あながち嘘だとは思えんな」

「御意・・・しかしこれは厄介なことになりましたな」

「・・・そうだ、いつからだ!? 王はいつ上州に入り、現在どの地点にいる?」

 それ次第で対策を考えなければいけない。急ぎ手を打たなければ、とカトレウスは青ざめた。

「分かりません。ただ伝えに来た兵は三日前にペクジノにいるところを確認したと申しておりますので、そこから三舎進んだと仮定いたしますと・・・」

 ペクジノ近辺にいたと言うことはかなり近い。昨日今日出発したのでは到達する距離ではない。

 ひょっとしたら半舎退くと言った日に直ぐに上州に向かったのかもしれない。そうでないと計算が合わない。

 たばかられたか・・・! カトレウスは敵の策に落ちたことを悔しがる。

 しかもそこから三舎北に進めば我が軍と明日明後日にも接触する距離だ。だが我が軍はもう反転する態勢に入っている。だから南方にも物見を複数出している。物見は二舎以上先まで偵察するものだ。こちらだけでなく敵の物見も。ならば敵を見つけられずとも、敵の物見は見つかるはずだ。だがそういった報告は一切入ってこない。

 ということは・・・だ。

 敵はこちらへ向かっているのではないということだ。

 考えられることは唯一つ。つまり敵は七郷への出口を塞いでこの軍を袋の中に閉じ込めようとしているのだ。

 カトレウスは敵の策にまり、最悪の事態に陥ったことを感じ取った。


 有斗がエピダウロスの野にて陣を敷き、敵を引きずり出そうと考えたのは、味方十万、敵五万、合計十五万の兵を展開させるに相応しい地形が他になかなか見当たらないからである。

 大軍同士がぶつかる地形には特徴がある。兵士を布陣させられる広い土地だ。だがそれだけではない。

 両者が戦う意思を同程度持っているから本拠地ではなく外に打って出て戦場で決着をつけようと争うことになるのではあるが、戦う意思が同じくらいあるからといって所持兵力までが同じだとは限らない。というよりは当たり前だが、必ずどちらかが少ないのである。

 その結果、数が少ない側は兵が布陣でき、防衛するのに適した場所を選ぶ。だからといって敵が多くの兵を一度に布陣できない難所や、難攻不落の要塞に立てこもるわけではない。

 何故なら敵が何を好き好んでか難攻不落の要塞に篭った軍をどうしても倒さないと他へ進めないなどと考えてしまう奇跡があるのなら話は別だが、それは奇跡と言うよりは都合のよい願望であろう。

 敵だって馬鹿じゃない、そんな軍など無視して迂回し先へと進み、敵の本拠地を攻略してしまうだろう。

 ということは条件は限定される。

 大軍が行軍できる道沿いであり、兵を展開できるだけの広い空間がある。防御側に適した土地ではあるが、攻撃側が攻撃を諦め迂回するほどの有利さは無い。また最短距離で敵の本拠地へと向かうには、そこを突破しないと行くことが出来ない。こう言った条件である。

 残念なことにそういう土地はそうそうあるわけではない。

 そんなことはない、どこにでも転がっているではないかと思うかもしれないが事実なのだ。

 例えば日本においても、古来いくつか次代を担う者を賭けての大きな戦いがあった。

 日本が横長な地形で、京都周辺が日本の心臓であったことが影響しているのも事実ではあるが、その激戦の地は時代を超えて同じ場所が選ばれている。

 そう、それは関が原である。

 徳川家康と石田三成とで争われたことで有名な土地であるが、古くは壬申の乱、反乱を起こした大海人皇子(後の天武天皇)の軍勢を近江朝廷軍が迎え撃って敗れた地もここであり、後には後醍醐天皇の命を受け、遥か遠く陸奥から駆けつけた北畠顕家が、京への進撃を防ごうとした足利尊氏方の軍勢を打ち破ったのもこの地である。

 あるいは少し範囲を広げて大垣近郊や墨俣までをも含めて考えると、承久の乱の時も幕府軍が上皇方を打ち破ったのもここであるといえる。

 つまりそれくらい急峻きゅうしゅんな地形の多い日本は大軍を展開して戦うことができる場所が限られるということであろう。

 日本と似て急峻きゅうしゅんな土地が多いアメイジアでも同じことが言える。

 エピダウロスの野ならばその条件を全て満たす。カヒ側にやや傾斜して登っていく土地、両軍が全て配置できるだけの広大な土地、文句のつけようが無かった。

 だから七郷から兵を発したと聞いた時には飛び上がらんばかりに喜んだものだ。だが残念なことにそうはならなかった。

 有斗は是非とも今回カトレウスとの戦いの決着をつけたかった。

 といってもエピダウロスの入り口に陣取る傭兵隊や諸侯の軍と戦いを始めても意味が無い。相手は平野部に僅かな部隊を出しただけなのである。その狭い戦場にて戦を始めてしまうと双方が全軍を投入する前に戦のけりがつきかねない。

 王師の先鋒はカヒの先鋒を破ったはいいが、それにつられてカヒの本軍も撤退してしまって無傷なまま残るようなことも考えられる。

 それでは物事はちっとも前進しない。先鋒同士の小競り合いで終わってもらっては困るのである。

 だからこそわざわざ半舎退いておびき寄せようとまでしたのである。

 だが敵軍と味方の軍がそれぞれ半分程度に減った場合ならどうだろうか。二万五千と五万、合計して七万五千、これならばもう少し小さな土地でも兵力を展開することができる。

 そう上州の中であっても。

 そう気付いた有斗はそこで全軍を二つに分けることにした。

 まずは第一、第四、第六、第九軍に河東諸侯一万五千、傭兵隊八千を加えて合計四万四千の兵を当初の計画通り東山道を半舎退かせる。

 次に残りの第二、第三、第五、第七、第八、第十軍に関西諸侯一万一千と南部諸侯四千、合計四万七千の兵を南に半舎退けると称し、おもむろに上州へと向けたのだ。

 王師の行動は河東諸侯から漏れていると考えるべきなのは有斗としても当然分かっていた。

 ここで有斗が馬鹿正直に全ての兵を上州に入れれば、それはすぐさまカトレウスに伝わるだろう。

 カトレウスはどうも決戦を先延ばしにしたい気がありありと感じられる。

 下手をすると三男を放っておいてでも上州から逃げ去ることも大いに考えられた。

 だがこうすることにより、しばらくは河東諸侯もカトレウスも有斗が上州へと向かってることを知られることはないはずだ。

 幸い敵は上州の兵と合流することを最優先したためか、足の遅い諸侯軍や傭兵隊を切り捨てて半分程度の規模になっている。

 ならばこちらも軍を二分にぶんしても大丈夫、それでも十分戦えるはずだ。

 それが有斗の計算だった。

 それに残り半分の彼らにはこの後果たしてもらわなければならない役割があるのだ。


 上州に兵を進めた有斗はウェスタの案内ですぐさま兵を東へと進ませカトレウスが戻ってくるであろう脇街道に先につくことが出来た。

 かくして上州と坂東、七郷とを繋ぐ間道は有斗率いる五万の兵で完全に塞がれた。

 もちろん有斗は突出した形になるため糧道は無いも同然、手持ちの食料だけで過ごさなければならない。

 だがそれは敵も同じだ。カトレウスは有斗の軍によって七郷との糧道と通信が途絶してしまっている。

 いや有斗より格段に不利だ。

 もともとここは上州諸侯の地、そしてその上州諸侯は有斗の味方だ。当然民はカトレウスよりも有斗に味方する。

 有斗はいくばくかの支援も期待できれば、情報も得られる。カトレウスにはそれが無い。

 この方法をカトレウスが解決するにはただ一つ、そう、前に立ち塞がる有斗を打ち破るしかない。

 有斗はカトレウスと今度こそケリをつける戦いが出来ると身構えていた。

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