第270話 騙し合い

 早くも翌日に終結し終えた軍は、カトレウスに率いられて七郷を出立する。

 先団は王師の河東進撃で所領を失い、逃げ延びてきた諸侯や坂東奥地から合力するために七郷へと来ていた諸侯らの軍、その数一万、その次に戦の臭いを嗅ぎ付け集まって来ていた傭兵隊一万五千、最後がカヒの本隊二万。合計して四万五千である。

 将兵たちには戦線が延びきった王師を迎え撃つとだけしか知らされていない。

 もちろん本当の目的が上州にいる三千のカヒの兵と合流して無事に撤退させることだとは伏せられているのだ。この動きが王にばれる前に、行って帰ってくることこそがこの作戦の肝なのである。

 普通ならば倍以上とも伝えられる王師と戦うというのならば、いくらか緊張もするし不安もあるだろうと思うのだが、道行く将兵の顔色は明るい。

 それにはいくつか理由があるが、何よりも総大将カトレウスが余裕を見せているからである。あのカトレウスほどの人物がこれほどまでに余裕を持って兵を進めるということは勝算があるに違いないと思えたのだ。

 それだけ一兵卒からもカトレウスに対する信頼は厚いということだ。


 七郷盆地からカヒが大兵を率いて発したと報告を受けた有斗は、敵が策にかかったと笑みを隠せない有様だった。

 だがカトレウスはエピダウロスと二舎の距離まで近づいたところで突然、進撃の足を止める。二日たった今も近づく気配は一向に見せない。

 代わりに塹壕やら防柵やらを次々とこしらえているとの報告が物見からなされた。

 有斗は将軍たちを集めて急ぎ対策を練る。

「野戦ではなく、陣地戦術で我らを迎え撃とうというわけですかな」

 ガニメデは敵の思惑をそう看破した。他の将軍たちも同じ意見だったらしく反論はされない。

「やはり警戒しているのでしょうな・・・」

「つまり今の兵力では正面から戦う気はないということか」

 ベルビオの言葉にアエネアスが思わず突っ込む。

「当然よ。敵だって馬鹿じゃないもの。二倍といっても、ただの二倍じゃない。五万も兵力差があるんだもの。一対二、十対二十、差が少数であればあるほど戦力差をひっくり返す紛れの起きる可能性は大きい。でも差が五万ともなれば、紛れの起こる要素を探すほうが難しいもんね」

 これは将軍と王とが臨席する作戦会議だ。作戦に対する異見を差し挟む場だ。だが王師の将軍にアエネアスがそれをする権限は無い。

 そもそも羽林の軍は王の身辺を警護するだけで戦闘に加わることは無い。羽林が実際に敵と刃を交えるということは本陣に敵兵の侵入を許したということだ。韮山崩れを例に出すことなく、そうなれば戦は負けなのである。

 ということもあり、こういった作戦会議に本来ならアエネアスが意見を差し挟むなど、いや顔を出すことすらおこがましいことではある。アエネアスの役目は戦場であれどこであれ、敵味方関わらずに王に不審な人物を近づけないこと、それだけだ。

 だからアエネアスの越権とも思えるこの行動はガニメデには奇異に写るのだが、他の将軍たちがそれをおかしなことであると捉えていないところを見ると、そのことについて奇妙だと思うのは、どうやらこういった会議にようやく参加できるようになったガニメデだけらしい。

 王は元々ダルタロスの軍を主体としアエティウス、アリアボネ、アエネアスとの三人を相談相手として南部から勝ち上がってきたという。

 異世界から来たという王の中では、後から王師の将軍たちがそれに加わって行っただけだと捉えているのかもしれない。

 まぁ、陛下の愛人だとの噂もあるし、迂闊にそのことを心得違いだと口に出して責めないほうが王の不興をかわずにすむのだろうな、とガニメデは一人納得することにした。

 ガニメデはラヴィーニアのようにあるべき君臣関係だとかといった理想論には一切興味は無かった。将軍なら王の命令に槍先を持って応えればそれでいい、と考えていた。

 彼の興味は家族と自身の幸せだけにあった。良い意味でも悪い意味でもガニメデは一流の将軍であり、そこから抜け出ることはなかった。

「ですが敵が兵を配置したのは険所、大軍の展開には不向きの場所です」

 相手との交戦は望むところだが、いかに大兵力を擁していても陣地に篭っている敵を攻撃するのはあまり上手い戦であるとはいえない。

 だが敵は七郷からここまでわざわざ出てきたのだ。つまり上州の味方を救出したいと思っているということだ。

 険所に兵を配し、王師を牽制するのもその一手ではあろうが、もっと確実な方法で上州の味方を救いたいはずだ。

 なぜなら王師をこのまま牽制し続けることに成功してこの地に釘付けにしても根本的な解決にはなってない。それにオーギューガの兵が越から迫っている。それと戦って勝つには上州のカヒの兵力は少なすぎるであろう。

ならばカヒの目的は二つに分かれてしまった軍の合流であろう。そこまでは有斗もなんとか看破していた。

「ならば一舎、いや半舎退いてみるか」

 有斗は膠着こうちゃく状態を打開するためにあえて自ら動くことを考えた。誘いの一手だった。

「敵にやすやすと上州に入られてしまうよ。敵の狙いは上州で孤立した兵と合流することでしょ。それじゃ敵の思う壺じゃん!」

「いや、それでいいんだ。敵が上州に入り次第、僕らは前進し、上越街道を塞いで七郷への退路を遮断する。そのままでは敵は後ろをオーギューガ、前を僕らに挟まれて進退に困るじゃないか。カトレウスの選択肢はただ一つ、戦うことだけになるはずだよ」

 有斗はそう言うが、そんな簡単な手にあのカトレウスが引っかかるだろうか?

 アエネアスには思いつかないが、何かとんでもない詭計をもって王師を振り回すんじゃないだろうか、アエネアスはそこが少し心配だった。


 全軍に移動の通達を出し、陣所の解体にとりかかる。

 軍中であっても王都から届けられた決済を必要とする書類などが送られてくる。それらを袋詰めにするなどして、羽林の兵が有斗の荷物を整えてくれている間に、アエネアスが今だ慣れぬ有斗の為に鎧の着付けを手伝ってくれる。王の鎧は立派な装飾がついているのはいいのだが、とにかく着辛い。一人ではとても着れないのだ。

 本当はアリスディアみたいな美人で優しい女官に着せてもらいたいところだがここは戦場だ、贅沢はいえない。むさい男に着せてもらうよりはかなりマシだ。アエネアスだって見てくれは美少女なんだし。

「陛下、なんか腹回りに贅肉がついてるよ? もうちょっと運動したほうがいいかな・・・そうだ。いいこと思いついた! 朝の鍛錬時間を増やしてみる?」

 最近デスクワークが増えたからか、不規則な生活が続いているからか、ストレスのかかる仕事をしているせいか、体重が増えているのだ。気にしてることをそんなふうにずけずけと・・・! 本当に遠慮ってものを知らないんだから。

「遠慮しとくよ。これ以上、睡眠時間を削ったら僕が過労死してしまう」

 有斗のその言葉にアエネアスが顔を上げて口を開こうとした瞬間、天幕の本来入り口ではない場所が突然ぱっくりと開いたかと思うと、そこからウェスタが顔をのぞかせる。

「陛下、お話があるのですけど!」

 相変わらず神出鬼没だ。

 ・・・そしてちゃんとした入り口から入ってこない。

 もっともウェスタは今やれっきとした河東諸侯の一人、他の諸侯との振り合いや有斗の安全保障の観点からも自由に面会を許される立場ではない。アエネアスがそう言ってあの一件以来、容易に会わせようとはしない。

 だからこそウェスタもそれを心得たもので、あの手この手を使って始終勝手に有斗の天幕に入ってくるのだ。

 まるで忍者のようだ。

 最初こそアエネアスは断固として侵入を許さないみたいな毅然きぜんたる態度をとっていたのだが、防ごうとしても裏をかいてくるので最近はアエネアスも呆れ気味なのか放置している。

 アエネアスはそのウェスタの顔を見るなり眉をひそめると何故か有斗の代わりに返答をした。

「またあんた? 今は忙しいんだから、後にして」

「あなたには話してない。わたしが用のあるのは陛下にだけです」

 とウェスタも最近はアエネアスにも容赦が無い。むしろ有斗との間に立ちはだかる障害物とアエネアスを看做みなしている節がある。

「陛下はお前には用は無いの!」

 アエネアスも売られた喧嘩は買う体質だ。ウェスタのそのアエネアスを無視したかのような態度にくってかかる。出発前なのにここで二人にこれ以上の騒ぎを起こされたくない。有斗は二人の間に割ってはいり、この場を収めようとした。

「まぁまぁ、二人とも喧嘩しないでよ。それよりウェスタ、何の用件かな? ウェスタにも通達が行ったと思うけど、カトレウスを誘い出すために兵を半舎退こうとするところなんだ。急がないなら後にして欲しいんだけどさ」

「それについてわたしがいい情報を手に入れたのですが、聞きたくないですか?」

 わたしを無下に扱うと損しますよと言わんばかりに、少し悪戯っぽくウェスタが笑った。有斗は思わず引き込まれる。

「陛下は軍議に河東の諸侯をあまり参画させませんね」

「あ・・・いや、いろいろとね・・・」

 有斗は言葉をにごして誤魔化そうとする。河東諸侯に軍事機密を教えるのは将軍たちが反対しているからだとは、その当の河東諸侯の一人であるウェスタの前ででは、さすがに言うことは出来なかった。

 だが、

「お前たちに軍事機密をうっかり漏らして、カトレウスの耳に入ったら、大事になるからに決まっているじゃない?」

 それくらい察しろとばかりにアエネアスは馬鹿正直に本当の理由を話す。遠慮とか気遣いとかいうものは無いのか。

 だがウェスタはアエネアスから嫌味交じりに言われたにもかかわらず、気分を害した様子は見せなかった。

「この間まで敵でしたので信用しきれないのは分かります。ですがそのお考えは間違っています。その為に河東諸侯から有益な情報を得られていません」

 ウェスタのもったいぶった言い回しにアエネアスも有斗も興味を惹かれる。

「有益な情報とは何?」

「・・・僕もぜひ聞きたいな」

「陛下がそこまでおっしゃるのなら、このウェスタ隠すわけにはいきませんね」

 自分がそう仕向けたにも関わらず、ウェスタはまるで有斗から頼んだから言うのだといった空気を出した。

 貸しを作りたいんだろうな・・・

 有斗が興味津々きょうみしんしんの、アエネアスも不承不承ふしょうぶしょうといった態を見せたことに、ウェスタは満足して話を再開した。

「陛下はこの大まかな坂東絵地図をもって作戦を立てておられますね」

「そうだね」

「これには本街道だけしか載っておりません。脇街道などの存在を忘れておりませんか?」

「それはあるとは思ってるけど道は狭いし、大軍の行軍に不向きじゃないのかな?・・・敵は僕らより少ないけれどもやはり大軍だよ。僕らが後退したら、進軍しやすい上越街道を使って上州に向かうんじゃないかな」

 そう思ったからこそ、有斗たちから二舎離れた距離まで近づいたのではないかと考えるのが普通だけれども・・・そうじゃない可能性があるってことか?

「それじゃあ、これもご存知ですか? カトレウスは既にその脇街道の一本を使い上州へと兵馬を進ませていることを」

「なんですって!?」

「そんなまさか!」

「そのまさかなのです。カトレウスは昨日出立し、脇街道を通って上州に向かっております」

「・・・それが本当だとしても、どうやってその情報を仕入れたの?」

 アエネアスは疑わしげな眼差しをウェスタに向けた。

 アエネアスはウェスタが嘘を言って有斗を躍らせ、カトレウスを利するように仕向けているのではないかと疑ったのだ。

「我が一族は古来より忍びの術を得手としております。ですからカトレウスの動向を探るために多くの家人が傭兵や諸侯の軍の中に混じって潜んでいます。彼らから緊急を要するという報告が複数同時にわたし宛てに届いたのです。わたしはそうやって陛下の利になる情報を得ることで、陛下に受けた厚恩を少しでもお返ししようと思っていたのです」

 いわゆる忍者的な何かだな。それであんなふうに僕の寝所にも勝手に出入りできるわけか、と有斗は納得がいった。

「しかし・・・それでは何故、東山道を塞ぐような形で未だに兵が残っているの? 彼らが動いたという報告は一切受けてないんだけどさ」

 アエネアスの疑問に答える形でウェスタは有斗に説明する。

「あれは我々の眼をあざむくための擬態です。カトレウスは兵力的には大いに我々に劣ります。普通に考えれば軍を分けるという発想はありえない。ですから目の前に傭兵や諸侯の兵がいるなら、山に隠れて見えないけれども、カトレウスはきっと彼らの後ろにいるに違いないと我々を思わせるために残したのです。もちろん諸侯の兵や傭兵を切り離すことによってカトレウスの軍を身軽に行動できるようにしたということもあるのでしょうけれども」

 カトレウスを引っ張り出すことを主眼で作戦を立てようとしていたように、兵も物見も将軍も有斗も、目の前に敵の大軍がいる以上、その主もいるものと決め付けていた。確かに見事なまでに全員騙されていた。

「出し抜かれた・・・!」

「ですから例え何舎後退しようとも、敵はエピダウロスの野には出てきません。ですから、この移動は無駄だとお知らせしたく参上したのです」

 確かにそうだ。これは作戦を練り直さなければならない。

「ん・・・?」

 さて困ったことになったぞと気落ちする有斗だったが、その時、頭の中に何かが浮かぶ。

「ということは、だ。これは好機ということになるんじゃないか・・・?」

 パズルのピースが合わさるように、有斗の頭の中で何かが急速に形になっていくようだった。

 頭の中に浮かべていた河東の絵地図上でくるくると動き出すものを思い浮かべていた。

 それは何度も繰り返されるが、最後は必ず同じ終わり方をした。

 有斗は羽林の兵が仕舞おうとした絵地図をもう一度広げなおして机に置くと、ウェスタに振り返って頼む。

「ウェスタ、この近辺で軍隊が通れそうな全ての道を、分かる範囲で書いて欲しい。できる?」

 有斗に用を言いつけられたのが嬉しかったのか、ウェスタは満面の笑みで返答する。

「はい!」

 ウェスタは筆を借りると一本、二本とその地図に線を書き足していく。

 それを見ながら有斗は先ほどの脳内の光景をその地図の上でもう一度思い浮かべた。

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