第264話 芳野攻防戦(Ⅲ)

 四月四日、マシニッサ率いる南部諸侯軍はザダール伯の原山城を視界に収めた。

 原山城は平原のただ中に突如として現れる原山に建てられた典型的な山城である。一説には有史以前の豪族の墓だとも言われているその小山は東面は切り立った岩盤、西面は崩落した崖に面しており、自然と南北二方向からしか攻めることが出来ない天然の要害である。

 兵を裏面に回して全軍布陣すると、降伏勧告の使者と称してスクリボニウスが原山城へと入城する。

「ではたしかに表門を攻めてくるのはマシニッサ殿だけで間違いないか」

 ザダール伯はそこを念を押して訊ねた。マシニッサ隊は攻める気がないからと放っておいていたら、他の諸侯の兵は攻める気が満々で、城を落とされたとかいうことがあれば芳野中の笑いものだ。冗談ではない。

 かといってトゥエンクの兵とその他の兵をいちいち区別して戦うことなど出来ない相談なのである。向かってくるようなら全てを敵とみなして戦うしかない。

「間違いなく。であるからにはお間違えの無いようにお願いいたす」

「わかっておる。わかっておる。必ずや刃は向けぬようにと兵に厳命しておく」

「ありがたい! ではそれがしはこれにて」

 交渉が首尾よく終わったことに喜んでか、床板に頭をこすり付けんがばかりにスクリボニウスは平伏するほどだった。

 もちろんザダール伯も互いに有益な取引だった、とにこにこ笑いながらスクリボニウスを自ら見送るほどの好遇を見せる。

 明日になれば兵馬で埋め尽くされる無人の坂道をスクリボニウスは一人悠然と帰っていく。

 それを最後まで城門上の櫓から見送っていたザダール伯に家老が近づいて耳打ちした。

「マシニッサは何かと策の多い男、迂闊うかつに信じないほうがよろしいかと」

「案ずるな。それくらいのこと、この俺が予想しないでか。当然表門にも兵は十分に配置する。もちろん武器も存分に持たせてな。もしほんの少しでもマシニッサが怪しい行動を取ったなら、すぐにでも反撃してやる。頭上から石や煮えたぎった油を浴びせてくれる。何、マシニッサが味方せぬとしてもどうということはないさ。もとより南部の連中ごときに二方向から攻められたとて、この原山城はびくともせぬわ。三ヶ月は持ちこたえてみせる」

 彼らの考えでは王は速戦即決をもって河東に攻め込んだのだと捉えていた。カトレウスが近畿へ攻め込んだときと同じようにである。

 それもそのはず、長期間敵の奥深くまで遠征して、敵を攻略するという考えそのものがこの戦国の世にはないのである。隣の土地に攻め入って、その土地を奪う、それが戦国の世の戦いかただ。

 兵站という概念が河東の諸侯に極めて薄いこともあって、カトレウスであっても年度をまたいでの、いや、季節をまたいでの長期の出兵を行うことは極めて稀なのだ。

 それに確かに王は広大な領土と多くの兵糧、そして兵力を持ってはいるだろうが、それは各地に満遍なく広がり拡散して存在しているものだ。

 それを集め、一つの方向に集中的に投入するなどということが可能だとは誰も思っていなかった。諸侯もカトレウスが配下の諸侯にしているのと同じく手弁当で遠征させていると思っていた。

 であるからせいぜいが三ヶ月、長くても半年、それが彼らがこの王の遠征について考えていた活動限界であった。

 もっとも有斗側の半年から一年という常識を超えた行動時間とて、ラヴィーニアという稀代の実務家がいてこそ、それを可能にしたのではあるが。

 ともかくも三ヶ月の辛抱だとザダール伯は考えた。

 三ヶ月も経てばカトレウスと王との決戦はけりがついているはず。そこで戦は終わる。

 それに、もしついてないとすれば、事態の打開のために王は兵力全てを集めての決戦に打って出るはずである。芳野に貼り付けておいた一万もの兵はそちらへと向かうに違いない。どちらにしてもザダール伯の戦争はその瞬間に終わることだろう。

「楽な戦だ。勝たなくていいのだからな」

 ザダール伯は家老の肩を叩きつつ気楽にそう言った。


 スクリボニウスが帰還して、降伏勧告はね付けられました、と嘘の報告をすると、諸侯は一斉に立ち上がった。今にも槍を持って敵陣に駆け出そうな表情だった。

 マシニッサはそれを押しとどめて、役割分担を決める。

「追っ手口は主将であるこの私が受け持とう。搦め手口はロドピア候にお願いしたい」

 だがその陣割りに諸侯は一斉に反駁はんばくの声を上げる。

「手柄を独り占めなさるおつもりか!? それは全軍の総大将が取るべき作戦とも思えん! 総大将は総大将らしく後方で全軍の動きを把握するべきだ!」

「そうですぞ、私にも攻め込む許可を与えていただきたい!」

 血の気の多い南部諸侯はその陣割りに大いに不満だった。俺にも一槍入れさせろというわけだ。

「無茶を言うな。追っ手口も搦め手口も幅一間も無い九十九折つづらおりの坂道だぞ。複数の諸侯が攻め込むとなると兵の指揮が取れぬ。それよりも諸将は北から来るであろう敵の援軍に備えて布陣して欲しい。必ずやデウカリオは救援に駆けつけるであろう」

 なるほど、それもそうかと諸侯は機嫌を直し、一斉に矛を収めた。原山城は堅城、とても尋常の手法では落とすことは出来ないであろう。

 だが篭城というのは後詰があるからこそ、篭城して時間を稼ぐのである。この場合の後詰とはデウカリオや他の芳野諸侯ということになろう。

 ならば労多く、被害多い城攻めよりも、後詰として駆けつけた兵を迎え撃つほうが武勲が立てやすい。めんどくさい作業は正副の両指揮官に任せて、我々は野戦で功名を立てようではないかと思い立ったのだ。

 諸侯はさっそく原山城の北面に救援に現れた敵が取る行動を想定して思い思いに兵を展開させる。

 それを尻目にロドピア候とマシニッサは綿密に打ち合わせをして攻城に取り掛かった。


 搦め手口から攻めかかったロドピア候の軍は裏の急斜面に兵力を思うように展開できず、進むだけで一苦労である。また途中で二箇所ほど城から狙い撃ちされやすいように作られている場所があり、門前にたどり着くまでに多くの犠牲を払うこととなった。

 たどりついてもそれで終わりというわけではない。門前には真っ直ぐ十六間(三十メートル)の小道が続く。そこはこの日に備えて砂利が撒かれていた。その厚みはなんと厚いところで一寸(三センチ)にも達していた。

 すなわちここを登ろうとする兵は踏ん張りが利かず、滑り落ちやすい。この坂道だ、一人が滑り落ちれば、それはすぐさま後続の兵にぶつかり雪崩のように波及することであろう。

 たちの悪いことに最後の五間(十メートル)はさらに勾配が急になり、たとえ兵が砂利に足を取られなくとも、そこで足が止まるような構造になっていた。

 兵の足が止まれば再び矢で狙い撃ちされてしまう。

「ええい、不甲斐ない! それでもお前らは南部の男か!」

 それでもロドピア候の叱咤の下、幾度も坂を駆け上がっては攻めかかる。しかし何度やっても、跳ね返され滑り落ちるという結末を迎える。

 それでも怪我程度で済んだ者はまだいい。死体となって落ちて来る者多数であった。

 翌日も、さらにその翌日も手を変え品を変え思いついたことを全て試みて攻め込んでみるが、全て失敗に終わる。

 軍中に大量の死傷者が出た。だが未だに落ちるきざしさえ見えはしない。

 撒かれた砂利を撤去し、曲がりなりにも足場を作るだけでもたいした働きであると褒めねばならないほどの大苦戦であった。

 一方その間、表門では奇妙な光景が繰り広げられていた。

 初日、追っ手口は城門から真っ直ぐ伸びる五十間(九十メートル)の道を間に挟んで対峙した。

 一応両者の間には双方仮戦で攻撃しないという約束が出来てはいた。兵たちの間にもそのことは告げられていた。

 だが将も兵もまだ半信半疑といったところだった。特に城方にしてみれば相手はマシニッサなのである。信じろというほうが無理であるといえよう。

 城の前までトゥエンクの兵が近づいてくるのを城兵は、手にはそれぞれ弓矢なり槍なりを握り締めていつでも反撃できる態勢を整え、緊張の中で待ち受ける。

 だが城兵の危惧は杞憂きゆうだった。城門前五間(十メートル)で立ち止まると、トゥエンク兵は一斉に大きなときの声を上げる。

 そして彼らはくるりと尻を向けて坂を下っていったのだ。

 その滑稽な光景に城兵たちも思わず笑ってしまう。今度はお返しとばかりに城から一斉に鬨の声が上がった。まるでその場で一進一退の激戦が繰り広げられているかのように。

 それを何回か繰り返すことで初日の仮戦は終わってしまった。

 二日目はいきなりトゥエンクの兵が矢を射掛けてきて、城内は一瞬パニックに陥った。

 だが射掛けられた矢がおかしい。手にとって見てみると、矢尻が外され、怪我しないように先端に布を巻いて保護してあった。

 当ると痛いことは痛いが、空気抵抗もあるし、本気で射てないため怪我をするようなことは無い。

 城兵もこの趣向を面白がって、射掛けられた矢を面白半分に射掛け返す。

 双方の間をその相手を殺すことの無い矢が飛び交うという、まことにもってふざけた戦闘が繰り広げられた。

 その日の仮戦が終わった後、門前には二つほど樽が残されていた。

 罠かと思い緊張するが、勇気のあるというべきか、それとも無謀というべきか分からない若い向こう見ずな兵が降りていって確認する。

 樽には篭城でもっとも不足すると困るもの、水がたっぷりと詰まっていた。どうやら贈り物ということらしい。

 その次の日は梯子を持ってトゥエンクの兵たちはやってきた。とはいえ竹で出来ているとはいえ、長くて重いので今日は城の前あたりでそれを投げ出すと、兵たちは座り込んで大声を出したり、竹で出来た梯子を叩いて音を出したりして仮戦を盛り上げる。

 城兵はその光景を見て笑い出さないようにすることだけでもはや必死といった有様だった。

 彼らが立ち去ると今度は食料が詰まった樽が城兵たちのために残されていた。有難くそれをいただくことにする。ザダール伯も城兵もこれで余裕が出来た。原山城の落城は無くなったと思った。

 なにしろ一方からの攻撃を考えずにすむ上に、水や食料を補給してくれるのであるから、こんな楽な戦など他にあるはずがない。

 どのくらい余裕かというと、搦め手口で馬鹿正直に奮戦している哀れな道化師のロドピア候に、敵であるにもかかわらず同情したくらいである。

 四日目、今日ものんびりとトゥエンクの兵は梯子を抱えて坂道を登る。だが城兵の関心は彼らが持つ梯子や槍では無く、別のところにあった。

「今日は何を持ってきたかな」

「酒だと有難いのだがな」

「では歓迎の合図に矢でも射る準備でもするか」

 と笑って一昨日から仮戦で使っている、矢尻が外され、怪我しないように先端に布を巻いて保護してある例の矢を取り出す。

 表門の城兵も暢気のんきである。この間も裏門では死闘が続き、同じ城兵であっても殺気立っている。表門に配された兵士たちは、それをまるで別世界の話でもあるかのように捉えていた。もっとも日々激戦を繰り広げている裏門の救援に回された運の悪い兵士もいたが。

 いつものようにトゥエンクの兵は城門前五間(十メートル)で立ち止まると持ってきた梯子を置き地面に座って一息入れる。

 それを見て城兵は一斉にはやし立てて鬨の声を作る。そしていつもの空元気な鬨の声が返ってくるのを待った。

 しばらくするとトゥエンクの兵が立ち上がって一斉に鬨の声を上げた。いつもより人数が多いせいか思った以上に響き渡った。

 だが彼らはいつもと違い、一斉に梯子を抱えて城壁へと殺到した。

 唖然とする城兵がそれが何を意味するかを把握する前に、次の瞬間、本物の矢尻がついた矢が一斉に城内の彼らの頭上に降り注いだ。

 次々と城兵を矢が襲い、城塔や城壁に立っていた哀れな城兵たちから命を落とす。

 転げ落ちる同僚、降り注ぐ矢、城門に叩きつけられる攻城機の音、城内は混乱して統率の取れた行動をとるものすらいない。ようやく矢が降り止んだと思ったら、今度は次々とトゥエンク兵が城壁へ登り、城内へと入って来る。抵抗する力は微弱、まとまって抵抗する気配すらない。

 落城のらの字も予感していなかったザダール伯も城兵も想定外の事態に呆然としてなすすべが無かったのだ。

 つまりこれはマシニッサの計略だったのだ。

 攻城で何が大変かというと城門に取り付き破壊するか、城壁を登るかなりして城内へ入るまでの行程が一番難題なのである。

 そこまでの過程さえ何とかしてしまえば、どんな堅城であろうと戦いの行く末は人数差だけの問題となる。

 そして絶対数が少ないから数の差を補う方法として篭城しているのである。つまり城は容易く落ちる。

 だがもし、城に近づくことを目的として直接ザダール伯に仮戦を申し込んだら、確実に怪しまれる。

 何せ提案したのがマシニッサなのだ、当然疑うだろう。ザダール伯だって馬鹿じゃない。そうなればマシニッサの不貞な目論見を看破されてしまう可能性が多々あった。

 そこでカヒと内応したいということがマシニッサの目的であるというふうに思わせることでワンクッション挟み、ザダール伯の嫌疑の目をそらさせたのだ。

 カヒと内応すること自体か、もしくはした後の行動こそがマシニッサの策であって、その為にザダール伯と仮戦することでカヒへの忠義を見せたいだけなのだと思わせたのだ。目的を手段であるかのように糊塗し、真実を覆い隠したのである。

 策略で油断を突いて城内に突入したトゥエンクの兵は、瞬く間に城内の各門を制圧し、終には裏門を開いてロドピア候の兵を引き入れる。

 これで原山城の戦いの趨勢すうせいが決まった。一刻ももたずに原山城は占拠される。


 マシニッサはまだ火がくすぶり、敵兵狩りが行われている原山城へと足を向ける。

 堅城と名高い原山城がわずか四日の攻防で得られたことはマシニッサの手腕を大いに示したといえるのだ。

 これで俺の名将としての名も南部以外にも広がることだろう、とマシニッサは上機嫌だった。

 だがマシニッサは知らない。本人が思っている以上にマシニッサという名はアメイジアに広がっているのである。天与の人である有斗、戦国の寵児ちょうじカトレウス、軍神テイレシア、元関西女王セルウィリアの次くらいに有名人であろう。有斗ご自慢の将軍たちやカヒの二十四将やオーギューガの双翼やバアルよりも知られていることだろう。

 もっともマシニッサが望むような形でその名が広がっているかといったら、おそらくは違うのであるが。

 ザダール伯は兵士たちに取り押さえられ、縄で縛られたまま総大将であるマシニッサの下に連れてこられる。

「貴様、こんな汚い手口を使うとは武人の誇りを一片すら持ち合わせぬ人非人、この詐欺師め! いずれ必ずやその悪行の報いを受けて死ぬことになるぞ!」

 そう言うとザダール伯はマシニッサにつばを吐きかける。

 マシニッサはそれを器用に交わすと、何が愉快なのか大きく笑った。

「結構結構。実に負け犬が吐くに相応ふさわしい言葉だ。一ついいことを教えてやろう。そう言った減らず口を俺に向かって言ったやつは数知れないが、俺がこうして悪運強く生き残っているのに対して、その中で今、生き残っている者は何故か一人もいないのさ。そしてどうやら貴殿もその中の一人となることだろうよ」

 死刑宣告に等しいその言葉に顔面を蒼白にさせるザダール伯を見て、マシニッサはまた愉快そうに笑った。からりとした湿り気をまったく感じさせない笑いだった。

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