第263話 芳野攻防戦(Ⅱ)

 その為にはなんとしてでも敵を芳野に引き入れることだ。

 だが敵の目的は芳野の攻略ではない。芳野を攻略するにしては兵数が少なすぎるのである。せめて二万、いや三万は欲しいところだ。

 ということは目的は一つ。芳野のカヒ兵に対する備えとして配備されたと考えてよいだろう。

 芳野には諸侯の兵の他に四千のカヒの兵がいるが、そのうちニ千はカヒの五色備えのひとつ、デウカリオの黒色備えだ。もう一つの備長とは面識があまりない。バアルに自由に動かせるのはパッカス旗下の一千の兵だけである。

「一千の兵では陽動すらままならないか」

 いくら芳野と河東を繋ぐ街道が狭く、大勢の兵がいても一度に相手をすることができる兵数は限られてしまうのだからといっても、一千では話にもならないだろう。

 敵兵を惹きつけて退却していくうちに、たちまち摩り下ろされるように兵を減じて全滅してしまうことだろう。

 ならばカヒが騎兵であることを生かして、一撃離脱戦法を使えばどうかとも考えるが、その場合、敵が追撃をしてくれないという可能性が高いことに思い当たる。

 芳野に誘き出されているのではないかと、敵将が考えないためには、敵将を常時戦闘時の興奮状態において頭を麻痺させておくしかない。

 韮山や上州鎮圧のように三翼三千の兵があればな、とバアルは虚空を睨んで残念に思う。

「ならば一、二の諸侯を誘ってみるしかないか」

 だが、結論から言うとバアルはその行動を取らなかった。取る必要が無かった。なぜなら先に述べたように、南部諸侯軍自らが芳野へと兵を進めたからである。


 一万もの大軍を指揮して堂堂と中越街道を北進するマシニッサは上機嫌なのか馬上にて口も軽かった。

「いやはやこんな大軍を率いるとは愉快愉快。一つ夢がかなった思いだな」

 そんな気楽なことばかり言っている主君を見てスクリボニウスはため息をつくばかりだった。

 確かに将,軍にありては,君命をも受けざるところありとは言うが、王命を半ば無視する形で芳野に兵を進めたのだ。少なくとも王が納得するにたる赫々かくかくたる戦果が一つは欲しい。

 兵を入れたはいいが、結局城一つ落とせず、結果として軍を危険にさらしたというだけであっては王に説明もつかない。ましてや兵を損じることがあったら責任問題にもなりかねない。この時代の責任問題というのは降格とか減給とか懲戒免職とかの生温い処置のことではない。文字通り首になることである。

「しかし・・・デウカリオは我らが峠を越えようとしても襲い掛かろうとしませんな。持久戦法に切り替えたと見るべきです」

「だろうな。隘路あいろを行軍する兵を襲うのが常道だ。その有利な策を取らない以上、それしかありえない。あるいは北方から芳野をうかがうオーギューガの動きに気を取られているのかもしれないがな」

「ならば・・・我らは芳野に兵を入れたはいいが、戦う相手なく立ち往生しませんか? 敵は我らを深く誘い込んで伸びきった補給線を寸断したい。つまり我らが芳野に来たからといって直ぐに兵を発することはしないでしょう。だが我らも補給を考えれば奥へは進めない。結局のところ諸侯との小競り合いに終始することになりませんか?」

 スクリボニウスはこれでは芳野に兵を入れた意味が無いと思った。敵を恐れず芳野に兵を入れただけでも武功と言えなくもないが、武人の出身でもない王がそこを評価してくれるかどうかは、また別の問題であるし。

 そんなスクリボニウスにマシニッサはにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「くるさ。否が応でも出てこざるをえない。俺が原山城を奪いとればな。デウカリオは誇り高い狷介けんかいな男さ。カトレウスから芳野を預かった将軍としての誇りと面子にかけて出てこざるを得ない」

 また無茶なことをいとも簡単なことのように言い切る、とスクリボニウスは内心うんざりした。

 スクリボニウスは彼の主君がこういう言い方をしたときにろくな目にあった記憶が無いのだ。

 例えば、トゥエンクを乗っ取ればいい、などと言いきった時は、トゥエンクの前当主を嫡男と妻であるマシニッサの姉と一緒に焼き殺した。

 その時、相手を油断させるためにマシニッサと共に彼も当日その館に宿泊していたのだ。気付いたときには周囲は火の海でマシニッサは逃げ出した後、間に合ったから良かったものの、あと一歩遅ければ彼も間違いなく焼死していたに違いない。

 その後、そのことを遠まわしに責めると、マシニッサは『悪い、すっかりお前の存在を忘れていた』とぬけぬけと言い放った。隣で寝ていたにも関わらずだ。

 韮山の後だってカトレウスに王と通じていたことを責められると、なんでもないことですと笑うので、どんな切り抜け方をするのかと思っていたら、『わたくしではございません、ここにいる家老が独断で全部やったことです』と神妙な顔をしてカトレウスの前にスクリボニウスを突き出したのだ。

 さすがにカトレウスは一国の主、その明らかに部下に罪を擦り付けるマシニッサの言をに受けて、スクリボニウスを罰することは無かったが、それでも刃のように鋭い眼光でマシニッサとスクリボニウスを憮然ぶぜんにらみつけた。

 戦国の覇者とも例えられるカトレウスから殺意のこもった視線が突き刺さったのだ。その気になれば、殺せと言うだけで周囲にいる武者があっという間に襲い掛かってくるだろう。

 肝が縮み上がる瞬間とはまさにあのことであろう。寿命が何年か、いや十年単位で縮んだ思いだった。

 もっともマシニッサのほうはどんな精神構造をしているのか、まるで平然とニコニコと笑みを浮かべていたが。

 とはいえ、その二回にもまして今回の言は言葉ほど簡単ではない。

 なぜならザダール伯の原山城は虎臥城ほどではなくても、それなりに堅城なのである。そして南部諸侯軍は野戦はともかくも城攻めが得意とかいうことでもないし、王師ほど強壮でもない。

 原山城を落としてマシニッサの望みどおりに敵を引きずり出せるだろうか。堅城にてこずっているうちに王とカトレウスの間に決着が付くのが落ちではないだろうか。

 そう首を傾げるスクリボニウスにマシニッサは

「スクリボニウス、お前の配下をザダール伯のところに送ってもらいたい」とだけ言った。

「・・・」

 いま、この時に? 攻めようとしている原山城の持ち主のザダール伯のところに? スクリボニウスはマシニッサの言葉に混乱をきたす。

 今、王師は兵力も多く、指揮も高い。輜重も占領政策にも疎漏はない、破綻を感じさせる兆しも無い。

 圧倒的に優勢なのだ。そしてマシニッサは南部諸侯軍をたばねる主将なのである。もしカヒと接触していることがばれたら大変なことになるだろう。

 ここであえて火中の栗を拾うような真似をする理由は何であろうか?

 またイスティエアのように裏切ることで利を得ようと考えているのだろうか。

 それとも万が一、王が敗れた時のためにいつでも裏切れるよう下工作をしろということなのであろうか?

 だがそれならカトレウスと接触するか、もしくはせめて芳野の指揮権を持っているデウカリオに接触すべきではないだろうか。

「ザダール伯ですか? デウカリオではなく?」

「もちろんデウカリオにも密使は送ってもらう。ザダール伯にうまく接触するために渡りをつけておかなければな」

 ザダ-ル伯とうまく渡りをつけるためにデウカリオと? 逆ではないだろうか? ザダール伯は・・・デウカリオに対して小物すぎる。

 スクリボニウスはマシニッサの真意を計りかね首を捻る。

 そのスクリボニウスにマシニッサはいつもの笑みを浮かべて、

「では頼むぞ」と、肩を叩くだけだった。

 その目的が分からなくても、命じられた以上はやらなければならない。それがマシニッサのような厄介な人物を主君に持つ彼の処世術だった。逆らうといつ暗殺されるかしれたものじゃない。

 それにこれ以上深く訊ねても、おそらくマシニッサは本心を吐露しないと思われた。

 マシニッサは肝心要な行動原理に関わるところや真の目的はことが終わるまでは誰であっても話さない、そういう主君であった。

 幸い先代のトゥエンク公の母、つまりマシニッサの義理の兄の母は、河東のディナル伯家の出身である。その妹が芳野のザダール伯家に嫁ぎ、今のザダール伯の母親となっている。

 つまりか細い糸ながらザダール伯家とトゥエンク公家は繋がりがあるといえないことは無い。その伝手つてを使ってみるか、とスクリボニウスは思った。


「マシニッサの使いだと!?」

 その報告を聞いたデウカリオは嫌悪を隠すことなく露骨に表情に表した。

 デウカリオはバアルも嫌いではあったが、その嫌いは虫が好かないとか反りが合わないとかいうもので、別に肩を並べて戦うことに不足がある相手ではないというくらいには尊重もしていた。

 それに対してマシニッサに対する嫌悪感は生理的なものだ。それは虫が嫌いな人が毛虫や芋虫に対して抱く嫌悪感によく似ていた。

「会わぬ会わぬ! 追い返して塩でも撒いておけ!」

 しっしっと野良犬でも追い払うような仕草で報告に来た副官を追い払おうとする。

「しかし・・・南部が王の支配域になったので仕方なく王師に味方しているものの、カトレウス様の恩寵忘れがたく、ぜひお力添えをしたいと」

「あいつがそんな殊勝な言葉を心から話す玉か。何かの策に決まっておる」

「ですが、マシニッサは後背常ならぬ男。先立ってカヒを裏切ったように、此度は王を裏切る可能性とて無いわけではありますまい。もし本当に寝返るのであれば、それにこしたことはございませぬ。とりあえず話だけでもお聞きになっては?」

 その言葉にデウカリオは少し心動かされたようだった。う~む、と一度うなると、顎鬚あごひげを手で撫で付けながら考える。

「ならば・・・会うだけは会ってみるか。」

 話だけなら聞くのはただなのだ。もしカヒに味方したいというのなら、味方するという立派な印を見せてもらってから考えればいいことではないかとデウカリオは思った。


 デウカリオと会って密通を計ろうとしたスクリボニウスだったが、当然のように断られた。だがそれもマシニッサの計算のうちである。

 いかにもしかたがないといった風情で帰り道にザダール伯の原山城へ寄る。

「というわけでして、デウカリオさまのところに行ったのですが、忠誠を示せとかように難しいことをおっしゃる。細くか細い縁ながら当家とザダール伯は縁続き、是非ともデウカリオ様の説得にお力添えを願います」

 と、虫のいいことを言って頭を下げるスクリボニウスをザダール伯は胡散臭うさんくさい者を見る目で眺めていた。

「確かにデウカリオ殿から話は聞いている。トゥエンクが本当に裏切る気があるのか調べてみよ、とな。だがそなたらはイスティエアで真っ先に敗走し、王に膝を屈したことは紛れも無い事実。こちらに信用して欲しければ、味方となる証拠を見せてもらわなければ、当方としても信用しかねる。口添えもできない」

「証拠とはどのような?」

「例えば今すぐ同行している南部諸侯を奇襲するとか、王師の輜重を焼き払うだとか・・・そんなところであろうよ」

「我が主は王に睨まれております。同行する南部諸侯は我が主に対するお目付けといってよい。そんなことをしたら次の瞬間に我らは全員討ち取られてしまうでしょう」

 それは確かにその通りかもしれないが、それくらいはしてもらわないとこちらとしては信用なぞできるものか、というのがザダール伯の言い分だった。

「・・・それではトゥエンク公を信用することは出来ないな。諦められよ」

「あ、いや! 暫時ざんじ待たれよ!」

 交渉は決裂した、と思って立ち上がるザダール伯のすそをスクリボニウスは引き止めるために慌てて掴む。

「でしたら、こういうのはいかがでしょうか? 幸いこの原山城までの道は細く曲がりくねっております。寄せ手は大手口と搦め手口の二箇所。一万の南部諸侯軍とはいえ、一度に城に取り掛かれるのはせいぜいが数百です。そのうちの大手口は我が主マシニッサが担当いたします。もちろん我が主も他の諸侯の手前、兵を城に進めなければなりません。だがその兵が刀を振るわず、槍も突かず、矢も射ない。ただ大声を上げて騒いでいるだけ。つまり仮戦というやつですな。これならばいかがでしょうか?」

「そうなれば我が方は一方からの攻撃から守りきればいいだけだ。しかも搦め手口は難所、何ヶ月経っても、とても落とすことなどできないであろう。・・・なるほど。それならば味方となる証と考えてもよさそうだ。その間にカトレウス様が小生意気な王に勝利しているに違いない」

 ザダール伯の返答にスクリボニウスはほっとした表情を浮かべる。

「では・・・了承を頂けたと思ってもよろしいので?」

「よし、わかった。その作戦に乗ろう。うまくいったならデウカリオ殿への口添えを必ずいたそう。だがもし姦計を計っているのなら覚悟するのだな。天はいつまでもマシニッサの非道を見逃したりはしない」

「よく心得ております」

 スクリボニウスは居住まいを正して心に刻み込むように深く深く頭を下げる。

 そして心の中で舌を出した。

 今回のことは例えそこに少々非道なことがあるとしても、これまでしてきた極悪とも言える振る舞いに比べたらきっとマシなはず。いままでの極悪非道を全て見逃してきたのに、今回のことごときで急に神がマシニッサに罰を与えるなどとは考えられない。

 つまりおそらく神はこの世にいないか、いるとしてもマシニッサを見逃すようなとんでもない怠け者であるに違いない。スクリボニウスはそう心得ていたのである。

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