第265話 芳野攻防戦(Ⅳ)

「うまく行きましたな。これで自分が原山城攻略のだしに利用されただけと気付いたデウカリオは烈火の如く怒るに違いありません。なにしろカトレウスすら扱いに困るという悍馬かんばの如き男ですからな」

 スクリボニウスはマシニッサの策にうまく敵がはまったことを喜びと共にそう言葉で表現した。その策の成功には自分の演技力が生きたこともあわせて考えると、まさに愉快痛快な気分だったのだ。

 それに怒らせて尋常の判断ができなくなればしめたものである。必ずやその怒りの対象であるマシニッサを殺すために兵を出すであろう。怒りに身を任せて攻めかかってくるのであれば、付け入る隙も生まれるというものだ。

 こういうことをやらせればまさにアメイジアいちであるとスクリボニウスは主君を惚れ惚れと見上げた。

「俺をバラバラに刻んでも飽き足らないほど怒ったに違いあるまい。側近が止めようが聞く耳を持たずに出撃するぞ。そもそも持久戦術などという本来の奴の気性から考えれば似合わない戦術を取ったこと自体が間違いなのだ。それに理性的に考えてもデウカリオのやつは来るしかない。芳野諸侯の動揺を抑えるためにもな」

 芳野の諸侯の城が落ちたのに援兵も出さずでは吉野の守将としてデウカリオの格好がつかない。

 それに実に巧妙であったとはいえ、マシニッサの姦計にデウカリオがはまったせいで原山城は陥落したとも言えるのだ。ここでせめて弔い合戦の一つも行わなければ、芳野諸侯はデウカリオの、いやカヒの弱腰をあざけり離反者が出かねないのである。

「平野部に出てきさえすればしめたものだ。確かにカヒは強兵であるが、長年それと戦ってきた南部諸侯も負けてはいない。それに敵も大半は芳野の諸侯の兵だ。十分にいい戦いになるだろう」

 マシニッサは強烈な自信家である。兵の質と数が五分であるならば、カトレウスだろうがテイレシアだろうが俺にかなうはずがないとさえ思っていた。

 である以上、小型のカトレウスに過ぎないデウカリオ如きに負けるはずがないと思っていた。


「原山城が陥落した!?」

 原山城落城の知らせは翌日にはデウカリオの下に届いていた。

「あれほどの堅城がたった四日でだと・・・? 信じられん、何かの間違いでは・・・?」

 デウカリオは急いで主な武将を集めて緊急に対策を練る。武将たちもこの急報に驚き慌て、浮き足立っていた。

「これは偽報では? 敵の主将マシニッサは策の多い男、噂を信じて動くのは危険です。ここは慎重にことの真偽を見極めるべきと愚考します」

「だがこれが真実ならば放っておくわけにもいかないであろう」

 確かにこれが罠であったら、みすみすはまりにいくのは愚か者のすることだが、だが座して放置した時の危険性も考えなければいけない。

「そうですぞ。このままでは芳野全域が動揺し、諸侯はカヒがなすすべなく座しているだけと判断してしまう。いずれ戦わずして我々と諸侯との絆は崩れてしまうでしょう。急ぎ諸侯を集めて迎え撃つべきです」

 会議は徐々に主戦論に傾きつつあった。

 バアルはその会議を片隅でじっと聞いていた。

 ここは自分が口を差し挟まないほうが事態を悪化させないだろうと思って無言を通したのだ。

 それに会議の流れはバアルの望む方向に進んでいるようだった。

 バアルの目論見は今も変わらない。南部諸侯軍を破り河東へと兵を進め、王の補給を断つ。できることならさらに東へと兵を進め、カトレウスと合流し、そこで決死の一戦を糧道が途絶え、浮き足立っている王に挑む。これが一番勝率の高い作戦だと今でも思っていた。

 だが仲の良くないデウカリオをどうやって説得すればいいのか困っていたところだ。実に有難い。

 とはいえ原山城は要害に構えた山城、交戦してたった四日で落とされるなど考えにくいことだ。それに内応をほのめかしているというマシニッサは何をしていたというのだろう。ザダール伯を助けてこそ、カヒに対して味方することの忠心と言えると言うのに。

 バアルはそう思うと不可解な事柄ばかりのこの事態にひとしきり首を捻った。


 やがて会議は一定の結論を得る。とにかく兵を出して様子を見る。そして事態を注意深く監視し、次の一手を応変に打つ、そういうことに落ち着いたようだ。

「客人、そなたもついてくるがよい」

 デウカリオはバアルをぎろりとにらむとそう言った。

「よろこんでお供いたしましょう」

 デウカリオの態度はともかくも、バアルはその結論を大いに喜んで受け入れた。

 まずは兵を城から出すことだ。城に篭っていてはバアルの望みなど叶えられないのだから。

 敵を目前にしても罠であることを恐れ、デウカリオが手出しをしない可能性はあるが、その時は不意の遭遇戦を装い、手持ちの一翼で敵と交戦を開始してしまえばよい。

 まさかデウカリオといえど味方の苦戦を見て見ぬ振りも出来ないだろう。彼らも同じカヒの兵なのであるから。

 そうなればほぼ同数、いや上回るだけの兵をカヒ側は所持しているのだ。勝機は十分すぎるほどにある。

 そしてなによりも重要なことは南部諸侯を撃破して河東に兵を向けさえすれば、糧道を断つにせよ背後を急襲するにしても、王の遠征計画そのものを根本から揺るがすほどの致命の一打を与えられるのだ。

 デウカリオは芳野の守将としての面子を重んじるがあまり見えないようだが、勝利する可能性に対して得れるものの巨大さのなんと大きいことか!

 ここはどんな危険を冒そうともやり遂げねばならぬ。

 乱世の梟雄きょうゆう、天をもあざむく男、不動のマシニッサだかなんだか知らないが、バアルはこと戦場で兵を率いて天下とこうを争うことに関しては、めったな者には引けを取らないだけの自負がある。

 どのような姦計を用いてこようが必ず跳ね返してみせる。


 南部諸侯軍に向けてデウカリオが兵を進めたのは翌日の昼だった。

 各諸侯への召集の使者や合流のスケジュールなど詰めの作業に手間取ったためだ。

 やがて次々と原山城落城に関する詳しい一方が飛び込んでくる。どうやらもはや原山城が落城したことは否定できない事実のようだ、とデウカリオは気を引き締める。

 心の片隅ではこれはマシニッサが我々を誘い出すために仕掛けた流言で、原山城が無事であることを祈っていただけにデウカリオは残念そうだった。

 夕刻、飯時には原山城から辛うじて逃げ出して来れた武者がよろめきながらデウカリオの下まで落ち延びてきた。

 男は落城の模様をつぶさに細大漏らさずデウカリオに告げた。

 マシニッサにしてやられたと知ったときのデウカリオほど茫然自失した男はアメイジアにいなかっただろう。

 あれほど気をつけたつもりだったのに、自分がマシニッサと曖昧な態度で接触したことでザダール伯を死なせてしまったのだ。悔やんでも悔やみきれない。

「あの男の首を胴から切り離さぬ限り、この恥辱はぬぐえぬ。必ずやこの手で八つ裂きにしてくれるわ!」

 自分の体面や誇りを重んじるよりも、一手の将としてはもっと第一に考えねばならないことがあると思うのだが、とバアルは半ば呆れながら怒り狂うデウカリオを冷静に分析していた。

 とはいえこれでバアルの望んだとおり南部諸侯軍との戦は避けられぬものとなった。諸侯が集まり次第、決戦を挑むことになるだろう。

 ザダール伯をみすみす死なせてしまったことは芳野諸侯のデウカリオへの信頼を減じる効果ももたらしたが、だがマシニッサの人を小馬鹿にしたような謀略を聞いて、将から一兵卒までマシニッサへの敵意を募らせる効果も得られた。

 芳野の諸侯とカヒの四翼との混成軍だ。連携も取れていなければ士気も高くない。どんなにバアルが勝利のために奮闘したといえども周囲が働かねば軍は容易く崩れ去る。バアルはそれを何よりも恐れた。

 だがマシニッサへの敵意で今や軍は一体化し、士気も高い。これならば十分いい戦いが出来るであろう。


 それを迎え撃つ南部諸侯軍も意気盛んだった。

「今度は平原での戦いだ。マシニッサに出し抜かれることもない」

 確かに正面から敵を撃砕したのではなく、汚い手法を使っての勝利だったが、結果としてマシニッサが原山城を落とすという大功を成し遂げたのは紛れもない事実、同じ南部の諸侯として負けられない気持ちだったのだ。

 原山城の後始末を追え、更に芳野奥地へと足を踏み入れようとした南部諸侯軍は敵の接近をいち早く察すると、すばやく左右に兵を展開させ陣形を整える。

 南部諸侯は士気も高く、敵を必勝の体制で迎え撃とうとしていた。


 双方が接触したのは荒城平あらきだいらである。

 南部諸侯一万に対して、カヒ側も芳野諸侯が集まって兵の数は一万一千を超えていた。

 両軍とも兵力に差が無く、敷いた陣形は鶴翼の陣形である。奇をてらった布陣をする気はないようだ。もっとも兵数がほぼ同数である以上、どこかに戦力を回すと、手薄な場所が新たに生まれるといった状況になっている以上、仕方がないとも言える。

 まさに兵力と兵力、五分の殴り合いの様相を呈していた。

 つまりどちらかが相手の左右の翼を壊滅させるか、眼前の敵陣を突破し、背後に回りこんだものが勝つという分かりやすい戦だった。

 だがそれだけに敵の攻撃にくじけぬ士気と敵を打ち倒すという気迫が強いほうが勝つ。

 それときっと将の差になるな、とバアルは思った。

 ならば自分がいるのである。旗下の一千の兵は南部諸侯軍一万と戦うには兵力不足にもほどがあるが、一万の味方の中で戦うのなら、戦局を左右させることもできるほどの十分な数である。

 カヒ側の配置は次のようになっている。もちろん中央にデウカリオが布陣し、全体の指揮を取る。左翼の全体指揮はバアル。特にパッカス隊を最左翼に位置させて隙さえあれば左翼からの方翼包囲をも狙う。右翼は翼長の一人、ボイアースが受け持つこととなった。

 両者が布陣して一刻、動き出さない敵にしびれを切らして自ら動き出したのはカヒ側の右翼だった。

 右翼が前に出て行くと釣られて次いで本陣、左翼とときの声が響き渡ると前進を始める。

 それを見た南部諸侯軍もしずしずと陣形を保ちつつ前進する。

 やがて矢頃に到達すると、どちらからともなく矢を放ちだす。降りしきる矢をものともせず、前進を続けるのはどちらかと言えば芳野側だった。

 あと一息というところまで兵を前進させると、バアルは寄せ鉦、攻め鼓を激しく鳴らし、兵は大喊声を上げて密集隊形となり、南部諸侯軍の左翼に襲いかかった。

 受け手の南部諸侯はそれを幾重にも重ねた戦列でもってくいとめようと図る。だがそんなものは気休めにしかならない、一人前面の敵を打ち破っても、その後ろから次々と、代わりの兵が湧き出るようにやってくるのである。

 敵味方入り乱れての大乱戦となった。

 同じ光景は左翼だけでなく、中央でも右翼でも、戦場のどこかしこで見られた。

 しかし隙間無く押し寄せて来る芳野諸侯も一つ戦列を食い破る度にその速度を減じていき、勢いをがれる。しかも乱戦ゆえ前面以外の左右からも刃は飛んでくる。その為にカヒ側の足が止まった。ならば今度は南部諸侯が反撃する番である。

「ここだ! ここで反撃に移る! 敵は足が止まった! 今度はこちらが敵を押し返す番だぞ!」

 マシニッサもロドピア候もここが戦場での流れが反転する場だと見切り、これまで力を貯めていた兵を一斉に放つ。

 だがそれを待っていたのはバアルも同じだった。

「よし、頃合だ。敵右翼の右側面を騎馬で突け。敵は反撃しようと力を前面にだけ集中している。その側面を突いて、一気に敵を崩すのだ!」

 バアルはパッカスに騎兵百を与えると、敵の右側面から横槍を入れるように命じた。

 前面のカヒの兵と戦って追い散らし、いくらか行動するための空間を得た南部諸侯右翼の先鋒と違って、先鋒が敵兵に押されたことにより、南部諸侯右翼の中程の兵は足の踏み場もないくらい密集隊形となっていた。押されたといってもこれは戦争なのだ、後ろの兵もそれに合わせて下がってくれるわけではない。むしろ押し返そうと前に進もうとするのだ。つまりその中間に位置する兵は、もはや互いが互いの足を踏まぬようにするのが精一杯なくらい密集してしまった。

 その超密集隊形の横腹にパッカスは揉み込むようにして突き刺さった。

 身動きも取れぬほどの場所で槍を持った兵は、その槍を敵に向けることもできない。為すすべがないまま、次々とパッカスの騎兵に蹴散らされる。

 兵は動揺し、混乱する。そこでバアルは兵に更なる前進を命じた。バアル指揮下の三千の兵が敵を圧倒しだす。

 それを見て勢いづいたカヒの兵は中軍も左翼もなお一層の攻撃を加えて南部諸侯軍を圧迫した。

 特にデウカリオはバアルに対抗心を燃やしてか、総大将自ら一騎駆けで突き進み、カヒの黒色備えと共に南部諸侯軍の中央突破に成功する。ついに幾重にも重ねられた敵戦列を突破したのだ。

 南部諸侯軍は総崩れとなった。


 南部諸侯は次々と陣地を放棄して撤退を始めた。

 マシニッサなどはこれはもう駄目だな、と思った瞬間にはあっさりと味方を見捨てて逃走に入っていた。

 諸侯に撤退を告げることなく総大将が一人で先に撤退するとは・・・後で諸侯から突き上げられるのは目に見えているのに、一切気にしないようだった。

 この人の頭はいったいどういう風にできているのだろう、などとスクリボニウスは考える。

「総大将が諸侯を見捨てて逃げたのは少しやばいんじゃありませんかね?」

「馬鹿か。総大将が討たれたら戦は終わりだ。逃げて生き延びてこそ再戦も可能だってことだよ」

「・・・悔しくは無いんですか?」

「なぁに戦いは兵家の常さ」

 一切悪びれるところなどなくマシニッサはそう言ってのけた。負け惜しみでもなんでも無く、心の底から、そう思っているのだ。

 虚勢を張るでもなく、悔やむでもなく、起こったことを過去にし、ただ次の未来へと前向きに生きる。いつもながらのことではあるが、この人はここが凄い、とスクリボニウスは思う。

「とりあえず原山城まで撤退する。各地に散らばった諸侯と兵を集め、復讐の機会をうかがうのだ」

 マシニッサの戦意はまだまだ旺盛おうせいなようである。

 ならば我が主君は転んでもただでは起きぬ男だ。この難局をも乗り切るに違いないと、スクリボニウスは楽観的に考えた。


 原山城に戻ったのはそこが堅城だからだ。多少壊れてはいるが、いざとなれば篭城に使うつもりだった。とにもかくにも敵の前進を防ぎ、河東への侵入を許さぬためにも、一旦どこかで敵を支えなければならない。

 だがバアルもデウカリオも敗走する南部諸侯軍を勢いに乗って追撃することはなかった。

 このまま南部諸侯軍に立ち直る隙を与えなければ河東に侵入して王師の補給線を寸断するのは赤子の手をひねるようなものであるのにだ。

 デウカリオもバアルも良将だ。その好機をみすみす見逃すことは無いはずなのだが・・・

 いぶかしいことだとマシニッサは首をひねった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る