第261話 西域制圧

 降伏に当たってはテュエストスらに有斗も一定の配慮は見せた。

 ふもとまで押し寄せて十重二十重とえはたえと囲んでいた宿営を一里退き、河東への道を開けてやる。逃げるのなら道は塞がないという意思の現われだ。

「私はサキノーフ様と同じ天与の人たる陛下に弓引くことは、このアメイジアに生まれた人間としては許されないと思い、父を裏切ることにした。だがそれはツァヴタット公というこの新しくできたばかりの家の方針ではなく、私一人の考えだ。敵として戦ってきた王に膝を屈することに武士の一分いちぶんが立たないと思うものや、七郷にいる親兄弟と戦うことになることは耐えられないと思うものもいよう。私に構うことなくそれぞれが去就を決めよ。陛下は一両日、この城を攻めないことを約束なされた。出て行きたいものは今のうちに出て行くが良い」

 テュエストスが討ち死にを半ば覚悟していた家臣一同の前に現れそう言うと、城内は驚愕に包まれた。

 留まるもの、七郷へ帰るもの、あるいはどちらについたほうが得失が大きいか考えるもの、城内の騒ぎは翌朝、テュエストスが有斗に降伏を了承することを正式に告げるまで続いた。

 カトレウスがテュエストスのために特に選んで付けた歴戦の勇士や吏務の達人などは、ほぼ全ての者が七郷へ帰ることを希望した。残ったのはほとんどが新たに召抱えた家臣、すなわちツァヴタットの土地に縁のあるものだけだった。

 それが暗にテュエストスの器量をあらわしているのだが、テュエストスはそんなことも分からない。


 ともかくも翌日テュエストスたちは山城から麓へと降り、城の一切の鍵を捧げ持ってひざまずく。

「罪深き臣、テュエストスが陛下に降伏いたします。願わくばご寛恕を賜りたく存じます」

 頭より高く捧げ持った盆に入れられた鍵束を有斗自らが受け取った。

 普通ならばそれはおつきの者など身分低いものがやることだ。何故なら油断させておいて近づいた主将を刺し殺すだとか、主将を人質に取るなどの策謀を図るものがいるからだ。考えられない行動だった。テュエストスは驚きで目を見開く。

 さらに有斗は自らの手でテュエストスを立たせると、まるで十年来の友であるかのように気軽に話しかける。

「さあ立って立って。戦に勝敗はつきもの。敗将だからと言って遠慮することはない。だがよく味方してくれた。主君である父を裏切り、多くの友人と槍を交える決断をしたことは苦渋の決断だったと思う。俗世のしがらみを捨て、よく大義に付く決断をしてくれた。僕は君の決断に敬意を表するよ」

 ここがこの遠征の流れの分岐点の一つ、それもかなり重大な分岐点だということは有斗にも分かる。

 四師の乱におけるラヴィーニアの存在が朝臣の中に有斗を王と認める勢力を形作ったように、ウェスタの存在が河東南西部の諸侯に有斗の印象を違った形で見せたように、きっとテュエストスを厚遇することで河東東部、特にカヒ歴代の譜代の中にも処罰されないならば王に降伏してもよいという雰囲気を作ってくれることだろう。

 思いもよらない言葉にテュエストスは感動のあまり体を震わせた。

「有難い仰せ、このテュエストス感謝の念が絶えません。陛下のために身命をなげうつ覚悟です!」

 その言葉に有斗は大きく頷いて満足の意を表す。


 ツァヴタット伯としては再びウェスタが任じられることとなった。

 カトレウスのツァヴタット攻め以来、あちこちに逃げ延びていたツァヴタットの旧臣たちやその家族も次々と舞い戻ってくる。

 ウェスタも彼女に次々と挨拶をしに来る地元の民も実に嬉しそうだ。心からの笑顔に、有斗はとてもいいことをした気分になった。

 そうしているうちにたちまち五百近い兵が集まり、ウェスタの指揮下、王師に加わる。

 もちろんその錬度や兵装に重大な問題はあるので兵力として使えるかと聞かれたら、言葉を濁すしかないレベルだ。

 だがツァヴタット家が昔に戻り、王師に参加したという事実が重要なのだ。

 それで河東西部の風向きが変わった。いまいち様子見模様だったイスパルタ伯、ブルガス伯といったツァヴタット伯家に縁を持つ近隣諸侯から雪崩のように、本格的に軍に加わるとの返事が舞い込んでくる。

 今までは一部の家臣だけを王師に加勢させたり、人質を出すだけだったり、兵糧や武具の支援だけだったり、なかには口先だけで一向に味方であることを行動に示そうとしない諸侯もいた。

 つまりカトレウスに対していくらでも言い訳できるような余地を大きく残していたのだ。

 一昔前の有斗ならそのやり方を『汚い』と一言でもって断罪したであろう。だが今は違う。有斗だって彼らの苦しい立場は分かっている。

 有斗がカトレウスに勝てばいい。だが負けたら有斗に味方したことは一族の浮沈に大いに関わることになるのだ。カトレウスは有斗と違って猜疑心の強い厳罰主義者なのである。

 だから彼らは己だけでなく大勢の家臣たちとその家族の命をも預かっているということになる。いくら王の大軍が近づいたからといって簡単に裏切ったりできるはずもない。

 それに簡単にこちら側に寝返った人間は、再びこちらを裏切ることにも躊躇ためらいはないであろう。

 それを考えると直ぐに裏切るよりは、よくよく考えた末に裏切ってくれる人物であるほうが、こちらも大いに信用できようというものだ。

 時間の浪費を何よりも気にしていたはずの有斗だったが、ツァヴタットから一週間の間、動かなかった。

 それは味方すると言ってきた諸侯の兵が集まるのを待ったためであり、諸侯の動静をしっかりと確認する為である。

 こうなってもまだ兵を出さない諸侯に無言の圧力をかけたのである。

 もしそれでも有斗に合力しないというのなら有斗にも考えがあった、攻め滅ぼすまでである。それは後々のことを考えても悪い話ではない。

 やや甘い君主であると見られている有斗の味方の諸侯からの見識を正すいい機会でもあるし、味方についた河東諸侯にカトレウス側と見られる諸侯を攻めさせることで、再びカトレウスに味方することができない状況に追い込むことにもなる。

 その四万五千の兵の無言の圧力に耐え切れず、結局全ての諸侯が兵を引き連れ有斗の前にひれ伏した。

 これで目的は達成できた。後方を気にせず、前面の敵だけを相手に戦うことが出来る。

 もちろん彼らが戦場で裏切る危険性はあるが、用は彼らに裏切りを考えさせないよう優勢なまま戦を終えればいいだけの話なのである。

 幸いこれで芳野に振り向けた兵を埋める程度に兵士が集まった。それはカトレウスから万を超える兵士を削り取ったということでもある。

 そしてカトレウスが彼らに期待していたであろう、抵抗して有斗の戦力を削ることも、後方で暗躍して補給路を脅かすような動きもできなくなったということである。

 カトレウスがどう考えているかは有斗には分からないが、きっと一月や二月は芳野なり河東南西部で苦戦をしいられると見ていたに違いない。

 有斗に合わせて兵を出さなかった以上、その間に策を練り、王師の隙を突こうと考えたというのが常道だ。

 だがこうなればむしろ有斗の渡河に合わせて兵を西へと進めなかったことが裏目に出ていると感じていてもおかしくない。

 カトレウスといえども人間だ。焦れば焦るだけ付け入る隙が生まれるはずだ。

 これで更に勝利の可能性は高くなったと有斗は有斗はファルサロに先行して布陣しているステロベの軍との合流を目指し、いよいよ東北へと足を向ける。四月三日のことであった。


 ステロベの元へ送り出した使者が戻ってきた。まだ敵影は見えず、すっかり陣地を構築してしまった将士は暇を持て余しているということだった。

 このまま行けば、なんの障害もなく二つの軍は合流できる。

 有斗が一番心配していた各個撃破だけはどうやら免れそうだと分かり、ほっと胸を撫で下ろす。

「これはいい兆候かもしれない。カトレウスはどうやら持久戦法に終始してくれるようだ。ということは僕らは戦わずして七郷まで行けるということさ」

 兵力を二分していたこの間に兵を西に向けて、その片方を倒そうとしなかった以上、諸侯の救援のためとはいえ、合流して巨大になった王師に攻めかかるというのは考えにくい。

 もちろん侵攻上の諸侯には立ち向かうものもいるだろうが、カトレウスが来ないと分かっていたら、することは単純、物量で押し潰せばいい。

 それにカトレウスの後詰が無いと分かれば、諸侯たちも抵抗するのを諦めてくれるかもしれない。

「でしたら敵の狙いは我が軍に負担を強いることでしょうな。我々は補給線が長くなります」

「長く伸びきったところで寸断し、我々を退かざるを得ない状況に追い込むということ?」

「御意」

「だけれどもそれは僕らにとっても望んでいたことだ。カトレウスがその作戦を取ったことを大いに悔やむようにしてやりたいな」

 有斗はエテオクロスにそう言って笑いかける。


 四月十二日、ステロベたちが宿営するファルサロでついに有斗は合流を果たす。ここに集まった総兵力は約九万、堂々たる大軍である。

「芳野に進んだ南部諸侯たちはどうなったのかな?」

 河北南西部をウロウロしていたからか、有斗の下には報告がまったくと言っていいほど入ってきていなかった。

 ステロベたちは移動していないし、それに芳野にも近い。当然マシニッサたちの動向は入ってくるものと思われたが・・・

「陛下のところにも報告は来てないのですか?」

 そう言ってステロベは眉間にしわを刻む。ステロベのところにもまったく報告が入ってないようだ。

「となると輜重経由で情報が入ってくるのを待つしかないか・・・」

 三つに分かれていたこの遠征軍は毎日大量の食料を消費する。それを補うため輜重がフル回転で日夜補給を続けている。

 唯一彼らだけがこの遠征軍の本当の状況を知っているのだ。とはいえ、現状の状況だけでも想像は出来る。

「報告もない代わりに、後方での動きに変化はない。補給は滞りなく行われている。ということは芳野方面軍は上手くやっているのだろう。なにしろ主将はマシニッサだ。カトレウス相手に引き分けに持ち込んだこともある男だ。そして率いるは王師ほどではなくとも、強兵で名高い南部の兵だ。相手は四天王の一角らしいが、マシニッサならば相手にとって不足はない。無理な攻撃にさえ出なければ、勝利は望めなくても戦線を膠着こうちゃくさせることくらいは可能だろう」

 状況が動くとしたらあとの可能性は一つ。マシニッサが裏切った時だ。

 将軍たちやアエネアスが非常に心配しているその可能性だが、有斗はそれについては極めて楽観的だった。

 なぜならまだ有斗が勝利するか分からない状態で付いてきているのである。有斗に勝ち目があるうちは裏切らないであろう。心配するのはまだ早い。

 それに一万の兵を率いているといっても、マシニッサの命令に完全に服するのは一千三百のトゥエンクの兵だけなのである。

 マシニッサの裏切りを良しとせず、マシニッサの兵と戦ってくれる健気な南部諸侯もいるはずだ。

 有斗が河東から逃げ出す時間くらいは作ってくれるだろう。

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