第260話 無血開城

「尚書主事ゴルディアス、王のお召しにより参上いたしました」

 どちらかと言えば非友好的な王師の将軍たちの突き刺さる視線の中、その四十がらみの背の高い男は一切臆することなく泰然自若たいぜんじじゃくの構えだった。

「やあ、よく来たね。君に是非やってもらいたいことがあるんだ」

 有斗がそう言うと、ゴルディアスは優雅に腰を折る。

「なんなりとご申しつけを、陛下」

「君にテュエストスの説得工作を頼みたい」

 有斗の話す命令の難しさに、さすがに一瞬ひるんだのか戸惑いの表情を浮かべた。

「どのように説得なされよとの方針でしょうか?」

 ゴルディアスは隠し切れない困惑を顔にあらわす。さすがの秀才も方針がはっきりしなければ説得の仕様もない。

「このまま彼の篭る虎臥城とらぶせじょうを叩き潰すことは将軍たちが言うとおり不可能なことじゃないだろう。だがそれには時間が必要だ。時間が経てば、今は優勢な僕らにもどんな落とし穴が待ち受けていることやらわからない。長い対陣の間にほころびが現れて、思わぬ事態になることを僕は恐れている。だからテュエストスを説得して虎臥城を開城させて欲しい。それが出来れば僕らは時間を費やさず河東南西部の平定を成し遂げ、敵に付け入る隙を与えるまもなく、坂東へと進軍することが出来る。だから、このままでは王に敵対したカヒは滅ぼされる。歴史あるカヒの家名を残すためにも、それがよりよき道ではないかと説得して欲しいんだ」

「・・・つまり、ツァヴタットを引き渡し、王に降伏する見返りとして、彼に将来のカヒ家棟梁の地位を約束すると?」

「それくらいの褒美をちらつかせないと彼を下すのは難しいんじゃないかな?」

 例えテュエストスが有斗の想像通りの男だったとしても、子として親を裏切り、諸侯として君主を裏切り、君主として家臣を裏切ることになるのだ。テュエストスの名は汚れ、腐臭を放つことであろう。これからの人生を考えれば、大いに躊躇ためらうに違いない。

 だがそれを忘れさせる方法がある。余計なものを考えさせないほどの褒美を目の前にぶらさげて、思考を麻痺させればいいのだ。

「わかりました。陛下がそこまでお考えになってらっしゃるのでしたら、このゴルディアス、すぐにでも行って参りましょう。この舌先三寸をもってテュエストスを我が君の前に連れて参りましょう」

 ゴルディアスの返答に満足すると有斗は同行するように一人の将軍を指名した。

「ではガニメデに付いて行ってもらうとしようか」

「へ? 私が・・・ですか?」

「頼むよ。虎臥城の内部の様子やなんかをそれとなく観察してきて欲しいんだ」

 その有斗の言葉にガニメデだけでなく全ての将軍たちが納得の表情を浮かべた。

 降伏勧告は擬態で、敵城偵察が目的なのかと誤解したわけだ。

「偵察というわけですか、それならばこのガニメデ見事にその役目を果たしてまいりましょう!」

 ガニメデもご他聞にもれず、それならば働き甲斐があるとばかりに胸を叩いて自信を表す。


 二人が天幕を出た後、エテオクロスが有斗に真意を尋ねる。

「なるほど・・・本当の目的は偵察というわけですか」

 確かに降伏の使者を装えば、容易く城内に入り込むことが出来る。相手は何と言っても名族カヒの血を引く男だ。使者を殺すような無体なまねはしないであろう。諸将は納得する思いだった。

「まぁ、それはあくまで説得の使者が失敗した時のためだけどもね」

 有斗はあくまで予備の行動であることを念押しした。有斗と行動を共にしている将軍は比較的優秀で真面目なほうだ。だから王の命令なく勝手に兵を動かすようなことはないとは思うのだが、だが有斗の考えを早合点してしまい、勝手に攻撃でもされたら目も当てられない。

「でもどうして同行者をガニメデ卿に?」

 エテオクロスは有斗に訊ねた。

 別にガニメデという人選に不満があるというよりは、自分が選ばれなかったことに不満があるのだろうな、と有斗はその表情から察した。

 だがこの指名にも重大な意味がある。なんとなくガニメデを選んだわけじゃない。

「そりゃあ簡単さ。敵情視察は普通の物見とは分けが違う。兵の配置、防備の仕方、兵の状態、水や食料の有無・・・兵の日常からでも見るものが見れば得るところはいっぱいあるはずさ。だからそこに派遣するのは兵の目線ではなくて将軍の目線が必要さ」

「でしたら我々でも良かったのではないですか?」

「君たちが行ってみろ。堂々たる体躯、風貌に物腰、そして言動。どっからどう見ても一流の、それも超がつく類の一流の将軍だと誰もが分かる。そうなったら城兵に警戒されるに決まっている。偵察行動にも支障をきたすし、何よりテュエストスが僕に不信を抱きかねない。降伏しろと言っておきながら、片方では将軍を城内に送り敵情視察しようとは、好餌で釣っておいてだますのが目的か、ってね。だけどガニメデなら大丈夫。どこからどうみても気のいいおっさんにしか見えないあの姿からは、敵は一切の警戒を抱かないだろう。ガニメデがじろじろ周囲を見回しても、どこかの田舎の兵士がおのぼりさんよろしく名高い虎臥城を後日の話の種にでもするために物珍しく観賞しているんだな、くらいにしか思われないよ」

 その有斗の、まことにもって正確だが、本人が聞いたら怒り出しそうな人物評に諸将は笑いをかみ殺すのに必死だった。


「ゴルディアス殿、ゴルディアス殿!」

 せめて懐中深くに忍ばせられる武器を用意をしてから行こうとしたガニメデと違って、ゴルディアスは一人ですたすたと先に進む。

 ガニメデは慌ててその後を追いかけた。中年太りの体にはその運動は少々酷だったのか、ふうふう言って汗をかいていた。

「なんでしょうかな、ガニメデ卿」

 ようやく追いついたガニメデにもちらりと一瞬目線をくれただけで、ゴルディアスは悠然と歩き続けた。

「陛下のおっしゃったテュエストスを投降させるというのは結構な難事ですぞ。何故こんな難事、お受けなさった? 断ることもできたでしょうに」

 例えばガニメデは敵城内の情報収集だから行く価値はある。説得が首尾よく終わろうが、終わるまいが、王からお褒めの言葉をもらいこそすれ、罰せられることはないだろう。

 だがゴルディアスは違う。一度引き受けたことで、陛下に希望を抱かせただけ、不首尾に終わったときは王の落胆は大きいことだろう。王はあまり下の者を責めない性質の持ち主ではあるが、後々の出世に響くかもしれない。

 説得など上手くいくことなどないと思うガニメデには、損をする可能性が高い方策を採るゴルディアスの気が知れなかった。

「テュエストスは苦境に陥っています。周囲の諸侯が王に通じる中、孤立しています。援軍の当てもなく、王師の大軍だけが接近してくる。だがカトレウスの息子としては降伏も逃亡も許されない、と思い込んでいるはずです。そこに陛下から投降の使者が来たら・・・ぐらっとくる可能性はある。テュエストスの面子もある程度立ちます。それに・・・」

「それに・・・?」

「陛下が私を見込んで命を下されたからには、私もその全身全霊をもってそれに答えなければならない。ですから受けた・・・それだけです」

 ゴルディアスはそう優雅に笑みをこぼした。


 有斗が将軍の中からガニメデを特に選んだのに訳があるなら、官吏の中からゴルディアスを特に選らんだのにも訳がある。

 それは彼が科挙で状元じょうげんになったことに関係する。

 彼が科挙で状元じょうげんになったのは東西の法律の違いの問題についての持論を殿試で披露したからだ。それの内容が素晴らしいと、試験官たちは皆そう言う。

 確かに非難するだけではなく、対案も付随して書かれている素晴らしいものだ。

 しかし東西で違う法律が施行されていることは、あの当時、誰もが知っていた問題点だった。

 現にあの科挙ではその議題を取り上げる者が多かったという。

 ラヴィーニアの話では、そんな中にはゴルディアスよりも細緻なものや、卓越したものもあったという。

 だが誰もが殿試では彼が一番だったと声を揃えて言う。ラヴィーニアさえもだ。

 それは何故かということは、ラヴィーニアが教えてくれた。

「説得力ですね。どんなに優れたところがある案でも、それを十全に相手に伝えられなければ、欠陥ばかりが見えてただの愚案に見えてしまう。何の意味も持ちません。だがゴルディアスは違った。自身の案を言葉を尽くして説明し、聞き手を惹きつけて、誰の心の内にも寸分違わぬ彼の案を現出さしめたのです。説得力が違いました。さすがは百人の門弟を持つ賢者ってところです」

 つまり彼は何よりもその弁舌をもって科挙で主席になったということだ。

 きっとテュエストスの心に訴えるような弁舌をしてくれるに違いない。


「このままではカヒと共に滅びてしまいますぞ。ですが陛下はお味方してくだされば、カヒの跡目を必ず継がせるとおいでです。確かにカトレウスとテュエストス殿は親子です。ですがお二方の間に間隙があることは誰もが知る事実です。本家を継ぐべきお方なのに、周囲をカヒに心酔してない諸侯に囲まれ、王師との対決の最前線となる、このような場所に封じるなど、あまりにも冷たい仕打ちではありませんか! 今、陛下の前に下っても、世間の人はこれをしかたがないことだと思って許してくれることでしょう。ここはカヒの血を諸侯として後世に残す大事な節目になります。とくとお考えください」

 ゴルディアスはとつとつと事実に基づいたことだけを話した。相手の気持ちになって得失を述べた。

 人を説得するのに必要なのは詐術ではないのである。もしゴルディアスの言葉に少しでも嘘の臭いをかぎつけたなら、テュエストスはそれ以降、一切ゴルディアスを信じなかったであろう。

 ゴルディアスの真心溢れる言葉にテュエストスは結局陥落した。

 親を裏切る後ろめたさも、敵を目の前にして下るという不名誉も、ゴルディアスの言葉がしばし忘れさせたのだ。

 それにこのままではテュエストスを待つのは城を枕に討ち死にするしかない。

 やはりそうは思っても、なかなか命は捨てる決心が出来る者は少ない。生きたいという思いは彼の中にもあった。だけど死にたくないから降伏するとなどとは口が裂けても言えなかった。そのようなことをちらとでも口に出せば、テュエストスの武将としての生は終わりなのである。

 だけれども王から使者が訪れた今なら、テュエストスがおおっぴらに手を振って降伏する大義名分ができたのである。天与の人である王が腰を低くして和を請うてきたのだから、王の顔を立てねばならないなどと言い訳が出来る。

「承知いたしたと陛下にお伝えください。天与の人に逆らうことは所詮、人の身では無理なことと以前から考えていました。当城を明け渡し、お味方として参陣いたします。いかようにもお使いくだされと」

 そう言ってテュエストスが頭を下げるのを見たゴルディアスは満足そうにうなずいた。

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