第252話 勝利するか否かではなく、勝利したいのか否か。

 きっかり二日後に、ラヴィーニアが上げてきた分厚い数字だらけの計画書は、極めてスケールが大きな出兵計画であったが、同時に細緻でもあった。

 全土の物資の輸送計画、諸侯の兵の移動計画に始まって、渡河するにも敵が妨害することを想定するなど、全てのことが細かく述べられていた。

 さらには全土にある兵糧、朝廷の予算、諸侯の動因規模から弾き出される、可能な出兵プランを三つに分けて提示した。

 ひとつは王師のみで河東に渡った場合、もうひとつは諸侯の軍をも含めて、今の朝廷にできる最大の兵力でもって攻め込む場合、最後のひとつは遠征の負担を少なくするために数をしぼったうえで諸侯にそれぞれ軍役を負担させる方法。

 王師のみだと総兵力は五万三千だが、諸侯全てに招集をかけた場合はさらに五万の上積みが期待できる。だがそうすると遠征に必要な兵糧は膨大なものとなり、河東で戦える時間はもって四ヶ月といったところだ。

 空前の規模の大軍の侵攻に寝返る諸侯も出てくれはするだろうが、戦う前に全ての諸侯が寝返ってくれるかといったら、その可能性は無い。あくまでも一部の諸侯になるだろう。

 敵も大軍の侵攻に対する一番効果的な手段、すなわち篭城を使って時を稼ぐことだろう。果たして四ヶ月で七郷まで侵攻することができるだろうか。

 かといって王師だけで攻めこむのは危険である。補給路の確保、拠点の維持に兵を使わねばならないことを考えると、例え七郷盆地までの戦いで一兵も失わずにたどり着いたとしても、七郷攻略に使える兵は多くても四万といったところだろう。

 その数では七郷攻略どころか野戦でカヒに敗れる可能性すら高くなってしまう。

 そこでラヴィーニアが提示した最後の案は、関西深遠部は五掛け、関西近辺部は六掛け、河北と南部は七掛けで諸侯に出兵を要請することにした場合の策だった。

 兵糧を多く渡さなければならない上に、移動距離が長くなることで多くの負担がかかる関西などの遠方諸侯の負担を軽くすることで不満をなだめると同時に、朝廷の兵糧の消費を抑え、河東での作戦行動時間を長く伸ばすのだ。

 これで集う諸侯の兵は三万。これなら兵糧を奪われるだとか、兵糧の焼き討ちでもされない限り半年は持たしてみせるとラヴィーニアは豪語して見せた。

だがその場合は今すぐ攻め込むわけにはいかないと言う。

「今すぐに使者を出しても、諸侯が兵を集め終わり終結するのは早くても一ヵ月後です。ですが諸侯とてそれぞれの事情もあれば、我々ももっと計画の細部を煮詰めておきたいところです。できれば二ヶ月くらいは様子を見ていただきたい」

「二ヵ月から三ヶ月後・・・二月か三月を基点として半年ということか・・・。待てよ、すると八月か九月じゃないか・・・! 今年の収穫が終わっているころだね」

 有斗はそれならば、収穫したばかりの食料を続けて送ってもらえれば、さらに河東での戦いに使える期間が広がることに思い当たった。

 六ヶ月なら速戦速攻で力押しに攻め続けるしか芸は無いだろうが、十二ヶ月であるなら、ある程度の持久戦も視野に入れることが可能だ。敵に一城二城篭城戦術を取られても余裕を持って攻略できる。この違いは実に大きい。

「そう、さらに半年、いやそれ以上の兵の展開が可能になります。敵地ですから収穫間近の田畑から現地徴収も可能です。しかも敵の補給を断つことにもなるので、一石二鳥です」

 だがそれでは現地の農民たちからも食を奪うことになりかねない。現地の農民の食べる分だけ残して刈り取れなどという器用な命令は、出したとしても混乱を招くだけだし、農民の分として残したものを、篭城で飢えに苦しんでいる敵の諸侯が取り上げないわけがないのだから。

 できればそれはやりたくないな、と有斗は思った。甘いといわれることは分かっているけど。

「それは避けたほうがいいんじゃないかな。河東諸侯は敵であっても諸侯の下にいる民は敵じゃないよ。それに勝てば彼らは僕の臣民になる。その時に田畑薙ぎや青田刈りをされたと恨みに思われては、統治に困難をきたすんじゃないかな?」

 と念のため言ってみるが、

「陛下、それは甘い考えです!」と、ラヴィーニアからやはりお叱りの言葉が飛んできた。

「篭城した敵を下す最適な方法は、まず援軍を退けた後は、一に水の手を断ち、二に兵糧を断つです。城を直接攻め落城させるなど一武将にとっては大功といえども、軍を率いる大将がとる行動としては正に愚の骨頂です。敵に兵糧を渡さずにすむ方法があるなら、進んでそれを行うべきです。敵に兵糧を与えては城攻めの期間が長くなるだけです」

「だけどこちらは当初の予定より河東で戦える期間が増えた。民を敵に回すような無理をしなくてもいいんじゃないかな?」

「さらに行動できる時間が六ヶ月伸びたといっても、実質の時間はそれほど無きものとお考えください。坂東は雪が積もることもあるのですよ。一旦雪に閉ざされたらしばらくは身動きが取れなくなる。坂東が積もらなかったとしても、少なくとも越は間違いなく雪に閉ざされますから、オーギューガの兵が当てにできません。それを考えると二月の出兵には反対いたします」

「とすると出兵は三月以降ということか・・・」

「その通り。さらに言うのなら、来年の雪が降るまでに片付けておきたいということです。それに冬の間は上州なり芳野の敵方の動きはこちらで牽制しなければならない。それまでに例え七郷側まで兵を進めていたとしても、その敵に備えたうえで冬営用の陣を敷かなければなりません。もしそれを無視したまま前進を続けたなら、横に伸びた我が方の戦線が分断され、補給が途絶え、それまで行った全ての成果が無に帰すだけでなく、我が方の将兵の命すら危うくなるやも。ですから春から秋までの期間と、雪が解けて冬が終わってから春に至るまでの僅かな時間だけが攻撃に使えるものとお思いください」

「・・・そうか」

 作戦行動期間が伸びたとはいえ、それほど猶予が与えられているわけではないんだな・・・、と有斗は先行きを思い表情を曇らせた。

 だが明るい材料が無いわけではない。河を二度渡らずに済み、秋までに確保した敵地を放棄せずにすむのだから。


 退出しようとするラヴィーニアを呼び止めて、有斗は一つ質問をぶつけた。

「ラヴィーニアにひとつだけ尋ねたい」

「何なりと」

「いつものように都合が悪くなるとごまかしたり溜息をつくのもなしだよ。答えは簡潔に、僕が聞くことに、相手が王だと遠慮することなく答えて欲しいんだ」

 もっともこの朝廷でそういったことから二番目にほど遠い人物であるラヴィーニアには、その懸念は無用のものかもしれないが。もちろん言うまでも無く一番ほど遠い人間はアの付くあの赤い女だ。

 とはいえ今回の有斗の質問に答えるのはアエネアスではふさわしくない。ラヴィーニアでなければいけない。

「僕はカトレウスに勝つことができるだろうか?」

 戦争とは戦場で決着をつけるものではない。それに至るまでのもの、国力、外交、謀略、戦備でほぼ大勢は決まる。戦場でひっくり返すことができるのは、ほんの僅かな差でしかない。

 ならばその全てに携わっているラヴィーニアに尋ねたい。果たして今、有斗は有利な手札を持って戦争レイズしようとしているのかを。

 イエスかノーで返ってくると思われたその返答は、まったく想像もしなかった形で有斗にぶつけられた。

「カトレウスは未だ名前を聞くだけで敵を震え上がらせる数多くの猛将と、カトレウスの為なら死をも恐れぬ無敵の騎馬軍団を所持しております。容易なことではありますまい。ですがそれを打ち破る人間こそ、天与の人という者であるとあえて申し上げましょう。陛下はセルノア・アヴィスに誓われたのでは? 彼女の死を無駄にしないためにも天与の人になることを」

 まるでカトレウスが優勢であるかのようにラヴィーニアは返答した。

 だがそのことよりも、有斗は二つのことに驚いた。ひとつはセルノアの名前を持ち出したこと。

 しかしもうひとつのことのほうが有斗は大層驚いた。有斗の問いに答えるのに、ラヴィーニアが現状分析から弾き出した勝利の手段や可能性についてではなく、天与の人という概念を持ち出して返答をしたことに。しかもその答えはまるで無批判に有斗を信じていたセルノアの考えと同じような性質のものだったからだ。

 セルノアとラヴィーニア、まるで対照的な二人であるように見えたのに。

 有斗はラヴィーニアを無言で見つめた。ラヴィーニアはその小さな体をピンと張って有斗を見つめ返した。

 その目は有斗に『陛下は何のために、王などという似合わない職業をなされているのですか?』という根源的な問いを発していた。

「そうだ・・・そうだったね」

 勝てるか勝てないかではなく、やるのかやらないのかで考えたら答えはひとつだ。

「天与の人ならばカトレウスに勝たねばいけない。戦乱を終わらせるにはそれ以外の手段が無いのだから」

 有斗はそう固く決意する。

「前に申し上げたように、今はイスティエアの敗北で河東は揺れております。攻めるのに絶好の好機なのです。まさに今勝たなくて、いつ勝つというのですか。それに陛下にも陛下のために水火をも厭わぬ数多くの将兵がおり、戦場で後方を支える我ら官吏がおります。陛下は一人ではありませぬ。これまでも皆が全力を持って勝利のために尽力してまいりました。そして勝利してきたのです。きっと、これからもそうであるでしょう。いや、そうでありたいと皆、願っていることでしょう」

 そう言うとラヴィーニアは有斗に一礼した。

「わかった。河東へ出兵する」


 その日、朝会はぴりりとした緊張感で覆われていた。

 なぜならもう百官全てが知っているのだ。王が中書令に命じて出兵の計画書を作らせたことを。

 それもそのはずだ。関係省庁に中書から発せられた質問状は全て軍の、それも長期遠征を念頭に置いた軍事のものだったのだから。

 そして王師の将軍は朝会に参加する権限がある。だが宰相位を持つエテオクロスとリュケネは別として、他の将軍が参加することは稀だ。しかし今日に限って全王師の将軍が勢揃いしている。あのザラルセンまでもがだ。どれだけ察しが悪い官吏であろうとも気付かないほうがおかしい。

「中書令、計画を述べよ」

「はい」

 ラヴィーニアは一礼し前に出ると自分の立てた作戦を大まかに説明し始めた。

「イスティエアでの戦いでカヒは大きく傷つき、動揺しております。これに付け込んで、カヒが力を取り戻す前に決着をつけるべきだとのご意見を陛下から頂き、各部署との調整の結果、作戦を立案いたしました」

 本当はどっちかというとラヴィーニアがそれを主張してたんだけれども、そこは王である有斗を立てて有斗発案ということにしたのであろう。

「よくやった。では細部を述べよ」

「はい。河東は東西に長く、坂東までの道は遠い。諸侯の城が連なり、王師の行く手を阻むことが考えられます。となると王師だけでは兵数に不足いたしますので、諸侯にその所領の大小に合わせて軍役を課すことを提案いたします」

「して中書令殿、どのくらいの動員規模を予定しておられるのですかな?」

 自由に使える予算の最大量を聞かれ提出しただけで、この作戦の全体像を把握していない節部尚書(大蔵省のトップ)が、不安な面持ちで尋ねる。

 何故なら、どうもこの王と中書令はいつも予算をある限り最後の一滴まで絞りきって使ってしまうので、その後始末に追われるかれら節部の官吏は胃が痛い毎日を送っていたのだった。

「王師五万三千、諸侯三万、合計八万三千の兵を持って河東へと侵攻いたします」

 ラヴィーニアの口から放たれたその数に一同が騒然とした。

 それはイスティエアで王が指揮した兵数よりも、イスティエアでカヒが率いた兵数よりもやや多い。それを考えると一見、問題がなさそうな数字に見える。

 だが王師はあくまで畿内というホームで戦ったから動員が可能だった兵数だ。敵地に攻め込むのとはわけが違う。

 そしてカヒの兵は現地での略奪で調達することを主力とすることで可能になった動員兵力に過ぎない。別に王師のような強力な補給体制を整える必要がなかったから、できただけの話である。

 だが王師ともならばそうはいかない。王に正義があることを示すためにも、王師の兵に現地で略奪などさせるわけにはいかないのだ。

 だからそれは、その数を動員することより、その数を支える後方支援体制が整えられるのかという不安と驚きである。

「さらには傭兵、オーギューガの兵、そして河東内にて内応を約束している諸侯の兵を合わせれば九万を超え、場合によっては十万に達する可能性もあります」

 もちろんこれは誇大に見積もった数字である。いつの世でも実数を発表する馬鹿はいない。

 朝廷と言う公の場で発言された内容は河東に伝わるに違いないのだ。多く言うのにこしたことはない。

 だがその数字は大河の向こうの諸侯だけでなく、朝廷の官吏にも与えた影響は大きかった。

「それだけの兵を運用するのは近年には前例がない! 果たして可能かどうか・・・」

 という否定的な意見もやや見られたが、

「だが不可能な数ではない。それに、その数を持ってすれば諸侯は怯え、戦わずして降伏し、カヒなどあっという間に片付けられるのではないか」

「カヒは河東全域に号令をかければ七万とも称する大族だが、所詮は諸侯の集合体。負けそうだと分かれば多くの諸侯は離反するであろうよ」

「それにイスティエアで一万近い歴戦の武人や兵士を失った。この損失は手痛いはずだ」

「おそらく緒戦で勝ちを拾えば、そのまま勢いで決着すること間違いなしだ!」

 と、大勢は肯定的な言葉だった。

 イスティエアの勝利が、それまで朝廷に蔓延していたカトレウスに対する恐怖心をすっかり払拭ふっしょくしたのだ。

 その様子を見て有斗は満足げに頷いた。これで後顧に憂いは無い。

「して河東に渡るのはいつ頃になる予定ですかな?」

 亜相の一人がラヴィーニアに尋ねる。

「今から諸侯に書状を送っても、兵の集合に時間を要します。河東に渡るのは一ヵ月半後となるでしょう」

 それまではどうやら仕事に忙殺される日々を送ることになりそうだ、と官吏たちは緊張した面持ちで顔を引き締めた。

 だが同時に、王と共に大業をいよいよ成す時が来たのだという高揚した思いでも心中は満たされていた。戦国の世を終わらす偉業の端に自身が携わっているという誇りと感動だった。

 その誇りに満ち溢れた官吏たちの顔を有斗は見回して宣言する。

「もちろん僕も河東に渡る。親征だ。政務はその間、諸君らに頼むことになる。諸君らも己が職分にしたがって責務を全うして欲しい。これは戦国の世を終わらせるための戦いだ。これに勝利しなければ戦国の世は終わらない。そのことをよく考えて欲しい。今こそ我利に囚われず、公の心を持って働くべきときである。皆、不退転の決意で取り組んでもらいたい」

 有斗はそう訓示を垂れると、官吏らは一斉に拝跪した。

「承知しました、陛下」

 その声は朝堂院に重なり合って、力強く鳴り響いた。

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