第253話 深夜の来襲

「・・・陛下、陛下・・・」

 どこかで有斗を呼ぶ声が聞こえる。どうやら誰かが眠っている有斗を呼んでいるようだ。

 夕べも遅くまで執務を取っていたからなぁ・・・と有斗は覚めきれぬ頭でぼんやりとそう考えた。

 プライベートの時間を作るためにこの部屋に入ることは原則として禁じている。何かあったら大変なためにアリスディアだけは入ることを許可しているが。

 しかしアリスディアはあの通り大人しく、有斗を大変重んじてくれているため、めったに入っては来ない。

 勝手に入ってくる存在としてはアエネアスがいるけど、アエネアスなら声をかけるよりも先に手を動かすほうが早いだろう。

 ということはこの声はやはりアリスディアなのであろう。

「ごめんアリスディア・・・今日はもう少し寝かせて」

 目の隙間から光は入ってこない。外はまだ暗いということだ。

 それにしても今日は一段と眠い。五分でも十分でも・・・いや、一分でいいから二度寝させて・・・朝会に間に合うか間に合わないかのぎりぎりまで眠らして欲しい。

 とパシーンと耳元で小気味よい音がすると同時に、両頬に何かが触れる感触があった。

 これは・・・たぶんほほを手で叩いた音だ。

 だけど赤ちゃんをあやすような優しいタッチだ。アエネアスならビンタなみの力が加わるが、そこは優しく起こそうとしているのだろう。

「陛下、起きてください。陛下ってば!」

 ・・・おかしい。こんなに甘ったるいかんじで話すなんて、普段のアリスディアにはありえないぞ。

 それにどこかいつもの優しいアリスディアの声と違う。ひょっとしてまた夢か・・・?

 今度こそアエネアスのお尻を掴んだりしないように気をつけねば、と有斗が夢現ゆめうつつに考えていると、もう一度頬を叩く音が耳元で響いた。どうやら有斗がこれ以上寝るのは許されないらしい。有斗はしぶしぶ重いまぶたを意志の力でこじ開けた。

 有斗の目の前には女性の顔があった。

 そして総合格闘技のマウントポジションよろしく、寝具の上に横になっている有斗の体にまたがって見下ろしていた。

「・・・・・・」

 そんな無礼な格好をするのはアエネアスだろうかと思ったが、それはアエネアスではなかった。

 であるならアリスディアかとも思ったが、アリスディアがこんな無礼を働くはずがない。そして顔を見てもやはりアリスディアではない。

 ていうか誰だよ、こいつ! 近侍の女官にもこんな顔いなかったぞ!?

 となると・・・誰だよいったい・・・・・・!? 目の前の女性がその二人でなかったことに有斗はちょっとした恐慌状態に陥ってしまった。

 ちょっと怖いんですけど・・・幽霊とかじゃないですよね?

 有斗の上に乗っているその女性がとりあえず害意を見せないのと、美人であることだけが僅かな救いといえるような状態だった。

 もちろん夜中に起きたら、見知らぬ人間に馬乗りになられているというのは、幽霊じゃなくっても相当恐ろしいことではあるが。

「・・・・・・陛下?」

 有斗が目を開けて起きたことを確認すると、その少女は有斗にしなだれかかり、そっと目を閉じて唇を突き出した。

「うわわわわわ!!!!」

 有斗は完全に混乱状態に陥ると、彼女を突き飛ばすようにしてマウントポジションを解除し、慌てて寝具から立ち上がった。

「何? いったい何!? 何でこんなことになっているんだ!?」

 怯える有斗に肌も露に下着姿の少女は布団の上にちょこんと座ると一礼する。

「お静かに、陛下、わたしです。ウェスタです。陛下にお救いいただいたツァヴタット伯の」

「ウェスタ・・・ツァヴタット伯の・・・?」

 そう言えばその顔は朝議で見た、ツァヴタット伯ウェスタの顔だった。

 だけどあの時感じた、いくぶん尖った険がある表情は消え、顔には年相応の若い女性が持つ輝きで満ち溢れていた。

 だが何故ここに!?

 諸侯が朝議の為に内裏に入るには許可が要る。当然、後宮には諸侯など入れないし、ましてや有斗の部屋、それも寝室に入るなどもっての外だ。しかも時間が時間である。

 どうやって後宮に入ったのか、どうして有斗の寝室に忍び込んだのか、何故こんな夜も深い時間なのか、そして有斗にいったい何の用があるのか。疑問だらけである。

 とりあえず全ての意味を一語に凝縮してウェスタにぶつけ、質問した。

「・・・こんな時間に君は何故ここにいるの?」

「陛下、夜中に男女が相手の部屋を訪れる理由など一つしか考えられないとは思いませんか?」

 その有斗にウェスタはさもそれが当然であるかのように言い切った。

「夜這いです」

「なぜ!?」

 いや、嬉しいか嬉しくないかといったら嬉しいけどさ。物事には順序ってものもあるし、有斗の都合もある。そもそも、もうちょっとフラグを建てた後にあるイベントだろ、それ。会って間もないのにいきなりそのイベントがあるなんてゲームでもないだろ。もしあるとすればそれはクソゲーというジャンルに分類されるべきゲームだ。

 それに何もこんな疲れている時に来なくてもいいではないか。

「何故と申されましても・・・陛下はわたしを受け入れてくださいました」

「受け入れた・・・?」

 有斗はその覚えがまったく無く、首をしきりに捻る。

「申したではありませんか。今のわたしには、陛下に提供できるものはこのわたししかない、と。ですからお約束いたした通りにわたしの全てを差し上げるために参上したしだいです」

「あれって、そういう意味だったの!?」

 あれはもはや自分の身一つしかなくなったということを端的に現していただけだと思っていた。

 ていうか前後で、ツァヴタット伯家の兵力うんぬん言ってたんだから、普通に考えればそれが当然だと思うんだけど。

「陛下は以前姦計を用い、謀殺に加わったわたしをツァヴタット伯として迎え入れてくださった。その厚恩は山よりも高く、海よりも深い。身も心も陛下に捧げねばわたしの気がすまない」

 そういうと有斗の方へにじり寄ってくる。官服を着ていたから分からなかったが、意外とグラマラスなスタイル、彼女は脱いだら凄いんです系だった。

 その大きなものをたゆんたゆんと見せ付けるように揺らしながら、上気した頬で近づいてくる。

 あやうくその誘惑によろめいて押し倒しそうになったが、辛うじて踏みとどまった。

「それに・・・そう、そうだよ! 子供ができたら大変じゃないか!」

 避妊具とか無いのだから、当然その結果を考えておかねばならない、と有斗は常識的なことから攻め始める。

「大丈夫です。陛下の子とあらば光栄に存じます」

 きっぱりとそう言い切るウェスタにうろたえ、有斗はなんとか説得しようと奮闘を続ける。

「いやいや、そういうわけにはいかないでしょ?」

「あ・・・わたしとの関係を公にしたくないということですか・・・」

 有斗が拒否する理由を違う意味に捕らえて、ウェスタは肩を落とし落胆の色を見せた。

 そうそう、だからここで諦めてくれないかななどと、有斗はこの情景を都合よく考えたが、ウェスタは直ぐに気を取り直すと、再び猛攻を開始する。

「だいじょうぶ。陛下の子とは決して口外いたしませぬし、生まれた子はツァヴタット伯家の跡取りとして責任を持って育てますので、どうかご安心を!」

「そういう問題でもなくってね・・・」

 有斗がどう説得したものかと頭をかいて考えるが、いい考えが浮かばない。

 目の前でたゆんと胸が揺れ、有斗を誘惑し続ける。

 有斗はその躍動する柔らかで大きな胸に心を揺り動かされることなく、少し立ち止まって、冷静に考えようとした自分を褒めてやりたいと後々思った。

 もしここで有斗が誘惑に負け、ウェスタを寝具の上に押し倒しでもしたりしていたら、その目的は明らかだ。弁解の余地は無い。次の瞬間に起きたことと相まって、とんでもないことになったことであろう。

 なぜなら次の瞬間、扉が勢いよく開くと、廊下に控えていた衛兵四人、女官二人が一斉に有斗の寝所に闖入ちんにゅうしてきたのだ。

 ちなみに以前より衛兵も女官も増えているのは、増員しているからだ。それだけ朝廷に余裕ができ、うまくいっているという証拠だろう。

 だが今、問題にすべきなのはそこではない。

「陛下!? 先ほどのお声はいかがしました!?」

 当然彼らはこの部屋で今繰り広げられているこの情景を目撃することになる。

 寝ていたはずなのに起きている王、寝具の上に肌もあらわな半裸な女性と来れば、そこで繰り広げられていたことを想像し絶句するしかない。

「あ・・・」

 唯一の救いは先ほど述べたようにウェスタを押し倒してないことだ。そうなればさすがに言い訳が通じる状態じゃない。

 有斗の寝室に入室許可の無い彼らだったが、有斗の叫び声にさすがに緊急事態と見たのか、アリスディアを呼びに行くよりも、後でお叱りをこうむろうが、扉を開けて有斗の無事を確認しようということになったらしい。

「も、申し訳ありません! お楽しみだとは知らず、どんな緊急事態かと思い入室してしまいました!」

 衛兵も女官も平謝りだ。有斗は彼らの見識違いを必死に正そうとする。

「ち、違う! 違うからね! 彼女が勝手に入ってきただけだからね!! それで最初は誰だか分からず、思わず叫び声を上げてしまったというわけさ!」

 だが有斗が必死になって無実を訴えようとすればするほど、疑いが増すらしい。

「はぁ・・・」とか口に出す言葉ですら信じていない様子がありありと見て取れた。

「さわがしいですわね、いったい何事ですか」

 騒がしさに起きてしまったのか、奥の殿舎から寝巻きに厚手の外套がいとうを羽織っただけのセルウィリアが欠伸あくびをしながらやってきた。

 と、有斗の部屋の中に見慣れぬ女が、それも下着姿の少女がいることを見つけ、驚いて大きく息をのむ。

「あなた! いったい誰ですか! 何故、陛下のお部屋でそのような淫らな格好をしているのですか!?」

 ウェスタはセルウィリアのことを知らないので、一女官ででもあろうと思い、鋭い視線を返す。

「淫らとは失礼な人ですね。わたしはただ単に陛下に夜這いをかけただけです」

「よ・・・よば・・・」

 厳しく上品にしつけられたセルウィリアはそれ以上その言葉を言うことができなかった。とはいえ言葉の意味は十分に分かっているのか、顔は真っ赤になっていたが。

 と突然、今度は有斗の方に振り向くと、攻撃の矛先を有斗に向ける。

「陛下! これはどういうことですの!? 夜這いなどと言う破廉恥な所業、まさか陛下はお許しに!? 場合によってはわたくしにも思うところがありましてよ?」

 と、まるで怒ることが当然であるかのように、有斗を脅すように詰め寄った。

「ないない! 許してないから、今こういった状況になっているわけで!」

 有斗は言葉を尽くして、言い訳を何度も繰り返す。

「・・・なら、よろしいですけれど」

 と、十分後に引き下がったことで有斗はようやくそっと安堵の息を漏らした。

 早いところなんとかして寝ないと明日は仕事どころじゃないぞ、と有斗は事態の収拾を図った。

 まずはウェスタの格好からだ。このままでは実に目の保養にな・・・いやいや、目の毒だ。特に夜間の警護に付く衛兵は若くて独身の者を充てる決まりなんだし、いつまでもこのままというわけにはいかないだろう。

「とにかくこの子に着るものを。その上で鴻臚館こうろかんまで帰ってもらって」と衛兵に命じた。

 だけど大内裏内にあるとはいえ、鴻臚館から内裏の清涼殿までは距離もあれば、塀で仕切られているし、衛兵も巡回しているはず。どうやって入ったんだ?

 侵入したのがこの子だから良かったけど、刺客とかだったら大変なことになるところだった。

 これは明日、アエネアスとじっくり話し合わないといけない案件だぞ・・・、と有斗は思った。

 とはあれ、これで騒ぎは収まり、それぞれがそれぞれの場所に戻って行く。


 セルウィリアもウェスタが衛兵に連れられて有斗の寝室から立ち退くのを確認すると、ようやく自室に引き取った。

 だが部屋に戻っても直ぐには寝ず、セルウィリアはしばらく一人で椅子に座って考え込んだ。

「・・・その手がありましたか」

 やがてそう呟くと、一人で大きく頷いた。

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