第251話 出兵計画

 ラヴィーニアが仕掛けた情報戦にカトレウスのみならず河東の諸侯はすっかり振り回されていた。

 王から来る書状では多くの諸侯が内応していることを言外に匂わせていた。

 それははったりブラフだろうとは思ってはいても、心の奥底ではそれが真実ではないかと疑う声もある。なぜならカトレウスがツアヴタット伯を誅したからだ。

 そのことで、諸侯はカトレウスの狙い通り、恐怖に怯え萎縮した。迂闊うかつに王と接触を取ろうものならば大事になりかねない、と。

 だが同時に諸侯はそこにカトレウスの焦りも見て取った。一罰百戒の意味があるにしても、あの程度の疑いで河東西部の有力諸侯を滅ぼさねばならないほど、カトレウスが追い込まれているのではないかと諸侯の目には映ったのである。

 本当に王は河東の中にいくつものくさびを打ち込んでいるのではないかとさえ考えていた。

 それにそれがもし本当であった時のことを考えておくべきだ。その時は河東に攻め入った王は今度こそカヒに勝利する可能性が高い。

 周囲の諸侯が裏切る中、自分はカヒ家と最後まで共に行動し、心中してもいいのかと自問自答する。カヒの譜代衆や一門衆ならいざしらず、そんな義理がたい諸侯がこの戦国乱世の世にいるわけがなかった。

 もしそうであるならば、このまま王と敵対するのはよい選択肢とは言えないのだ。

 ならば今すぐ裏切る裏切らないかは別問題として、将来のために王と渡りをつけておくのは悪いことではないと考えてもおかしくはない。


 というわけでこの間、王都と河東の間では書簡の往復が忙しかった。

 諸侯から王への文面にはきな臭い文面があることは稀だったが、よく見ると王と接触を保っておきたいという諸侯の心理がありありと見て取れた。

 以前とは違い、寝返りを拒否するにしても丁重に断りを入れてくることが多くなった。

 今はそれで十分である。

 それにラヴィーニアのねばりは一定の効果をもたらした。

 河東に新たな領土をさらに加えるならという条件で、諸侯のうちから三人ばかり内諾を得ただけでなく、ついに大魚を釣り上げたのである。

 ガリエヌス、東カヒ家と称されるカヒの名を冠する四つの分家のひとつの主、母親はカトレウスの大叔母、妻はカトレウスの腹違いの妹を娶っているという一門衆きっての超大物である。

 もっとも心は揺れ動いているのか、快い応諾の書簡を得たと思ったら、次の書簡ではまた逡巡しゅんじゅんを見せたりして一向に話は進みはしなかったが。

 自分がカヒの血を引く一門衆であるというしがらみ、同僚や血族といった深く張り巡らされた人間関係の糸を断ち切るのは容易ではないのだろう。心はいまだカヒにあるのだ。情を考えるとしかたがないかもしれない。

 だが、これでカトレウスは棺桶に足を片方踏み込んだも同然だ、とラヴィーニアは見た。

 裏切るか裏切らないかということも重要だが、それよりも裏切るそぶりを見せたということがもっとも重大なのである。

 戦国の世で諸侯が配下に対してよって立つにはなんらかの権威が必要である。特に王という巨大な権威と戦うと決めたカトレウスならなおさら権威を誇示しなければならない。

 この場合の権威はサキノーフ様降臨以前から続く名家ということと、常勝無敗を誇るその実力ということになる。

 だがイスティエアの戦いでそれは大きく揺らいだ。上州の反乱を抑えたことでそれは一定の回復を見せたかに思える。だがそれは表面上のことだったということだ。こうして諸侯だけでなく、一門衆からも離脱する動きを見せているのだから。

 戦国の申し子だか河東の覇者だかなんだか知らないが、近い血族一人押さえきれないようであるなら、もう末期症状といっていいだろう。

 河東の諸侯の間に、カトレウスに対する不信と懐疑があると確認できたのなら、あとはもう一押しだ。

 もう一押しすれば河東に存在するカトレウスの帝国は砂上の楼閣となって崩れ落ちるのである。

 問題はその一押しが何によって得られるかということではあるのだが。


 五日ぶりにザラルセンは王都郊外の駐屯所に顔を出す。本来ならば毎日出なければならないのだが、ザラルセンは極めてサボりがちだ。もっとも部下のほうもちょくちょく顔の見えない者がいるくらい、ザラルセン隊の綱紀は緩みきっている。

 駐屯所内の練兵場に来たザラルセンは、そこでガニメデが一風変わった行動をしているのに興味を覚え、声をかけた。

「よお、おっさん。楽しそうなことしてるな。何してるんだ?」

 壇に登ったガニメデと副官が兵の前で、それぞれ違う色の旗を振ったり上げたりしていたのだ。

 腹の突き出たガニメデが汗を流しながらも切れのいい動きで、軽快に旗を上げ下げする仕草はユーモラスで、ザラルセンには新手の宴会芸にでも見えたのだ。

「ああ・・・ザラルセン卿。お久しぶりですな」

 声をかけたきた相手を見て、ガニメデは旗を上げるのを中止し、笑みを浮かべる。

 本当は一番興が乗ってきたところだったのでやめたくは無かった。

 だがさすがにザラルセンも王師の誇る将軍の一人であるからには敬意を払わなければならない、というのがガニメデの考えだ。無視するわけにはいかない。

 もっとも反対にザラルセンからは敬意の欠片でも返ってくることは一度としてなかったが。

「こうやって旗と鼓を組み合わせることによって、あらかじめ幾通りかの行動を兵に覚えこませることで戦場で役に立てようと思っていたのです」

「ほう! それはどうやってだ?」

 興味を覚えたのかザラルセンはガニメデの言葉に食いついた。

 ザラルセンは意外と戦闘においてはマメな男で、しょっちゅう馬上弓の改造やら鎧の改造などを考案するのが得意だった。実際に有効なものは一割にも満たなかったけれども。

「例えば」

 と言ってガニメデは進軍の鼓を鳴らさせながら、右手に赤い旗を真っ直ぐ上に上げ、左手に白旗を持って横に開いた。

 すると練兵場に展開していたガニメデ隊の右翼が斜め前方へと滑るように移動した。

 ガニメデが旗を降ろすとたちまち停止する。

「赤旗が右翼、鼓は前進の合図で、白旗が開いている方向に移動というわけです」

「だがちょっと動きがおかしくなかったか? 最初一、二歩戸惑って歩みが送れた者がいたぞ。敵前であんな動きをしたのでは敵に付け込まれ、戦列を寸断しかねない」

「それが問題でしてな。まだまだ訓練中です」

 ガニメデはそう言って笑った。


 ラヴィーニアは中書令としての通常業務を行いながら、河東への工作活動をも進めていた。

 深夜遅くまで中書省からは明かりが消えない。

 いったいいつ寝ているのだろうと有斗なども心配になるくらいだった。

「あまり無茶をしちゃいけない。ラヴィーニアは朝廷にとって要となる中書令なんだから」

 と、有斗は働きすぎに苦言を呈す。アリアボネの時のように気付いたら手遅れになってしまっては困るのだ。

 だが親切心を見せる有斗をラヴィーニアはまるで愚者を眺めるような目で見上げた。

「陛下。イスティエアの勝利にカヒも河東諸侯も動揺しているのです。この好機を逃してはなりません。今こそ陛下にとっては正念場です。何故なら戦力ではまだ両者に決定的な差は無い。ここでカヒに立ち直りを許してしまっては、この先の展開はこのあたしにも読めません。ここで踏ん張るかどうかは最終的な勝敗にきっと直結します」

「でも倒れられても困るし・・・」

 そう有斗に言われると、ラヴィーニアは感謝を表すためか一礼をし、

「陛下、我々官吏は例え敗れても命はなくなりません。カトレウスだって有能な官吏は欲しいでしょうからね。ですが陛下は違います。後顧の憂いを無くすためにも、自身が王である正当性を示すためにも陛下の命を奪うことでしょう。首を切られる段になってから無茶をしたって間に合わないのです。今この時、無茶をしないでいつするんですか?」

 と、今、無茶をしなければならない理由を説いた。

「そうか、確かにそうだね」

 有斗が天下を手中にするには、カトレウスは倒さねばならない相手。

 今の好機を逃せば、また大河を挟んでの睨み合いが始まるだろう。そうなってはカヒを倒すのはいつになることやらわからない。

 ならば今のこの好機を逃さぬためにも多少の無茶は承知で、全身全霊を持ってことに当たるべきだ。

 しかしラヴィーニアも意外に僕のことも考えてくれてはいるんだな、と有斗は嬉しかった。

 なるほど、有斗にとっては今このとき無茶をする理由はあるけれども、ラヴィーニアには無いのだから。


「とすると僕も無茶をしなければならないということか。つまりこの冬にでも僕らは河東へ攻め込むべきかな?」

「陛下がそうお考えなら」

 と、ラヴィーニアはその考えを間違った考え方であるとは否定しなかった。

「僕らは韮山と堅田城で兵を失い、カヒはイスティエアで兵を失った。その面においては双方五分と考えてもいい。ならば・・・諸侯の動揺が続いているうちに攻め込んだほうが、こちらには有利だということだ。それにいくつか諸侯の内応にも成功したんだよね?」

「御意」

「だとしたら出兵をためらう理由は無いね。むしろ急がなければならないかもしれない。イスティエアの記憶は時と共に薄れる。内応に応じた諸侯も時が経てば、元の忠実なカヒの臣下に戻ってしまうことだって考えられるからね。河東に攻め込むからには必ず勝利を手にしたい。だがカヒは大敵、勝つ為には今の朝廷の全戦力を投入すべきだ。諸侯にも召集をかけたい。だとすると問題は兵糧だ。前例の無い大規模な輸送計画になるけれども・・・」

 さすがに諸侯に手弁当で集まってくれとは言えない。

 とすると諸侯の領土から兵が離れた時点から、集合場所まで移動する間、毎日食料を供給しなければならない。

 当然彼らは街道を東へと移動して行くことになる。どこで何日分の食料を渡すだとかをきめ細かく設定しなければならないだろう。街道沿いの倉庫に十分な量、確保されているとはとても思えないので、王領の穀物倉庫から、街道沿いの倉庫までの兵糧輸送計画も立てねばならない。万が一、供給が滞って、空腹のあまり街道沿いの畑でも荒らされては王としての有斗の面子が立たない。

 これは朝廷の力が試される総力戦になりそうだった。

 問題はそれだけでなく、さらには河東に渡った後も兵糧を送らなければならないこともある。

 そして今年は豊作だとはいえ、去年までの分はすっかり使い尽くされていた。

 だから河東渡河後、何日分の兵糧があるか計算もしないといけない。それによって戦い方も考えなければならないのだから。

 ざっと問題点を挙げただけでもこれだけある。さすがにラヴィーニアでも難しいかと思い、言葉を濁したのだったが、

「二日の猶予をください。やってみせます」と、ラヴィーニアはきっぱりと言い切った。

 ラヴィーニアがそう言ったのだ。有斗はそれでもう全てが解決したような気になっていた。

 おそらく諸侯の移動計画や、兵糧の補給計画を、有斗には空想もできない緻密さで完成させてくるに違いない。

「諸侯に召集をかけるにしてもその計画書ができてからだな・・・その前に朝議も通しておかないといけないから少なくとも一月は様子を見たほうがいいかな・・・」

 有斗が段取りを考えていると、

「陛下、それとオーギューガに使者を使わすのをお忘れなく。彼らの戦力は得がたい味方となりましょう。例え合流せずとも、上州か芳野のどちらかにでも出兵し牽制してもらえると、我々としては戦う敵が少なくなり非常に有利です」と、ラヴィーニアが横から提言した。

「ああ、そうだね。それも忘れてはならないことだね」

 オーギューガが動いたとすれば、上州なり芳野なりに押さえの兵としてそれなりの数の兵を残しておかねばならないだろう。

 有斗が以前そうだったように、カトレウスは複数の方面の対策に追われ、有斗の遠征軍に全軍で当たることができないに違いない。

 今度はこちらが包囲網を敷く番ということだ。

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