第249話 逃れ来た者

 まもなく秋が始まろうとしていた。

 今年は夏の嵐も無く、関西では例年に増しての豊作だという喜ばしい知らせも届いた。

 とはいえ未だ畿内と河北の元難民に与えた田畑は、まだまだ一年を食いつなぐだけの十分な作物を実らせず、そちらへの援助を今年も行わなければならないだろうとラヴィーニアから報告が上がってきて、有斗に溜息をつかせた。

 だが青苗法、屯田法、農田水利法に基づいて援助が行われていることもあり、彼らが耕地を投げ捨てて再び流民になることは無い。今年の少ない収穫に顔を曇らせる元流民も、一年先輩であるだけで同じ元流民の田畑の豊かな実りを見れば希望が湧く。

 有斗は酷吏を取り締まり、不法を罰し、争いを禁じる。治安は年単位、いや月単位で改善されていた。

 全体としてみると国として良いほうに前進していることをうかがわせているだけに民の顔は明るい。

「というわけで万民は陛下の恩徳を慕い、感謝を捧げております」

 とある朝会で百官一同が口を揃えて有斗を褒め称えた。

 それは本当のことだろうか慰めなのだろうか、王宮深くに缶詰され王都以外の民衆の一般の暮らしを見ることができない有斗には判断する材料が無い。

 だがたぶん本当なのであろう。何故ならラヴィーニアがそう言っているから、である。

 ラヴィーニアは言ってしまえば有斗にとって望ましい臣下ではない。

 命じてもそれがラヴィーニアの意向と違えば、文句をぶつぶつ言ってなかなか実行しないこともある。かと思えば命じたことを、現実とすり合わせて少し変質させて実行することもある。結果として有斗が望んだ方向になるのだから、それでいいではないかということらしい。

 最終的には有斗の意向を踏んで行動してくれるのだから、文句を言うのも筋違いな気も少しはするのだが、だが命じたことを完璧に実行し、それだけでなく有斗の意向を確認した上で提言してくれるアリスディアがいる分、ラヴィーニアのその行動は王である有斗をややもすれば尊重しない行動に思えて、腹が立つこともないわけではない。そこはぐっと我慢はするけれども。

 つまりラヴィーニアは絶対君主であるはずの有斗にまったく遠慮をしない。

 だからラヴィーニアが言っているのならば、それは阿諛追従あゆついしょうではないと逆説的に言えるのである。

 それにアリアボネが自分の後事を託すに足る人物であるとラヴィーニアを指名したのだ。アリアボネが信じたラヴィーニアを有斗も信じたい、だから信じる。

 ともかくも戦も無ければ天候不順も無い、無事収穫の秋を迎えられると民は喜びに沸き立っていた。

 だが民だけでなく、何故か王都の官吏も将軍もそわそわと落ち着かない。

 去年、河東に攻め込めなかったのはひとえに国に経戦能力が無かったからだと考えていた人々だった。

 もしあのまま河東へ攻め込むだけの余裕が王師にあればカヒを攻め滅ぼせたのにと悔しがっていたのだ。実際は薄氷の上の勝利で、余力など微塵もなかったのだが。

 だが一年の準備期間を置いて、将士の怪我も癒え、新兵はひたすら鍛錬し、武具を揃え、王師は今やいつでも出陣できる態勢を整えていた。

 そうなれば後は空になった各地の倉庫が再び米で満たされるのを待つだけである。

 今年の秋が不作であればさらに一年出兵を延期させることも考えられたが、今年は関西で豊作、これで後顧の憂いは無くなったと考える者が多かった。

 気の早い官吏はもうカトレウス亡き後の河東の枠組みをどうするか考え始めてさえいた。

 いや、もっと先走った考えをする者もいる。久々にアメイジアに現れた統一王朝という巨大権力組織だ。官吏ならだれもがそこで権力を得て、栄華を掴みたい。ならば宮廷を構成するのはどういった派閥か、だれがどう力を握り、だれに力を貸せば自身はより栄達できるのか、自らが果たす役割を考え始め、宮廷工作に精を励むこととなる。


 そんなどこか浮かれ立つような空気の王都の東の外郭に、薄汚れた着物の一団が足を踏み入れようとしていた。

 一見すると難民。ぼろぼろの衣服を重ね、顔も何日も洗顔してなく、手に持っているのも破れた服だとか壊れた鍋だとかおよそ金になりそうにないものばかり。

 最近少なくなってきているが流民、東北あたりの食い詰めた農民が流れてきたのかもしれないなというのが、王都の門で金吾の兵が彼らを見た第一印象であった。

 だが金吾の兵は目聡く見つけた、手に持つぼろや簀巻きに撒いて武器を隠し持っていることを。

 こんな時代だ。傭兵であっても誰何すいかはし、目的を聞き、身元を調べるくらいはするが、人数が多くなければ王都に入るのを止めやしない。傭兵ならば仕事を探し、またアメイジアを行き来する途中で王都に寄ることも少なくは無いのだ。せいぜい酒場で暴れるくらいだ。大した問題も無い。

 だが身なりは浮浪者、しかし油断無く周囲を探るその目つき、金吾の兵が近づいたときに見せたその避け方、さらには武器の所持、何か特別な目的を持って王都に来たことは明らかだ。職務として見逃すわけにはいかない。

「止まれ、何用だ」

 声をかけると男たちは顔を見合わせた。そして何事か真ん中の小柄な男の耳に耳打ちする。

 敵意があるならすぐに襲い掛かってくるはずだが、その様子は見られなかった。その金吾も少しだけほっとする。実は剣の腕前にあまり自信が無かったのだ。

 おそらくその集団のリーダーなのであろう、小柄な男が口を開いた。

「金吾のかたとお見受けする」

 声は甲高く、まるで女性の声のようだった。いや違う、それは男装した少女だったのだ。

 といっても臭く小汚く、女であろうがあるまいがあまり近づきたくない姿だったが。

「そうだ」

 そう返事をすると、とほうもない言葉がその少女の口から飛び出した。

「陛下にお目にかかりたい」

「・・・陛下はお忙しい。浮浪者ごときにお会いになる時間はない。帰った帰った」

 金吾の兵にしてみれば馬鹿も休み休み言ってくれといった気持ちだったに違いない。

 自身ですら会ったこともないのである。浮浪者ごときに会えてたまるものか。

 だがその浮浪者は引き下がらずに食い下がった。

「ツアヴタット伯が逃れてきたとお伝えしてもらいたい。きっと会っていただけるはずだ」

「伯爵ぅ?」

 金吾は胡散臭そうな目でその浮浪者一行を見た。これが伯爵様ご一行だというなら、さしずめ俺は万乗の君と言ったところだ。

 とはいえ職務に熱心であったその金吾の兵は念のため上司にこのことを報告する。

 そういう意味では彼らは王が有斗であったことで幸運だった。

 以前の関東の朝廷なら、もしくは王がセルウィリアだったら、きっと金吾の兵は報告もせずに彼らを門の外に叩き帰したに違いない。

 彼がそうしたのは、職務に実直に、派手な活躍よりも地味でも堅実な仕事をするものを好む。それが今の王の好みであることが知られわたっていたからだ。


「八つ裂きにすべきだよ!」

 その報告を有斗の横で聞くことになったアエネアスは怒りもあらわに拳を机に叩きつけた。

 有斗は即断でその考えを却下する。

「救いを求めて訪ねてきた、己の命以外、何もかも失った亡命者を処刑になんてしたら僕の評判は最悪になるじゃないか」

「ま~た甘いことを言っている! やつらは陛下を騙して殺しかけたんだよ! 忘れちゃった!?」

 そこにこの知らせを持ってきたラヴィーニアが口を差し挟んだ。

「であるからこそ助けるべきかと。陛下の寛大さを万民に知らしめることができます」

「あんたは関係ないからそう言えるのよ! わたしは危うく貞操を失いかけるところだったんだから!」

「・・・結果として失わなかったからいいじゃないか」

 そこはこの僕が助けたからな! と有斗は少しばかり誇らしかった。

「半分失ったようなものだよ! 上から下までぜんぶ陛下に見ら・・・!」

 そう言いながら見られたことを思い出したのか、羞恥しゅうちに顔を真っ赤にした。

 そして有斗に助けられたことも同時に思い出したのか、「う~~~」と唸りながら、ばりばりと頭をかきむしる。感情の矛先をどうしたらいいのかわからないのであろう。

 そんなアエネアスに代わって今度はセルウィリアが有斗に詰め寄った。

「陛下、羽林中郎将に何をなされたんですか? どんな破廉恥なことをなされたんですか!? いくら戦場で女っけが無いからといってあまりにも・・・そんな・・・!」

 ああ・・・! もう! めんどくさいなぁ! なんだかアエネアスとセルウィリアが絡むと最近こんなのばっかりだ。

 だがうんざりするより前に言うべきことを言っといたほうがいいだろう。

「セルウィリア、その先は言わないほうがいいと思うな」

 実に危ういところだった。アエネアスは既に右拳を振りかぶっていた。もう一語、いや半語でもセルウィリアの口から飛び出していたら、確実に襲い掛かったであろう。

 そうなったらセルウィリアとて非力とはいえ誇りにかけて戦うだろう。執務室は韮山以上の凄惨な戦いが繰り広げられることになっただろう。その間に挟まれることになる有斗としては、その光景を想像するだけでぞっとするばかりである。

 しかし関西の王女という高貴な存在であろうと一切遠慮しない、アエネアスのその根性だけは一級品だな、と有斗は思った。

「それに王の大度を示せるだけでなく、ツアヴタット伯家の再興を旗印に堂々と河東に兵を入れられます」

「・・・別に何度も攻め込まれてるんだし、今更、戦をするのに大義名分が必要だとは思えないけどなぁ・・・」

 どちらかというと殴られる一方なのは有斗側なのだから、もはやカヒを攻め滅ぼしたとしてもどこからも文句が飛んでくる筋合いはないと思う。

「でしたら何故、陛下はイスティエアの勝利の勢いを駆って河東に攻め込まなかったのですか」

 勢いそのままに我攻めにするという選択肢もあったはずだ。

「無理だよ。あれは見かけ以上に薄氷の上の勝利。王師に余力はなかった」

「ですがそれは敵も同じ。あの時は河東の覇者カトレウスの大敗北に諸侯は動揺していた。敵も同じように損耗していたのです。だが彼らは無事河東へ帰ることができた。今や王師への恐怖も時が流し去った。そしてカトレウスに逆らった上州諸侯は無残にも撃砕されました。諸侯は再びカトレウスに心酔し忠誠を誓っている。王師が力を取り戻したのと同じようにカヒも力を取り戻した。そこに今更乗り込んだとしても誰が陛下の味方をします?」

 そう、再び有斗が河東へ進行する前の状態に戻ったに過ぎないと考える者が多いのは想像に難くない。

「それに彼らは今までカトレウス指揮下で王師や南部諸侯と戦ってきたのです。その罪を王に裁かれることを考えれば、彼らは自己防衛の本能から、王という名の侵入者と戦うべくカヒの下に一致団結して力を結集するでしょう」

「だとすると地元で戦う分、彼らが有利で僕らが不利か・・・」

「だが諸侯をカヒから離すことは不可能ではありません。そのための布石をあたしは休む暇なく打ってきたのです。だが後一手が足らない。諸侯がカトレウスから離反するにはあと一手が」

「それがツアヴタット伯家の再興ということかい?」

「そう、あのツアヴタット伯ですら一旦降伏をすれば本領を安堵されたと知ったならば、王は他の諸侯の降伏も許すにちがいないと希望が持てるはず。諸侯の心は大きくこちら側に傾くことでしょう」

「そうか・・・それは確かにそうだ」

 それはラヴィーニアを許すことで官吏の動揺を抑え掌握するためにアリアボネが使った手と同じということか。

 さすがに本人を目の前にして口に出しては言えないな、と有斗は思った。

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