第244話 上州の乱

「さてと、どうしたものかな」

 夜も更けてきて人もまばらになった中書省でラヴィーニアはそう一人ごとを呟いた。

 四師の乱のこともある。自らが積極的に動くのは逆効果であろうと思い、そろそろとからめ手から有斗を攻略しようとしたラヴィーニアだったが、黒幕がラヴィーニアだと分かっても、有斗は亡き典侍ないしのじょうのことでへそを曲げて話を聞かないなどと言うことは無かった。

 そこはあたしが陛下を実像より小さく見てしまっていた、とどのつまりは人間を低く見積もっていたということであろうとラヴィーニアは反省しきりだった。

 とはいえ結局のところ考えられる結末の中で、一番最悪な結果になってしまった。

 まさか結婚しないなどと言いだすとは想定外だった。

 有斗はまだ年若い男性だ。あれだけ周囲を異性で囲まれているのなら、一人くらいは好きな女性がいてしかるべきと考えても間違いでは無かっただろう。少しばかり奥手の陛下でも、周囲が完全に結婚させる雰囲気になっているからしかたなく、と適度に言い訳できる状況にしてしまえば、素直に結婚するのではないかと思ったのだ。据え膳喰わぬはなんとやらと言うではないか。

 だがこんな結末になった以上、今直ぐに後継者を、とどのつまり子供が産まれるということは現実的に有り得ない。

 かといってこのまま放置しておくわけにはいかない。

 王制という政治制度を取っている以上、後継者の不在はすなわち政争の元になる。

 というよりは王制という制度は権力継承の際に騒乱を引き起こさないことで社会を維持しようという制度である。権威の継承を能力などという客観的に判別しにくいものではなく、血筋という誰が見ても分かりやすいものによって行うものである。

 後継者不在のまま、万一有斗が死にでもすれば、その利点を生かせないということになるのだ。

「ま、とりあえずは関西の王女様なり、官吏の中の押しの強いやからなりに期待するとするか」

 ラヴィーニアが頭に並べた候補者の中では今のところ、セルウィリアが一番有力だった。

 なにより本人が大層乗り気だ。陛下の何が気に入ったんだか、などとラヴィーニアは不敬にもそう考えざるを得ないのだが、なにはともあれ有斗と結婚することに大いに心が傾いているという話だ。

 有難いことにセルウィリアは候補者としても申し分が無かった。古くサキノーフ様に連なる高貴なる血脈だけでなく、見ただけで他を圧倒する美といい、王として国を継ぐべく施された教養といい、まさにあれほど王配に相応しい存在はちょっと他にはラヴィーニアには思い当たらなかった。

 それに何よりいつでも有斗の傍にいられるという現時点でのアドバンテージは大きい。陛下はどちらかというと大人しめで内気な性格だ。対して関西の王女は自身の教養、容姿、血統に絶対的な自信を持つ強気な性格だ。銀のさじをくわえて産まれた者特有の万能感から、自身が拒まれるなど毛ほども思いもしないだろう。セルウィリアの天真爛漫な無邪気な攻めに、いつしか押し切られる可能性は低くないと思われた。

 問題はそれで宮中の勢力バランスが大きく変わるかもしれないことだが・・・

 もし外戚が勢力を伸ばし、政治を私することがあれば、その時になってから考えればよいとラヴィーニアは楽観視していた。

 外戚のことに悩むよりも、今はまず王になんとしてでも子供を作ってもらうことが優先されるのだから。

 しかしなんであたしがこんなことまでやらなければいけないのだ、とつい愚痴も出る。

 本来ならばこんな役回りは内侍司ないしのつかさの長である尚侍ないしのかみがやるべき仕事なのだ。おそらく先の典侍セルノアに遠慮しているのであろうが、尚侍ならばもっと公のことに配慮して行動して欲しいものだ。

 だからあたしが余計なお節介を焼く羽目になる、とラヴィーニアは王や尚侍の公共心不足を大いに嘆いた。

 とはいえ王の結婚ばかりにかまけていられるほど、中書令は暇な閑職ではない。

 この件はしばらく投げ置くとして、さっそく次の懸案に取り掛かることにした。

「───いる?」

 机を三度ほど軽く指で叩いた。

「・・・・・・ここに」

 闇の中にゆらりと影が音も無く現れる。

「大河を東に渡って欲しい」

「またですか?」

 不満げな声を聞き、ラヴィーニアは思わず筆を止めた。珍しいことだ。彼女が不満を述べるなんて。

 鉄面を持って知られる冷血無比な中書令が見ても、彼女はさらに冷えた血を持つ女だった。

 全ての感情を母親の胎内に置き残して産まれたような女だった。

 だがどんな人間にも感情はある。この女にも不満を持つ時もあろう、と気を取り直し筆を再び走らせ話を続ける。

「そう嫌そうな声を出すな」

「しかしこれまで二回、河東へ行って工作しましたが、状況が変化した兆しは無い。それは当然です。朝廷と彼らの間を大河が切り離している。すぐそばに飢狼であるカトレウスがいるのにうかうかと朝廷に味方するなど言えるわけが無い。これでは敵地へ行き、命を亡くした配下の者に地獄で合わせる顔が無い」

 こちらに寝返る為の地道な工作活動の中で、快く書簡を受け取る者もあれば、説得工作を跳ね除け使者を殺すという暴挙に出た者もいた。

 だがイスティエアでの勝ち戦に乗じて、王が河東に兵を派遣するといった様子はまだ見られない。

 この先に明確な指針があって工作活動を続けるのであればいいが、この工作が死に手になるような可能性もある。そうなれば部下の死は無駄死にだ。不満も出ようというものだ。

「安心しろ。そろそろ撒餌の時間は終わりだ。いよいよ岸から竿を投げ入れる頃合さ」

 カトレウスという警戒心の強い大魚を釣り上げるにはそれ相応の準備が要るというものだ。

 無駄にはならないとラヴィーニアに言われては仕方が無い。しぶしぶといった感じで影は書簡の山に手を伸ばす。


 七郷盆地から東山道を西へとしばらく進むと、真っ直ぐ北に伸びる街道が分岐している。それを上越街道と云う。やがて目の前に南西から北東へと道を塞いでいる山脈が現れる。それが河東と越との国境地帯、その一帯を上州と云う。

 上州出身のサビニウスが現地に入り、諸侯間を足しげく通い、説得と脅迫という硬軟を使い分け、当初の動揺は抑えられたかに見えた。

 だが上州の凍った大地の下で動き始めていた反乱と言う名の水脈は、春になり雪解け水が河川に注ぎ込むのと時を同じくして一斉にあふれ出た。

 一つは雪が解けたことで越との国境が往来可能になったこと、そしてもう一つはラヴィーニアが三度にわたって送りつけた書簡の存在だ。

 いくらイスティエアで敗北したとはいえ、カヒはまだまだ強大、上州諸侯としても直ぐに王に鞍替えする訳には行かない。

 王の甘言に釣られて挙兵したはいいが、見捨てられたら目も当てられない。

 上州諸侯を挙兵させて、カヒがそれを討伐する。その隙に王が河東沿岸部を手に入れる為の捨て駒にされるのではないかという恐れが、彼らに二の足を踏ませていた。

 だが三度にわたる王からの懇切丁寧な書簡、そして周辺諸侯にも同じような書簡が届いている様子が見られることをかんがみると、王はカヒを本気で討つつもりだ、と上州諸侯は最終的に判断した。

 それに例え王が本気でないと判断したとしても、もしかしたら彼らは反乱と言う手段を使用することに踏み切っていたかもしれない。雪が解ければ、いつでも越から援兵がやってくる。そうなれば彼らは軍神と云う名の大きな盾を手に入れるのだから。

 上州の乱は四月三日に始まった。

 ここは有斗が関係ない戦だから詳しい描写は省くが、様相としては自城に分散して立てこもる上州勢六千を討たんとしたマイナロスを主将にしたカヒ兵一万二千と、それを阻止しようとする越の援兵六千の間で戦われた。

 北上するカヒ、南下するオーギューガ、最初の接触は雪田平で行われた。

 この頃には上州勢も加わりオーギューガの兵は八千を越えている。

 だが双方、河を挟んであえて距離を取り動こうとしなかった。互いに相手に河を渡らせて、その途中で襲いかかろうという目論見である。

 そんな消極的な戦になったのには訳がある。オーギューガは兵力の小を理由に兵を動かさなかった。というよりは兵の損耗を嫌ったというのが正しいかもしれない。上州勢は今は味方だが、旗色が悪くなれば直ぐに寝返る、二枚舌を持ち味とする諸侯たちなのである。そんな彼らの為に血を流すなど正直馬鹿馬鹿しいではないか、と言う訳だ。

 それにこうしてカヒの軍と正対している間は敵は上州勢の城を攻められない。上州勢を助けるという当初の目的は十分達せられたことになる。だったら戦うことまではないのではないか、という訳だ。

 そしてカヒ側が動かなかったことにも訳がある。マイナロスにはオーギューガと戦って勝てる気がしなかった。

 テイレシアは、マイナロスが自身を遥かに超えると思っているカトレウスですら二倍以上の兵力差でもってして、辛うじて引き分けに持ち込めたと言わしめたほどの女だ。1.5倍程度の戦力で正面から堂々の野戦をして勝てるなどと思うほど、マイナロスは自信過剰な男ではなかった。

 ここは堅地に陣を敷き敵の攻撃に備え、どうにかして敵を死地に誘い込み戦うしかない。その思いがマイナロスの足を重いものにしていた。

 だが双方にらみ合いのまま三週間が過ぎた。

 これ以上長引くことを嫌ったマイナロスは、密かに自軍から二千ほどの分隊を作り、サビニウスと客将であるバアルに指揮をゆだねて、夜間こっそりと出立させた。

 この分隊は、手始めにわずか三日で四つの城砦を撃破すると、支城から砦まで城砦と言う城砦を片っ端から陥落させていった。

 テイレシアはそれを聞くと、急いで対抗する手を打とうとしたが、大きく本隊を動かそうとするとマイナロスがそれを牽制する動きを見せたため、迂闊に動くことができないといった状況に陥り、こちらもなんとかばれないように分隊を戦場から離脱させるといった程度の対策に留まってしまった。

 だがバアルとサビニウス率いる兵卒は神出鬼没の大活躍を見せた。

 東に現れたと思えば、西に現れ、影を見たかと思えば、次の瞬間には消えうせるといった奇術じみた用兵で上州勢を翻弄する。

 オーギューガの分隊がカヒが現れたと上州勢から聞いて現地に駆けつけると、そこはもはや焼き尽くされた城砦に死体が転がっているだけの状態になっているということが幾度も繰り返された。

 そして最終的に八月も終わりに近づいた頃には、上州諸侯は討ち取られるか、降伏するか、オーギューガの元に逃げ延びるかの三択状態になっていた。

 さらに追い討ちをかけるように、オーギューガの分隊までもバアルの陽動作戦にひっかかり、三割の兵を失うという敗報がテイレシアの下に伝わる。

 テイレシアは溜息をつくと、雪が降る前に越へと帰らねばならぬなと言って、全軍に撤兵を宣言した。所領を失った上州勢の幾人かがテイレシアに同道する。

 こうして上州の乱は四ヶ月半ほどで終結した。

 恐れていた王の河東侵攻は結局無く、カトレウスは大いに安心して眠れる日々を得ることに成功した。

 その一方、上州勢を失うことはオーギューガと有斗にとって、カヒの喉元に突きつけることができた大切な一手を失ったことになる。

 カヒはさっそく空き家となった上州に三男やお気に入りの家臣を封建して、砦を作りオーギューガの再度の侵攻に備えさせる。

 カヒは直轄地を得て、敵対分子を無くした。イスティエアで無くした自信を取り返すことができた。つまりこの乱は、カヒの勢力拡大にまんまと大きく貢献した格好になったのだ。

 だが、それこそもラヴィーニアの想定通りだといったら、それは強がりに聞こえるだろうか・・・?

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