第243話 墓参

 天下を手中にするまでは結婚しないと宣言した翌日にも関わらず、ラヴィーニアは再び有斗に世継ぎの件を進言した。どうやら粘り強いのがラヴィーニアの信条らしい。

 それに直面することになる有斗としては迷惑この上ないことではあるが。

「陛下、誰かと子を成す気にはなりませんか?」

 今日もラヴィーニアは執務室に入るなり、有斗にそう直言する。

「その話は禁止したはずなんだけどなぁ・・・宮中に争いを呼びこむことになるから」

 有斗はラヴィーニアの言葉に不満いっぱいだった。

「あたしは国家のために陛下に後継者を得ていただきたいだけなのです。後宮に女を送って権勢を得たり、影響力を行使したいわけではありません」

「ラヴィーニア、陛下は王命をだしたんだよ。だったら臣下はそれに従って、できる範囲内でできる限りのことをすればいいだけなんだよ。それがおちびちゃんの考える良き臣下というものじゃなかったっけ?」

 何故だかアエネアスが有斗の弁護を買って出た。

「陛下は宮中が争いになることを避けるべく婚姻の話をするなとおっしゃった。あたしがしているのは陛下に子供を作れと言ってるだけで、婚姻しろと言っているわけではない。だから王命に背いているわけではない」

「・・・同じことじゃない」

「結婚しなくていいから、子供だけでも作ってくださいと申し上げているんです」

 やることやって子供は作るが、籍は入れない・・・それじゃあ、まるで僕が鬼畜な人間じゃないか、と有斗は抗弁したい気持ちでいっぱいになった。

 横にいるアエネアスもあきれ果てていた。

「・・・そんな無茶苦茶な話はないよ!」

「なんだったら羽林中郎将が陛下を押し倒せばいい。体力だけは有り余っているのだろう? 元気な子供が生まれそうだ」

「どうしてそんな話になるのよ!」

「別にいいじゃないか。他に好きな人がいるわけじゃないんだろう? ベルビオたちだって陛下とくっつくことを望んでいるんだし」

「だからって、誰の子でも構わず産んで良いという話にはならないでしょ! わたしの気持ちは一切無視なの!?」

 ・・・それよりも王である有斗の気持ちを完全に無視しているほうが問題だと思うのだけれどもな、と有斗は思った。

 この世界には未だ平等とか人権とか言う概念は無い。それはなんとなくわかっていた。

 だけど王と言う、この世界で一番至高の存在であっても、人権があるとはいいかねるこの状況には有斗は少しウンザリする。

 はやく人権と言うものがこのアメイジアにも広がってくれることを、有斗は切に願ってやまなかった。

「そもそも結婚は好きな人同士が結ばれるべきだよ」

 と有斗などは思うのだが、ラヴィーニアにかかっては人生の一大イベントも形無しだった。

「両者とも互いが互いを愛して結ばれた、そんな幸せな夫婦がこの世界にどれほどいるというのですか? 感情と言う見えないものを信じるよりも、世の多くの人間は家のため、生活のため、あるいは経済的な問題のため、自身の価値と比べて妥当と思われるところで相手を探し、手を打つ。双方が双方を支えあい助け合う契約、それが結婚です」

「見も蓋も無いなぁ・・・」

 そりゃあ、そういう側面も無いとは言えないけど、夫婦になるということが打算だけの結果だと断定してしまうのもどうかと思う。

「陛下は王朝の永続と言う観点から起こっているこの世継ぎ問題を、個人の瑣末さまつな感情の問題に摩り替えようとなさっている」

「でも僕は王だよ。王だったら好きでない人物と結婚しないくらいの我儘わがままは許されてもいいと思うけどなぁ・・・」

「だから嫌いな女性と無理矢理に結婚して下さいとは、あたしも申し上げておりません」

「でも・・・今、結婚したいほどに好きな人はいないよ」

「でしたら、軽く嫌いじゃないとか、気になる程度の女性でもよろしいのです。おられませんか?」

「・・・まぁ・・・それくらいなら、いないわけではないけど」

 例えばアリスディアとかグラウケネとかみたいに優しくて人畜無害な女の子は好感度高いぞ。もっともそれは王である有斗に十分に配慮しているからであり、本当の内心は分かったものではないが。

「どなたですか?」

「言えないよ! 僕がその名前を言ったら大変なことになるじゃないか! きっと相手の意思など無視して、『王が望んでいることだから』だとか言って、無理矢理にでも後宮に入れることになるのは目に見えている! 僕は好きだからこそ、その好きな相手に一生恨まれるような事態だけは御免だ!」

「勘が鋭いですね、陛下」

「・・・やっぱり・・・」

 思ったとおりだ。きっとよからぬたくらみをくわだてていたに違いない。

 親や親戚に根回しし、本人が断れない態勢を作り上げて無理矢理にでも後宮に放り込むつもりだったに違いない。

 ラヴィーニアにかかっては王の婚姻ですら謀略の種に過ぎないのであろう。思わず溜息が出る。

「言っときますけど、あたしは諦めませんよ」

 一見すると捨て台詞、ラヴィーニアが負けを認めて引き下がったかのように見える。

 だがラヴィーニアは今までどんなに難しい問題であっても、根気よく取り組んで解決してきた。きっと今回もその例に御多分に洩れないことであろう。

 ここではその粘着力だけは勘弁してもらいたいところだが・・・無理だろうなぁ。

 しかし、ここまで来ると、王制と言う政治体制が必要とする、世継ぎという存在を産む目的で結婚させようというよりも、僕を誰かとくっつけることが目的になっている気がしてならない。

 目的と手段を入れ違えていないか?


 午後、桜舞い散る中、有斗は王城をこっそり抜け出した。アエネアスの馬車に潜んで城門を抜け、郊外へと向かう。王城を見下ろせる高さの小高い丘に馬車はゆっくりと登っていった。

 目的地に着いて馬車を降りると、有斗を歓迎するかのようにその場を西風が通り抜ける。肺腑いっぱいに新緑の若々しい匂いが広がった。

「時が過ぎ去るのって早いね」

 アエネアスの言うとおりである。並ぶ三つの石柱を目の前に有斗は感慨にふけった。

 それは墓碑。右から順番にアエティウス、アリアボネ、そして加わったばかりのヘシオネのお墓である。

 ヘシオネの墓の中には身体は無い。首だけがそこに埋まっている。

 当初、ヘシオネの墓は大きく開けた場所であるアエティウスの隣に作ろうとしたのだが、アエネアスがそれだけは絶対に嫌だと駄々をこねたため、アリアボネの墓横の斜面を平らにならして造成し墓を並べた。

 おかげでアエティウスの墓横の空間が広々と空いているのに、ヘシオネの墓にはあまり余裕がない。ヘシオネには死んで後も窮屈な思いをさせてしまっていると有斗は申し訳ない気持ちになった。

 最近でも居なくなった人のことを夢に見ることがある。理性は彼らはもう違う世界の住人で、二度と会えないということが分かっているのだが、未だに心はそれを認めたくないのかもしれない。だからきっと・・・あんな夢を見てしまうのだ。居なくなった人のいない現在こそが実は夢で、目を閉じて再び開ければ、居なくなった人が今にも目の前に立っているんじゃないかとすら思ってしまう。

 有斗がそんな感情に捕らわれる中、アエネアスはじっと両手を合わせて墓を拝んでいた。

 アエティウスの墓碑の前でずっと黙祷して動こうともしない。

「・・・僕のせいだね・・・ごめん」

 いつまでも動かないアエネアスを見て、有斗はびる。

「有斗のせいじゃないもの、謝られても困るよ」

「いや・・・みんな僕のせいさ。僕がもっとしっかりしていれば、ヘシオネをむざむざと河東で死なせることは無かった。アリアボネも長征に付き合わずに王都で安泰に日々を送っていたはずだ。病状を悪化させることは無かった。アエティウスのほうはもっと直接的に僕に責任がある。僕がセルウィリアの口車に乗せられなかったら、アエティウスが僕の代わりに刃を受けることは無かった。本当にゴメン。アエネアスが今でも忘れられないほどの人を失った責任は僕にある」

 頭を下げる有斗にアエネアスは少し困った顔をすると、無理に笑顔を作った。

「もう忘れなきゃとも思うんだけどさ・・・どうしても忘れられないんだよね。兄様はわたしにとって特別な人だったから・・・」

 そう、今更悔やんでも嘆いても、どうしようもないことなのだ。一度死んだ人間はもう二度と蘇っては来ないのだ。

 だが死んだ人には過去しかなくとも、生き残った人には明日が来る。この先、前を向いて歩いていくには、忘れることがきっと必要なのだ。でも過去をドライに全て切り捨てることは人間なかなかできないことだ。忘れたくないことだってあって当然なのである。

 そう、アエネアスだけじゃなく有斗にとっても。

「誰にでも忘れられない人はいるものだね・・・」

 意外な返答にアエネアスは有斗を思わず見つめた。有斗は墓の遥か向こう、棚引いている遠くの雲でも眺めているのか遠くを見ていた。

 有斗にもいるの? 忘れられない人が。

 それはいつか話してくれた有斗を守るために身を犠牲にしたという少女のことなのだろうか、それともアリアボネのことなのか、どちらのことであろうか。アエネアスは聞いてみたい気持ちでいっぱいだった。


 墓参から帰って来たばかりの有斗に、アリスディアがするりと近づいてきて声をかける。

「陛下、お時間よろしいでしょうか?」

「いいよ、言ってみて」

「実は智部省の内匠寮ないしょうりょうから、陛下が玉座に着いてから長い時が経ち、宮中も一息ついたことです。陛下の召している衣冠はかなり前に作られた物。ここは陛下の御世が磐石であると万民に示すためにも、新しい装飾品を御作りになられては、との具申がありました」

「いらないよ。それに国庫はそんなの作っている予算はないんじゃないかな?」

 そんな贅沢品を作るより、飢えた難民を救うほうが先だ。他にも道や橋の補修、堤防の建設などやるべきことは山積みなのだ。

「いえ、その逆です。貴金属や宝石の採掘は国が行っていますから、元々倉庫に積まれたままの物です。作る彼らは官吏、作る作らないに関わらず給料は払われています。と言うことは、むしろ働かせないともったいない。それに何個か作って一番できの良いと思われるものは陛下に献上しますが、その時に選ばれなかった物がいくつか残ります。それを売れば少しは国庫の足しになるというわけです。労をねぎらう意味で官吏に下賜なされてもよろしいですが」

「じゃあ・・・まぁいいか。でもどんな物を作るよう命じればいいの?」

「そうですね・・・例えば王冠だとか」

「どうせ僕はどんな華麗な王冠を被っても、王様に見えないらしいからいらないよ」

 華麗な王服を着て、王冠を被っているのに初対面の人に影武者か何かだと思われてしまうという、あまり嬉しく無いユニークスキルを所持する有斗には、新しい王冠などまさしく宝の持ち腐れとなるであろう。既存の王冠を使いまわしするので十分だ。なんなら王冠なんて邪魔だし、被る必要すら感じられない。

「でしたら・・・陛下の未来の伴侶の為にお作りになられては? 意中の相手ができればそれをあげればいいのです」

 アリスディアの言葉で、目の前に現れた未だ見ぬ女性、照れながらも彼女にそっとプレゼントを渡す有斗の姿を頭の中で空想してみた。

 なかなかロマンチックな光景だな。いいアイディアかもしれない。有斗は俄然この提案に乗る気になった。

「女性の場合は耳飾・・・髪飾りとかですね」

「じゃあ髪飾りにしよう」

「色はどういたしますか?」

「色・・・? 金とか銀で作るなら色は固定じゃないのかな?」

 ピンクの銀だとか青い金とか聞いたことが無い。まぁ、もしあったとしても、それは装飾品としての金や銀の特徴を完全に潰している。まったくの無意味だ。

「いえ、装飾する宝石の色で全体の色味が変わります。とはいえ困りましたね、相手の髪の色がわからないと決めようがありません・・・」

 アリスディアは困った表情をした。

「髪の色が分かってたらどうするの?」

「青だったら赤みたいに反対の色にしてアクセントとするか、紺や青緑色のように少し色をずらし馴染ませるのが一般的ですね」

「なるほど、わかりやすい。そうだな・・・じゃあ緑がかった青にしよう」

 直感で何も考えずに有斗の口から出た色はそれだった。

 その時、有斗の脳内では顔は分からぬものの、確かにある特定の色の髪の毛を持つ少女を未来の伴侶として想像していた。

 後々になるまで有斗自身はそのことに気付きもしなかったけれども。

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