第237話 見えない星、見える夢

「さきほどの議論の中でも話題に出ていたが、内府は人の本質は善ではあるが、修練しないと悪に染まってしまう。だから教養のない民草が金銭欲に取り付かれたりするのではないかと危惧して反対した。そしてもう一方の中書令は人の本質は弱いもので往々にして悪事を働いてしまうことがあるので、学び修練して公共の道徳を知り、己の姿勢を善に正すことができる。だがこのアメイジアにおいては修練できるものは限られているから、代わりに法律を施行し周知させることで民草が金銭欲に陥ることを防ごうとした」

「御意」

「御意」

 内府もラヴィーニアも有斗の言葉に頭を下げることで有斗の二人の意見に対する認識に間違いが無いことを示した。

「つまりふたりとも立場は違えど同じことを言っている。人は教育を受け、己を修練すれば、心中に道徳を持つことができ、欲望に自我を飲み込まれること無く行動できるようになる。社会はよりよきものになる、と」

 ならば有斗がやろうとしていることに反対意見はないはずだ。

「ならば人民全てに教育を与え、社会をよりよきものに変えていくべきだと思う。そう・・・義務教育制度だ。もちろん、何を教えるか、教える人をどう確保するか、何歳から何歳まで教育すればいいか、一日のうち何時間・・・刻を教育に当てるか、予算はどのくらい必要か、などなど未決の事柄がいっぱい存在する。働き手でもある子供を取られることに反発する者も多いことも承知の上だ。それ以外にも僕が予期していない、いろいろな問題点もあるだろうとは思うけれども、これは長い目で見ればアメイジアにとって、やって損はないことだと僕は確信している」

 と、有斗などは思うのだが、返って来たのは大反対の声の合唱だった。

「そんなことをしても無駄です。学問というものは限られた人間にしか理解できぬものです」

「そうそう、それに支配するという観点から見れば、いらぬ知恵をつけて官吏に歯向かう者がでないとも限りません。民衆は愚かなほうが支配しやすい」

 あれだな、選民思想とかいうやつだな。

 確かに現実の義務教育でも全てを理解でき、オール百点の人物は珍しいだろうけれども、多くの人間がそこそこであっても理解していることもまた真実であるに違いない。

 それに、数学は日常の計算に、国語は普段の会話をするときや文章を書くときに、理科は科学的な考え方を養うことで深く思考しなければならないときに、歴史は過去をかがみとして今を生きる術を探す時に、使うことで生きていく手助けを大いにしているということを考えれば、まったく無駄じゃないはずだ。

「もちろん、これは今すぐにというわけにじゃない。今の国家の現状を僕も正しく認識している。軍事費の支出が増大し、国家としての最低限のことすら満足にできていないことも、ね」

 王の発言にざわめく朝臣を尻目に有斗は話を続ける。

「だからこれはアメイジアが平和になったらとの条件付だ」

 さすがに今すぐやることは不可能だと有斗だってわかってる。

 王が即時実行の意思ではないことを知って、廷臣たちはひとまず胸を撫で下ろす。実施まで時間があるならば王を翻意させるのは不可能ではない。

「今日の朝会はこれで終了とする。みな先程の案件について持ち帰って検討してみて欲しい。僕にはばかることなく、賛成の意見だけでなく反対の意見であっても出して欲しい。それでは今日はこれにて朝議を終了する」

「陛下のご退席である。百官は立って陛下に拝礼するように」

 侍従の声が紫宸殿に響き渡る。

「陛下万歳、万々歳」

 いつも通り、朝臣たちはそう言って一斉に頭を下げる。有斗が退出するまで顔を上げないのが決まりだ。だからその表情を有斗は読み取ることができなかった。その顔には困惑の表情が一斉に浮かんでいた。


「陛下、今回の発言は軽率です。以前に陛下から相談を受けた時、回答いたしましたよね? 教育を与える国家も、そして教育を受けるべき民にも害こそあれ、益が無し、と。誰にでもできるようなものであるなら何故科挙に学問が必要なのです。誰にでもできないことだから学問を修めた者が科挙で選ばれ、官吏となるのではありませんか。ですが陛下がああして朝議で公に発言なされたら、あたしらとしても真剣に検討しなければならない」

「いや・・・国民全員に教育を与え、識字率を上げ、計算を知り、道徳心を養い、物の考え方の基本を知る。これは普段の生活にも役に立つ、心を豊かにすると思う。無駄じゃない」

 裾野を広くすることで科学技術の発展をうながす効果もあるだろう。

 元いた世界と同じような歩みを進めるのなら、数百年後にいずれ訪れる工業化の時に、大いなる発展をするいしずえとなってくれるに違いない。

「それにあたしの考えが誤りで、この政策に益があるのだとしても、すぐに行うべきかという問題があります。陛下はアメイジアの半分を手中になされた。一息入れることができたかに思えます。だが、まだ半分でしかない。戦国の世を本気で終わらしたいなら、引き続き国家の持てる力のほとんどを軍事に当てなければならないのです。他の事に予算を回していたら、カヒに立ち直られて、あるいは他の諸侯に付け入られて、せっかく手に入れた天下の半分ですら失うことになりかねません。陛下、万民のことをお考えになられるなら、まずは天下を手に入れることをお考えください」

「だから今すぐやろうってことじゃないよ」

「今すぐやらなくても、検討するためには官吏を割くことになるのですから同じです」

 ラヴィーニアは柔軟なところもあるし、意外と頑固なところもある。

 その目的に理があり、やることで多少不都合が生じることが分かっていて、己の考えと違っていても、それが王の意思であるなら、己を殺して実現する方向で動いてくれる。

 なるべく自分の職分からはみ出さないようにするアリスディアや、全体のバランスを考え、理よりも利を重んじ現実的な判断をするアリアボネ、めんどくさければ一ミリも動こうとしないアエネアスとはそこが違う。

 かと思えば、目的に理がないと思えば、それに反対することで大勢の人間から怒りを向けられ嫌われるとわかっていても、頑強に反対し抵抗する。そう、それが王である有斗であっても遠慮しない。

「まいったなぁ・・・」

 どう言ったらこの厄介な中書令を賛成に持っていくことができるのか、皆目見当が付かなかった。

「それはあたしが言うべき言葉です」

 有斗とラヴィーニアはほとんど同時に溜息をついた。


 有斗は気分転換に清涼殿を抜け出、庭園を散策する。

 最近は夜の暗さにもなれてきたのか、はたまたどこに何があるのか身体が覚えているせいか、茂みに突っ込んだりせずにスイスイ歩ける。

 夜はまだ寒い。夜空には満点の星空、こぼれ落ちそうなくらい星々はまたたいていた。

「陛下ってば、警備責任者の目の届かないところに勝手に動いちゃ困るじゃないですか! そうそう、またあのおちびちゃんとやりあったんですって?」

 暗闇の中、特徴ある声が足音と共に近づいてくる。アエネアスだ。警備責任者の割りに、結構な割合で僕の側にいないんだが・・・まぁ、いつも居たら居たで邪魔かもしれないが。

 それになんか物をほおばりながら話してるんだけど・・・これって・・・王様に対する態度じゃないよね? というより食べながらしゃべるとか、普通に人として失礼なことじゃないのか・・・?

 今更ながらにそう思う。がアエネアスに関しては、もっと根本的なところから間違っている気もするのでスルーすることにする。

「しかし今日のお前の机の上にあった菓子美味しいねぇ。三つ全部食べたのに飽きが来ない!」

 それは疲れたときのためにアリスディアが用意してくれていた間食である。深夜遅くに小腹がすいた時に食べようと大事に取っておいたんだけどな・・・

「・・・・・・」

 ひょっとして・・・おやつを食べるために執務室に出入りしてるんじゃないだろうな。

「どうしたの? あのおちびちゃんにやり込められでもしたの?」

 有斗の沈黙を別の意味にとらえてか、アエネアスはひとごとのように聞いてくる。

 いや、僕はいい年をした女性であるはずのアエネアスがいつになったら礼儀や作法と言ったものを弁えるようになるのか疑問に思っていたんだ、と有斗は本音をよっぽど言ってやりたかった。

「随分反対されちゃっててね・・・どうやってラヴィーニアを説得しようかと思っているところなんだ」

「驚いた。陛下はおちびちゃんを嫌っていたとばかり思っていたのに」

「嫌いなのか好きなのか・・・どうなんだろうね? 僕は自分のことなのに自分がよく分からないよ。確かに恨みに思う気持ちが無いっていったら嘘になる。もしラヴィーニアがいなければあの時、反乱は起きなかった。そうなればセルノアだって違う結末が用意されていたのではとも思ってしまう」

 ・・・そう、今でもセルノアが、あの優しい笑みを浮かべて僕のそばに寄り添っていたのかもしれない。

「でも確かにあの時の僕のしたことは間違いだった。そのことも分かるんだ。あれ以上事態を悪化させない最適の方法が僕の排除だったってことも。そして彼女の働きを見るたびに、献言を聞くたびに、私心無くアメイジアの民の為に働いていることが痛いほど分かるんだ。それに彼女の家に行ってみて驚いた。中書令は政権の中枢、僕とも接する機会も多いし、重要政策の過半は彼女の脳が考え出したものだ。それ程の権臣、いくらでも利財の機会があるだろうし、それに中書令としての給金だって安いものではないよ。なのに彼女の生活は慎ましかった。あの慎ましいアリアボネよりもさらに慎ましかったんだ・・・そんな人を嫌いになれるわけが無い。尊敬すべき人だ」

「わたしに言われても困るよ・・・褒め言葉は本人に直接言えばいいじゃん!」

「嫌だよ。恥ずかしい」

 ラヴィーニアに感じてる想いは複雑で容易には解決できないたぐいの物だ。それにそんなことを本人の前で言うなんて、なんとなく照れがある。

「聞いてるこっちが恥ずかしいんだけど・・・・・・」

 アエネアスが呟いたその言葉は口中で留まったので、有斗の耳まで届かなかった。

「なにか言った?」

「・・・何も」

 アエネアスは小さく肩をすくめた。

「で、何を説得したいの? 話によってはこのわたしが手を貸してやってもいいよ?」

 この手のことをアエネアスに相談して物事が根本的に解決するとはとても思えないんだが。

 とはいえ解決の一助くらいにはなるかもしれないと思って、話してみることにした。

「僕は力こそが正義で、他人を踏みつけても何ら痛痒つうようを感じないという、乱世という間違った世界を終わらせたい。それと同時に全ての人々が飢えることない・・・いや、それ以上だね。もっと豊かな暮らしを送れるようにしてあげたい。物質的な意味でも、精神的な意味でも」

 それがセルノアが望んでいた天与の人というものだと思うんだ。

「物質的という側面は特産品と言う形での生産の分業や産業の育成といったことで推し進められると思う。だけど精神的に豊かにするのは難しい。特にこの乱世で人々の心はすっかりすさんでしまった。他人に対する親愛の情や思いやりなどの、人間としてあるべきものをすっかり無くしてしまった人々でこの世は一杯だ。それは僕が南部に逃げてくるまでに嫌と言うほどその姿を見てきたよ。それを無くすのは極めて難しいと思う。だけど人は修練し、知識を得て深く考えるようになれば、仁や義と言った徳目を知って行動できるようになると皆が言う。ならばこの国の民全てに教育を施せば、よりよき社会になるんじゃないかなと思うんだ。きっと僕が居たあの世界のように、飢えもなく、互いが互いを尊重し、暴力にも権力にもおびえることも無く暮らせるという世界に」

「それに反対してるってこと?」

「うん」

 それは反対するだろうなとアエネアスは思った。確かにいにしえの賢人はあらゆる人に善の兆しは宿っているとも、修養や教化することによって人は正しい行いについて理解でき実践できるとも言ってはいたが、だが全ての人間が学問を理解し、正しい考え方を得れるとまでは言っていないのである。

 もし大勢の人に教育を施したのに、その成果が無いとしたならば、教育を推し進めた王の権威は崩れ去り、国は莫大な税金を無駄にし、受ける側の民にとっても無駄な時間を過ごしたことになり益がない。

 アエネアスですらもそれがわかる。ということは官吏たちも当然そう思うだろう。賛成しろと言うほうが難しい。

「陛下のいうことはいっつもそう。綺麗事、理想論ばっかり」

 アエネアスは顔を背けてため息をついた。

「そんな考えでうまく行くなら、この世からマシニッサみたいな悪人はいなくなって、戦争はとうになくなっているよ」

「そうだね・・・理想論かもしれない・・・」

 それはアエネアスに分かってもらおうとする為の説明だろうか、それともアエネアスの言葉に揺らいだ自分自身を奮い立たせようと言ったのだろうか。言った本人である有斗にもそのどちらとも分からなかった。

「だけど示さなければ」

「・・・何を?」

 たいした言葉が帰ってくるのを期待もせず、アエネアスは辟易へきえきした顔で有斗を見やった。

道標みちしるべを」

「道標? なにの?」

「生きるということは、苦しいことだ。つらいことだよ。みんな日々を暮らしていくだけでせいいっぱい。いわば夜の闇で下を向いて歩いているのと同じだ」

 それはどんな世界であっても変わらない。今のアメイジアに比べたら天国に見える、現実の日本であってもそうだ。

 あそこでは限られた労働時間を働くだけで生きていける。飢え死にすることもめったに無い。理不尽に命を奪われることも、無いとはいえないが戦国に比べればないに等しい。悪事が露見すれば社会的地位に関わらず罰せられ、社会保障も充実している。

 だけどそんな世界であるにも関わらず、人々は楽しみや喜びだけを感じて生きているわけではない。

 生きていくために己を殺して不向きな仕事であっても我慢をし、気に入らないものにも頭を下げる。自分の苦労が認められないと不満を持ち、他人が楽をして儲けているように見えて世界の不合理さに嘆く。

 他人のいいところばかりが見え、うらやましくてしかたがない。それが人間の本質、人という種が誕生してから永続に変わらぬ世のことわり

 そう、日々の生活・・・足元に穴はないかと恐れて一歩一歩いっぽいっぽ歩くだけ、宇宙そらを見上げる余裕など無い。

「でも、下を見て歩くだけじゃ、自分がどこへ進んでいるのか解らない。同じところを何度も何度も巡るだけで、きっとどこへも進めない。誰かが空に星があることを、そっちのほうに進めばいいという道標があることを示さなければならないんだ」

 そう、地図のない、目的のない旅ではどんな場所に辿り着くか知れたもんじゃない。そこが今より酷い場所である可能性だってあるだろう。

「それが王の・・・僕の役目じゃないかと思うんだ」

 何故ならこの世界では民主主義なんてものはない。王が国家の命運を背負っている世界なのだから、その仕事こそ王が何よりもまずなすべき仕事だと思う。

「でもだからって・・・そんな理想を言ってみても誰もついていかないかもしれないよ?」

「理想は星と同じで掴めないものかもしれない。どこまで行ってもたどりつけない存在かもしれない。でもその星に向かって歩くという努力かていがきっとこの世界をよくしてくれると信じている・・・だから!」

 力説する有斗にアエネアスは肩をすくめて見せた。

「わかんない。陛下が言う、もといたというそのご大層な世界が存在するなんて信じられないもの。いにしえの聖人の話と同じで夢幻ゆめまぼろしにしか思えない」

「そうだね・・・僕でもそんな世界にいたということすら夢だった気がすることがあるくらいだもの」

 ここで暮らしていると痛烈に思う。こっちだって決して悪くはない世界だけれども、かつて僕のいた世界はなんて素晴らしかったんだろう、と。その落差に、あそこにいたということが夢か幻ではないかとも思うくらいだ。

「でもいつの日か、この世界もきっとそうなると、僕は知っている。信じている。僕たちが生きている間でなくても、きっといつの日か」

 有斗はそう言って再び、今にも星が落ちてきそうなほどまたたいている夜空を見上げた。


 夜空を見上げる有斗の横顔を見てアエネアスは想った。

 有斗が見えると言うそのゆめはわたしには見えない。

 この世界アメイジアに生まれて生きてきたわたしには・・・・・・悲しいけれど見えないんだ。

 でもそのゆめを見上げている有斗なら今のわたしにも見える。

 そのゆめは信じられないわたしでも、苦難や悲喜を共にした有斗なら信じられる。

 きっとこの世界にいるみんながそうなんだ。


 だからこう思うんだ。

 荒廃したこの世にきぼうがあるとするならば、それはあなたなのかもしれない。


 わたしはついて行くよ、あなたに、どこまでも。

 その・・・旅の終わりまで。

 その・・・夢の果てまで・・・

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