第236話 通貨

 有斗は翌朝の朝議でさっそく特産品の生産を奨励することを議題に出した。

 「私は反対です。確かに物にあふれた生活は今の物の無い生活より一見豊かでありましょうが、教養の無い民草は物欲や金銭欲に取り付かれると限度がありません。身の程を知らないのです。金のためにどんなことでもするような人間がちまたあふれかえるようになることでしょう。窃盗などの微罪から、人殺しのような重罪まで金のために罪を犯す民が増える。その対策として官吏を増やさなければならなくなったり、新たな獄を作らなければならなくなったら本末転倒と申せましょう。それにあまりにも多くの律の制定、刑の執行は民衆の心に良い影響を与えるとは思えません」

 内府は現代の政治家が言ったら大問題になりそうな言葉をさらっと言った。

 官吏以外、というよりは教養の無い人間全てを明らかに下に見ている。馬鹿にしているのだ。

 有斗の見るところ、官吏きっての温厚派である内府であってもこう言った見識だ。

 身分制度が依然として存在し、人権って喰えるの?状態のこの世界ではしかたがないかもしれないけれども、有斗はちょっとだけ引くものを感じてしまう。

「さようさよう。それに苦労して増産したはいいが、その肝心のものが売れるあてはあるのか不明です。売れ残った場合、お上の言うことを聞かず他の物を作っていたほうが良かったと、国や陛下に対して不信を抱くかと・・・さらにはこの政策を押し勧めた国や陛下に恨みまで持つやも知れません」

 次々と内府を支持するような意見が続けざまに出る。賛成派は数が少ないようだ。

「内府殿は思い違いをなさっている。人間の根本は悪です。弱いからこそ修練を積んで公共の善を得るべきなのです。もちろん一般民衆が修練を積むのは難しいことだとあたしも思います。だが法律を作ってその商業活動に一定の枠をはめて広く周知させれば、どんな愚かな者でもそれが悪いことであると悟り、しなくなるにちがいありません」

 確かに金のために犯罪を起こすものがでるかもしれないが、厳しく法で処罰すれば問題は出ないとラヴィーニアは主張した。

「各地で違うものを作っているのだから、物々交換という手もあるだろう。それにこの商機を逃すまいと商人たちが物を買いつけするはずだ。物産は売れる土地まで輸送されることになるだろう。農民からの租税だけでなく、交易が活性化すれば商人からの徴税も期待できる」

 利に聡い商人がこんな大儲けの好機を逃すはずが無いという論法である。だがそれにも当然、反論があった。

「長きにわたっている戦国の世のせいで市場に流通している貨幣の数は大きく減少している。だがこの政策を取れば物の売買を支えるために大勢の貨幣が違う場所で一斉に、今以上に必要になるということだ。ということは貨幣が足らなくなり、貨幣の価値だけが今の何倍にも跳ね上がる。生産した物品は思ったような値段にならず、儲かって豊かになるのは銭を持っている商人や士大夫層だけということになったら、一番数の多い農民が不満を持つ」

「その問題は銅貨のさらなる鋳造でまかなえばいいのでは?」

「銅銭のさらなる鋳造も私は賛成できませんな。逆に貨幣の価値が下がり、狂乱的な物価上昇が起きたらいかがします? こんどは国から定められた給金だけを与えられている官吏や兵士などの者が必要なだけの食料を得られないかもしれない」

「経済活動が活性化すれば心配するほどの物価上昇は起きないのではないだろうか? それに新貨幣を鋳造すれば、莫大な金額になっている国家の借金を返済することができる。まさに一石二鳥だ」

 形勢不利と見てラヴィーニアが賛成派に再び助け舟を出した。もっともラヴィーニア自体はこの政策に賛成と言うよりは、貨幣の新鋳に賛成であるらしいのだが。

「国家は借金を減らすことができましょうが、代わりに信用をなくしてしまうことになりかねませんかな?」

 貨幣を無計画に鋳造して市場に流通量を増やすと、貨幣の価値が暴落することになる。つまり借金が利子込みで返ってきても、元々の価値より減ってる可能性もある。

 そうでなくても国に金を貸しているのは大商人だ。手持ちの財産が減ることは確実なのだ。彼らからの反発も覚悟しないといけないだろう。彼らからだけではなく、彼らと昵懇じっこんにしている朝廷の高官からの有形無形の圧力もあると思われる。

 それに彼らの協力を今後は期待できないだろうし、二度と金を貸してくれないかもしれない。

「節部省といたしましては、中書令の言葉に大いに賛同いたします。そして少しでも借財を減らしておくことを提案します。現在国家は綱渡り状態で辛うじて運営されているのです。利子は日一日増えていっております。このままでは早晩破産してもおかしくありません」

 今にも泣き出しそうな顔でそう言うのは節部尚書だ。この一年で節部尚書の頭髪は絶滅の危機にひんしていた。

 それも絶滅危惧Ⅰ類に属しているのは間違いない。

 初めて会った頃はまだ薄いなりにも存在を主張する程度はあったはずなのだが、いまや時代劇コントの落ち武者そのものである。しかも連日連夜、数字との格闘で家にも帰れず、奥さんとは離婚の危機だという噂だった。

 ごめん・・・本当に僕が悪い。有斗は心の中で何度も何度も節部尚書に頭を下げた。

 一通り意見が出尽くしたようだ。廷臣たちは一斉に有斗を見る。

 その様子を満足げに見ると有斗は決断を下す。

 賛成も反対も想定の範囲内の意見しかでなかった。ならば昨日出した結論を変える必要は無いだろう。

「色々な意見があるようだね・・・問題が生じるかもしれないが、僕は各地で特産品の生産を奨励しようと思う。何故なら僕はアメイジアを平和にしたいと思うと同時に、皆が少しでも豊かに暮らしていけたらと思うからだ。その皆というのは君たち官吏だけではない。兵士や商人、職人や漁師、農民・・・全てのアメイジアの民のことだ。たしかに物が溢れているからといって、それがすなわち豊かであるかどうかは疑問を差し挟む余地があると僕も思う。だが今現在、多くの民が陥っている貧困よりの脱出にはかなり有効な手段だと思う。だからこの政策を推進することにする。王命を持って命ずる。百官は今年の春からこの政策を実験するために、候補地を急ぎ選び、関係省間で協議をすること」

「御意」

「いずれ全土に広げていくために、各地にはどのような特産品があるだとか、どこで何が必要とされているかも同時に調べ上げ、場所場所に相応しいやり方を見つけ出して欲しい」

「御意」

 特産品の推奨は反対意見はあるとはいえ、大きな抵抗はなかった。全土でやる前に実験的に一部地域で先行してやる程度だからだろう。

 だがここからが本当の勝負だ。おそらく大きな抵抗がある。

「そして同時にもうひとつ・・・貨幣の鋳造だが、これはなんにせよ、いずれやらなければならないという異見が出てきている。中書令、説明を」

 ラヴィーニアが一歩前に出ると有斗に一礼し、説明を開始する。

「かつてアメイジアが一つだったころは三都に住む者は合計で百万を数えていたと言われます。王家が二つに別れ、戦国という時代が続くに連れ、総人口の減少と共に三都から人の影は消え、南京などは大きさこそ大きいものの、少しばかり大きな諸侯の居城程度の規模になっておりました。だがこうして東西王朝が合一し、平和が戻ってくるにつれて、広がった国土を管理するため役人が増え、住人が増え、職を求めてやってくる流人も含めると、三都はかつての繁栄をいずれ取り戻すことでしょう。さてここに問題があります。三都に住む住民のほとんどは農民ではありません。官吏、軍人、官の御用を勤める商人、職人などの技術者集団、職を求めてやって来る浮浪者、そしてその家族・・・もちろん一部は郊外に田畑を持ち、耕作している者もいますが、それはむしろ例外です。多くは日々食べるべき食料、衣服など多くの消費財を必要とする人たちです。するとそれらを生産する農村から都市へと物流が生まれ、経済活動が大きくなるのは自明の理です」

「だが今現在、物価など貨幣の関わることで社会的に何か問題が起きているということはない。それこそが貨幣の流通量は適切だという証拠ではないか?」

「貨幣の流通量が今現在は適量だとしても、さらに物を物流させるに必要十分な数とはいえませんから、いずれ物価が下がり、貨幣の価値だけが上がることになります。すると今現在の金を持っている者だけが得をして、財産のない者、とりわけ借金をしている者は大いに損をいたします。例えば十の借金を返すためにいままで十個の作った物を売れば良かったものが、二十も三十も作って売らなければならなくなるということなのです。反対に金を所持している者は、今まで十個買うのに十の金が必要だったものが、それが五とか六で買えるようになる。これでは労せずして儲けることと何ら変わりがありません。そして金を持っていて得をする者とは、すなわち、多くは我々士大夫層です。ですから皆様は反対なされておられるのでは?」

 反対派が一斉に気色ばむ。ラヴィーニアの最後の痛烈な皮肉は、彼らを苛立たせることに成功したようだ。

 これはラヴィーニアのひとつの作戦だった。いちおう王には納得してもらっているが、さすがに反対の大合唱の中では推し進めることは難しいだろう。

 貨幣を鋳造して供給量を増やすというのはインフレの懸念があり危険なことでもある。

 その理を述べて理知的に同意を求めれば、多数派であることも影響し、中立の者の多くは反対に回る可能性が高い。

 鋳造反対派に中立の者が組させぬための計略として、わざと悪し様に言ったのだ。

 当然ここまで言われた反対派は激昂し、通常の判断ができなくなり、感情的に言葉を発して反対するだろう。それだけでも反対派に組することに中立派は二の足を踏む。さらにそれを見て不快を示す有斗を見れば、中立派もそうそう反対の立場に肩入れはできないのである。

 そして彼らはラヴィーニアの思惑通りに、反対派は口々にののしったりわめいたりして無様な醜態をさらした。中立派の者たちはその姿に眉をひそめる形になった。

「だからと言って、負担を我らにだけ押し付けるというやりかたは納得できぬ!」

「陛下、私はそのような卑しい考えから反対しているわけではございませぬ!」と泣きまねをしながら有斗に無実を訴える者もいる。

 一斉にざわめく廷臣たちを有斗は前に出した手で押さえるようにして静まるようにうながした。

 静けさの中、ラヴィーニアの声が朗々と響き渡る。

「商売が活性化すれば、商人や農民だけにその恩恵が与えられるわけではありません。最終的には我ら官吏だってその恩恵にあずかることができるではありませんか。それは新通貨を作らなかった場合ほど得にならないかもしれませんが、全ての万民に恩恵がいくならそれでいいではないですか。国家の存在意義とは特定の個人や集団の為に存在することではないのですから」

「それは確かにそうだ」

「ここはアメイジアのため、我ら士大夫たちこそが率先して身を切るべきだ」

 中立派の中で賛成に回る者の声が大きくなっていく。

 その後もラヴィーニアが切々と理知的な弁舌で説得を続けるにつれ、反対派の声は小さくなっていき、朝議の空気は完全に賛成する方向に傾いた。

 ここになってようやく、ラヴィーニアは論戦を止め、有斗に最後の決断を迫る。

「さて、今の説明をまとめますと、つまり陛下が各地における特産品の生産を押し進めなくても、いずれ貨幣不足は深刻になること間違いなしです。であるなら流通に必要な量、新銭を至急作るべきだと愚考します」

 有斗は同意するように大きくラヴィーニアに頷いて見せた。

「有難うございます。陛下」

 頭を下げるラヴィーニアを満足そうに見ながら、有斗は節部尚書に貨幣鋳造の命令を下す。

「よし貨幣の鋳造については節部省が担当すること。計画が出来次第、僕のところに持ってきて欲しい」

 これで予定されていた議論すべき事柄は全て済んだ。

 ならば散会だ、と朝臣がほっと気を抜いた瞬間、玉座から有斗が突然、声を発した。

「さてここで皆に下問したいことがある」

 昨日打ち合わせをした、今日やるべきことはもう全て終わったはず。陛下はいったい何をしようというのだ? ・・・あたしは一切聞いていない!

 と、ラヴィーニアは突然の成り行きに呆然とし、嫌な予感で大きく汗をしたたらせた。

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