第219話 イスティエアの戦い(Ⅰ)

 乱とは正当なる政権に対する反乱を指す。

 のちの歴史小説などでは第二次有斗包囲網などという名で呼ばれる東西合一以後のこの一連の戦争は、正式には首謀者であるカトレウスの名を取って、カトレウスの乱と呼ばれる。


 大河を渡ったカトレウスは少し内陸へと進み宿営すると、しばらく動こうとはしなかった。王師がやって来ないかと待ちうけていたのだ。

 王都に近づけば近づくほど、補給線は延びる。

 また、王師を破っても王都に近ければたやすく逃げ込むことができる。そうなれば戦いが長引く。

 大軍をもって畿内へ侵攻したカトレウスだが、できれば早く決着をつけておきたいというのが本音である。長期間王城を包囲していると、諸侯が心変わりしないとは言い切れない。

 であるから大河に一番近い城塞であるベネクス城を取り囲むと、わざと数日攻め掛かろうとしなかった。王都から救援の兵を率いて王が来ないか試してみたのだ。

 その目的は残念ながら果たせなかったが、それでも無駄というわけでは無い。

 トゥエンクを始め、味方を表明していた南部諸侯が次々と兵を率いて参陣する。これでカヒの征西軍は一段と厚みを増した。

 参集した南部の兵は約一万、ここにカヒが畿内へ投入した兵は傭兵も含めると総計八万五千、公称十万と号し、耳にした朝臣の顔から大いに血の気を引かせた。


 もちろん朝廷とて手をこまねいて見ていただけではない。

 関西と河北から王師を呼び戻し、諸侯に召集をかけ、傭兵を招集した。

 後手を踏んでしまったので、傭兵の集まりは悪い。それでもなんとか五千は確保できた。

 問題は諸侯である。河北はカヒの侵攻にあっている、召集したくてもできない。南部の状況も最悪でダルタロスがカヒに呼応して挙兵したことで、ロドピアやハルキティアといった有斗に近しい諸侯も本領を留守にすることができなくなった。関西もカヒに呼応した諸侯がいる。そして王とカヒとを両天秤にかけている諸侯も多い。さらには内心ではカヒ側に立っている諸侯すらいるだろう。迂闊うかつに動けない、ともっともらしい断りを入れる諸侯が相次いだ。

 それでも王師と共に五千ほどの兵と諸侯が東京龍緑府までやってきてくれた。

「関西の状況は今どうなっている?」

「パトゥレア伯には諸侯で構成された押さえの兵を三千ほどをその場に残して撤退しました。まだ叛旗を翻した諸侯は四つ残っているのですが、優先度を考えるとその攻略で足を止められるわけには行きません。放置いたしました。陛下より兵符を賜ったのに、ご期待に応えられなかったことをお詫びいたします」

 ステロベが兵符を有斗に返そうと捧げ持ってぬかずいた。

 有斗は側により、ステロベの両手を取って立ちあがらせる。

「立ってステロベ卿。君の判断は間違っていない。それでいいと思う」

「そうそう。それに親玉であるカトレウスを倒しちゃえば、そういった子鼠どもはちょろちょろしなくなるものだよ。放っておけばいいんだよ」

 何故か有斗が言うべきセリフをアエネアスが言う。

 そういうのを決める権限は羽林中郎将には無かったと記憶しているんだけどな・・・有人は首をひねった。

「次いで河北はどうなっているのだろう? エテオクロス報告を頼む」

 エテオクロスが一礼し、有斗に現在の河北の状況を報告する。

「河北に侵攻したカヒの軍はおよそ二万五千、我々が放棄した慶都を占拠した模様です。ただガニメデ卿と第十軍が現地に残り敵の足を留めようと奮闘しておりますので、すぐに畿内に来るといった危険はとりあえず回避できたかと」

「ガニメデ・・・ああ、確か鹿沢城や堅田城でヘシオネと一緒に守備をしていた将軍だったかな・・・」

 一瞬、ガニメデって誰だったっけ、とさえ考えた有斗だったが、頭の片隅を探り、ああ、あの見栄えのしない中年のおっさんか、となんとか思い出した。

 確かに守城では手腕を発揮したと言える経歴だが、それも頭にヘシオネがいたからだ。一人で何とかできる才覚まで持っているのだろうか。しかもカヒ相手にどれだけ持ちこたえられるだろうか。

 ガニメデの全ての活躍をただ一度も実際に見ておらず、活躍の報告を受けたわけでもない有斗が思ったことはそれだけだった。

 鹿沢城で壷関の兵と戦った活躍のことはヘシオネやラヴィーニアの存在とそれを報告するはずであったアリアボネの罹病、病死で完全にどこかに行ってしまい。韮山のことは有斗の眼に入らなかった上、敗戦報告の中にこちらも埋もれてしまっていたのだ。

 大丈夫かな・・・確か第十軍は五千を切っていた気がするけど・・・

 少しばかり不安が頭をぎる。

 だが今から他の手を打つ時間もなければ、余っている手駒もない。ここはその男に任せるしかないか、と有斗は腹をくくるしかなかった。

「ではしばらくは河北のことは考えずにすむとして、次は南部だね、どうなっている?」

「南部は河東近辺の八諸侯が裏切った模様です」

 ラヴィーニアが立ち上がると最新の状況を報告する。

 一週間前より二つも増えている。カヒが近畿に足を踏み入れたということがそれだけ衝撃的だったのだろう。

「あまり言いたくないけど・・・黙ってるわけにもいかないから言っとく。どうやらそこにダルタロスも入っているらしい」

 アエネアスは苦渋の表情を浮かべると、有斗から視線を外して頭を下げた。

「別に謝らなくていいよ。アエネアスやベルビオやプロイティデスが裏切ったわけじゃないんだろ?」

「う・・・うん。そうなんだけどさ。やっぱダルタロスに連なる者としては、陛下に謝っておかなくっちゃって思うんです」

 再びアエネアスが頭を下げた。

 正直に言うとショックだった。ダルタロスは有斗にとって心の支えだった。例え他の諸侯全てが敵に回っても最後まで味方でいてくれる、そういう存在だと思っていた。

 でも兵士たちは上の命令には従わなくちゃならない。主がアエティウスじゃなくなった以上、有斗に対する感情はさて置いて、主の命令であるなら有斗に剣を向けねばならない。今の現状を考えると、ダルタロスがカヒに味方してもしかたがないと思った。勢いは完全に向こうにあることは有斗も理解している。

 アエティウスがいてくれたら、こんなことにはならない、とも思ってしまうけれど。

「それで僕には十分だよ。・・・でも、できれば戦場では出会いたくないな」

 ダルタロスだけでなく南部諸侯には何も持っていなかった有斗を助けて王師と戦ってくれた過去がある。彼らとは、できれば剣を交えたくないというのは有斗の本音だった。

「ダルタロスは仕方が無いとはいえ、他はどうなっている?」

「五千の兵を有する大諸侯であるダルタロス家がカヒに付いた。と言ってもその精鋭は王師や羽林の兵となっているので、以前ほどの精強さはないのですが、それでも五千という数は数、周辺諸侯に与える政治的影響力は計り知れない。動けないという言い訳を使って中立する諸侯を除くと王に味方する諸侯の兵は五千を切る。その諸侯たちも動くのは難しいと思われます」

「と考えると現在の総兵力は・・・」

 有斗は指折り数えだす。こういうとき携帯・・・いや、せめて電卓でもあればなぁ・・・と暗算の苦手な有斗は思った。

 ザラルセンが仲間と共に王師に加わったこと、またいくら兵数を減らして一軍五千にするのがラヴィーニアの目論見で有斗も賛同したとはいえ、さすがに隊列が組めなくなるような事態は避けなければならない。それにカヒと戦うのだ、一兵でも多いほうが良いに決まっている。

 将軍の求めに応じて多少の新兵の補充を行った結果、今現在の有斗が保有する兵力は、


 第一軍 プロイティデス 六千

 第二軍 エテオクロス  六千

 第三軍 ヒュベル    五千

 第四軍 リュケネ    七千

 第五軍 ザラルセン  八千

 第六軍 ステロベ    五千

 第七軍 ベルビオ    六千

 第八軍 アクトール   五千

 第九軍 エレクトライ  五千


 諸侯の兵        一万

 傭兵          五千

 そして最後に羽林の兵  四千


 である。第四軍だけ兵数が多いのは先の戦いで河東に行かなかったためだ。韮山での敗戦で王師が被った被害の大きさがそれだけで分かろうというものである。

「・・・約七万といったところですね」

 有斗が頭の中で数字と格闘している間にラヴィーニアがあっさりと答えを導き出す。

 七万といえば畿内に上陸したカヒの兵には少し及ばないが、十分戦えるだけの大兵である。数だけならば、の話ではあるが。

 だが他に注ぎ込める戦力はせいぜいが金吾武衛の兵六千、河北に残った第十軍五千を加えるのが限界である。それに金吾羽林武衛の兵は元々、要人の護衛、要所の警備、犯罪人の追捕などが仕事なのである。一対一の戦いなどには長けているが、野戦の経験も訓練もない。傭兵のほうがましだとラヴィーニアから辛辣な言葉を頂いたくらいである。

 対してカヒにはまだ余力がある。河北に二万五千もの軍、南部にはダルタロスの軍五千があるのだ。

「河北から別働隊が来る前に終わらせたい。二万五千もの兵が更に加わったら勝ち目はない。四方を囲まれ補給路を閉ざされたらこの街はあっという間に干上がってしまう。ここは城を出て野戦にて決着をつけたいと思う」

 だがその有斗の意見に賛同するものは一人としていなかった。

「それは・・・」

 ざわ、と場がざわめき、将軍たちは顔を見合わせた。

 やがて皆を代表してエテオクロスが有斗に発言の許可を求めた。

「陛下、私は城に籠もっての持久戦を取るべきだと愚考します」

「野戦では勝ち目が無いと思う?」

「恐れながら、その危険性が高いかと・・・」

 エテオクロスは臆病と言う批判を浴びることを覚悟でそう進言した。臆病風に吹かれたと思われても構わない。これには朝廷の命運が懸かっているのだから、慎重になってしかるべきなのだ。

 エテオクロスが危惧するのは総兵力の差というよりは、騎兵戦力の差である。

 主戦場になりうる大河西岸から王都までの間は平坦な土地が続く。騎馬突撃を防ぐような要害の地が見当たらない。せいぜい川があるくらいだ。となれば敵は優勢な騎兵戦力を生かして、包囲殲滅を計るに違いない。それを王師が防ぎきることができるかと考えると、否定的な考えをとらざるを得ない。韮山で見たとおり、騎兵戦では圧倒的にカヒ有利なのだから。

 しいて野戦をするなら、カヒが大河に上陸するところを強襲するしかなかったとエテオクロスは思う。今更言ってもしかたがないことだが。

 王師の将軍たちもそれに賛意を表すように頷いていた。

「臣もそれに賛成いたします」

 エテオクロスを後押しするようにステロベも賛意を表した。

「他に意見はないかな?」

 有斗は助けを求めてちらりとラヴィーニアに眼をやった。

 だがそれに応えてラヴィーニアの口から出た言葉も有斗の意見に反対するものだった。

「あたしも反対です。勝ち目が無いとは申しませんが、明確に勝つという確信が無いのならば籠城すべきです。カヒは我らより兵が多い。そしてカヒ二十四翼は常勝をうたわれる強兵です。正面から戦うのは分が悪い。だがカヒは過去にこれほどの大兵を動かしたことがありません。大河を超えての兵糧輸送といい、河東、南部諸侯に傭兵の混じった混成軍といい、今はまだ表面化していないだけで、問題になりそうなことは山ほどあります。対陣が長ければ長いだけ次々と問題が発生するに違いないのです。それをじっくりと観察してから計略をもって敵の弱体化を図り、戦機が熟すのを待って戦端を開くほうがよいと思います」

 それは僕も考えた、と有斗は首を振ってその考えを却下する。

「この王都は大勢の人間が住む。食料は外部に頼りきっている都市だ。何ヶ月もの籠城に耐えられない。それに七万もの兵を持っているのに、一戦もしないで籠城したら諸侯はどう思うだろう? 王の弱腰を笑い、今以上に裏切るものが出るのは眼に見えているじゃないか。内部からも裏切るものが出て、王城の門を開き敵兵を招き入れ、我々は戦う前に敗北する可能性だってある」

「・・・その意見には多少納得しないでもないですが・・・」

 一瞬だけ納得しかけたラヴィーニアだったが、その後を続けた有斗の言葉に仰天した。

「それに野戦ならば、例え僕が勝つにしろ、負けるにしろ、一日で勝敗はつく。アメイジアの民の為にはそのほうがきっといい」

「そんな綺麗ごとは犬にでも食わして下さい。戦いは勝利しなければ意味が無いのです」

「勝利・・・か」

「はい。どんな素晴らしい理想であっても実現するのには権力が必要なのです。負けたら陛下の理想を実現することはできないのですよ!?」

 それに綺麗ごとの為に兵を死なせ、国家に混乱をもたらすなど王たる者としては許されないことだ。

 ラヴィーニアとしてはそんなことはどうあっても許すわけにはいかない。

「だが敵を破る方法を僕が思いついた、と言ったら?」

 有斗の言葉に場が再びざわめく。それはそうだろう、今までの有斗は将としては、お飾り一歩手前の人形みたいなものだった。戦場で冴えのある指揮を見せたことも無い。それが急にいい作戦があるからなどと言い出しても信用できるはずも無い。むしろ不安が浮かんでくるばかりだった。

「・・・もし合理的な作戦があり、それで敵を葬れるというのなら反対はいたしません。本当にあるのならば、ですが」

 ラヴィーニアの言葉は際どかった。それはまさに不敬罪の一歩手前と言ってよい。

 だが有斗は現代人である。あまり王の権威や身分の上下と言ったことにこだわりはない。ラヴィーニアの不敬など気にも留めなかった。

「僕はアエティウスとアリアボネ、亡き二人から戦争について色々学んだ。その結果たった一つの原則があることを理解した。戦争は総兵力の差で決まるのではなく、いかにして一対一の状態から一対二、いや一対多の状況に敵を追いやって、敵の主戦力を無力化し、味方の主戦力で敵を削って戦力を減らしていくかで決まるということを、だ。側面や背後から回り込んで攻撃するのも、その状況を作りこむための方策でしかない」

 将軍たちは有斗のその発言に多いに失望した。それはそうであろう、そんなものここに顔を並べている将軍たちにとっては百も承知のことである。

 その程度のことをさも大発見したかのように堂々と発表する王にむしろ危惧を覚えた。

「はい」

 諸将たちは渋々と言った具合に相槌あいづちを打つ。

 有斗はここまで心のこもってない相槌あいづちを聞くのは初めてだった。

 まだ序文なんだから、もう少し我慢してくれないかなぁなどと、肩を落とす思いだった。

「カヒはおそらく両翼に騎兵を置いて、回り込みを図るだろう。韮山のことを考えると、王師が両翼から回りこむことも、王師が敵の回りこみを防ぐこともなかなか難しいんじゃないかな。だから左右から回りこむのではなく、敵の中央を突破しそこから両側に広がって、背後から襲おうと思うんだ」

「中央突破は先頭の兵が三方の敵から攻撃を受ける形になります。突破し、敵戦列に穴を開けられればよいのですが、万一まんいち足が止まるとたちまち崩壊しかねない」

 それは確かに兵数が少ない軍が、兵数の多い敵を破るためにしばしば使う作戦だ。

 だがこちらが中央に兵力を集めたら、当然敵も中央を厚く布陣し突破を防ごうとするであろう。敵だって馬鹿じゃないのだ。

 中央突破は多くの成功例があるが、それを大きく上回る失敗例もある作戦でもある。成功率は高くない。そうそう考えどおりに行くほうが少ない。

「そう、いくら王師とはいえ、守ろうとする敵戦列に穴を開けるのは楽じゃないことはわかっているよ」

 有斗はそう言って、有斗の考えを否定するエテオクロスの意見に同意を表した。

 そこにいるものは有斗を除いて全員混乱した。ラヴィーニアですら有斗が何を言いたいのか分からず、眉をひそめていた。

「つまり、なにがおっしゃりたいんで?」

 ベルビオが首を傾げて有斗に訊ねる。

「つまり、僕が言いたいのは───」

 有斗は机の上にあった文鎮を部隊に見立てて諸将に説明を始めた。

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