第218話 南部四衆

 さて、いよいよカヒの畿内侵攻について筆を割くべき時だが、その前にもう少し中央とは別の戦場に目を向けておきたい。

 河東対岸にカヒの軍が集結する少し前のことになるが、南部にてもうひとつの戦いが始まろうとしていた。

 1月5日、正月気分が抜けきらぬ中、まずマシニッサが公然とカヒにつくことを宣言すると、翌6日、ダルタロス公トリスムンドもカヒにつくと公言し兵を挙げた。

 前もって示し合わせたような、足並みのそろった両者の行動に他の南部諸侯の間に一斉に動揺が走った。

 ダルタロス側が送って来た、形ばかりの誘降の使者をロドピア公は追い返した。

「使者の口上、確かに承った。協力すれば本領安堵をカヒに必ず請け合うとのこと、まことにかたじけなく存ずるが、ロドピア公家は累代関東朝廷の封を受け、浅からぬ君恩に浴した身である。それを利で忘れて旧主への先兵となるなど、屍の上の恥辱と心得る。王都へと進みたくば我が屍を踏んでいくが良い」

 それはエレウシスが決して降伏することはないという通告であったが、同時に古くは高祖神帝サキノーフより朝廷の封を受け、現王の恩を多大に受けているダルタロスへの痛烈な皮肉ともなった。

 それを聞いて怒ったというわけでもなかろうが、ダルタロスはカトレウスの露払いをすると称して、西方へ兵を進めると遠慮せずにロドピア公領へ侵攻した。

 まるであらかじめそうなることを予期していたかのような迅速な動きだった。

 他の南部諸侯でロドピアに味方するという男気を見せる者はいなかった。多くは既に裏でカヒに通じており、逆にダルタロスに協力する気配すら見せた。

 だがロドピア公は彼らを責める気にはならなかった。

 カヒが今まで南部攻略に幾度も失敗したのは、河東の情勢やオーギューガのことで本拠地を長く留守にできなかったこともあるが、大河を渡ってもトゥエンクやダルタロスといった大諸侯が足を引っ張って行く手を阻んできたという要因がある。

 また南部四衆と並び称されるが、勢力的にはダルタロスが飛びぬけて大きく、次いでハルキティア、トゥエンク、ロドピアという順になる。

 このうちハルキティアは精鋭をヘシオネと共に堅田城落城で失ったことで家中は揺れに揺れて往時の勢力を失っており、ダルタロスとトゥエンクがカヒに付けば、もうそれだけで南部の勢力バランスはカヒへと傾くのである。

 言ってしまえば王が頼りにならぬ現状ではダルタロスとトゥエンクがカヒについた以上、もはや南部の中小諸侯に選択肢はないのだ。

 ロドピア公エレウシスとて戦国の世を生き抜いてきた諸侯の一人である。後の世の軍記物語などでは南部諸侯きっての律義者として描かれることが多い男だが、本来は海千山千の古狸なのである。

 生き延びるためにはここはダルタロスにならってカトレウスにつくのが賢い生き方であることは百も承知だった。

 自身の為だけでなく家族のため、更には家臣やその家族、そして愛する領民の為にも被害を少なくする為にはカヒに付くのが正しい選択だと分かっていた。

 だが彼はその選択を取る気にはならなかった。彼にも守らねばならぬ評判というものがある。一戦もせずに降伏しては何より外聞が悪い。

 だがそれ以上に彼の行動を決心させたものがある。

 それは男としての意地であった。

 この先、王が天下を取ろうとカトレウスが天下を取ろうと、王の証跡は必ず史書に書かれるのである。

 その時、必ず南部四衆のことが並んで書かれるはずだ。

 ここでエレウシスが右に倣えをしてカヒに味方をしたら、後世の史書には必ずやこう書かれるであろう。

『ダルタロス公アエティウスは王の盾となって命を落とし、ハルキティアのヘシオネは河東の地にて非業の死を遂げた。それに比べ、トゥエンクのマシニッサとロドピア公エレウシスは王の厚恩を受けた身にもかかわらず、我が身可愛さに容易くカヒに転向した』

 嫌だ、とエレウシスは思った。それだけは絶対に嫌だった。生き残るためにはどのような罵声を浴びようとも構わないが、あのような人として大切なものをどこかに置き忘れてきた男と、さも同じ人種であるかのように並んで書かれ、永遠に晒され続けて馬鹿にされることだけは願い下げだった。

 後世の者はこれを見て必ずや、これまでの業績も生き方も何もかも理解せずにエレウシスもマシニッサと同じ酷性な男だと思うに違いない。

 エレウシスだって完璧な善人ではないが、だからといって欲深くして義薄しと呼ばれるあのような男と同じにされるのは憤慨ものである。

 子孫も後ろ指を差されて、肩身の狭い思いをして生きていかねばならぬだろう。

 戦い抜かねばならぬ。死にたい訳ではないが、ここで死なねばならぬ。エレウシスは熟考したうえでそう決意した。

 そうすればエレウシスも王の忠臣として史書に名を遺すであろう。


 家臣の手前、あるいは領民の手前、まずは野戦を行って意地を示すのが通例ではある。

 だが彼我の戦力差を考えれば、その一戦だけで事が決してしまう恐れがある。

 エレウシスはロドピア中央にある居城を戦わずして捨て、臥牛城がぎゅうじょうという山城に兵を集めて籠城し、ダルタロス勢を待ち受けた。


 とはいえ最低限のことは行った。息子の嫁と生まれたばかりの孫を息子の嫁の実家に逃したのである。

 これでロドピアの血が途絶えることだけは避けれる。情勢が変わればお家再興も可能だろう。

 自分の意地とやらで家臣を実りのない戦に追いやるのは可哀そうではあるが、エレウシスが王の忠臣として死ねば、その家臣であらばと生き残った者やその子供たちも士官の口には困るまいと多少都合のいい考えを持ち出して、それ以上考えるのをやめた。

 領内から集まった兵士たちを前に籠城することを告げた。

「陛下は我が忠誠を忘れはせぬ。籠城していれば必ずや後詰を出し、救援してくださる」

 そう言ったが、その言葉をエレウシスがそもそも信じていなかった。

 王はカヒの本軍と戦うにも手勢が足らない。戦いの本流から外れた南部の小城ひとつに兵を割くなど常識から考えたらありえない。わざわざ負けに行くようなものだ。

 もしカトレウスがかつての有斗のように南部から王都を目指すと道を取るというのならば話は別になってくるだろうが、それでも王が南部に兵を向ける頃にはこの城は十重二十重に囲まれて王師と言えども救出はできぬであろうし、そもそもその前に落城しかねなかった。

 エレウシスの言葉を聞いた兵士たちもまるで信じた様子が見られなかった。言った本人が信じてもいないことを信じろと言う方がどだい無理なのである。

 夜間に兵の脱走が相次いだ。

「累代の厚恩を忘れ、我が身可愛さに逃げ出そうとは、それでも南部の男か」

 ロドピア公の息子のガレリウスはその若さから憤慨したが、エレウシスは特に彼らを責めたり、引き留めたり、脱走を防止する手を打とうとはしなかった。黙って逃がしてやった。

「あの者たちには、あの者たちの人生があるのだ。そう怒るな」

 親兄弟、愛する者や子供など卑怯者と言われても生きることにしがみつくに足る理由をそれぞれが持っている。彼らの気持ちは分からないでもない。エレウシスだって立場が違えば逃げ出したいくらいなのだ。

 城に籠った兵は四百を割り込んだ。

 

 だが逃げる者あれば、逆に命を捨てにわざわざ入城する酔狂な者もいた。

 まもなくダルタロス勢が足下に触れなんとする夜に、一団の軍兵が城門を叩いた。

 すわ敵襲かと城兵は殺気立ったが、彼らはダルタロスの兵では無かった。

「たれか」

 という武器を構えて警戒する衛兵の誰何すいかの声に

「我が主、ハルキティア公パルメニオンがお力添えしたく推参したとお伝え願いたい」

 と返答があり、城門は俄かに騒がしくなった。

 エレウシスは既に寝室に退いていたが、この知らせに夜着の上に上着を羽織って急ぎ城門へ向かった。

 楼閣の上から暗がりの中を覗き込むと、百ほどの兵が門の外にたむろしていた。

 エレウシスはそこに見知った顔を見つけると城門を開かせ、真ん中にいた屈強な男たちに担がれた輿こしに寝そべる、血色の悪い痩せた青年の傍へと近づき声をかけた。

「これはパルメニオン殿ではないか。このような剣呑な情勢下に公には我が城に何の御用でお越しか」

「マシニッサはいざ知らず、あのダルタロスまでもが陛下を裏切ったと聞いて切歯扼腕せっしやくわんしていたところ、ロドピア公が陛下の御為に籠城して迎え撃つと聞き及び、いてもたってもいられず我が手勢を率いて合力せんと参った次第です」

 エレウシスは驚いた。

 ハルキティア公は生来の病弱で知られており、家政は姉であるヘシオネが一手に引き受け、戦場は言うに及ばず家臣の前ですらめったに姿を現さないことで知られていた。これまで領土外どころか屋形の外にも出たことが無いと聞いたこともある。

 当然、戦場に立ったことも無く、荒事は苦手であると聞き及んでいた。

 そのような男が南部の南西部にあり安全なハルキティアの土地を出で、危険なロドピアの地に兵と共に赴いて来るとは慮外なことであると言わざるを得ない。

 またハルキティア家の当主ともあろう者がたった百の兵しか連れてきていないことにも不審を抱いた。

「しかし・・・ハルキティア家は動員兵力二千を数える大諸侯であられるはず。他の兵はどうなされた?」

 百の兵でも今のロドピアにはありがたいし、単なる援兵として送ってくるのなら十分な数字であるのだが、現党首自ら率いて戦うには少なすぎる。それではエレウシスと共に死ぬようなものではないか。

 そのエレウシスの問いにパルメニオンは恥ずかし気に目を伏せた。

「老臣たちは此度の戦ではカヒに付くべきだ、王には勝ち目は全くないと申して私に賛同してくれません。裏でカヒに通じていることも分かっています。ですから私に賛同してくれる若い者たちだけと密かに計って城を脱してきました。このように姉がおらなければ家内ひとつ満足に治めることができない非力な私です。お恥ずかしいことです」

「なんの。気落ちなさるな。落城必至の城に来るなど、幾千の戦場を戦った剛の者でも躊躇ためらうもの。公の勇気は南部に冠たる。わしも勇気づけられる思いだ」

「恐縮です」

「だが悪いことは言わん、帰られよ。我が領土を守るために、ここでわしが死ぬのは武辺の意地というものだが、無関係の公まで死ぬことはない。公を死なせたら、私は公の姉に対して立つ瀬がない。陛下も悲しまれよう。公の好意は決して忘れはせぬ。敵に城を囲まれぬうちにここを離れなされ」

「そう、つれないことをおっしゃらないでください。是非にも共に籠城させていただきたい」

「聞きなされ。公とわしが一体となっても、もはや南部でカヒに抗すことは敵わぬことなのだ。我が意地に付き合わせては、わしが黄泉で公の姉に合わす顔が無い」

「敵わずともかまいませぬ。姉に対してあのような無道な仕打ちをしたカトレウスに一泡でも二泡でも吹かせられさえすれば、命など惜しくはありません。このままでは私の方こそ死んで姉に合わす顔がありません」

 自分がここで死ぬのは意地であったり、諸侯としての避けがたい運命だったりするのだが、パルメニオンはもっと別のもの、大事なものの為に死ぬことを決意したのだ。エレウシスは感動すると同時に、ふと切なくなった。

「分かった。もう何も言いはせぬ。共にこの城で屍となりましょうぞ」

 エレウシスはパルメニオンの手を取ると固く握りしめた。


 油断をしているというわけではないが、城は普段の生活の場にも使用している以上、くたびれているところもあるし、兵の配置や移動に不適切な個所もある。ダルタロス勢が来るまでのわずかな間にエレウシスは城内の片付けや補修、兵の配置などに時間を使った。

 ダルタロスは城を臨むと、陣取りやすいように城の近くの民家を焼き払った。

 もちろん戦場になると分かった住人たちは既に逃げ払って人的被害は軽微だったが、それでも住むところを無くすことには変わりは無い。

「この地を奪えば自らの民となる者を無碍に扱えば、恨みを産むだけだ。それすら分からぬのか。ダルタロスも落ちたものよ」

 民にとっては仁君と称えられていたアエティウスならば、このような手段は決して取らなかっただろう。

 だがそれは別の面から考えると、ダルタロスの目的が悠長に包囲して、エレウシスに降伏を促してロドピアの地を得ると言ったことではなく、この城を落とし、さらにその先へと兵を進めようとしているのは明らかだった。

「あるいはカヒの本軍に王師が向かっている間に王都を落とそうと言った腹積もりかもしれませんね」

 所有兵力から考えれば無謀ともいえる策だったが、王も腹背から錐の一刺しを受けようとは考えてもいないことだ。どう転ぶかは分かりはしない。

 もし成功すればカトレウスが天下を取ったとしても、ダルタロスの首功に対して一目置かざるを得なくなるだろう。

 ならば一日でも長くこの城を持ちこたえさせることこそが、ダルタロスの足を止め、ひいてはカトレウスの野望を挫くことにも繋がる。

 エレウシスはパルメニオンの言葉に頷いた。

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