第217話 タロイオスの戦い

 一方、カヒは襲撃を行った者の正体を探るために、そして来るべき輜重しちょうの護衛を兼ねて西へと兵を送り出した。

 ここでガイネウスはちょっとしたミスを犯した。主将のサビニアスはいいとして、その下につけた二千三百の兵は諸侯の兵であった。数も質もガニメデ隊に大きく劣っていた。生き残った兵から報告された千という数を鵜呑うのみにしたのだ。いわば相手を舐めていたのである。

 でもそれも仕方が無い。王師の大部分が畿内へ撤退したことは事実なのである。そして慶都はカヒが制圧した。つまり河北に残ったとしても補給が受けられない兵だ、枯渇しない程度しか残せないであろう、多くても千であろう、と踏んだとしても仕方が無いではないか。

 これを発見したガニメデだったが、すぐさま襲い掛かることはしなかった。一回ならともかく二回も襲ったら警備が厳重になるだろう。これ以降は敵も本気を出してガニメデ隊を掃討しようとするに違いない。

 いわば糧道が絶たれ、孤軍という形となっているガニメデ隊だ。兵糧は多いにこしたことはない。ここは敵兵が輜重と合流してから襲ってそれを奪うのが得策と判断した。

 そして輜重と共に敵兵が再び街道に現れる時をしばし待った。

 敵は警戒も緩く、尾行にすら気が付かない。

 行きの旅路でガニメデたちの足取りを発見できなかった上、襲撃もされなかったサビニアスたちは気が緩んでいたのだ。そんな状態であったから、側面から襲いかかれると抗じきれず、またしても蹴散らされ、あっさりと輜重を奪われる。

 それを聞いたガイネウスは一瞬顔を紅潮させたかと思うと、次いで血の気が引いて蒼ざめた。

 このまま放っておいては二万五千の河北侵攻軍が餓死してしまう。もはや畿内侵攻などは夢のまた夢である。

 だがサビニアスもできる限りの手は打っていた。輜重の車のわだちの跡を追って、密かに敵の後をつけさせたのだ。

 それで敵の規模、拠点などの情報を掴むことができた。

「あれは第十軍と言って元は鹿沢城の守備兵や地方の城砦警備をしていた兵を集めた軍のようです。先日まで堅田城を守っていた部隊の一部だそうです」

「寄せ集めか・・・」

 しかしあの手並み、まるで歴戦の兵士ででもあったかのように手ごわかったが、とサビニアスは首をひねる。

「率いてる将軍は何と言う名前だ?」

「ガニメデという将軍が指揮しているそうです」

「聞いたことが無い名だな」

 デウカリオも首を傾げる。王師といえば『陥陣営』のエテオクロス、『万夫不当』の猛将ヒュベル、『鉄壁』のステロベ、『正義の宰相』リュケネあたりが高名な将軍である。地方の城砦管理をしていた程度のガニメデの名前など河東に聞こえるはずも無かった。

「負けたから言うのではないが、並みの将では無いぞ。兵もよく訓練が行き届いておる」

「わかってる」

 サビニウスは他国にその名を知られているカヒ二十四翼の一人なのである。多少兵が寄せ集めで少なかったとしても、並の将軍に負けるはずが無い。

「数は五千、タロイオスの森の中をねぐらにしているようです」

 五千、結構な数である。だが場所が分かったなら、対応の仕方はいくらでもある。逃がさぬように河北のカヒ全軍を持って包囲すれば、簡単に叩き伏せることができるであろう。

 そうガイネウスが考え終わる前に、声が上がる。

「では今度はワシが行こう」

 声の主、デウカリオがのっそりと立ち上がろうとするのを、バアルが片手を上げて止めさせる。

「あ、いやお待ちを」

「・・・なんだ?」

 デウカリオは既に出陣する気であったから、バアルの横車に不快をあらわにする。

「山賊まがいの兵を退治するのに高名な五色備えを使うことなどありますまい。五色備えの名が廃るというものです。ここは私に行かしていただきたい」

 それは一応筋の通った話ではあるが、デウカリオにはバアルが戦功を横取りしようとしているように映った。実際、それも浅からずとも遠からずだった。バアルは直ぐに激昂するデウカリオでは敵の罠に嵌ってしまわないかと心配だったのだ。こちらは既に二度もむざむざと敵に兵糧を奪われるという大失態を犯している。もう一度惨敗しようものなら、諸侯が動揺するだけでなく、これからのカヒの戦略に大きな修正が必要になる事態が引き起こされることだってありえるかもしれない。

「だがそなたは客将だ。こんなことで客将の手をわずらわしては面子がたたん」

 それはバアルを気遣ったというよりは、部外者は黙っていろ的なニュアンスが含まれた言葉だった。案の定、険悪な空気が二人の間を流れる。

 これ以上、空気が悪くならないように二人の間にサビニウスが割って入った。

「二人ともいい加減にしてもらいたい。味方同士で争ってどうすると言うのです」

「いかにも、敵は五千、これは放置できない数です。どうせそやつらが河北にいて糧道を絶つ動きをしている間は、我々は危険が多すぎて、とても近畿へは向かえない。急いで補給も受けねばならない。ここは全軍を挙げて慶都を放棄し、敵を攻めるべきだ」

 ガイネウスは戦力の逐次投入を望まなかった。全戦力で持って敵を叩き潰すことを表明する。

 だがそれを聞いても無言のままの顔を合わせようともしないバアルとデウカリオの有様を見て、このような時に仲間内で揉め事とはいったい二人とも何を考えているのか、と溜息を漏らすガイネウスであった。


 数刻後、デウカリオを先頭に河北侵攻軍は再び街道を東に向かう。バアルは中段後方に位置していた。

「貴方も先陣を切りたいだろうが、ここは我慢していただきたい。デウカリオの顔を立ててやって欲しい」

 申し訳ない、とサビニアスに何度も頭を下げられた。

「いいえ、気にしておりません」

 と、バアルは深々と頭を下げ返す。

 バアルは別に先陣を切りたいと思っているわけではない。そしてそのことをサビニウスも分かっていることも知っている。

 だからそれはデウカリオに先陣を与えた行為と同等で、バアルの憤激を少しでもなだめようとする気遣いであるのだろう。

 そのサビニアスの態度に比べたら、自分は確かに我を通しすぎたかもしれない、まだまだ未熟だなとバアルは恥じ入るばかりだった。

 敵が潜伏しているというタロイオスの森は東西三キロ南北二キロの広大な森だ。河北諸侯の案内でそこへと向かった。

 慶都に地図でも残っていれば良かったのだが、こういう事態を恐れていたのか断片すらも見つからなかった。敵は相当抜け目のないやつだ、とそのことをガイネウスは再確認した。

 敵に接近を悟られないように慎重に行軍し、一気に南北から挟み打ち、逃げ惑うところを殲滅する。

 ここでバアルは本隊から離れた。カトレウスから預かった二十四翼の三翼をもって、北側へ、つまり森の裏側へ回って逃げる敵の退路を断つことが与えられた任務だ。

 デウカリオと並んで戦って、一悶着あったら困るとでも考えたんだろうなと苦笑する。

 バアルは街道を離れ、少し速度を上げて森の北側へと向かう。

 だが森の北西あたりで偶然、森から出てきたガニメデの兵と鉢合わせしてしまった。

 ガニメデはカヒの軍が接近することをいち早く知って、早々に森から逃げ出すことにしたのだ。

 双方敵が近くにいることも、干戈を交える可能性も十分認識していたにもかかわらず、それは不意の遭遇戦となってしまった。

 バアルは敵が出てくるのは森の北側からだと考えていたうえ、森の中に斥候を送っても迷うだけだと思い、行わなかった。同様にガニメデも森の南面の敵ばかりに目を捕られ、森を抜け出した先に何がいるのか把握しようとしなかった。

 迂闊うかつだった。

 双方、完全に不意をつかれ、凍りつく。双方ひきつった表情が見えるような至近距離でいきなり対峙することとなった。

「敵は隊列を組んでない! 突撃せよ!!」

 最初に静から動に変わったのはバルカ隊だった。

 ガニメデ隊は森から次々と現れ、森のきわは兵であふれ出さんばかり、層を厚くする。情報が正しければガニメデ隊は五千。対するバルカ隊は三千を少し割っている。時間をかければ確かにガニメデ隊を追ってサビニウスやガイネウスらがやってくるであろうが、まさかバアルが目の前で布陣をしている間、ガニメデとかいう将軍がそれを黙って見逃してくれるはずもない。

 すると陣どころか隊列も組んでいない状態で、数に勝る敵を長時間支え続けなければならない。

 それはいかに七経無双とまで言われるバアルといえども難しい。

 ここは、機先を制するために、進んで先制攻撃を行い、まず敵の出鼻をくじく。敵も行軍の為に縦に長く伸びた行軍体勢だ。防御は難しかろう。

 ガニメデはこの時、後手を踏んだ。バアルと違って先頭近くにいなかったことで情報の伝達が遅れ、すぐさま戦闘状態に移行することができなかった。

 その遅れは高くついた。

 バアルの声に応え、パッカスをはじめとした恐れを知らぬ若武者たちがまず先手をきって敵の群れの中に突入し、無秩序に突き刺さった。

 それは軍対軍の戦いでも部隊対部隊の争いでもなく、兵士対兵士の乱戦となった。一対多、一対一、多対一。そうなると長年にわたる関東の戦いで鍛え上げてきた坂東兵の剽悍ひょうかんさは王師をも上回る。

 もし森の木々が騎馬突撃を妨げていなかったなら、もしくは森から軍が完全に出ていたなら、ガニメデ隊は最初の攻撃で壊滅的な被害を被ったであろう。

 百人隊長ら、旅長が声を荒げて兵たちに指示を出し、突貫で隊列を組もうとする。

 だがカヒの騎兵は賽の河原の鬼のように、組みあがった少しばかりの隊列を端から崩してしまう。

 そこに退きがねの音が響くことで、ようやくガニメデからの指示が前線まで伝わった。

「兵を退かせて敵を誘い込め! 退いてくる味方の為に退路は空けておけよ! ここに陣を敷いて敵を迎え撃つ!」

 森の中は確かに陣を敷きにくいが、何の遮蔽物もない森の外へ出て隊列を整えるなど騎馬に蹴散らされるだけだ。自殺行為に他ならない。

 だがガニメデが陣を敷いた森の端は木々がまばらだった。カヒの兵は馬の背につかまるようにして木々の下を潜り抜け襲い掛かってきた。

「退くな! 後詰はおらぬのだ! ここを支えねば我らは全滅する!」

 一旦そこで跳ね返し、食い止めたかに見えたガニメデ隊だったが、カヒ兵は攻撃する兵の隙間を次々と新たな兵が埋めていき、その場で即席の戦列に似たものを作りあげた。それが再び攻撃をすると、とうとうガニメデ隊は支えきれなくなった。

 ガニメデの体は退いてくる兵に飲みこまれるようにして後退した。

 だが森の奥へ、深くへ行けば当然木々は生い茂る。人の手入れも行き届かず斜めに生えた木、倒れた老木、小さな茂みなど騎馬で通るに適した場所とは言えなかった。

 カヒの追撃はそういった自然の障害物によって阻まれ、追われているほうのガニメデ隊にも少しだけ心理的余裕が生まれた。

 ガニメデは人の波に飲まれて、後備に位置した輜重の馬車あたりまで押されて、ようやくそこで兵たちの指揮をなんとか取り戻した。ガニメデは一瞬、ここで踏みとどまって反撃したいという誘惑に駆られた。

 せっかく奪った物資だ。むざむざ失いたくないという思いがどうしても浮かぶのだ。

 確かに兵はようやく混乱状態から脱した。ここでなら再度防衛の陣を敷けるかもしれない。

 だが冷静に考えると、ここにいつまでも留まっているわけには行かない。眼に見えないが、今も南から残りのカヒの兵が刻一刻と近づいてきているに違いないのだから。

「馬を外し、急いで馬車を倒せ!」

「そんな! それでは輜重はどうするんですか?」

 何十キロもの荷物を背負って持って行くなんて明らかに無茶だと、兵士たちは反対した。

 だがそれ以上のことをガニメデは考えていた。

「油をかけて燃やすんだよ! ここに火で壁を作り、カヒ兵の追撃を断ち切る!」

 ガニメデの言葉に兵たちは言葉を失った。慌てて幹部たちが前言を翻すように説得を始める。

「ここで輜重を捨てれば我々は飢えます!」

 だがガニメデはその考えをかたくなに変えようとはしなかった。

「かまわぬ! どうせここからは持っていけまい。敵に奪いかえされるのが関の山だ。それにここで死ぬよりは、マシだろうが!」

 兵糧はこんなこともあろうかと、各地に分散して隠している分がある。もちろん半分以上の兵糧はここだ。そんなにあるわけではない。

 だがなんとかそれでやっていくしかないだろう。

 こうなれば兵を各地に散らして、遊撃戦で抵抗して敵の足止めをし、王都から救援が来るのを信じて待つしかあるまい。


 逃げる敵を追って森の中を進むバルカの前に突然、自然のものとは思われぬ巨大な黒煙が立ち昇る。

「火!!?」

 思わぬ事態にカヒの将士に狼狽が走った。

「しまった火計か!?」

 しかし妙だな、冬とはいえこの森は湿潤で、とても燃え広がるほど火が広がることはないのは地面を見れば明らかだ。それが証拠に前方から火にあぶられて逃走してくる兵はいない。それどころか兵列はわずかだが前進している。

 前方からやがて報告の兵が来る。

「どうやら敵は輜重に火を放って我々を食い止めようとした模様!」

「道を変えて敵を追え! 多少迂路になってもかまわん! 前面全てが火に包まれたというわけではあるまい!」

「それはそうなのですが・・・翼長が兵たちを糧秣の回収、鎮火に回してしまったようで・・・」

 確かに河北侵攻軍にとって今何よりも必要なものは食料だ。

 翼長が敵が置いていった兵糧の回収を優先する理由もわからなくはない。それも狙ってのことだとしたら、敵の将軍は実に心理を読むのが得手といえる。

 大したものだ。逃げるために惜しげもなく輜重を捨てるとは。その決断力は敬服に値する。

 そこまで考えると、バアルは敵が何のために糧秣を捨て、燃やしたのかを悟った。

 これはバアルたちの追撃を振り切るための策だ。

 つまり敵は───

 そこまで考えるとバアルは森の外へと急ぎ馬を返した。慌てて周りの数人の兵たちが後に続く。

 森の外に出ると、目当てのものをバアルはその眼に映し出すことに成功した。

「やはり、な」

 敵はすぐに森を離脱するだろうと思っていた。まごまごしていれば我々に包囲されかねないと理解しているのだ。

 すでにガニメデ隊は最後尾が森から出るところであった。

 溜息をつくバアルに、追いかけてきたパッカスが追撃の意思があるかどうか訊ねた。

「追撃いたしますか?」

 バアルは振り返って顎で背後の兵を指し示す。そこには十か二十ばかりの騎兵がいるだけであった。

「いや、こちらもここまでだ。森から兵を返しているうちに敵は我々の手の届かない場所に行ってしまうだろう。それに森の中を通ってくる友軍はいつ来るかも分からない。追撃して孤立すれば兵の数は向こうが多い、撃破されかねない。それこそを恐れるべきだ」

 バアルの言葉にパッカスも頷く。残念だが、この兵数では返り討ちに合うだけだろう。

「・・・敵と同数あればなどと贅沢は言わない。あと一千ばかり兵がここにあればな」

 だがその言葉の字面ほど、悔しさはバアルの口調には感じられなかった。

 バアルは去っていく兵の後列にひるがえ鷲獅子グリフォンの紋章旗を惚れ惚れと見上げた。

「敵将ながら見事だな」

 優れた好敵手に巡り合うのは戦士として大いなる喜び。

 バアルは確信した。韮山で彼の前に立ち塞がったのも、志文川の戦いで崩れ去る王師を追撃しようとしたバアルの突撃を跳ね返したのも、なおかつ二万五千を数えるカヒの兵を五千の兵で河北に釘付けにし、先程までバアルと互角の戦闘を繰り広げたのも、全てが同一人物が行ったものに違いないということを。

 いくら王師といえども、これほどの手腕を持つ戦術家が二人もいるとは思えなかった。

 それに確かにあの旗には見覚えがあった。

「確かガニメデとか言ったな、敵の将軍の名・・・覚えておくぞ、その鷲獅子の紋章と共に」

 そう言ってバアルは、遠ざかる旗をしばらく見つめていた。

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