第220話 イスティエアの戦い(Ⅱ)

 一月二十五日、カトレウスは包囲していたベネクス城に一斉に攻撃をしかけた。

 まさに衆寡敵せず、堅固で知られたベネクス城であったが落城するのに三日と要しなかった。

 一月二十八日、河東諸侯を先頭にして、カトレウスは十万と号すその軍を一路、東京龍緑府とうけいりゅうりょくふへ向けて押し出した。

 カトレウスの前に敵はいなかった。

 前に現れたのは放棄された城砦。かつて南部と河東からの攻撃に備えて、王都までの道筋には城砦がいくつも連なっていたが、南部が王朝に帰属したこと、そして有斗が進めた緊縮財政の為に今や全て無人である。

 そしてカヒが攻め寄せて来るという話を聞いて、略奪を恐れた人々は山へと逃げ隠れ、村落も無人であった。

 文字通り無人となった野を公称十万の大軍は西へと粛然しゅくぜんと歩を進める。

「王は出てくるかな?」

 カトレウスの諮問しもんに四天王の一人ニクティモが応じる。

「可能性は半々かと。王都から来た文によると、王は野戦を望んでいるようですが、朝臣や将軍たちは籠城を主張しているようで、未だ方針を決しえないとの情報を得ました」

「それはよい」

 ニクティモの答えに、カトレウスは上機嫌に笑った。

「篭城するにしても小競り合いくらいはあろう。その緒戦でわざと負ければ、王はカヒ恐るるに足らず、と反対する臣下を押し切り出兵するに違いない」

 王が籠城を主張していたら厄介なことであった。王が反対するのなら、いくら将が場外での決戦を主張しても、兵を出さないであろう。

 だがその逆であるならば、兵を引っ張り出すことは不可能な話ではない。

 それにしても韮山で手も足も出ないほど、こっぴどく叩きのめしたのに、それでもワシに再度、野戦を挑もうなどと考えるとは、いやはや実に勇気があると言うべきか、とんでもない愚か者と言うべきか。

 やはり天与の人など紛い物だったのだ、とカトレウスは確信した。

 カトレウスは幾多の不安要素を抱える長期の篭城戦より、得意の野戦で決着をつけるほうが勝つ確率は段違いに高いと踏んでいた。

 もちろん例え篭城で双方時間切れ、引き分けになってもカヒの負けではない。河東の一諸侯が王に叛旗を翻し、畿内に足を踏み入れただけでも、戦国の歴史に残るだけの大事件である。

 その事実を十分に生かし、さらに外交努力で諸侯を取り込み、再度出兵すればいいだけだ。

 だがやはり、畿内侵攻という、慎重なカトレウスには珍しい大博打を打ってみたからには、この一戦でケリをつけたいという気持ちもある。

 であるならば王が野戦を望んでいるというのはカトレウスにとってまさに僥倖ぎょうこうといえる。

 天はやはりこの俺を選んで戦国の覇者にしようとしている。あの紛い物の天与の人は俺の踏み台に過ぎなかったのだ。

 カトレウスは必勝の信念を抱いて、決戦の地、イスティエアへと近づきつつあった。


 道々、参戦を表明していた南部諸侯が次々とカヒの兵列に加わった。

 その中で何よりカトレウスを喜ばせたのは、ダルタロス家の参陣であろう。

 ダルタロス家は五千の兵を擁する大諸侯だ。だが今回の戦に際しては一千しか兵を引き連れて来なかった。

 だがカトレウスは既にダルタロスの主力がロドピアの地を攻撃し、南部から王都を窺う動きを見せていると報告を受けていた。

 それだけでも喜ぶには十分な要因だったが、ダルタロスといえば四師の乱で南部に落ち延びた今の王を、王都に戻すにあたって多いに活躍した殊勲の家。

 先君は有斗を支え続け、最後は有斗の身代わりとなって命を落とした人物、元勲げんくんと呼ぶに相応ふさわしい人物であった。

 それほどの家が王を見捨ててカヒについたということは、冷静に判断して、王ではなくカトレウスが必ず勝利すると見たということだ。

 さらにはそれほどの諸侯が裏切ったということは、他の諸侯に限らず、民や兵士、官吏にも大きな影響を与えることも期待してよいであろう。

 王から離反する動きをする者が増えるかもしれない。是非ともそれを取り込みたいものだ、そうすれば王を野戦に引き摺り出さなくても、天下を得ることは可能だ、とカトレウスはほくそ笑んだ。

 それ以外にも、カヒに付くと決めた大物はまだまだいる。例えば───


 その男はカトレウスはじめカヒの重臣の好奇な視線を一身に浴びても、眉一つ動かそうとしなかった。

「トゥエンクのマシニッサと申します。此度は我が主、マッシウァに代わり兵を引き連れて参陣いたしました」

 作った笑みを絶やさずに愛想を振りまく様は、さすがはマシニッサ、実に堂々たる態度である。

 汗だくになりながら震えて平伏するだけだったダルタロス公トリスムンドとは雲泥うんでいの差であった。

「南部に名高い不動殿に、とうとうお目にかかることができた。いやいや今日はまたとない良き日と言えるな」

 そこはカトレウスも名高い狐、今まで幾度か刃を交えたことも、カヒに味方すると言ったにもかかわらず兵を動かそうとすらしなかった過去も、此度こたび参陣が遅れたことにたいする感情も、何より韮山から落ち延びる王を捕まえたのにカヒに引き渡さなかったことも、全ておくびにも出さず、機嫌よく愛想を振りまいていた。

 もちろん内心には忸怩じくじたるものがどす黒く渦巻いてはいたが。

「ははははは。こちらこそ戦国に名高い英傑であるカトレウス様にお目にかかれて光栄至極。これからは私を譜代の家臣の如く、気兼ねなくお使いください。我がトゥエンク家はカトレウス様の天下布武のため、牛馬の労をも辞さぬ覚悟です」

 マシニッサは地面に額がつかんばかりの勢いで頭を下げた。

「近く王とは刃を交える日が必ず来る。華々しい活躍を期待しておるぞ」

「ははっ」

 カトレウスの言葉を聞いて、もう一度しおらしく頭を下げるマシニッサに四方から鋭い視線が突き刺さった。


 一通り諸侯との謁見が終わると、カトレウスは二十四翼の将たちと車座に座って食事を始める。

 話題はもっぱらマシニッサのことだった。

「さすがは乱世の梟雄きょうゆう、不敵な面構えだ」

 そう褒める声も無くは無かったが、どちらかというと辛辣しんらつな言葉ばかり並んだ。

「しかし、しらじらしい男ですな。よくもまぁ、あれほど心のこもってない言葉を次々と言えるものだ」

 ダウニオスは口に出すのも汚らしいといった風に吐き捨てた。

 カトレウスもあらゆる手管手腕を用いて勢力拡張を計って来た人物だ。部下たちもその謀略を近くで見てきた。それに時代は戦国の世だ。勝利者こそが正義、敗北者が悪となるのである。

 だが物事には何事にも限度というものがあるだろう。彼らから見てもマシニッサはやりすぎだった。

「いや、あれくらいでないとこの乱世は潜り抜けられまい」

 言葉とは違って口調にはマシニッサをかばう音色は微塵も感じられなかった。

「それに・・・」

 と言って、カトレウスは突如押し黙る。

 だがここにいるのは長年カトレウスと戦陣の中で過ごした側近中の側近、彼らにはその表情一つで、カトレウスの内心が透けて見えた。

 その顔からは、参陣までしたマシニッサをいきなり罰することもできまい、といった本音が感じられた。

 それに役目が終わってから、じっくりと始末してしまえばいい。同時にそういったこともその顔は物語っていた。


「どうでしたか謁見は?」

 マシニッサが自陣に戻るや、スクリボニウスが、すかさず近いて首尾を訊ねた。

「まぁまぁだ」

 よくも無ければ悪くも無い。まさにマシニッサが想像していた範囲内で謁見は終わった。

「それはよかったですな。御味方すると言っていたのにこれまで塵とも助力しなかったことで、手打ちにでもならないかと心配していたのです」

「・・・俺が処刑されなくて残念だったか?」

 マシニッサが皮肉たっぷりにスクリボニウスにそう訊ねた。

「いえいえ! そんなめっそうもない・・・!」

「ははははは、冗談さ。それにカトレウスといえども兵を引き連れて参陣した諸侯をいきなり処刑したりするものか。他の諸侯の手前もある」

「しかし、遂にカヒに御味方することを決められましたな。いつ決断なさるかと冷や冷やしておりましたぞ」

 スクリボニウスの見たところ、カヒの勝利は九割九分間違いない。王に近い南部諸侯もこういう風に次々と離反している以上、王にはもう挽回する術などないと思われた。よほどのことが無い限り、王が勝利することは望めないだろう。例えばカトレウスが明日死ぬといった奇跡でも起きない限りは。

「まぁ、もはや誰が見ても勝ちは見えた戦いではありますからね」

 スクリボニウスがそう続けると、マシニッサは悪戯いたずらっぽく笑みを浮かべ、声を忍ばせると耳元で小さくささやく。

「戦いは最後まで見て、はじめて勝者がわかるのさ。序盤勝利していても最後に負けては何の意味も無い。それにひょっとしたらこの俺が王に勝利をくれてやることになるやもしれんぞ」

 マシニッサが顔に妖しげな笑みを浮かべるのを、スクリボニウスは複雑な表情をして眺めていた。

 今や次の天下人たるカトレウスににらまれないことがこれからの世を生き延びるための秘訣である。怪しげな動きをして余計な猜疑心さいぎしんを招くような事態だけは避けて欲しい、そうスクリボニウスは心から願わずに入られなかった。


 翌一月二十九日、カトレウスの下に待望の知らせが舞い降りる。

「殿! 王師が遂に動き出しましたぞ!」

 物見からその情報を聞いて慌てて駆けつけたニクティモの報告を受けると、カトレウスは右手に持った采配を左手のてのひらに打ちつけ小気味良い音を響かせ、興奮気味に立ち上がった。

「それは祝着至極しゅうちゃくしごく!」

「おめでとうございます、御館様」

「敵とはどこで戦うことになると思う?」

「やはり王師は川を挟んで布陣するのではないでしょうか」

 畿内を東山道で王都に向かうには二箇所、川を渡らねばならない。

 カヒの軍と王師との間に山岳や段丘といった戦略的要地が無い以上、川を前面に置いて、布陣するのは兵法の基礎中の基礎だが・・・

「だが王都に近い足守川で守備をするにしては早すぎる。そしてもう一方の上音羽川で防ごうと思っているのならこの出発は遅すぎる」

 どちらかと言うと後者かな、とカトレウスはそう結論付けた。敵の読み間違いで、出立が遅れたと考えるのが妥当だ。

「もしかしたら・・・完全な野戦になるやもしれませんな」

 そうなればますますカトレウスの思う壺だった。なにかの間違いでそうなってくれないかな、などとカトレウスはひととき幸せな妄想にふけった。

「よし、急ぎ兵を出立させよ。王師が殻から出てきてくれたのだ、この好機は是非逃したくない」

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