第212話 亢竜悔いあり

 中書省では中書令であるラヴィーニアが中書の仕事をやりつつも、書状を書くのにてんてこ舞いだった。

「へぇ・・・これ全部、各地の諸侯に送る書類? 今日もお仕事ご苦労さんってとこだね♪」

 だとしたら、ちっとは黙ってくれてもいいのに。側で話されると気が散るんだけどな、とラヴィーニアはじろりとアエネアスをにらんだ。

 ラヴィーニアの視線などどこ吹く風、アエネアスは文机の上の書類を広げ、片っ端から勝手に読み始める。

 一応、機密書類なんだけどな・・・、とラヴィーニアは眉をひそめる。

 まぁアエネアスなら洩れる心配はないのだろうけど。

「こっちは諸侯に対する引止めの書簡ね。恩賞をちらつかせ、王師の人数を過大に書いて虚勢を張ってる。こちらは再度カヒから寝返らせるための書簡か。王師優位と思わせ、カヒに味方したままだといずれ滅びると脅迫に近いことをやっている。こちらは同じような寝返りの書簡だけれども・・・他の諸侯の名を出して誘っているってことは、これは内部に亀裂を入れる謀略ってことか」

「意外といい勘してるじゃないか」

 剣だけがとりえの猪武者だと思っていたが。さすがにダルタロスの御令嬢ともなればいっぱしの教育は受けているというわけか。

 ラヴィーニアが書簡に込めた意図を的確にとらえていた。

「・・・ひょっとして、あれもそうなの?」

 と、突然何かにひっかかったらしい、アエネアスがラヴィーニアに振り返って訊ねる。

「あれって何だ?」

「最近、京内で流行っているやつ」

「どんな?」

「カトレウスはもともと関東の朝廷の臣下であったのに、欲に目が眩んで王に叛旗を翻した。しかも配下の諸侯を使って王を騙して誘い出し、卑怯にも騙まし討ちをしようとした。王はこのアメイジアに平和を取り戻そうと努力してきた。それは万民の願いでもある。だがそれを奪おうとする極悪人がいる、カトレウスだ。国を憂う者は一銭でも寄付し、武器を取って立ち上がろうと、皆に説いて回る動きがあるといった話」

 街の辻々に人々が立ち、朝廷への助力を求める運動を続けているという。その動きは王都だけでなく西京などでも見られるという話だ。

「それもそうだね、最初はあたしが仕込んだやつだった。今は民衆が率先してやってるようだけれどもね」

「ひょっとしてあれで戦費を調達しようとか考えている?」

 確かに国庫は底をついているとはいえ、その考えはみっともない。国家としての威厳も無くなってしまうだろう。

「まさか!」

 ラヴィーニアは鼻で笑ってそれを否定した。

「確かにまとまれば結構な額にはなるさ。だけど戦費にはぜんぜん足りない。足りるわけがない。あれには二つの思惑がある。まずカヒを悪人だと広く流布すること。諸侯であれ民であれ、周囲が悪人だと言っている者に味方するのは、気後れするものさ。臣民の心にある周囲の目を気にする世間体ってやつと、正しいものに味方したいっていう良心とやらを利用させてもらうのさ。そして次に募金をさせること。額は実は問題じゃない。お金は誰にとっても大切で価値があるものだ。それを差し出したからには、当然無駄金になってもらっては困ると思うだろう。正しいことに使って欲しいと願うはずだろう。王を、そして王師を応援する。そして肯定する。自分が金を出したのだから、正しいことに間違いないとまで錯覚する。それに出すものを出したのだから、勝ってもらいたいとも思うことだろう。言ってみれば事業に投資をした商人と同じような感覚におちいるわけさ。どちらも味方の内部から裏切り者を少しでも出さないための策謀さ。万が一、長期の戦争になったときに備えてね」

「・・・ほんとにいい性格してるわ。あんたって」

 ラヴィーニアが書いた書簡を眺めながら、アエネアスは頬をひくつかせて褒めてるんだかけなしてるんだか、どちらにも取れるような言葉を言った。

「・・・」

 アエネアスほどじゃないけどね、とラヴィーニアは心の中で反論した。

「そうそう来た用件を忘れてた。聞きたいことがあったからなんだ。ちょっと時間いい?」

「なんだい?」

 ラヴィーニアには珍しく、機嫌よく、アエネアスの相談に応じることにした。さっさと用件を済ませて帰ってもらおうと思ったのだ。このままここにいつかれたらたまったもんじゃない。ラヴィーニアにはやらなければいけないことが山ほど残っているのだ。

「正直言っちゃえば、今の有斗がカトレウスに戦場で勝てる未来がわたしには見えない。でもわたしにできることはこの剣を振るうことだけだもの。だけどラヴィーニアは違う。アリアボネのように見えない何かを見る能力ちからがある。ラヴィーニアの謀略でなんとか戦場以外で勝つ方法は見つからない?」

「難しいな。万を超える軍の激突は、小手先の謀略でなんとかできるものでもないからな」

「そっか、難しいんだね・・・」

 有斗の夢はここで終わってしまうかもしれない、とアエネアスは呆然とした。・・・そして、それはアエティウスやアリアボネが有斗に見た夢も終わってしまうかもしれないということでもある。

 そんなアエネアスに苦笑いを浮かべてラヴィーニアは一つの言葉を言い放った。

亢竜こうりゅう悔いありと言う」

「なにそれ?」

「竜は天空高くあるを望み、大地から飛び立つ。登る間はただ上を見つめて登るだけでいい。希望と夢を抱いた竜は、いつか天の際まで昇りつめるだろう。その存在を亢竜という。だけれども、そこは天空の果て。そこから上には上がれない、いくら竜と言えども。登りつめた後は、もはや下る他ない。下るだけの生、それは悔いがある生だ。栄華を極めた者は必ずいつか衰えるということを表すことわざだね」

「・・・有斗が負けるってことを言いたいの・・・?」

 アエネアスが不快もあらわに声を低くする。

「いいや、決まっていない。まだ、ね。それに誰にも分からない。未来のことは、誰にもね。関西を下し東西を統一した王と、諸侯を味方につけ十万とも号する兵を動員し、悲願の天下取りの為、畿内に兵を向けたカトレウス・・・戦うのは二人、されど勝者はひとり。さてさて、亢竜となるのはどちらかな?」

 ラヴィーニアは片方の当事者である王を補佐する立場の人だ。その盛衰は自身の運命にも直結していると言ってよいにも関わらず、何故か他人ごとでもあるかのように呟いた。


 ラヴィーニアはその日も中書令の仕事で、そして近々に迫ったカヒとの決戦の準備に追われて、夜になっても一人黙々と働いていた。すでに月が高い。今日も自宅には帰れないことであろう。

 と、筆を止めるとしばし考え込んだ。

 やがて、「───いる?」とささやくように言葉を呟く。

「・・・ここに」

 感情の乏しい、冷たい女の声が響くとラヴィーニア以外既に退室した中書省に、もうひとつゆらりと蝋燭ろうそくに照らされて影が現れる。

「ひとつ質問がある」

「なんなりと」

「カトレウス、殺せないかな?」

 あっさりとした口調でラヴィーニアはとんでもないことを言い出した。影が息を呑む気配が伝わってくる。

 しばしの沈黙の時。

の者は強固な組織を持っていますれば、おそらくは無駄かと」

「お前でも無理か」

「無理ですね。ご命令とあらば試みはいたしますが、わが命と引き換えにしても殺すことは叶いますまい」

「そうか・・・」

 予期していた答えとはいえ、残念なことには変わりがない。それが可能ならば、負ける確率が高い戦場での決着という手段を取る必要がなくなるのだけれど・・・そう上手くはいかないか、とラヴィーニアは寂しく笑った。

「ではガイネウスならばどうだ?」

「不可能ではないとは思いますが・・・警備は厳しいかと。それにガイネウス一人殺したところで大勢に影響はありますまい」

 言外にこちらも難しいことを匂わせる言葉だった。無駄死ににならないかと恐れているのであろう。

「河北侵攻軍はカヒの主力ではない。だがそれでもカヒの一軍であることには間違いはないのだ。現に河北へ渡った王師五軍は苦戦を強いられている。それにはガイネウス、デウカリオ、サビニアス、バルカといった優秀な指揮官がいることが大きい。だがデウカリオとバルカの間に間隙ができた。ガイネウスがいる限り、その不仲は表立って影響を与えるまでにはいたらないだろうが、もしガイネウスが死んだら主将はデウカリオがなることだろう。外様で格下のサビニアスではデウカリオを押さえきれまい。デウカリオとバルカ、統一行動が果たして取れるかどうか・・・。それにその空隙を突く策だって立てられる。さらにはデウカリオはおつむが単純だ、ガイネウスに比べると格段に組しやすい」

 ラヴィーニアは影にとつとつとその利益あることをひとつひとつ説いてみせた。

「・・・・・・それならば、やってみる価値はあるやもしれません」

 わずかに躊躇ためらいはあるものの、前向きな言葉が返ってくる。

「そうか、頼む」

 その言葉を聞くや、退出しようとする影を、ラヴィーニアは再び呼び止めた。

「それと、この書簡。河東に行く配下に持たすが良い」

 ラヴィーニアが指し示した文机の上には五通ほどの書簡が並べられていた。

「これを宛名の諸侯に届けよ、と・・・?」

「まず一つを選んでその諸侯の兵を探し出して殺し、その懐深くに入れておけ。カヒの兵にわざと見つかるような場所で殺しておくのだ。のこり四つはその名前どおりの諸侯に届けよ。ただし正面から届けるなよ。朝廷とその諸侯には今のところ一切接触はない。直接渡しでもしたら、持って行った者は殺されかねない」

 雇い主の複雑な注文に影が苦笑した。

「めんどうをかける」

 といって影は書簡を取り、広げて眺め読む。と、その署名を見て影の声に驚愕の色がにじむ。彼女にしては珍しいことだ。

「・・・王の直筆!?」

「うまいだろう? あたしが真似たんだ。いっとくがなまじっか上手い人の字より真似るのは大変だったんだぞ。わざと下手糞な文字で書くってのはさ」

 それに王の悪筆さは相当なものである。真似ているだけで段々と苛々いらいらして、途中で幾度も紙を破り捨てそうになったくらいだ。

「ああ・・・なるほど、そういうことですか。ですが相手はあのカトレウス、こんな子供こどもだましの謀略通用しますか?」

 影はようやくラヴィーニアのやろうとしていることを理解した。

 これを届けた翌日、カトレウスの元には五つの書簡が届けられることになろう。四つは諸侯から『このような妖しげな書簡が来ました』という報告とともに、そして残りの一つは『殺された諸侯の兵の懐から、このような妖しげな書簡が出てきました』という報告と共に。

 カトレウスに諸侯を疑わせるという策だ。

 だがそんな単純な策、カトレウスのような海千山千の古狸ふるだぬきに通じるだろうか?

 そして、ラヴィーニアともあろう人が、カトレウスが見抜くであろうことに気が付かないのであろうか?

 影は当然沸きあがるその二つの疑問に頭を混乱させた。

「おそらく見抜くだろうね。なぜなら今、優勢なのはカヒだ。韮山の戦の前ならともかく、こんな時に王に内通するなんて物好きな河東の諸侯などいるはずもない。カトレウスは子供じみた愚かな手だと一笑に付すだろう。だが今はそれでいいのさ」

「・・・?」

 普段、表情の乏しい影が混乱した顔をするのを見て、満足そうにラヴィーニアは微笑んだ。

 ラヴィーニアのことをよく知る彼女ですら見破れなかったとするのならば、カトレウスにも真の意図を悟られずにすむかもしれない。

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