第211話 苦悩(下)

 翌朝、有斗は起きると、まだ未決の書類が山と積まれた執務室に真っ先に入る。

 最近はアエネアスに剣術の稽古をつけてもらう時間も惜しいのだ。

 少し書類を片付けると朝議の時間だ。朝議を終えても一息つく暇はない、アリスディアに頼んで執務室に食事を運びこませて、朝食を取りながら、書類を少しでも片付けようとする。行儀が悪いけれども、こうでもしないと一向に書類が減らないのだ。

 ・・・

 朝食は今日も冷めてて味気ない。

 味噌汁とご飯だけでも温かいとありがたいんだけどなぁ・・・、と有斗は今日も溜息をつく。

 せめて味噌汁だけは毒見の後、再度温めるとか方法ないのかなぁ・・・冷えたご飯はなんとか食べれるけど、冷えた味噌汁は飲めたもんじゃない。あと副食は野菜ばっかりだ。たまに川魚。国庫の経済状況を考えると贅沢言えないけれども、本当に肉が食べたい。

 ひょっとしたらこの世界に豚はいないかもしれないけど、南部に逃げる途中でなんどか農耕用の牛は見たから、牛はいるはず。

 ぎゅうにくがたべたい!

 それにジャンクフードでもスナック菓子でもいいから味の濃い奴が食べたい!

 味付けが淡白すぎて・・・正直飽きてきた。

 もし誰かが変な異世界に飛ばされた時に困らないように一番覚えておいたほうがいい知識はなんですか、と訊ねてきたなら、今なら人工調味料の作り方を覚えておくことを勧めるだろうな、と有斗は思った。

 やっぱり食事ってのは、三大欲求の中で一日辺りの頻度が一番多い奴だから、これが健康だけでなく気分を左右することがある。ストレスを貯めないのはおいしい食事というわけだ。

 それに、もしそういうものがない、ここみたいな世界なら大儲けできること間違いなしだ!


 有斗はその冷めた味気のない食事を平らげると、暇になったらまた今度外出して買い食いをしようと考えた。

 それはこの世界における有斗最大の娯楽である。

 アリアボネの病状を見舞いにいった時のように、こっそり城を抜け出て街へ繰り出すのだ。そして露天や店頭で売られているお菓子や食べ物を買い食いする。お菓子だけでなく、何かの肉を串に刺して焼いたやつなども売っていて、行く度に新しい味の発見がある。

 でもそこで食べるものはどれも美味しいものなんだから、この世界の食事全てが不味いというわけではないようなのだが・・・

 王宮の食事が有斗の口に合わないだけかもしれない。

 買った物は王城にお土産として持って帰りもする。それをちびちび食べるのも楽しみの一つだ。

 もちろん外出する時にはアエネアスという口うるさい護衛オプションも付いてくるのが厄介ではあるのだが。


 アリスディアは典侍ないしのすけのグラウケネにひとまず有斗の世話を頼むと、食事の終わった食器を下げ御前を退出する。そして下げた膳を膳司に渡し、後片付けを頼むと、有斗の執務室に帰ろうときびすを返す。

 だが途中の弘徽殿こきでん前の廊下で、アリスディアが通るのを待ち構えていた二人の女に呼び止められた。

「アリス、どう?」

 アエネアスはアリスディアの袖を引く。

 そこにいたのはアエネアスとラヴィーニアの凸凹コンビだった。アリスディアは二人に向き直って立ち話をする。

「やはり・・・わたくしたちが考えていた通り、カヒとの戦を目の前にして少し緊張しておられるようですね。こんな陛下は初めてです。南部から王都へと向かった時以上に悩んでおいでのようですね。ご自身でもそれは自覚なされておいでのようです」

 話は昨日の有斗とアリスディアの会話に関するものだった。

 昨日の尚侍ないしのかみの分限を超えたような語りかけは、ここ最近様子が少しおかしい有斗を心配した三人が話し合って、あえて聞く事にしたのだ。ラヴィーニアやアエネアスが聞くと角が立つかもしれないし、虚勢を張って隠すかもしれないと思って、一番心安い存在であるアリスディアに任せることにしたのだ。

「無理も無いよ・・・今は全責任が陛下の双肩にかかっているもん。もう兄様もアリアボネもいないし・・・王師の将軍は信頼できる能力の持ち主ぞろいだけど、戦場で兵を率いるすべにはけていても、どうやって戦争を組み立てていくかという王の領分には遠慮して、あえて踏み込んで進言するほど親しい将軍はいないし。カトレウス相手に戦うには少し荷が重いかもね・・・」

 アエネアスはそう言うと、腕を組んで目を閉じ顔を伏せる。

「悪かったわね。陛下を補佐するのが、アリアボネじゃなくてあたしで」

 ラヴィーニアがほお鬼灯ほおずきの実のようにふくらましてぷいと横を向くと、不満げにそう吐き捨てる。

「別にラヴィーニアを責めてはいないよ。わたしたちだって兄様やアリアボネの代わりにはならないんだから。ラヴィーニアはよくやってると思うよ」

 その場をとりつくろうようなアエネアスの言葉にラヴィーニアは皮肉でこたえる。

「あたしが何をやってるって?」

 そうラヴィーニアが詰問すると、アエネアスは突然の攻撃にうろたえて、言葉を探した。

「ほら得意のあれ・・・あれだよ! 人をおとしいれるとか、人をだますとかいった性質たちの悪い奴、ラヴィーニアは得意だよね?」

 ようやく出てきたのは、とんでもない暴言だった。

 どうやらアエネアスが謀略って単語を言いたかったのであることは直ぐに理解したものの、いくらなんでもその言いかたはないだろう、とラヴィーニアは苦い顔をする。

「・・・そういったものが得意で悪かったね」

「き、気を悪くしないでよ、あはははは」

 これがアエネアスという女性なのである。悪気はないのだ。そのことに、と言うよりはそのことに慣れてきつつある自分に、また溜息をついた。

「それにしても、もう少し陛下を信じておやりよ。あんたらは陛下の母親か何かか? 心配しすぎ。陛下はもう立派な王であられる」

「・・・」

「・・・」

 その言葉にアリスディアとアエネアスは驚きで顔を見合わせる。

 最初から味方であり、付き合いの長いアリスディアやアエネアスよりも、ひとたびは反乱まで起こしたラヴィーニアの方が有斗を信じているというのも奇妙な話だった。

「何? 二人揃って顔を見合わせちゃって」

「いえ、驚いたのです。中書令は反乱を起こそうと思うほど、以前は陛下が王に相応しくないと思っていたはず。それが今やわたくしたちよりよほど陛下のことを信頼されていると思いまして」

 アリスディアの筋道が通ったその言葉に、ラヴィーニアは何故か不思議そうにアリスディアを見つめ返す。

 むしろ尚侍ないしのかみともあろう者が、そんな質問をすることに驚いたようだった。

「一度、主君として認めたからには信じて最後までお仕えするのが、臣下としての正しい在り方だとは思わないかい?」

「それはそうですが・・・」

 建前としてはそうだが、その生き方はアリスディアの把握しているラヴィーニア像とは一致しなかった。

 ラヴィーニアという稀代の謀臣は、どの勢力にも加担せず、いつもひとり、孤影であった。それは気高い精神がそうさせたというよりは、魑魅魍魎ちみもうりょううごめくこの政界を遊泳するために、あえてそうしているとアリスディアには映っていた。ようは才はあるが計算高い人物、いうなれば理想や夢のために生きるよりも、どんなことをしてでも生き残ることが大事であると考える俗物、と見えていたのだ。

 しかし顔を見るに、どうやら真面目に今の言葉を話していたような口ぶりだった。演技でなければ、という話ではあるが。

「それに陛下はもういくつもの戦を経験している。もはや素人じゃない。そもそも素人が相手だからって、カトレウスが手を抜いて戦ってくれるわけじゃないんだから、覚悟を決めなきゃ。あたしたちは考えうる限りの案を考え提示し、誤った道を歩まぬよう諫言かんげんし、できうる限りの努力をして陛下を支える」

 臣下は臣下のできる範囲内でできるだけのことをすればいい。それがラヴィーニアの考える良き臣下というものだった。

「そして後は陛下を信じる、それだけでいい」

「はい」

 アリスディアは保身の権化みたいな中書令から臣下の在りようを説教されるなんて、わたくしもまだまだ未熟ですわね、と一人自嘲する。

 そしてラヴィーニアの言葉に同意を表し、大きくうなずいた

「でも・・・それでもわたしは・・・」

 アエネアスは遠くを見るような目をしてつぶやいた。

「わたしは兄様が見た夢の続きを見てみたい。陛下が夢を叶えるその瞬間をこの目で見てみたい。みんなの夢をこんなところで終わらしたくない。だから・・・信じているけれども、支えてあげたい。何かの援けになりたいんだ」

「へぇ・・・」

 ラヴィーニアが珍妙なものを見る目つきでアエネアスを見上げる。

「な、なに!?」

「羽林中郎将殿は意外と陛下のこと考えているんだなって、そう思っただけ」

 ラヴィーニアが唇の端を曲げてにやにや見ると、アエネアスは何故か顔を赤くして、顔を背け、視線を逸らした。


「決めた!」

 有斗が突然そんな声をあげたものだから、書類の音読をしていたグラウケネは驚いて大事な機密書類を床に落としてしまう。

「きゃっ!」

「あ、ごめん。驚かしちゃった?」

「突然お声を発せられたもので・・・失礼しました───!」

 グラウケネは王に対する不調法に頭を垂れる。

「でも・・・なんのことでしょうか?」

「あ、いや。こっちのこと。グラウケネには関係ないから安心して」

 はぐらかす有斗にグラウケネはわけが分からずに首を小さく傾げた。

 有斗が決意したのはカヒとの戦のことだった。


 王都近郊まで引きずり込んで、決戦を行う。これだ、これしかない。


 まずは敵の後方を撹乱かくらんし、補給を妨害する。もしこれで退いてくれたら問題はない。

 これで退かなかった場合は、王都まで敵を誘い込み、敵の損耗を待つ。そして敵が王都に迫るころには、河北と関西に派遣した王師が合流するだろう。

 ここで平野での決戦に打って出る。

 籠城という手も考えたが、デメリットのほうが大きいと判断した。

 なぜなら打ち続く敗北で今や諸侯の心は完全にカヒに傾きつつある。王都に長期籠城している間に各地の諸侯に全部背かれたなら、もはやその時点で詰んでしまう。例えカヒの兵糧が尽きて退却しても、王朝はジリ貧だろう。各地の王領も諸侯に食いちぎられ、王師の維持もままならないかもしれない。いや諸侯がこぞってカヒに兵糧を回したら、何年でも王都を包囲し続けることも可能だ。

 しかもこの王都は生産よりも消費の方が大きい巨大都市だ。例え軍の兵糧が何年分あろうとも、先に市民が飢えて死んでしまう。暴動が起き、市民の手で城門が開かれる、そんな可能性も出てくる。

 なんどか考えたが籠城では勝利する確率が低いと判断した。


 それに野戦ならば、例え有斗が勝つにしろ、負けるにしろ、一日で勝敗はつく。

 王都の住人にも、アメイジアの民にもそのほうがきっといいことだろう・・・

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