第203話 第三次河北征伐(Ⅳ)

 芳野制圧の知らせは王都へと西に走りもしたが、同時に真逆にカヒの本拠地である七郷へと東に向けても走った。

 有斗とは逆にカトレウスは芳野制圧の一報を聞くと小躍りせんばかりに喜んだ。

「よし、これで全ての下地は整った。ガイネウスよ、そなたの策が実る時がようやく来たぞ」

「遂に天下取りをいたすのですな」

「おうさ。東国諸侯に陣触れし、早々に畿内へ押し出してくれるわ」

「南部諸侯にも触れを出しましょう。王師が大河の畿内側を固めた場合、渡河地点は南部ということになりますからな。カヒにつくと申した者たちが本心かどうかを確かめねばなりますまい」

「特にあやつの動向には注意せねばなるまいな」

 南部の大河流域を押さえる、狡猾で油断がならない、それでいて無視することのできない大諸侯でもある子憎たらしい男の顔を思い浮かべて、カトレウスは若干顔を曇らせた。


 カトレウスは寝る間も惜しんで諸侯への書状を二日間で書き上げた。

 カトレウスの強固な意志を全諸侯に知らしめんがために、なんと全てが祐筆の手によるものではなく直筆である。

 使者となった者たちも、カトレウスの意を汲んで寸暇を惜しんで諸侯へと使いした。

 マシニッサは七郷から来たというカヒの使者を丁重にもてなすと、神妙に頭を下げて書簡を受け取った。

 そしてカヒの使者を礼を尽くして送り出すと、すぐに家宰であるスクリボニウスを呼び出した。

「カヒは何と言ってきたのですか?」

「今冬の出兵に合わせて兵を出すようにだとよ。大河を渡るために必要な船の供出も合わせて命じられた」

 マシニッサはカヒに戦で敗れたが故に膝を屈して和を乞うたのではないのである。勢力の大小の差はあれど、カトレウスとマシニッサの関係は君臣ではなく同盟に近いもののはずである。

 だが平然と諸侯に命令を下さんとするカトレウスは、既に王を気取っているということであろうか。

「いよいよですか。参戦はカヒが畿内に渡ったのちということになりましょうか」

 参戦時期、場所、兵の数によって用意しなければならない糧食の量は変わって来る。その準備に追われる身となるスクリボニウスにとっては、それが何よりも気になる点である。

「それはまだ分からぬ。朝廷の防衛体制によっては渡河地点を南部にする可能性がある。もしかしたらカトレウスを我が屋形へと迎える栄誉に恵まれるかもしれんな。王とカトレウスという大物二人を館に迎えることができる幸運な男は、天下広しと言えども俺くらいのものだろうよ」

 マシニッサの表情は言葉に反して、たいして有難がっている風には見えなかった。

「で、いかがなさいます? なんだかんだ理屈をつけて兵を出し渋る手もありますが」

「参戦する。せざるを得ない。ここでカトレウスに少しでもトゥエンクに攻め込まれるような口実を与えるわけにはいかぬ」

「トゥエンクは南部の入り口にあたり、攻撃側防衛側双方にとって要地となりましょう。カトレウスが南部に兵を向けたら、王も南部に援兵を差し向けるのでは?」

「王は各地で手一杯で南部のことなど構っちゃいられぬであろうよ」

「しかし王としてはどこかでカヒの上洛を防ぐ必要があるのではないですか? それがトゥエンクということはありませんか?」

「それはない。ダルタロスが本格的にカトレウスにつくと決めたからな。王に味方しないだけでなく、カヒに合力し兵を出す約束をしたのだそうだ。王が一部の兵を南部に向けたとしても、南京南海府より先には進めぬであろうよ」

 一家の行く末に関わる大事である。めったなことでは外に漏らしてはならぬことだ。代が変わってもダルタロスとの間に友誼が生まれたということはない。だがマシニッサはどうやってかは分からぬがダルタロスの内情を掴んでいたようだった。

「ダルタロスが!」

 スクリボニウスは驚いた。といってもマシニッサがダルタロスの動向を掴んでいたことにではない。彼の主はそういったたぐいのことはたいそう得意なのである。

 驚いたのはダルタロスが裏切ったことにである。

 当主こそ代が変わったとはいえ、王師中軍や羽林の兵、あるいは官吏や後宮の女官にいたるまでダルタロス出身の者は多い。ダルタロスは言ってみれば王の半身なのである。

 そのダルタロスが王を裏切ったということは諸侯に大きな心理的に影響を与える。

 朝廷の内情を知りうる立場にあるダルタロスが、今までの繋がりを捨ててカヒについたということは、それだけ朝廷の力が衰えていると見るであろうし、朝廷をダルタロスが裏切ったのだから、より縁の薄い我が家が裏切っても何の問題も無いとも考えるであろう。

 それに彼らの家族の多くは今もダルタロスの地に住んでいるのである。ダルタロス公がカヒについたと聞けば心穏やかでは居られないのではないか。家族の為に裏切る者も出るかもしれない。

 だが、そのことに関しては彼の主はさほど気に留めていないようだった。

「そうだ。しかしそんな機密情報が早くも俺に洩れるようでは、ダルタロス公の周りにいる連中にろくな奴はいないな。アエティウスがいたころはダルタロスはこんなへまは決してしでかさなかったものだ」

 おかしなことにアエティウスという言葉を発した時のマシニッサの口振りは、どこか昔を懐かしんでいるかのように聞こえた。

「とにかくダルタロスがカヒにつくことは確実だ。若年ながらダルタロスという大家を継ぐことができたのは王の有形無形の後援あってこそなのだが、今の当主はアエティウスと違って物の道理とやらを分からぬ男らしい」

 例えそれが事実だとしても、物の道理とやらをマシニッサの口からだけはとやかく言われたくはないであろう。さすがのスクリボニウスも呆れてしばらく物が言えなかった。

「・・・・・・身内の叔父や叔母、家宰などに良いように言いくるめられているのでは? 今のダルタロス公はまだ子供です」

「子供かどうかは関係ないさ。俺があのくらいの年には、もう既に邪魔な奴は何人か殺していたぞ。まったく情けない男だ。あんなのが跡継ぎでは草葉の陰でアエティウスも泣いておろう」

 どんなに若年でも諸侯となったからには子供扱いするわけにはいかない。だから家内制御ができてないのは諸侯として責められることだと思うが、いくらなんでも比較対象がマシニッサでは可哀そうと言うものである。

 そもそも戦国の世とはいえ人を殺すことをさも当たり前のように言われても困るのである。ましてや子供が、である。

 スクリボニウスはまたまた呆れて、しばらく口を開くことができなかった。

「喉から手が出るほどの豊饒な土地に、若年の当主、無能な側近どもとくれば、この俺が是非にでも付け込みたいところだが、後ろにはカトレウスという凶虎が口を開いているからには襲い掛かるわけにもいくまい。さらにいえばここで俺が王に味方すれば前後を挟まれて身動きが取れぬ。カヒに味方するしかなかろう。そもそも今のカトレウス相手に王が勝つのは至難の業であろうよ」

「この間まで王に随分と肩入れしていたようにお見受けいたしましたが。マシニッサ様は王にお知恵を貸したりはしないのですか?」

「知ったことか。王のことは王が考えればいい。俺は生き残るために勝ちそうな方につくまでよ」

 マシニッサは例の妙に人を惹き付けるもののある笑顔(アエネアスに言わせれば『嘘が顔の表面に現れた汚らしい顔』であるが)を浮かべ、そううそぶいた。


 こうしてカトレウスの意志は各諸侯に伝えられたが、当然のこととしてカヒがどういった計略図を描いて上洛するかまでは秘されていた。

 カトレウスの、いやガイネウスの考えた戦略はこうである。

 陸続きの河北へとまず兵を入れ、王と朝廷の目を河北へと向ける。

 これは見え見えの陽動作戦である。そしてそれが陽動に見えるということもカトレウスには分かっている。

 だが陽動と分かっていても、それを無視することはできない。河北は畿内への裏庭、放っておけば回り込まれて王都を強襲される恐れがある。朝廷としては必ずや兵を出さねばならない。

 これで畿内は手薄になる。とはいえ警戒はまだ解けないであろう。

 だが次に南部で諸侯を立たせ、朝廷が対処に慌てふためいたところで河東からまっすぐ畿内に向かえば、袴着て楽々と討ち入ることができる。

 もし王が冷徹に南部と河北を斬り捨て、あくまで畿内の防衛を優先するというのならそれはそれで構わない。船の行く先を南部へ切り替えれば、少し遠回りになるが王都への道は開けるのである。

 つまり軍を三軍に分け、相互に相手を揺すぶりながら枝を刈っていき、朝廷という大木を枯らしてしまおうという訳である。

 

 さてここまでこの物語で戦力集中の原則をさんざん述べてきた。それにこの動きは相反するものである。

 ならばカトレウスともあろうものが策を間違えたのであろうか?

 そうではない。

 古代の道は狭い。大軍になればなるほど、行軍や補給に難をきたす。

 また防衛側は複数から攻められれば同時に対処もしにくくなるため、ある程度以上の大軍を展開させる時は複数に分けるのが常道である。

 例えば蜀漢の滅亡時は、征西将軍の鄧艾と雍州刺史の諸葛緒が姜維を西方で挟み撃ちしている間に、鐘会が本軍を率いて長安から南西へと漢中郡に攻め入った。

 甲州征伐においては駿河口から徳川勢が、飛騨口から金森長近勢が、関東口から北条勢が、伊那口から織田信忠率いる織田本隊がと、四方向から攻め寄せた結果、信玄が残した帝国は一月余りで崩壊した。

 関ヶ原の時も大阪方は毛利本軍を大阪城に留めたまま、主戦力を伊勢掃討戦に、細川攻めに小野木勢を、毛利康元らを瀬田に、石田三成や織田秀信、島津勢などを美濃に展開している。

 といってもこれは明らかに家康が江戸城から動かないことを想定したとしか思えない愚策であるから判断の基準にはならないが、対する勝者である家康も上杉の抑えとして次男結城秀康を宇都宮に、自らは客将たちと東海道を進み、三男秀忠には中山道を進ませたという事実がある。

 もちろん各個撃破の危険性はあるが、複数に分かれた敵を順次各個撃破していくには敵の居場所を常に正確に掴み、敵に糸を悟られる前に兵力を必要な場所に高速に移動させるということが必要なのである。

 近代に比べれば兵士の錬度も低く、電信の技術も無い時代にはそんな芸当は所詮無理なのである。



 カトレウスの動きなど知る由も無かったが、芳野が制圧されたからには、足を河東に留めざるをえなかった頸木くびきからカトレウスが解き放たれたということであることは有斗にも分かった。

 ニケーア伯との和睦交渉は今も継続していたが、ニケーア伯などといった一地方伯ごときに、いつまでもかかずらってはいられない。

 有斗はニケーア伯との交渉を官吏に任せ、アエネアスら羽林の兵と王都に帰還した。

 その穴埋めとして再編の終わったガニメデの王師第十軍を河北へと向かわせた。

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