第202話 第三次河北征伐(Ⅲ)

 ザラルセンが自ら望んで投降したことが伝わると、王師全軍に安堵の感情が広がった。

 この間の戦いのように北辺の広さと軽騎兵の機動力を利用して逃げ回られては、ザラルセンたちを根絶するのに途方もない時間が必要となる。

 恐れていた長期戦が避けられ、カトレウスが畿内に足を踏み入れる前に河北の問題が片付いたと誰しもが考えたからだ。

「ザラルセンは生きたまま捕まったか」

 有斗は少し感慨深げに呟いた。

「おめでとうございます、陛下。さっそくですがザラルセンの処刑を行うと広く触れ回りましょう」

 エテオクロスの献言に有斗が反応するより前に、アエネアスが反応した。

「そんなことをするとザラルセンの部下が取り戻そうとして面倒が起きるかもしれないよ。何も告げずに速やかに処刑するか、逆に王都に連れ帰ってからゆっくりと料理すればいいと思う」

「羽林将軍殿、そうではないのです。北辺の民の面前でザラルセンを処刑することで、朝廷がザラルセンよりも力があることを北辺の民に知らしめ脅しをかけておくのが、今後の朝廷の北辺の経営のためには必要ではないかと思われるのです」

「私もエテオクロス殿の意見に賛同いたします」

「殺した後でも大々的に発表したら河北の賊を脅す効果はあると思うけどなぁ」

 将軍たちに賛同してもらえず旗色の悪いアエネアスにベルビオが加勢した。

「お嬢の言う通りですぜ、陛下。ここはまだ敵地ってことを忘れちゃいけねぇ。余計なことをしていらない危険を抱え込む必要はありませんぜ」

 将軍たちの意見は二つに分かれ、有斗に決断を促すかのように視線が集まった。

 どちらの意見にもそれなりの説得力があることは事実だが、有斗としては前提条件からして皆とは違っていたのだから、どちらの意見も取るわけにはいかなかった。

「殺すのはまだ早い。とりあえず会って話をしてみよう。全てはそれからだよ」

 有斗がどちらの意見も採用しなかったことに皆一様に困惑した。

「ま~た何か隠し事なの?」

 一人、横のアエネアスだけが有斗の決定に対して不満めいた言葉を口にする。

 アドメトスの変で有斗が秘密裏に行動していたことに対して、アエネアスはまだ少し怒っていたのである。


 ザラルセンは王に謁見する前に縄できつく縛り上げられた。有斗の周りにはアエネアスをはじめ羽林の兵がいて守ってはいるものの、何かあった時のことを考えての措置である。ザラルセンと有斗の体格差を考えれば当然のことであろう。

 それに対してザラルセンは特に抵抗する様子を見せなかった。

「逃げも暴れもしねぇよ」

 身動きのとれぬ身体は悲鳴を上げたが、それだけ王師が、何より王がザラルセンを恐れている証左であるとかえって満足だった。

 荷物であるかのような乱暴な扱いを受けて、ザラルセンは有斗の前に引き出された。

 ザラルセンは無頼の徒である。臆することなく王や側近が口を開くより前に発言する。

「願い事は一つ、俺の命をくれてやるから、部下たちだけは助けてやって欲しいってことだけだ。あいつらは俺の命令に従ってたに過ぎねぇ。悪い奴らじゃねぇんだ」

「それはずいぶん虫のいい話だと思うけど」

 有斗の返答にザラルセンは鼻を鳴らして不満を表した。

「王は寛大な男だって噂だったが、現実は随分と違うものだな。俺の命だけじゃ不足ってわけかい」

「不足だよ。特に正義など見当たらないのに君が朝廷に叛旗を翻しなどしなければ、堅田城にいた大勢の将士は死ななくても済んだんだ。その罪は償ってもらう必要がある」

「じゃあ俺にどうしろって言うんだ」

 ザラルセンは渋い顔をして少しの間、考え込む。

「わかった。どうしても腹が収まらねぇっていうんなら、俺を生きたままなます切りにでもするがいいさ。それで気が晴れるだろう」

「そんなことは僕は望んでいない。君には彼らに代わって国の為に働くことで償って欲しい。天下一統の為に僕と共に働かないか?」

 ザラルセンは有斗の意外な申し出に、まるで道化師を見るかのような目で見つめた。

「馬鹿も休み休み言え。昨日まで戦っていた相手に命を助けてもらったからって、先兵となって戦うなんてまっぴらごめんだ。這いつくばって尻尾を振って靴を舐めるように生き伸びてなんぞ見ろ、このザラルセンの男が廃るってもんだ」

「北辺では強い者に媚びるのではなく、あらがって生きてこそ一人前の男だと認められるって聞いたけど」

「そうだ。だからこそ、俺はこうして王師と戦ったんじゃねぇか。運悪く負けて、この有様だが、そこに対しては一点も恥じることはねぇぞ」

「その王師にカヒは二度戦って二度勝っている。つまりカヒは朝廷より強いとも言える。そのカヒと組んで朝廷と戦うっていうのは言ってることと違うんじゃないのか?」

「・・・別にカヒと一緒になって王と戦ったわけじゃねぇ。俺は俺の力だけで王と戦ったんだ。矛盾なんかねぇさ」

「一緒には戦ってないかもしれないが、カヒに敗れて苦しんでいるところに襲い掛かったというのは変わらないよ。弱気を援け強気を挫く、それが君の言う侠気ってものじゃないのか?」

「・・・」

「どうだろう、一緒にカヒと戦わないか。王師に組してくれれば、君の配下の兵も、これまでの罪は問わない。君の望み通りになるじゃないか」

 ザラルセンの望みをかなえる形になるというのに、それでもザラルセンは首を縦に振ろうとはしなかった。

「・・・・・・・・・・・・」

 打ち続く沈黙に、有斗はようやく気が付いた。ザラルセンは命惜しさに転んだと後ろ指を差されるのが、死ぬことよりも嫌なのだ。ザラルセンに利益や道理、正義を説いても無駄なのである。

『王と面会することでザラルセンの面子も立ちます。それにザラルセンは侠気の世界に生きる男と聞き及んでいます。その評判を守るためにも、王と一度約束したからには、約束を守らざるを得ません』

 脳裏にいつぞや聞いた、今は亡きアリアボネの言葉が思い浮かんだ。

 ザラルセンを説得するには、有斗が王という地位に囚われずに面子を立ててやる必要がある。

 有斗は無言でザラルセンに近づいた。

「ザラルセン、君たちの力が朝廷がカヒと戦うために必要なんだよ。是非、力を貸して欲しい」

 有斗はまるで長年の友に相対するかのように親し気に肩に手を置いてザラルセンに話しかけた。

 長身とはいえ跪かされたザラルセンの肩に、立った王が手を置くには上半身をやや前かがみにしなければならない。

 それは見方によっては、まるで王がザラルセンに頭を下げたかにも見えないことも無かった。

「・・・陛下!」

「・・・・・陛下!!」

 将軍や官吏は驚き慌て、ザラルセンは呆然とし、次いで恍惚となった。

「仕方ねぇ。王に頭まで下げられちゃ断れねぇな」

 ザラルセンは半ば噴き出すように気道の奥より言葉を絞り出した。

「よかった」

 有斗はザラルセンに対して笑んでみせた。


「ちょっと元の部下たちを集めてくらぁ」

 戒めを解かれるとザラルセンは、強張った体を手でほぐしながら有斗にそう告げた。

 王師との戦いの中でザラルセンの部下たちはあちこちに逃げて散らばってしまった。ザラルセンの傍には共に投降した女一人しかいない。これでは王師に力を貸すも何も無いと言うのである。

「一週間で帰るからよ」

「分かった」

 有斗がザラルセンの言葉に頷き、快く送り出したことに王師の将兵は一様に仰天した。それでも有斗は王であるし、この戦いでは優れた指揮ぶりを見せていたから、この行動に批判的でも、表立ってこれを非難することもなかなかできない。

「・・・果たしてザラルセンは戻るでしょうか?」

 ザラルセンが出て行った後、そう控えめに言うのが精いっぱいである。

「戻るさ」

「逃げるんじゃないかなぁ」

 そんな有斗に対しても遠慮することなく、思ったことを口にするのはアエネアスだけである。

「逃げないさ。ザラルセンは一度した約束は守る男だ」

「可愛い部下の為にと一度は覚悟は決めても、時間が経てば考えも変わるかもしれないよ。普通に考えれば命は誰だって惜しいもん」

「普通の考えをする男なら、そもそも朝廷と戦おうとは思わないさ。だからきっと戻って来る」

 断言する有斗にアエネアスは心配そうに視線を向けた。

 だが一週間たってもザラルセンは帰ってこなかった。


 将兵が少しずつざわめき始めた。

 ザラルセンがいる限り、北辺の不安要素は残る。征討の軍を発すべきだというのである。

 だが有斗はその意見を封殺し、駐屯地から兵を動かそうとはしなかった。有斗はザラルセンが戻ってくると固く信じているようだった。

 一日が過ぎ、二日が過ぎ、有斗にとってはじりじりとただ待つだけの日が流れた。

 だが十日後、ザラルセンはようやく戻って来たのである。

 しかも有斗を信じてか、あるいはザラルセンを信じてか、八千人近い元部下を連れて戻って来た。

 自慢気な顔をしたザラルセンは近づき、下馬して有斗に対して平伏すると、部下たちもそれに続いた。ザラルセンたちは遂に王に、そして朝廷に屈したのである。だがその顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。

 有斗はほっと一安心した。なんだかんだ言ったものの、やはり逃げてしまって戻ってこないということも少しは脳裏をよぎったこともあったのだ。

 だが

「陛下、あのような者どもを栄えある王師に加えるのはいかがかと思います。いかに陛下のお言葉とは言え、私は承服しかねます。相手は所詮は流賊です。兵士ではありません。あのような者たちと槍を並べて戦うことを恥辱と思う者もいましょう。兵士を預かる者として言わずにはおられません」

「エテオクロスがうまく抑えてよ。王師の兵と言えども選民意識を持って驕り高ぶっては民に害悪を為す。良くないことだ」

「流賊の生活が長い荒くれもの達です。民に乱暴狼藉を働くやもしれません」

「それは王師の兵だって行う可能性があるよ。規律で縛るしかない」

「規律で縛りきれるような男たちとは思えませぬ。王師に加えるなど百害あって一利なしです」

「やる前から決めつけちゃ何もできないよ。彼らも戦国という時代に翻弄されたアメイジアの民の一人なんだよ。救ってやらなくっちゃ」

「・・・ではありますが」

「それにこのまま彼らを北辺の地に置いたままだと、食うに困って再び犯罪に手を染めないとも限らない。彼らに戦場という働き場を与える方が、彼らにとっても北辺の民や土地にも両方良い」

 彼らは北辺に生まれたが食うに困って流賊になったのである。何の対処もせずに再び北辺の地に放逐すれば、いずれ困窮して再び流賊をやらざるを得ないのである。

 最低でも北辺から移動させ、どこかの地で生活が成り立つようにしなければ根本的な解決にはならない。

 それならばアリアボネの残してくれた屯田法を使って河北なり畿内なりに土地を与えて生活基盤を整えるという方策もあった。

 だが有斗は最初からその考えを放棄していた。ここでは口には出さなかったが、有斗にはもう一つ、ザラルセンを王師に加えておきたい切実な理由があったのである。


 それはともかくとして、この後、王師の駐屯地に北辺の部族の長たちが続々と詰めかけて、有斗に帰服した。

 ザラルセンを単に下しただけでなく、命を助けて配下に加えたことで有斗の度量の大きさに心を打たれたのである。

 これで各地に散らばった部族や流賊をひとつひとつ討伐する手間をかけることなく、北辺の安定はなった。

 北辺が安定すれば河北の安定も近づく。今回の出兵の目的はほぼ達せられたと有斗は満足する。

 河北へと戻ろうとする有斗の下に早馬が駆け込んできた。

 カヒの芳野攻略が完了したとの王都からの知らせだった。

「カヒの軍勢が芳野を制圧したらしい。これでカトレウスが畿内に出てくるのは間違いがない」

 有斗がラヴィーニアがわざわざ楷書で書いた書簡を読み上げると、アエネアスたちが鼻息を荒くした。

「望むところ! 陛下、ヘシオネやバルブラやエザウの敵討ちをしよう!」

「今度こそ返り討ちにいたしましょう!!!」

 盛り上がる羽林の兵に対して有斗は口をつぐんだままだった。

「・・・・・・・・・・・・」

「陛下・・・?」

 書簡を掴んだまま離さない有斗の手が、微かにふるえていることにアエネアスは気が付いた。

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