第199話 謀をもって謀を制す
さて、ここまでのアドメトスの変に対する有斗の動きを見てみよう。
有斗はアドメトスに叛乱の動きがあることを最初から知っていたわけでは無い。というより実際は間際になるまで知らなかった。
有斗が知ったのは河北での変事が耳に入るその少し前である。
ラヴィーニアは中書令という忙しい身ではあるが、朝廷との調整や公文書の文言の決定などで有斗の意志を確認しなければならないことも多く、一日一回は書類を届けるついでに有斗の執務室を訪れるのが日課となっている。
その日、ラヴィーニアは有斗と軽い案件についてまずは話した後、人払いを求めた。
「陛下、お人払いを」
臣下が王に人払いを願う。本来なら尋常ならざる事態である。
だがラヴィーニアは王相手でも容赦はしない。意見が対立する案件の時には時に
つまりこのこと自体はそう珍しいことではない。
「わかった」
有斗は特に拒否する理由も見当たらなかったため、ラヴィーニアのその提案を快く受け入れた。
「込み入った内容になりますので、尚侍殿もお願いいたします」
「アリスディアも?」
「はい」
人払いと言っても普段はアリスディアやアエネアスまでは退席しないのが常であるが、後宮の利害が絡むときや特に内密の話をするときは特にこう言うこともある。
それでもその場にアエネアスは残るのだが、この時はあいにく不在だった。
後から考えれば、ラヴィーニアはアエネアスを居ない時を見計らって有斗のもとを訪れた節があった。
「わかった。
有斗の要請に頭を下げて応え、アリスディアは女官や警護の羽林の兵を連れて退室した。もちろん有斗の身に何かあっては大変だから、退いたと言っても廊下に控えてはいる。
ラヴィーニアは扉が閉まったのを目で確認すると有斗に近づいて声を潜めた。
「陛下、まもなくザラルセンが河北に攻め入り、それに呼応してニケーア伯が挙兵します」
「なんだって!?」
「お静かに。内密の話です。漏れると色々と問題が生じます」
「あ、ごめん。ところでラヴィーニアはなんでそんなことを知ってるの?」
「それについては追い追い説明いたします。それより、もっと重大な話があります。そうして河北に変が起こり陛下が出征なされば、その間隙をついて
「なんだって!!!?」
有斗は椅子からとびあがらんばかりに驚き、再び大声を出して、ラヴィーニアに
「お静かに」
「いや・・・? これは大ごとだよ!! 驚くなという方が無理だよ!!」
「ですから、お静かに。女官の口からここでの会話が漏れては全てが水泡に帰します。何のために尚侍にまで退席してもらったと思っているのですか?」
そう言われても事態の大きさを考えれば落ち着いてなどいられない。有斗は部屋を少しの間ウロウロ歩いて、頭の中で考えをまとめながら気を静めた。
「・・・・・・・・・ラヴィーニアのことだから嘘ではないと思うけど、よくそんなこと掴んだね。どうやって知ったの?」
「アドメトスがあたしに謀反に加わるよう持ちかけて来たのです。二月以上前の話ですが」
「二月以上前!?」
再び有斗は仰天した。それは陰謀が二月分進行しているということであり、二月もの間ラヴィーニアが有斗にその存在を黙っていたということである。
思わず責めるような口調になった有斗にラヴィーニアが弁明する。
「まだ信頼を得ていないうちに不必要に陛下にたびたび接触していてはアドメトスに怪しまれます。女官の中にもアドメトスらに通じる者がいないとも限らないのですから用心せねばなりません。いつ誰とどういったことを起こすのか。また謀反にはどういった背景があるのか調べるには時間が必要だったのです。もちろんすぐに手をうたなければいけないような危急の事態であったならば陛下にお知らせするつもりでした」
「・・・・・・それで分かったの?」
「はい。
それはショッキングな出来事だった。
確かに韮山の敗北、堅田城の失陥というマイナス要素があったのは事実だが、普段の有斗が大きく失政を犯したわけでもないのに、朝廷の少なくない臣下があっさりと見限ったというのは有斗には簡単には受け入れられない事実だった。
それともそれが戦国の世を生きるということなのだろうか。
「・・・とりあえず対策を打たなきゃならないね」
ラヴィーニアがすぐに報告せずに独断でことを進めていたことに引っかかるものを覚えたが、それはそれとして足元についた火は早めに沈火しておく必要がある。
「もう一度河北で乱が起きたとしても、僕が行かずに王都に残れば、アドメトスらの動きを
この間のように例え王師四軍を河北に振り向けたとしても、有斗が王都にいれば羽林の兵もいるということになり、アドメトスも謀反の動きを取りにくいのではないかと思ったのだ。ザラルセンの実力も知れた今、なんなら河北に送る王師を減らして畿内に一師でも残しておけば万全だ。
「あるいは予め河北に王師を送っておけばザラルセンはともかくニケーア伯は反旗を翻さないんじゃないかな。そうすればアドメトスも軽挙妄動を慎むと思う」
アドメトスとカヒとが繋がっていることが確実だとしても、アドメトスとカトレウスが全く同じ戦略を共有して動いているとは限らない。
カヒの真の狙いがアドメトスに反乱を起こさせることでは無く、王師の兵を畿内から分散させたい場合、今、
「陛下、それで今回アドメトスの動きを抑えきれたとしても、アドメトスらの叛意は既に確定的なものなのです。もっと深刻な時に、例えばカヒと戦場で戦っている時に裏切ったらいかがなさるおつもりですか?」
そうなったことを想像し、有斗は身震いした。
もし戦場で───今度戦うとすれば当然畿内でということになるであろうが───カヒと対峙中に王都で反乱が起きたという知らせが届きでもしたら、王師は戦う前に戦意を失い瓦解してしまう。大敗北は必至だ。
「だったらアドメトスらを捕らえ、乱を未然に防ぐしかないな」
「どういう理由で?」
「なにを言ってるんだよ。叛乱を企んだ罪に決まってる」
「証拠はどこにあります?」
「ラヴィーニアが持ってるんじゃないの? アドメトスとの手紙や同志の連判状とか」
「アドメトスともあろうものが書状など形に残る証拠を残しているものですか」
「そうでもラヴィーニアが掴んできたこの話だけで十分じゃないのかな?」
「陛下、あたしが策士として世に知られていることをお忘れなく。アドメトスらが行動を起こす前に捕らえても、証拠はあたしが捏造したのではないかと考える者がでないとは限りますまい。それでは陛下が悪評を被ります」
「証拠の問題じゃない。未然に防げるのなら、それに越したことはない。反乱が起きて迷惑するのは王都の民だよ」
名分論で考えればラヴィーニアにも理があるが、例え未然に対策を講じていたとしても、ひとたび王都内で叛乱が起きれば、多くの無辜の民が戦渦に巻き込まれて命を落としたり、家を失ったりする。
それに比べれば叛乱を起こす前に僅かな兵と官吏を送り込むだけで解決する有斗の考えの方が優れている。
だがラヴィーニアはあえて有斗の言葉に
「確たる証拠がないのに罰すれば、よくある権力闘争で無実の罪に陥れたのではないかと勘違いされ、他の朝臣も世間も心から納得することはありません。パウリドの変の時のことを思い出してください。その時、アリアボネは叛乱をどう処理なさいましたか?」
有斗は再び考え込んだ。
考えてみればパウリドの変の時も未然に叛乱を防ごうと思えばできたはずだ。だがアリアボネはアドメトスから陰謀があると聞いても、パウリドらを監視下に置きつつ暴発したところを待ち構えて叩いた。
その当時の有斗はアリアボネのすることだから間違いなどないだろうと深く考えもしなかったが、今よく考えると不思議である。
アリアボネは有斗がすることが正しいということを見せるために、あえてパウリドが叛乱を起こすまで待っていたのではないだろうか。
確かに反乱を未然に防いだ方が被害は少ないだろうが、結果として民や官吏の支持を無くしては有斗が天下一統の道は遠のいてしまう。戦乱の世が続けば結果として多くの血が流れてしまう。そういった考えからでは無かったのか。
だとすると今回も確たる証が明らかになるまでは、アドメトスをしばらくは泳がしておくのも必要なのかもしれない。
「かといってただ放置しておくのも問題がある。何か対策はしないと」
「御意」
「既に対策はあるって顔だね」
ラヴィーニアはその幼い顔に策士の笑みを不敵に浮かべると、頭を下げ腰を折った。
「このままあたしが反乱に加わる形となることをお許しください。情報を得つつ、アドメトスらに策を授けて決して成功させない形で暴発させます。それを陛下が取り押さえればよい」
ラヴィーニアは自信たっぷりにそう言ったが、有斗はそれを聞いて逆に不安を感じた。
「それはアドメトスが使った手だよ。自分が使ったのと同じ手にアドメトスが引っかかるかな?」
「だからこそ盲点なのです。あたしが二番煎じの策を使うとも思わないでしょうし、自信家のアドメトスは自分が使った策に
「アドメトスはそこまで馬鹿じゃないと思うけど」
ラヴィーニアやアリアボネと比べるから劣るように見えるが、アドメトスは政務に関しては公卿で右に出る者がいない。相次いで高官がいなくなって押し出し式で就任したとはいえ、伊達に右府は務めていないのである。
「もちろんアドメトスは愚者ではありません。アドメトスは最近まであたしが裏切らないか監視をしていました。ですがあたしは監視が緩むまではと、こうして陛下に報告に上がらないようにし尻尾を出しませんでした。数々の助言を行うことで、今やアドメトスはあたしを信用しきっています」
ラヴィーニアにそれをさせるかは別問題だが、結局のところアドメトスらが暴発するのを待って叩くのがベストな選択かもしれないと有斗は思い始めていた。
だとすると叛乱が起きた時、どこで鎮圧するかが問題となる。
「・・・・・・四師の乱やパウリドの変の時のように王宮内が戦闘の場となれば、王都の民に被害を出さずに済ませることができるかな」
「王宮内は無理です。武衛や近衛や金吾の中に陛下より朝廷の高官の顔色を見ているような者は今は少なくなりました。今のところアドメトスは軍関係者の大物を仲間に引き入れた様子は見られません。そして三衛府を上回る戦力をアドメトスらは持ちません。彼らが集めることができる兵力では陛下不在でも王宮を攻略できるとは、あたしでも騙せません。パウリドが叛乱した頃とは状況が違うのです」
「だけどそんな兵力しかないなら本当に叛乱を起こす気になるのかな?」
「陛下のお許しを頂けるなら、武衛校尉のコデッサをアドメトスの同志に加えようと思っています。王都の城門を守護する武衛の幹部、その掌握する兵力と権限があればアドメトスも重い腰を上げたくなることでしょう」
「武衛校尉? 武衛将軍とかじゃなくて?」
武衛校尉というのは武衛の三等官である。王都の外門を預かる名誉ある職ではあるが、実質的に羽林を取り仕切っている同じ三等官の羽林中郎将のアエネアスとは違って所持する権限と兵力はさほど無い。
「武衛校尉というのがいいのです。武衛将軍ほどの大物が何もないのに急にアドメトスに接近すれば怪しまれます。ですが武衛校尉なら大物過ぎず小物過ぎず、警戒されませんし侮られもしません」
「危険な役目だよ。僕は彼のことをよく知らないんだけど、できるかな?」
裏切り者であることが露呈すれば命の危険がある役目である。ラヴィーニアのようなとんでもない性格の人物なら適任なのだが、官吏の中にあんな人物はそうそういるものではない。(もちろんそうそういてもらっては精神衛生上、有斗としても大層困るのだが)
とにかく並みでない豪胆な肝の持ち主でないと務まらない。とはいえ旗色を見てアドメトス側に裏切り返すような不誠実な人物でも困るのである。
「本人は陛下のお役に立てるなら、やると申しております」
どうやらラヴィーニアの口ぶりでは人物的に問題は無く、さらには既にコデッサから内意を得ているようであった。
迷いを見せる有斗にラヴィーニアが決断を促す。
「コデッサが与力すれば挙兵をけしかけることが可能になるだけでなく、挙兵後に王都を占拠されても、コデッサの預かる開遠門から速やかに兵を入れることができ、不意を衝けます。鎮圧に手間取ることがありません」
市街戦になるとなれば民の被害が心配だが、王都を占拠できたと安心しているところを不意打ちできれば被害もそれほどかもしれない。
夜襲を行ったり、王師や羽林のなかから騎兵を選抜して急襲すれば、更に効果的であろう。
「わかった。やろう」
有斗はこうしてラヴィーニアの策に乗ることに決めたのだった。
有斗は馬車で揺られていただけだったが、それでも強行軍と後味の悪い結果とで体はすっかり疲れていたので、現場の後始末をアエネアスやベルビオに任せると解放されたばかりの王城へと向かった。
有斗の意図を組んで指示を守ってくれたアリスディアと金吾将軍とにねぎらいの言葉をかける。
そして寝る前に叛乱に対しての朝廷や王都の民衆などへの明日の対応をラヴィーニアと事細かに打ち合わせた後、こう言われた。
「獅子身中の虫はこれで退治されました。陛下は心置きなく外の敵を御退治なさるよう申し上げます」
「分かってる」
アドメトスが反乱を起こす前提として畿内を空にするための囮の役目ではあったのだろうが、河北にザラルセンが乱入し、ニケーア伯が兵を挙げたことは紛れもない事実なのである。
幸か不幸かカトレウスはこれまでのところ東国にて足元を固めることを優先している。
アドメトスの叛乱が失敗した以上、カトレウスの慎重な性格からしても、畿内に兵を向けることはまだありえない。
カヒと戦う前に、今のうちにこそ有斗は河北を平定しておくべきなのだ。
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