第200話 第三次河北征伐(Ⅰ)

 有斗は一晩ぐっすり寝て疲れた体を癒すと、翌早朝、さっそく朝議を行うことにした。

 アドメトスら謀反者を一掃したことで、ただでさえ層の薄い官吏が更に減ってしまった。乱には加わらなくてもアドメトスらと関係があった者も多い。河北へ行く間、後事を預けなければならないのだから、有斗は動揺する朝廷を押し鎮めておく必要があった。第二第三のアドメトスをこの中から出してはならないのだ。

 専制君主である王の機嫌を損ねまいと、朝臣たるもの朝議には皆勤するものと思いきや、常ならば欠席もちらほら出るものである。だが乱の後の初日とあってか、内府のようにアドメトスらに軟禁された者、あるいはアドメトスらの魔手から逃れ王都にて潜伏した者、皆一様に顔を揃えて朝議に参与した。

「陛下が河北へ行かれた隙を狙い、あの奸賊が挙兵するという未曽有みぞうの国難にも、陛下は神出鬼没の帰還にて賊を瞬く間に退治されました。その深慮遠謀ぶりはアドメトスなど及ぶところではありませぬ。まさに天与の人。無事、乱を平定せしことをお喜び申し上げます」

 朝会が始まると今や朝廷首座、唯一の大臣となった内府が進み出て低頭して詫びると共に祝賀の辞を述べた。

「まさに・・・まさに!」

「しかり! 今回の神のような用兵は天与の人しかできぬこと、お喜び申し上げます!!」

 内府の言葉を受けて、朝臣から賛辞が次々と浴びせかけられるが、その策のほとんどをラヴィーニアに考えてもらった身としてはくすぐったいばかりである。

「僕の才覚で乱を鎮圧できたかは分からないが、ただ今度の叛乱を官吏や民に被害が少ないまま治めることができたことは満足しているよ」

「本来ならば陛下の御手をわずらわすことなく賊を討つのが我らの務めであるにもかかわらず、臣めの乏しい才覚ではこれに抗すことができないばかりか、虜囚になるという失態までをも犯してしまい、陛下に顔向けもできません。我が身の不肖を恥じております」

「少なくない数の官吏がアドメトスに加担したこと、同じ臣下として申し開きもございません」

 今回の叛乱で特に何もできなかったこともあってか、ひたすら恐縮する官吏たちに有斗は優しく声をかけた。

「謝ることはない。むしろ僕は感謝したいくらいさ。今、朝廷の置かれている立場は苦しい。四面に敵を抱え、東方には朝廷を上回る実力を持つ諸侯がいる。それはアドメトスだけでなくここにいる誰もが知っていることだ。誰であれここに残ってくれた者たちは、苦渋にあっても僕を見捨てなかった。一身の利益を顧みず、僕と同じ理想を見ているからだ。そのような臣下を持てて心強く思う」

「陛下・・・」

 自分の言葉を受け、頭を上げた官吏たちの顔を一人一人ゆっくりと眺めると、有斗はゆっくりと言い聞かせた。

「欠員になった官吏を穴埋めしなければ朝廷は回っては行かないとは思うんだけど、今は王都に腰を落ち着けて八省を再編する暇がない。そこは内府の裁量でなんとか回して欲しい」

 名誉ある職や大きな利権のある職は誰もが就きたがるから、定員外の権官も任じられて余剰になりがちだが、本当に王朝という組織を回すのに必要な、地味で旨味の少ない職は元々の人員でも回すのがかつかつなほど足りていないのが実情だった。

 冗官の整理や八省の再編は新法のことと含めて、有斗がラヴィーニアに命じて進めてはいるものの、戦時の今は優先順位度的にはどうしても低くなりがちで、進んでないに等しかった。

 そして今回の乱ではそういった職に就いた実務官が日ごろの不満からか多く乱に加わっていたのだ。

 残された官吏では数が足らないことは分かっている。本来ならば人員の再配置を行い、しばらくは適切な運営ができるかどうか王が管理する必要がある。

 だがいつ何時カトレウスが畿内に侵攻して来るか分からぬ今、王都にて河北の情勢を座したまま見過ごすわけにはいかないのだ。

 実際に仕事をする官吏たち、あるいはその影響を受ける民には苦労と不便をかけることにはなるが、全てを同時に解決できるほど今の有斗には力がないのだ。

「陛下の御苦渋、わかっております。今いる官吏だけでも日々の政務は決して滞らせませんので、陛下には心置きなく北へ賊を退治しに向かわれてください」

「我々にお任せを!」

 朝臣たちからの諾了だくりょうは得られた。下級事務官の増員に関しての権限を与え、後始末を内府たちに任して有斗は再び北へと向かった。


 アドメトスの叛乱は失敗に終わった。

 だが朝廷首座たる右府ら多数の官吏が加わって反乱を起こしたことは、外から見れば朝廷がもはや内部から倒壊する寸前だと映る危険性がある。どちらにつくか去就を迷っている諸侯たちに良い影響を与えるとはとても思えなかった。

 しかしすべてが悪いことばかりではない。

 これまで得られていた王師の兵卒の支持だけでなく、このように官吏の心をも掴んだのだから。

 だが、ただ一人今回のこの事件で心を掴むことができなかった人物が存在した。

 しかも質の悪いことにその人物は今も有斗の傍にいるうえ、片時も離れようとしないのである。

 その人物とはアエネアスである。

 今日は毎朝の日課の剣の稽古にも現れなかった。しかも馬車に乗った有斗の横で馬上しているアエネアスは仏頂面で視線を碌に合わせようとしない。

「ねぇアエネアス、何か不満があるの?」

「べっつに陛下に対して不満などあろうはずがございません!!」

 と言うアエネアスは鈍感な有斗でも心配になるくらい、明らかに不満そうな顔をしていた。

「でも怒ってるじゃないか」

 という有斗の言葉に振り向いたアエネアスは眉を吊り上げ、口をへの字に曲げていた。

「怒ってません!」

「・・・・・・やっぱり怒ってる」

「怒ってませんってば!!」

「その言い方が怒ってるんだよ。気になるから言ってみてよ。何を言っても怒らないからさ」

 アエネアスはその言葉にようやく視線を有斗と合わせた。

「じゃあ言いますけど、わたしをのけ者にして、こそこそとラヴィーニアとだけ秘密の話をしてたなんて、あんまりです!」

「アドメトスほどの男を騙すには関わる人間を少なくして秘密を洩らさないようにしないと成功しないんだよ。今回の叛乱だって、アドメトスがラヴィーニアを仲間に加えようなどと考えなければ秘密が漏れることなく成功していたかもしれない」

「それは秘密が漏れる心配のある人間の話でしょ!? わたしは信頼できる人間だよ!! それとも陛下はわたしのこと信頼してないの!?」

「アリスディアにも言ってないよ」

「そういうことじゃなくって・・・わたしは陛下をお守りする羽林将軍でしょ!?」

 有斗は少しの間説得を試みたが、何を言ってもアエネアスがつむじを曲げたままなので、やがて諦めて匙を投げた。こうなるとアエネアスは意外と意固地なのだ。

 アエネアスはその日一日、有斗に口を開いてくれなかった。

 だけど有斗はと言うと、たまにはこんな静かで過ごしやすい日があってもいいかと馬車に揺られながら考える有様だった。


 有斗の率いる兵は騎兵なので、王都に取って返した時よりは遅い速度だが、通常の行軍である一日一舎よりは速い速度で河北へと向かうことができた。

 王氏四軍の騎兵を選抜して有斗は王都に戻ったが、残された王師はというと時間を無駄にしないためにアンブラキア城に留まるのではなく、一足先に河北へと渡っていた。

 為に有斗は率いていた騎兵のみで大河を渡ればよく、半日ほどでスムーズに河北の地を踏むことができた。

 とはいえザラルセンが河北に侵入しニケーア伯が挙兵してから、既に一月に近い時間をロスしている。一刻も猶予はならない。

 有斗は軍議を開き、先に河北に渡ったベルビオ以外の王師の三将軍から現状の報告を受けた。

「ザラルセンは北西から河北に乱入し、南東に向かっているとの報告です。一方のニケーア伯はアドメトスが反乱を起こすために挙兵したに過ぎないようで、幾度か周辺へ兵を発して略奪を行ったようですが、本拠地近辺から大きく兵を動かした様子は見られません」

 卓上に広げられた地図を見れば、ザラルセンが向かっているという南東にはニケーア伯の領土があった。

「ザラルセンとニケーア伯とが共闘してくる気配はないかな?」

 半分不安と半分期待とをこめて有斗は尋ねた。

 ザラルセンとニケーア伯とが共闘すれば、ニケーア伯は不足する戦力を補えるし、ザラルセンは河北での補給拠点を得ることになる。厄介な事態であることには間違いない。

 だが一か所に集まった敵を破りさえすれば、すべてが解決するというメリットもある。

 それに豪放磊落ごうほうらいらくなザラルセンと狡猾で表裏比興なニケーア伯とではそもそもが水と油、最終的に空中分解するのは目に見えている。内部紛争で弱ったところを叩けば勝利を拾うのはより容易になるだろう。

「もし両者に協力する気があるのなら、各個撃破されることを恐れて我らが大河を渡った時にそれなりの動きを見せるはずです。ですが両者が連絡を密にしたですとか、軍資を渡しただとかいう痕跡は見られません」

「両者は互いを信用していないのでは? 共闘するとは思えません」

 将軍たちは長年の経験からそう気楽に言うが、有斗は最高司令官である。一番最良の事態と共に、一番最悪の事態を考えて軍を動かさなければならない。

「彼らの後ろにはカトレウスがいる。カトレウスが軍を派遣すれば情勢は変わるかもしれない。三者が連合すれば厄介な事態になりうる」

「カトレウスは慎重な男です。河北は現地で大軍勢の口を賄えるほど物資が有り余っている土地ではありません。軍を展開するのには補給が必要になります。しかし河東からでも河北は遠い。少数の先行部隊ならともかく、芳野を制圧しない限りはカトレウスは一軍すら送り出す気になりますまい」

 そのエテオクロスの言葉には有斗にも頷けるものがあった。

 カトレウスはよく言えば調子に乗ることなく老獪で堅実な戦略であり、勝利を拾うのに骨の折れるしんどい相手ではあるが、その分、理詰めで考えれば行動が想像から大きく離れることはない相手でもある。

「よし、カトレウスが来ないならば兵力ではこちらが上回っている。ここは速戦で行こう」

 もとより王師の将軍たちもその考えである。有斗の言葉に反言を口にする者はいなかった。


 有斗は兵を東へと向けた。

 まずは手近なニケーア伯をなんとかしようという算段である。

 有斗は兵を励まして足を急がせ、ニケーア伯領近隣の王領を劫掠ごうりゃくしていた軍に知られること無く接近した。

 浮足立った敵兵を見ても有斗はおごることなく慎重に兵を動かした。前衛で縦列で進む軍を横に高速展開し、半包囲の態勢を取った。

 将の勇猛さも兵の質も、兵力も、布陣も、全てが王師が勝っていた。

 一刻も持ちこたえることもできずにニケーアの兵は四分五裂して潰走した。

 多くは無かったが敵兵を討取り、その中にニケーア伯は居なかったものの捕虜を得ることができた。

 王師来たるという報と味方が瞬殺されたという報とがいっぺんに舞い込んだニケーア伯は震え上がって兵を城内に退き上げさせた。

 有斗はニケーア伯の城へと易々と取りついた。

 だが有斗は前回と違って、籠城する敵に対して強行策で挑もうとはしなかった。

 それどころか城内からの矢が届く距離には一兵たりとも足を踏み入れさせなかった。

 城を囲むように兵を配し、外に出る道は全て塞ぎ、這い出る隙を与えず、しかも夜毎に違う一角からまるで攻めかかるかのように兵に喚声をあげさせた。

 実際に体を使って戦うからこそ高揚し、弱兵であっても戦い続けることができるのである。考える時間が多くなるほど冷静になり、彼我の兵力差を実感して不安になる。

 王師は何を考えて、次はどう行動するのだろうと疑心暗鬼に囚われる。睡眠不足ということもあって籠城側の士気は墜落という表現がぴったりくるほど落ち込んだ。

 これでは戦うどころではないとニケーア伯は根を上げ、和睦の使者を送る。


「ふざけてる!」

 アエネアスはようやく有斗に対して機嫌を直したと思ったら、今度はニケーア伯に怒っていた。

「こんな手紙破り捨てて、城攻めをしようよ。二回裏切った奴は三回裏切るに決まってる! 根をあげてきたということは、敵はこっちが思っているよりも弱っているよ。落城は近い」

「羽林大将殿の意見は乱暴ですが、一理あります。それに兵も十分休息し今や精鋭となりました。城を目の前にして、いつまでも攻めかからないというのは、逆に兵の気の緩みともなって、こちらが付け込まれる危険もあります」

「この城は堅城ですが落とせない城ではありません。是非、前回の雪辱戦をやらせてください」

 エレクトライやプロイティデスら将軍たちもニケーア伯の申し出など無視して攻城戦を行いたいようだった。感情的には有斗も分からないでもない。

「僕はニケーア伯の申し出を受け入れようと思う」

「陛下!」

「陛下、御再考を!!」

 将軍たちが気色ばむ中、エテオクロスが皆を代表して有斗に意見を述べようと進み出た。

「ザラルセンあるいはカトレウスが動きやすいように誠意のない交渉で時間を引き延ばし、王師をこの地に釘付けにするのが狙いでは? 堅田城の二の舞は避けるべきです」

 有斗はゆっくりと首を振った。

「違う。今、時間稼ぎをしたいのはニケーア伯じゃなく、僕たちだよ。ニケーア伯は交渉中は王師を足止めし、事態の変転を座って待ていられると思っているけど、停戦交渉を行っている間はニケーア伯もめったには動けない。交渉は文官に任せ、その間に王師は矛先を転じてザラルセンを叩く。それが僕の狙いさ」

 有斗は無理に攻城戦を行って、ザラルセンと戦う時に王師が大きく傷ついていることや、ザラルセンと戦っている最中に背後をニケーア伯に衝かれて敗北することは避けたいと思っていた。

 ニケーア伯は自分で深く考えず、周りの状況に流されるだけの男だから、痛みつけてやれば、しばらくは大人しくなるだろう。

 その間に大敵であるザラルセンを破り、河北を安定させれば、もうニケーア伯一人では河北をどうこうできる局面はなくなるというわけだ。

 ニケーア伯の処遇はそれから考えればいい。

「そういうことでしたら」

 将軍たちもようやく有斗の考えを知り、納得した。

「なにより信をもってアメイジアを平和にすると言っている僕が、ニケーア伯の和睦の申し出を拒否することはできない」

「ま~た、そういうことを言う」

 呆れ顔のアエネアスは無視して有斗は言葉を続ける。

「今はニケーア伯は放置しておけるけど、ザラルセンをいつまでもこのままにしておくことはできない」

 ザラルセンが負けても負けても河北へ侵攻して来れるのは北辺の民の支持があるからだ。

 もちろんザラルセンの武勇に恐れを抱いて渋々従っている者もいないことはないだろうが、ザラルセンの生き方を是とし、朝廷の支配を受け入れることを非とする民が多いから支援や兵の補充が可能なのである。

 河北の人々が支えるザラルセンという存在は、言ってみれば朝廷の政治に対する批判勢力といってよい。

 同じく反旗を翻しているといっても、単に利を貪ろうとしているだけのニケーア拍と違って、これを放置しておくことは朝廷としては見過ごせないことなのだ。

「ニケーア伯は欲深い男だけど、自分一人で局面を打開する才能も実力もない。カトレウスやザラルセンやアドメトスの動きを見て、蠢動しゅんどうしているに過ぎない。でもザラルセンは違う。一人で決断し、一人で行動するだけの器量を持った敵だ。だから今回は必ずザラルセンを屈服させる」

 『破る』でも『勝利する』でもなく、『屈服させる』と有斗は言った。


 不思議な表現である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る