第198話 アドメトスの変(後)

 王城を包囲している敵が主力だと聞いたので、それ相応の戦を覚悟していたのだが、有斗が前線に赴くまでもなく捷報しょうほうが次々と舞い込んだ。

 先陣を任せたベルビオが敵に反撃する暇も与えずに一方的に圧倒したのだ。街路という障害物の無い、直線での正面からのぶつかり合いという限定的な戦場においてはベルビオの個人技と突破力が物を言った。

「ベルビオは張り切ってるなぁ」

 有斗が感心すると、アエネアスが自慢気に鼻を高くした。

「ダルタロスの働きはいつもこうだよ」

 ただこの勝利はベルビオや王師の兵などの活躍があってこそなのは言うまでもないが、敵が不甲斐なかったということも否めない事実だ。多くが昨日まで他人の寄り合い所帯、高官が自宅に退いていたことで現場でまとまって指揮を執れる者もおらずでは、多く者のは敵を眼前にして戦うよりも前に武器を手放して逃げ出したのだ。

 だがそれでも抵抗する者が皆無という訳ではない。突然現れた王師に対しても猛然と反撃を行う勇気のある者もいたのだが、少数であったため、たちまちのうちに敗れ去ってしまった。

 深夜の街に干戈かんかの音が鳴り響き、街は騒然となった。

「防衛の為に町に火を放たれると厄介だったんだけど」

 辻に敵兵が潜んで奇襲を行ってこないか、四方から火に包まれないかとアエネアスは王都を東西に貫く大路を警戒して進む。

「アドメトスにも民を巻き込まないという分別はあったようだね」

 有斗は感心して見せたが、アエネアスはその有斗の見解に同意できなかった。

「それはどうかなぁ」

 王に叛旗を翻したからには相手は並々ならぬ覚悟をしたはずである。勝利の為にはいかなる手段をも選ばぬはずだ。火を放って防衛を行わなかったのはそれが行えないなんらかの理由があったからなのではないか。例えば王城内での防衛線を想定していなかったとか。

 端的に言えばアドメトスらは油断しており、そのようなことを思いつく暇も無かったし、思いついたとしても東京龍緑府内に王師が突入し素早く反乱側を分断したことで、実行したとしても大した被害が出なかったであろう。


 こうして叛乱に加わった者たちはある者は降伏し、またある者は王師に斬られ命を落とした。その一方で戦場の混乱の中で王師を振り切って脱出できた者たちは、やがて塊になって、誰から言い出したわけでもないのにアドメトス邸へと集まった。

 有斗は王城の解放を第一に、次いで各城門の奪還を優先したので、東西南北に網の目のように張り巡らされた街路を使えば王師を避けて容易に逃げることができたのだ。

 指揮官たちの横のつながりもなく、夜間ということもあり、反乱兵らは情報が十分に得られておらず、有斗が帰還していることさえ知らなかったし、敵は王師であると言った程度の認識でしかなかったが、敵に押されている現状を変えるには戦力を集中して立て直すといった対策しか打てないと本能で察し、集まって来たのだ。

「どういうことだ。王師は陛下と共に確かに大河を渡ったはずだ」

「わからぬ。わからぬが何かの事情で舞い戻って来たということは事実だ」

 喧騒で飛び起き、兵火で追い立てられ、館を王師の兵に取り囲まれる前に逃げ延びることができた反乱の首謀者たちも同じようにして集まってくる。

 これはアドメトスが首謀者ということもあったろうが、アドメトス邸が南北二町にまたがる大邸宅であって、堀や高い塀を持つちょっとした小城塞であったからである。

 これまでいくつもの堅城を攻略してきた王師相手に、その程度の環濠や障壁など通用しないということは正常な判断ができるのならば理解できそうなものなのだが、そこまで混乱していたということであろうし、やはり人間、少しでも安全そうな場所に逃げ込みたいと感じるということであろう。

「我らの兵では王師を相手に戦って勝てる見込みは少ない。王都内に王師に入られたら我らに勝機は無い」

「全ての王師が戻って来たとは思えぬ。残存兵力はここに集結しつつある。まだ諦めるのは早い」

 集まった面々は数時間前までの顔とは一変し、暗く打ち沈んでいた。前向きに考えさせようとアドメトスが鼓舞するような言葉を探しては言ってみるが、彼らの心に届くことは無い。

「まだ何名かここに来られない者がいるようだ」

「四条宰相は逃げる途中で討たれたと聞いた。門を守っていた武衛校尉も姿が見えない」

「それを言うなら中書令もだ」

「それにしてもどうやって城門を開け、王都内に入ってこれたというのか」

 例え王師が戻って来たとしても、各城門を固く守っていさえすれば手持ちの戦力で守り切れる。僅かな間で勝者から敗者へと所を変えるようなことにはならなかったはずだ。

 悔やまれることだが、急遽集まった兵だからと指揮系統をなあなあにしておくのではなく、指揮官を決めて互いに連絡を取り合って常に状況を把握しておくべきだった。

「時間がもったいない。過ぎたことを詮索するのは全てを終わらせてからだ。今はこの状況をどうやって取り繕うかだ」

 アドメトスはこの期に及んでも、まだ諦めてはいなかった。

 各所で王師に敗れたからであろうが、アドメトス邸には分散していた兵士たちが集まって来ていた。この兵士たちを使って王都に侵入してきた敵を撃退し、残りの逃げ散った兵士を集め直せば回天の目がないわけではない。


 アドメトスはバラバラに逃れて来て隊伍もままならない兵士たちを再編し、現場の指揮権を武官に思い切りよく預けて四方に兵を配置し、切り倒した木だの、長机だの馬車だの、おおよそ障害物となりうるもので街路を塞ぎ守ろうとした。

 その甲斐あってか、最初の王師の攻撃を辻まで押し返すことに成功する。

 もちろんそれは主力ではなく、街中の様子を探りに来た偵察隊とも呼べる規模の兵力であったが、アドメトスたちに失った自信のいくばくかを取り戻させる程度の効果はあった。

「よし、戦えるぞ」

 アドメトスらが安堵したその瞬間、庭の端の池の傍にある望楼に登って見張っていた兵士たちが街路を指さして騒ぎ出した。

「何事だ?」

 兵の靜乱は陣の乱れに繋がる。敵に付け込まれるだけだ。アドメトスは不快げに高楼を見上げる。

「大変です! すぐ望楼にお越しください!」 

 アドメトスらは朝廷の高官、用件があれば官吏たちが報告に来る立場の人間である。彼らが足を運ぶのは王など、ごく限られた高貴な身分の人間に対してだけである。

 だからそれが普段であれば歯牙にもかけない存在である一兵卒に呼び出されたようで不快であったが、だが無意味に兵たちが騒ぎ出す理由もないだろうから足を運ばないわけにもいかなかった。

 アドメトスらは酒宴の時とは違って押っ取り刀で望楼に登った。

 望楼に登ったアドメトスに対して、兵士たちが一斉に同じ方向を指さす。指の先に渋々視線を向けたアドメトスの目に、想像していなかった物が飛び込んできた。

「見ろ、王旗だ!」

 風をはらんで翻ってこそいなかったが、そこには誇らしげに高々と王旗が揚げられていた。

「王が戻っていたのか・・・!!」

 月輪黄門が身を乗り出して絶句した。

 これまで彼らは戦っている敵の錬度の高さから正体が王師であろうとは感じていたが、何らかの理由で河北へ渡らなかった軍の一部、あるいはベネクス城で軍の再編作業を行っているガニメデか負傷療養中のアクトールの軍の一部ででもあろうと思っていた。だからこそまだ戦えると思っていたのである。

 だがここに王旗がある、すなわち有斗がいるからには、相手をしている王師は少なくとも一軍は下らないであろう。

 いや、ここに河北遠征軍の精鋭がいるということに他ならない。

 王は河北遠征よりも王都での反乱鎮圧を優先したということだ。

 だがこの帰還はあまりにも早すぎる。アドメトスらの謀略が既にどこからか漏れていたと考えるしかない。

「あれを見ろ・・・・・・!」

「あれは・・・・・・・・・!!!」

 小さな影が兵に囲まれて戦列の前に現れた。官服をまとった少女の身体、ラヴィーニアだった。

 アドメトスらは絶望の表情で王師の兵に囲まれたラヴィーニアの姿を見た。逃げ遅れて捕らえられたものだと思ったからだ。稀代の策士たるラヴィーニアさえ無事ならば逆転の一手を放つことができるのではないかという儚い希望をも打ち砕かれた格好となった。

「やぁ、ラヴィーニア。ご苦労」

「陛下には速やかなる帰還にて賊を見事に平定せしこと、お喜び申し上げます」

 だが有斗が微塵も敵意を見せずに親し気に話しかける様子を、そしてラヴィーニアが深々と頭を下げ拱手する様子を見て、ラヴィーニアがアドメトスらを裏切っていたことを悟った。

「ラヴィーニア、我々を裏切って裏で陛下と繋がっていたのか!?」

 アドメトスはここにいたっても殊勝にも有斗のことを陛下と敬称をもって呼んだ。だからといって有斗に謀反を企てたことには一切変わりがなかったから、有斗には何の感慨も湧かなかったが。

 ラヴィーニアはアドメトスらに向かって振り返ると小さな体に似合わぬ大きな声を張り上げた。

「裏切ったのは方々であってあたしじゃない。あたしは最初から今まで国の為に有益なあり方を考えて行動していただけさね。だから言ったろう? こんな児戯にひっかかるほうが悪い、と。方々は実によく踊ってくれた」

 裏切られ、さらには鼻で笑われてアドメトスらは激高した。

「騙したのかラヴィーニア! この姦婦めが!!」

「騙したなどと人聞きの悪いことを言わないで欲しいな。あたしはカトレウスに協力するとは一言も言った覚えがないぞ」

「ならば何故、我々に協力した!?」

「協力? あたしは協力した覚えはないな。気のせいじゃないか?」

「挙兵の準備、蜂起の手法、全て我々に教えたのは誰だ!? お前ではないか、ラヴィーニア!!!」

「聞かれたから答えたにすぎぬ。あたしは朝廷に救う心得違いの者どもを排除しておこうと策を講じただけ。もちろん方々が今すぐ挙兵するように仕向けたり、成功すると思わせるだけの方法や適当な理由をでっちあげたりはさせてもらったけどね。朝廷内の異物はなるべく早く取り除くに限る。カヒと戦っている時に後背でウロチョロされては大変迷惑なのさ。先ほども言ったがこんな児戯に引っかかる方が悪い」

「ほざいたな女狐め!! 乱世を治めるのは陛下でなくても構わないとその口で言ったのを我々は聞いたぞ!! その言葉だけでも大逆罪に問われるに十分ではないか!」

「そんなこと言ったの!?」

 白刃を手にしたアエネアスの凍てつくようなきつい視線にもラヴィーニアは一切動じない。

「確かに言った。この世界を平和にするのは陛下でなくても構わぬ、別の相応しい人物がいるなら力を貸すことにやぶさかではないとね。だがそれは陛下以上の人物がこの世界におられればの話だ」

「陛下! ラヴィーニアったらあんなこと言ってるよ!?」

「ラヴィーニアのいうことは道理だよ。それに味方してくれたんだからいいじゃないか」

「陛下は実にお心の広い君主でいらっしゃる」

 アドメトスらに見せつけるつもりででもあろうか、常にないような丁寧さで腰を折り、ラヴィーニアは有斗に拱手した。

 その演技じみたラヴィーニアの態度には、アエネアスだけでなく、さすがの有斗も眉をひそめる。だがラヴィーニアは有斗のそんな表情を見ても恐れるどころか、むしろ小ばかにでもするようにうっすらと笑みを浮かべた。

「確かにカヒのカトレウスは一代の傑物で、天下を争うだけの器量と実力を兼ね揃えてはいるが、それと天下人に相応しいかは別問題だ。あたしはカトレウスが天下を欲しがっているという話は耳にタコができるほど聞いたが、カトレウスが天下を取った後、何をしたいか、どういった政権構想を持っているかを聞いたことが無い。理念なき野心家に天下を預けて自らは私欲を満たし、後世に悪名を残すなんて恥ずかしい真似をあたしはしたくはないのさ」

「ラヴィーニア、我らを愚弄するか! 我らの行動は義挙だ!! 戦に苦しむ民を救いたかっただけだ! 欲得の行動ではない!!」

 彼らはあくまでも今回の行動は義挙だと言い張った。だが、それが本心であるかは人の身である有斗には分からないことである。

「だがその義挙とやらはこうして失敗したよ。民のことを考えるなら、これ以上の抵抗は止め投降するのが筋だし賢明じゃないかな? 大人しく降伏すれば処分に関してはいろいろと考えるよ」

 有斗が攻撃を手控えているだけで、もうこの叛乱劇は終末点が見え透いている。これ以上の戦闘は無意味だと有斗がそう呼びかけてみた。

「陛下の御厚情には感謝いたしますが、それでは我らが間違っていたということになり、天下の笑いものとなります。陛下にはどうぞ遠慮なく攻めかかって頂きたい」

 アドメトスは会話を打ち切るように矢を射かけさせてきたので、有斗はアエネアスに守られて後方に退いた。


 次いで行われた、アドメトス邸を巡る戦闘で特筆すべきものは何も無かった。

 圧倒的な王師の兵力を前にしてアドメトスらは守り切れずに退き、最終的には館に火を放って自害するという決着となったのである。

 叛乱に加わった多くの兵は逃げたり武器を捨てて投降をしたが、アドメトスら叛乱の首謀者たちだけでなく、多くの家族や家人も運命を供にした形となった。

「家族まで巻き込むことは無いのに。命を取ろうとまでは思ってなかったのになぁ」

 それを聞いて有斗は顔を曇らせた。

 彼らが起こしたの叛乱は玉座に足をかけたも同然である。普通に考えれば親族も含めて死刑ということになろう。

 だが有斗は先非を悔いれば罪を厳格に問うつもりは無かったのである。少なくとも家族にまで罪を及ぼそうとは考えていなかった。場合によっては反乱を起こした当人たちも死刑にする必要はないとさえ考えていた。もちろん最低でも官は辞めてもらうしかないだろうが。

 それは有斗の心からの本心だったのだが、ラヴィーニアにかかるとこうである。

「カヒとの戦いで朝廷は揺れております。叛乱を起こした者も許すことで今一度臣民の心を引き締め直すというお考えならば、それもよろしいでしょう。ですが単なる情けは身を亡ぼすもとにもなることをお忘れなく」

「なんか文句あんの? あんただって陛下に命を助けてもらったってこと忘れてない?」

 やけにこの日は機嫌の悪いアエネアスに絡まれても、ラヴィーニアはどこ吹く風であった。

「いいえ。陛下の御心の広さには臣は常に畏敬の念を抱いております」

 やけに上機嫌なラヴィーニアと違って、後味の悪い結末ということもあって有斗は胸の奥にもやもやしたものが残る結末となった。

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