第197話 アドメトスの変(中)

 アドメトスのこの行動は有斗にとっては叛乱であるが、本人たちにとってはれっきとした義挙のつもりである。もちろん背後には打算と欲望が大いに渦巻いてはいるのだが、ともかくも表面上は戦に苦しむアメイジアの民を救うというお題目を唱えている。

 というわけでアドメトスは総大将として心意気を見せようと、官服の上から甲冑を着込んでいたのだが、生まれてこの方、箸や筆以上の重いものを持ったことが無いという裕福な文人家庭出身のアドメトスの痩せた身体には不格好なまでに似合わず滑稽で、武官や傭兵などからしたら噴飯ものだった。もっとも本人にとってはこれでも大真面目なのである。

 そんなアドメトスであるから、前線に出ても使い物にはならないということは自分で分かっているので自分の邸宅を本営とし腰を据えて兵乱がどう集結するかじっと待っていた。

 当初は表情に硬さが見られたものの、時間と共に次々と朗報が舞い込んできて、アドメトスの表情にも余裕が見れるようになった。

 城門閉鎖と王城封鎖が全て完璧に行われたとの知らせがもたらされてようやく、アドメトスは自宅を出て前線に赴いて兵をねぎらい、同志たちと成功の喜びを分かち合った。

「王城は門を固く閉じ、人の出入りも無く、混乱も見られぬ様子。いかがいたしますか」

「出入りを厳重に監視せよ。物資の出入りを止めれば、じきに干上がる。無血で開城することであろうよ。焦ることは無い」

 アドメトスは欲を出さず、王城を包囲することで城内の兵力を無力化するという当初の作戦を続けることにした。王城を攻略することで多くない手持ちの兵力を擦り減らしたくなかった。

「はっ」

「それよりも非番で城外にいる羽林、金吾や武衛といった兵の動きに注意せよ。また高官の身柄を押さえることも忘れるなよ。家族を人質にしても構わぬ」

 四師の乱や白鷹の乱とは大きく状況が違い、反乱に望んで加わった正規の軍人は少ない。武衛など多くの兵はアドメトスが偽の勅命を出すことによって、混乱しつつも様子見しているに過ぎない。

 もし気骨のある者が兵や官吏を糾合きゅうごうし、民をきつけて東京龍緑府内で逆に兵を挙げられたら、ここまで上手く行っていた流れが一転しかねないのだ。

「御懸念なきよう。既に各邸宅に兵を向かわしております。主だった者の身柄は確保済みです」

 御史大夫のヘヴェリウスなど幾人かの聡い者は騒ぎを知るや逐電し、行方が知れない。とはいえ主だった高位高官の身柄を押さえることに成功していた。

「それは重畳至極ちょうじょうしごく

「内府を捕らえましたが、いかがいたしましょうか?」

「よくやった」

 派閥を拡大し、政治力学で朝廷を思いのままに動かそうとするアドメトスに対して、内府マフェイは朝廷のもう一方の旗頭でありながら、あくまで急進的なアドメトスに距離を置くグループのまとめ役と言った程度の動きしか見せない。

 自派の拡大などに精力を傾けたりせず、朝廷と有斗が異なる意見を持った時などは有斗の意を汲んで動いてくれたりした。

 それだけに有斗の信用は篤いものがあったし、アドメトスも叛乱に加わえようとは思いもしなかった。

 もっとも篤実さには定評があるものの、アドメトスやラヴィーニアなどと比べると才覚に乏しく、叛乱に際してその動向を考えなくても問題がないほど危険性が小さかったからともいえる。

 とはいえアドメトスに次ぐ朝廷の次席、旗頭として担ぎ出される危険性を考えれば身柄は抑えておいた方が断然よかった。

「お通しせよ」

 アドメトスはそう言って、にこやかに笑みを浮かべた。

 アドメトスの命で自邸にて確保された内府マフェイが兵たちに囲まれ連れてこられた。

「内府殿、御身にお怪我はありませんかな? 手の者が乱暴を働きませんでしたか?」

 そのアドメトスの気遣いに構うことなくマフェイは怒りをあらわにする。

「この不忠者めが! 朝廷首座たる右府という高位高官に任じられておりながら陛下に謀反を起こそうとは! 何の不満があったというのか!? それにしても我が身の不明が口惜しい。これほどの不心得者が朝廷に巣くっていたというに気付かぬとは!」

「内府殿、御自身を責めることはありませぬぞ。それだけ我らが慎重に物事を進めていただけのことです」

「ほざきおる。今のうちに調子に乗っておくがよい。きっと陛下が罰を与えてくださる」

 アドメトスらは悪態をつく内府にも勝者の余裕で笑顔を崩さず、ことさら丁重に受け応えた。

「連れていけ。仮にも内府だ。丁重に扱うのだぞ」


 内府が連れ出されると、男が一人戻ってきてアドメトスに近づき耳打ちした。

「して右府殿、捕らえた者たちはいかがなさるのですか?」

 分かりにくかったが声にはかすかに怯えがあった。昨日までの同僚たちを殺すのは忍びないのであろう。

 叛乱という大事を起こしたのに腹の座らぬ奴だ、失敗したら首が飛ぶのは自分たちの方なのである。単に勝ち馬に乗ろうと叛乱に加わっただけで、その本質を深く考えはしなかったのであろうかとアドメトスはいぶかしがった。

 とはいえ分からないでもない。官吏たちの過半を占める士大夫層は何が起こるか分からない政界を生き抜くために互いに通婚していた。叛乱に加わった者も、加わえなかった者たちとの間に姻戚関係を持つ者が多いのである。

「その判断は次の覇者たるカトレウス殿にお任せしようではないか」

「さすが右府殿、慈悲深い。御懸命なご判断です。カトレウス殿も喜びましょう」

「いやいや」

 アドメトスはことさら謙遜して見せたが、この行動は別に慈悲心から出たのではなく、巧まざる計算から出た行動であった。

 独裁者は部下の専横を嫌うものである。

 ここでアドメトスが、その多くが政敵である反乱に加わってない官吏たちを己の考えだけで裁断してしまったら、カトレウスは乱の功労者であるアドメトスのことを表面上は褒めたたえるだろうが、内心では器量の小ささを笑い、その権力欲の強さに警戒心を抱くに違いない。

 政敵を己の手で処断する誘惑には耐えがたいものがあったが、ここはカトレウスに対して一歩下手に出ることでカトレウスの自尊心をくすぐっておき、覚えをめでたくしておいた方が賢明である。

 しかもそういった自身の保身のためだけでなく、直接、手を汚すことで、これ以上の悪評を被らないようにするためにアドメトスは他の官吏には一切手を付けないでおこうと小狡く考えたのである。


 ここまで来たらもう成功は確たるものだとばかりに、勝利の賀詞を述べようとアドメトスの下に叛乱に加わった者たちが代わる代わる訪れた。だが大事な顔が一つ足りない。

「・・・そう言えばラヴィーニアはどうしている?」

 この大事の間にアドメトスはラヴィーニアの小柄な影を一切見ていないことをふと思い出した。

 反乱を起こそうと決め、同志を集めたのはアドメトスの手腕だが、王と王師の不在時に挙兵する、攻略が難しい王城を包囲によって無力化する、城門の確保によって王と民、金吾や武衛といった守備兵との関係を絶って力を弱めると言った、劣悪で少ない兵力で反乱を成功に導く策を思いついたのはラヴィーニアである。

 自分の策が上手く運ぶかどうか見届けたいだろうし、後々の分けまえの取り分を多くするために口出しもしたいところだろう。少なくともアドメトスならそうするところだ。

「中書令殿はご自身が立てられた策に疎漏などあるはずがないから、見るまでも無い。後は右府様たちに任せると仰せになっておられます」

「自信家よな」

 十分すぎるほど承知していたつもりだったが、ラヴィーニアのあまりもの傲慢不遜さにアドメトスも少し鼻白んだ。

「それにご自身の身体では戦場に出ても足手まといになるだけだともおっしゃられていました」

「それは確かにそうだな。では自宅で高みの見物と洒落こんでいるというわけか。いいご身分だな」

「いえ、前日に官庁から書類を持ち帰ったから、日々の政務を自宅で続けるとのことです」

 それを聞いてアドメトスは今度こそ呆れ果てた。

「本当にどこまでも物好きな女だ」

 反乱を起こしたということはそれまでの政治体制をひっくり返すということである。その当日にそれまでの政務を続けるなど理が通らない。昨日決めたことが明日覆るやもしれないのである。すべてが無駄になりかねない。

 それに反乱に失敗したら間違いなく首が飛ぶのである。そんな状況で平然と昨日と変わりなく日々の業務を行うことを優先するなどアドメトスには考えが及ばなかった。

 ラヴィーニアはどこまでもアドメトスの理解の範疇に外にある存在のようだった。


 こうして東京龍緑府をほぼ掌握したアドメトスは都内の民に布告を出して、出入りする門を限定すること、夜間の通行禁止、みだりに集まったり騒ぎ立てすることを禁止するなど、矢継ぎ早に通告した。

 昨日の今日の叛乱劇だ。民の脳裏にはまだ兵乱に対する恐怖の方が大きく、まずは大きな抵抗もなく実施することができた。

 もちろん問題が無かったわけでは無い。アドメトスらが集めた兵は極めて質が悪く、上の者の目を盗んでは押し込み強盗や強姦、殺人などを犯して民の反感を買ったし、また消費のほうが生産よりも遥かに多い東京龍緑府では出入りできる門を制限するということでもある。今は大丈夫でも物資が欠乏すれば民の不満がみるみる膨れ上がるのは目に見えている。

 民が暴発する前に王城の籠城戦を終わらせ、東京龍緑府と朝廷の支配権を確立する必要が是非ともあったのである。

 だがそれらは全てもう少し先の話ということになろう。

 アドメトスらは叛乱の長い前夜を徹夜して過ごしたこともあって、その日は勝利の美酒で乾杯すると早々に床に入って幸せな夢に酔いしれた。


 だがそれこそがアドメトスらにとって油断になった。

 事態はその夜、再び急速に動き出す。

 治安維持と風紀安定のため、普段から王都の各城門は夜間の間、閉じられている。各城門を身内の兵で固めたアドメトスは市民の不満の声を黙殺し、夕刻には門を閉じて出入りを禁じた。特に初日ということもあって、何が起こるか分からないと安全策を取ったのである。

 さて身内の兵と言ったが、正確には以前とそのまま武衛が預かっている門も僅かながら存在する。それはこの叛乱に武衛校尉が最初から加わっていたからだ。

 その門は王都の北西に位置する開遠門である。

 払暁ふつぎょう、城門の塔の上で警戒に当たっていた武衛の兵が闇の中、一里は離れた場所で火が左右に振られているのを確認した。

 兵は急ぎ仮眠を取っていた武衛校尉の下に走り、そのことを伝えた。

 武衛校尉は楼門に登り、それが待っていた合図だと確認すると、松明を手にもって同じように左右に振って城外に向けて合図を送り返した。

 武衛校尉の合図に応えるようにもう一度城外の火が左右に振られた。

 武衛校尉は振り返ると傍らの兵に声を潜め命じた。

「門を開けよ。気付かれぬよう静かに、そして速やかに」

 武衛校尉の言葉に武衛の兵たちは言葉を発さずに頷き、重く分厚い門扉を押して開ける。

 きしんだ音を立てて門が開ききると、やがて闇の中から馬蹄の音と共に軍団が現れ、跪く武衛校尉たちの横をすり抜けて街路へと吸い込まれていく。

 最後に黒塗りの馬車が止まり、窓が開いた。窓から顔を出した有斗を見て武衛校尉は叩頭する。

「陛下、お待ちしておりました」

「御苦労様。状況はどう?」

「アドメトスらは酒宴を開いたのちはおのおの自邸に引き返して休息を取った模様です。賊の過半は王城を取り囲むように布陣しております。また各城門前にも兵が分散して配置されているようです。なお乱に加わった者ですが──────」

「乱に加わった者は知っている。だけどアドメトスらにどれほどの兵力が動員できるかは掴んではいない。そこを知りたいな」

「総兵力は五千を下回るかと」

「わかった。この後は市街戦になるかもしれない。民が逃げ出す出口が必要だし、乱に加わった者が逃げぬよう見張ることも必要だ。武衛校尉はこの門を引き続き守備するように」

「はっ」

 有斗は一刻も早く賊徒を平らげようと気が急いており、そこで会話を打ち切るつもりだったが、アエネアスに肘で小突かれて、もう少し言っておくべきことがあることを思い出した。

「ああ、それと・・・」

「?」

「それと武衛校尉がアドメトスらに同心すると見せかけ内部に潜り込み、危険な目に遭ってまで忠節を見せたことは忘れないよ」

「はっ!!」

 平伏する武衛校尉を横目に、有斗は羽林の兵たちと王城へ向けて進んだ。

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