第196話 アドメトスの変(前)

 有斗は羽林の兵のうち千を率いて王城を出ると、郊外にいた第七軍と合流した後、北へ向かった。

 まず目指すのは畿内最北の拠点アンブラキア城である。

 今や朝廷の支配域の北端は河北へと移り、以前と違って防衛拠点としての価値を失ってはいたが、軍を駐屯させる場所としての機能は失っていない。

 先にザラルセン追討に向かった王師四軍は、有斗に同行して王都に戻った第七軍以外は、カヒに備えて大河を下って移動できる場所ということで、まずは大河の北岸に駐屯していたのだが、無意味に野営を続けて兵に負担を強いるよりはということで対岸のアンブラキア城に移動し、そこに駐屯していた。

 有斗はその軍とまずは合流を計ったのである。

 

 有斗はアンブラキア城に到着すると、休むことなく王師の将軍を集めて軍議を開いた。意思統一をはかっておく必要があったのである。

「まずはニケーア伯だよね? ささっと倒しちゃおう」

 アエネアスはニケーア伯の追討を第一に挙げた。もっともその主張には他人に対する好き嫌いと言った感情的なものが見え隠れしてはいたが。

「感情で主敵を見失っちゃいけない。今回の戦いはニケーア伯を倒すことじゃなく、河北を平定することだよ」

「河北が安定しないのはザラルセンがたびたび南下して荒らすことが主要因です。まずはザラルセンを除かねばなりますまい。ニケーア伯などはその威を借りて小利を貪るに過ぎません」

 同意を示すエテオクロスの言葉に有斗は満足げに頷いた。

「エテオクロスの言う通りだ」

「わかってまさぁ。ニケーア伯の兵はせいぜいが二から三千。正面から戦えば王師の敵じゃねぇ。今回の叛乱を治めるにはザラルセンをやっつけることが何よりも大事だってことは。でもザラルセンと戦っている間、後ろでこそこそと動き回られると面倒ですぜ。それに許せねぇです。あんな汚ぇ奴はぶっ殺しておくべきですぜ」

「ニケーア伯は王師が来れば居城に籠っているしか能がない男さ。放っておけばいい。ニケーア伯の影に隠れて蠢いている連中の思惑を打ち砕かなくちゃ」

 戦うにしても目の前の敵だけを見て戦うのではなく、目の前の戦場全体を、そして戦場だけでなくその後ろにあるものをも見て戦わなければならない。

 ようやく有斗にもそのことがおぼろげながらも見えて来た。

 戦争は政治の延長線上に過ぎないというアエティウスやアリアボネやラヴィーニアの言葉を、有斗はようやく言葉以上の意味として理解したのだ。

 逆に言えば、政治もまた戦争の別の形に過ぎないのではないか、有斗はそうも思った。

 

 有斗はアンブラキア城を翌日、出立することにして、その前に朝廷のラヴィーニアに向けて書簡を出すことにした。

 といってもいつものことではあるが、書簡を実際に書いたのは軍に帯同している文官で、有斗はただ末尾にいつまでも成長が見られない下手くそな字で署名をしただけである。

「アエネアス」

「ん? なぁに?」

 有斗は声に応えて首を向けただけの、ものぐさなアエネアスを見て呆れながら書簡を手渡した。

「これを王都にいるラヴィーニアに届けておいて。急ぐから羽林の兵を使って馬で届けて欲しいんだ」

 アエネアスは封をされた手紙を受け取ると、気になるのか中身を見ようと陽に透かした。

「今頃、何の手紙?」

「王都に集めた物資の一部を慶都まで輸送してもらおうと思ってさ。ザラルセンとの戦いはたぶん長いものになるからね」

「ふぅん」

 アエネアスはそれで興味を無くしたのか、ぞんざいに手紙を羽林の兵に渡し、急使にしたてて王都へと走らせた。


 ラヴィーニアは中書省にて有斗から来たその書簡を受け取ると、写しを作成して、すぐさま自邸へと下がっていた右府アドメトスの下へと届けた。

 親交を重ねるためと結束を深めることを兼ねて、いつものように同志たちと宴を重ねていたアドメトスは皆の前で来たばかりの書簡を声を潜ませて読み上げた。

「陛下は無事、アンブラキア城に御到着なされ、翌日には予定通り河北へと入るとのことだ。日付は昨日のことだから今頃は陛下は河北の地におられる、ということになろう」

「では!?」

「明日のよい、決行する。かねてからの打ち合わせの通り、各人は家人、召人、傭兵など手勢となるべき者どもを都内にいれ事に備えるべし」

「おう!!」

 挙兵にあえて一日置いたのには理由がある。

 常日頃王都に居住する家人はともかくも、戦場に生きる傭兵や地方の農村に生きる召人ら見るからに畑違いの人間が王都内に大勢で何日も固まって行動していては目立ちすぎるからである。

 東京龍緑府の治安を預かるそうたいも馬鹿ではない。妙な動きをすれば早々に怪しまれ監視されるだろう。もちろん朝廷首座のアドメトスはそうたい内部にも多数のシンパを抱え、ある程度のことは抑え込めるだけの布石を打ってはいるが、王に忠義立てする者がいないとは限らない以上、あまり無駄なリスクを冒したくはないのである。

 そこでぎりぎりまで王都内に与党は入れずに、叛乱に加担した工部侍郎の管轄する山林や王都近くの縁ある家などに分散して置くことにした。

 あらかじめ郊外に呼び寄せておいた彼らを集めるのに一日を要するからである。

 それだけなら有斗が王都を発した翌日に呼び集めれば済むのだが、アドメトスは何よりも都城制圧に手間取った時のことを考えた。

 アドメトスらが反乱を起こせば、知らせはすぐさま王の下に届けられるに違いない。もし王師が畿内にいれば、騎兵ならば早ければ一日で王都に戻って来てしまう。それではアドメトスたちの策は成功しない。

 が、軍がひとたび大河を渡ってしまえば事情は一変する。王都を発した使者が王に急報を届けるにも河を渡らねばならないし。王師が畿内に戻るにも河を渡らねばならない。何しろ軍が河を渡るというのは何かと準備がいるのである。

 思い通りに行かなかったとして、反乱を続けるにしろ、逃げるにしろ判断するための時間的余裕が生まれる。アドメトスは念には念を入れ、石橋を叩くようにして策を練ったのである。

「皆の者、油断はならぬぞ、なお一層気を引き締めよ。我らの義挙の成否がアメイジアの未来を左右する。戦に苦しむ民草の為にアメイジアには新たな覇者が必要なのだ」

 アドメトスが杯をすと、決意を表すかのようにその場にいた者たちは一斉に盃を傾けた。


 謀反というものは夜から朝にかけて行われることが多い。当たり前であるが謀反という手段を取るということは権力的にも軍事力的にも劣勢であるから行うのであって、兵法の常道でもある夜討ち朝駆けを行って、その不利を挽回しようとするからである。もちろん歴史を見れば乙巳いっしの変などといった例外はあるにはあるのだが。

 アドメトスも古今に通じる博学と知られた男である。当然、その手段を選ぶことにした。

 というわけで変の起こった当日、変に加わった朝廷の官吏の多くはラヴィーニアを除いては、準備をするためもあって早い時間に朝廷を退いていた。

 とはいえ王という主催者のいない朝廷ではやるべき仕事は詰みあがってはいても、王抜きで進められる仕事はそう多くは無かったので、それをもって大事が起こるきっかけであると見抜く慧眼けいがんの持ち主は皆無だった。


 東京龍緑府は東西王朝の統一という歴史的出来事や、支配領域の急速な拡大に伴って、有斗が初めて訪れた時のようなうらびれた都ではなく、今や日夜木槌の音が絶えることのない賑やかな都へと変貌を遂げていた。

 木槌の音のないのは財政不如意の朝廷の建物だけであると官吏に自虐を言わせるほどの賑わいである。

 ということは王都に大量の職人がいるということでもあり、彼らが落とす金目当ての歓楽街も急拡大をし、また往時の繁栄を取り戻しつつあるといったところだった。

 官吏の館など各所に散って集まっていた反乱者たちは武装すると、亥の刻の太鼓の音を合図に一斉に街路に出てその歓楽街を目指した。

 深夜に人がいても目立たぬという点や、都を南北に貫く大路の一つに面しているということもまた、人が集まるのに好都合だった。

 というわけでその日も賑やかな瓦市がしにいた人々が、反乱を最初に目撃した集団となった。

 その多くは酔客であり、武装した集団が現れても気にも留めなかったし、後ろ暗いことのない店などごく僅かであったから、素面しらふの人間たちも手入れでも行うかと思い、息を殺して見守るだけである。

 彼らも目的が瓦市がしそのものにあったわけではないので、大きな騒ぎを起こすことも無く、反乱の第一段階はまずは無難に進められた。

 合流した反乱兵は大きく分けて二隊に分かれた。

 一隊は都城にある十個の城門(東京龍緑府は背後に高山を抱える地形と、王城を囲むようにある水堀に流れ込む河川によって、通常あるべき北壁の四門のうち三門が無かった)に向かい、また別の一隊は王城を取り囲むようにして展開した。

 武衛校尉の一人コデッサが反乱に加わったこともあって門の接収は順調に進んだ。

 アドメトスが前もって王の命令書を偽造していたことも効果的だった。

 偽の下文には宮中に不穏の動き在り、城門を固く閉ざして変に備えよ。王は不在であるから警備と調査の全権を右府アドメトスに預けるので、武衛はその指示に従うべしと命じてあった。

 朝廷首座たる右府が発行したのであるからほとんどが官符に等しいし、官吏と言えども本物との見分けがつかないほどである。ましてや一介の門兵ごときではその真贋をとやかく言えるはずも無かった。

「王命である。今日からしばし我らがこの門を守護し奉る。門の鍵をとく渡せ」

 ただ延平門の隊長だけが頑強に抵抗した。

「陛下の命令というが、古来より都城の門は武衛が預かるのが通例。そもそも今、陛下は出征中であり、このような時に急な命令とは下しかねる」

「なにを言うか! 王命に逆らうものは斬る!!」

 説得や尋問、逮捕といった手段をすっ飛ばし、そうたいだと名乗るその怪しげな風体の男たちは突如として斬りかかり、門を背にして小さな戦闘が始まった。

 王命というからには従わざるを得ないところであるが、通常の手順とは大いに異なり、官符を持ってきた者たちも大半が官吏とは思われぬ姿であるから金吾の兵たちの多くも疑念は抱いた。

 だが王命という言葉に逆らってまでも味方する兵士もまた少なく、隊長は奮闘空しく討取られた。

 一方、王城の方は何事もなく包囲が完了した。これはアドメトスが王城攻略に主眼を置かず包囲に留めたということ以外に、内部から兵が打って出てこなかったからである。

 だが隙あれば混乱に乗じて主のいない王城も接収しようと目論んでいた反乱側にとっては物足りない結果となった。


 実を言えば早い段階で叛乱の一報は王城に届けられていた。

 アドメトスの策である。

 城門の接収が終わり、堀の対岸にあらかた兵を配備し終わった段階で、配下の者を忠義の士と見せかけて城内へ走らせ、変事が起きたことをあえて告げさせたのである。

 男は金吾将軍の前につれて来られるやいなや、質問攻めにあう。

「首謀者は? 規模は? 状況は?」

 王城の主たる有斗も羽林の実質的な長であるアエネアスもおらず、また夜間の為、高官の主だった者もおらず、たまたま宿直とのいしていた金吾将軍の一人マクロが押し出される形で指揮を執ることになった。

 といっても彼は父祖共に官吏という士大夫層の出身で、相次いで高官が失脚し、空いた金吾の次官の座を事務方を務めていた経験があるという履歴だけで埋めただけの男で、事務処理の手腕はともかく軍事的手腕はというと誰も最初から期待していない人事である。

「反乱を起こした首謀者は分かりませぬが、いくつかの城門で戦闘が起こっている模様です。武衛の兵が防いではおりますが苦戦している様子です」

 同じ質問なんども繰り返され、遂にこれ以上情報が得られないと分かると、ようやくマクロはその男を解放した。

「よく知らせてくれた。追って沙汰があるまで休んでいよ」


 マクロには解放されたものの、男に一休みする時間は与えられなかった。今度はたちまち兵たちに取り囲まれて質問攻めに遭う。

「敵は!?」

「やはりカヒのやつらなのか? 数はいかほどだ?」

「町の様子は!?」

 兵たちは次々と質問を投げかけ、男に容易には口を開く間を与えようとはしなかった。不安だったのだ。

 有斗の治世は安寧とはほど遠く、戦いと政変とに明け暮れているといっても過言では無い。でもだからといって人が政変になれるということはないのである。

 いや、むしろ数多くの政変があったからこそ、その心の奥底に眠っていた恐怖が再び広がるのである。

「将軍にもお話したのだが、敵の正体や兵力については俺にはわからん。ただ敵は城門を全て押さえ、続々と府内に入ってきているようだ」

 男は先ほどと異なり、兵たちに向けては真逆の説明をした。

 叛乱の規模を指揮官には過少に話して侮らさせ、逆に兵士たちには大きく話すことで動揺を走らせ士気を落とそうとしたのだ。

 夜間の暗闇、見通しのきかない都城という条件では反乱側以外ではその規模を知る由もない。

 男の言葉を何の疑いもなく信じてしまう。

「反乱を起こしたやつらが町中で暴れたりしないだろうか。妻や子供が心配だ」

「堀と城壁があるとはいえ、四方から火をつけられて攻められたら我々には逃げ場はないぞ」

 このように兵たちの間では動揺が広がっていたが、逆に金吾将軍の周辺では主戦論が強くなっていた。手持ちの兵力だけで乱を鎮圧できる可能性があるのに、このまま座して手をこまねいていては後で責めを負うかもしれないと危惧したのだ。

 というわけで出兵準備をすることを告げたが、兵たちや金吾校尉など下級指揮官たちが首脳部の方針に大きく反対した。

「敵の兵力が分からぬのに動くのは軽々しい。また、この闇の中で戦うのも危険だ。まずは門を固く閉じ、情勢がはっきりするまで守勢に留まるべきだ」

「敵は寡兵ぞ。民の苦衷を前に王城に籠っていてなんとする。陛下に対して申し開きが出来ぬぞ」

「敵の満ちる都城に出ても討取られるだけだ。それに兵火で家々を焼かれてしまう。むしろ王城に籠って戦う方が活路が広がる」

「宿直の兵しかいないのに、打って出れば門を守ることができませんぞ」

 平時ならマクロに従う金吾の兵たちも、文官上がりということで実戦能力に関しては大いに疑っていたし、羽林の者たちはよいえばそもそもが疎遠である。マクロの言葉に素直に従おうとはしなかった。

 議論はすれ違い、王城内はちょっとした騒ぎになった。このままでは兵を出すどころか城を守ることもおぼつかない。

 その混乱をアリスディアが打ち鎮めた。

「金吾将軍、出兵はなりませぬ」

 女官風情がいらぬ口出しを、とマクロは内心では苛ついた。

 夜間ということもあり王城にいる官吏の中では金吾将軍が最高位である。だが金吾将軍というのは朝廷でも中位の位階であるが、尚侍は位階だけなら公卿に匹敵する。

 よって金吾将軍と言えども忙しいからと言って、アリスディアを無碍にすることはできないのである。

「尚侍殿、貴女が陛下不在の王城を預かる身であることは理解しておりますが、これは奥向きのことでは無く兵事に属する事柄です。不肖ながらこの私に任せていただきたい」

「存じております。ですが陛下は常々、このようなこともあろうかと、密かにこのわたくしに御内書ごないしょを下し置いております」

 あっけにとられるマクロらにアリスディアは常に変わらぬ落ち着いた態度で懐より書簡を出して見せた。

 書簡にはまるで王が今回のことを見越していたかのように、不在時に反乱が起きた場の対応が書いてあった。

 大雑把に言えば、城内で反乱が起きた場合には門を守って敵の行動を早い段階で制限し逃げ道を塞いで、地の利を生かして各個撃破をするように、そして城外で反乱が起きた場合は敵の兵を王城に入れずに堅守して味方の援兵が来るのを待つようにとのことだった。

 どちらにせよ城門を閉じて警戒を厳にし、割符を持った者以外の通行を禁じる措置を施すことに違いは無かった。

 マクロが受け取って確認すると、書簡の御名御璽はどうやら本物のように見えた。

 とはいえ王に近侍する尚侍やその周辺の女官ならば、王の署名すら模写ないし転写する機会には事欠かない。尚侍が反乱側に組していないとは誰が言いきれよう。

 何よりも王城を守り切るということを優先するということは、王城にいる兵力をむざむざと死兵にすることでもある。王城にいる兵力を無力化することが反乱側の狙いなのかもしれないではないか。

 マクロはじっと御内書を見つめて動かなくなった。

「いかが?」

 アリスディアに促されてマクロはようやく決断した。

「・・・・・・承りました」

「それでは宜しくお願いいたします」

 いつもと全く同じ、優しく優雅な笑みを浮かべて頭を下げるアリスディアをマクロは奇怪なものを見る目つきで眺めた。

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