第195話 罠

 韮山の敗戦も朝廷の威信を揺るがしはしたが、堅田城の失陥はその比でないくらいアメイジアを揺すぶった。

 二度続けての敗北は朝廷の無力さを世間に知らしめたと言って良い。四師の乱以降、有斗が築き上げてきた権威が全て打ち砕かれたに等しかった。

 振り返って四方を見れば、南部では諸侯にますます親カヒ派が増え、多くの使者が親書を胸に大河を東へと渡った。

 ステロベを主将とする関西遠征軍はまだ叛乱を起こした関西諸侯全ての鎮圧に成功していなかった。まだ新たにカヒにつくと公言した者こそいなかったが、以前と比べて王師に対して積極的に協力しようとする姿勢が見られなくなった。新たに反乱に加わる者が出るかもしれない。

 河北では追い払った流賊がまたまた舞い戻り、諸侯も兵を集め始めるなど情勢はまた徐々に不安定さを増していた。

 それだけでなく王都の中ですらも怪しげな動きが行われているとアエネアスは感じていた。

 官吏たちが互いの屋敷を訪れあって宴を連夜催しているのだ。それだけなら朝臣のいつもの光景だが、いかんせん頻度が多すぎるし、それまで交友関係がさほど見られなかった者同士が集まっていることが不可解だった。

 裏切りや謀反を感じさせる怪しげな動きだったが、アエネアスは確証までは得られていなかった。


 四方の奇怪な動きは有斗も気になるところだったが、表立った動きがない以上、打てる手は限られているがやれるだけの手当てはしておかねばならない。

 諸侯の心を繋ぎとめるために書簡を送り、以前より朝会を長く行って動揺する官吏を鎮めようとした。

 アクトールなど重症の兵を一旦は軍務から外し、残存の堅田城の三軍を二軍に再編した。

 韮山、堅田城失陥で兵だけでなく多くの軍備を失った。カヒが畿内に侵攻した場合に備え、王都に兵糧を集め、軍資を整えねばならない。

 通常の政務だって行わなければならない。有斗は忙しい日々を過ごすことになった。

 だけど有斗はかえってその忙しさが有難かった。暇な時間があれば余計なことを考えてしまう。脳裏にヘシオネのあの顔が浮かんでしまう。

 夢の中でもヘシオネの生首を見てしまうほどだった。

 有斗は今でも感情では一刻も早く河東へと渡って、カトレウスを殺してやりたいのだ。


 だが有斗に座って玉座を温める平穏な日々はまたも与えられなかった。

 ザラルセンが朝廷に対して叛旗を翻し、河北にまたも兵を向けたのである。

 しかも時を同じくしてニケーア伯も背反した。

「ザラルセンはともかく、ニケーア伯に単独で朝廷と戦えるだけの力も度胸も無い。カヒがそそのかしたのは間違いありません」

「それにしても、この時点で連携しにくい河北という場所で兵を立たせたカトレウスの狙いが分からない。せっかく得た味方を各個撃破の対象にするだけではないか」

「河北にしか共に立って戦ってくれるものがいなかったという苦肉の策ではないか」

「朝廷の目を河北に向けるのが目的ではないか」

 将軍たちはニケーア伯よりもその背後にいるカトレウスの狙いが気にかかるようだった。

「それにしてもニケーア伯は恩知らずな男だよ! 陛下が罪をお許しなさって命を救ってもらったのに、感謝するどころか朝廷の旗色が悪くなった途端、また背くなんて!」

 アエネアスはそんなことより表裏常ならぬ動きを見せるニケーア伯のことが許せないようだった。

 許せないという想いは有斗も同じである。

 もしニケーア伯があの時、裏切らなければ、あるいは素直に降伏していたなら有斗は河北遠征軍を連れて堅田城に救援に行くことができたであろう。

 そうなればヘシオネの命を救えたかもしれない。

「今は王師を動かしたくないな。河北遠征と堅田城防衛で傷ついた王師を再建する時間が欲しい」

 当たり前のことであるが敵は弱った時にこそ襲い掛かってくるものなのである。

 その後ろにカヒの影があることも間違いない。

 河北の東部と北部は分断され、再び朝廷の威光の届かぬ地となった。

「ですが何らかの手当てをせねば騒乱は大きくなるばかりです」

 プロイティデスの意見はもっともだった。

 今は過去に思いを馳せるよりも、現在起きている危機に対して手当てをしなければならない。


 有斗は今度も自ら軍を率いて親征することにした。

 だがこれには朝廷の官吏だけでなく、王師の将軍たちも反対した。

 官吏たちは王には何かと滞りぎみな政務にしばらく専念してもらいたいと言った切実な要望があったし、将軍たちはザラルセンたちの力のほどは分かったから、わざわざ王にお出ましを願うほどではないということで双方の意見が一致したのである。

 それに戦場では何が起こるか分からないことを考えれば、王の身はできるだけ安全な場所に置いておきたいのである。

 ただ有斗には何の考えも無く親征を口にしたわけではない。

「将軍たちを信用してないわけじゃないんだ。ザラルセンを打ち破って河北から追い出すだけなら将軍たちに任せておけばいいだろう。ただ今回は河北のことを完全に決着をつけておきたい」

 多少痛い目にあわして北辺の荒野に追い払っても、ザラルセンはほとぼりが冷めたら、また河北に舞い戻ってくるだろう。それでは根本的な解決にはならない。

 朝廷がカヒとの戦いに専念するためにも、河北に住む民の為にも、これ以上のザラルセンの跳梁は終わらせなければならない。それにはどうしても自分の存在が軍中にいる必要がある。

 そんな有斗の考えに賛同したのか、ラヴィーニアが珍しく助け舟を出した。

「臣は賛成いたします。カヒは今、芳野や上州に兵を入れております。幸いにして当分の間、畿内に目を向けることはありえません。今近々に処理しなければならないのは河北のことです。賊を征討するために陛下おん自ら出兵なさることで決着を図りたいというのは理に適っております」

 もちろんその程度で反対意見が収まるということは無かったが、強く出れば最終的には王である有斗の意見を通さざるを得ないのが王政という政治形態である。

 有斗は反対の意見を押し切って親征することに決めた。

 ただ腹が立つほど理屈ばかりこねるラヴィーニアにしては表面上取り繕っただけのように聞こえ、いつもならあるべき微に入り細を穿うがつような詳細な説明に乏しく、説得力の無い言葉だったことにアエネアスは不信感を抱いた。


 執務室に戻ると傍にアリスディアしかいないことを確認してから、アエネアスは有斗に近づくと声を潜めて話しかけた。

「陛下、ラヴィーニアは怪しい。何か匂う」

 アエネアスの唐突な言葉に有斗は目を丸くした。

「理由もなく人を疑うなんて良くないよ。アエネアスらしくもない」

「兆候ならある。ここのところラヴィーニアは朝廷の高官たちと毎夜のように会合を持っているのよ。まるで四師の乱の前の時のように」

「・・・それくらい朝臣なら当たり前だ。ラヴィーニアだって付き合いくらいあるんじゃないかな」

「ラヴィーニアには誰も近づかないし誰ともなれ合わない。アリアボネを除いては。陛下もそれは知ってるでしょ?」

「・・・・・・」

「放っておくの!? 何かあってからじゃ遅いんだよ!」

 いつになく熱意を見せるアエネアスを見て有斗はじっと考え込む。

「・・・・・・わかった。ただまだ単なる疑惑だ。裏切ったと決まったわけじゃない。ひっそりと気付かれぬように見張るだけでいい。何か分かったら僕に知らせて。処断は僕が行う。くれぐれも大事おおごとにしないように」

「うん!」

 アエネアスはぴょこんと兎のように飛び跳ねると子犬のように走り去った。

 廊下をけたたましく走るアエネアスの靴音を聴きながら有斗はアリスディアに何の気なく話しかけた。

「やれやれ。アエネアスにしては鋭いところを突く。女の勘ってやつかな」

 アエネアスはアリアボネやラヴィーニアのようにちょっとした変化から後ろで動いている策謀を把握するような能力は持っていないと思っていたから意外だったのだ。

「陛下、わたくしも気付いておりましたのよ」

「アリスディアは聡いから気付くだろうと思ってたさ。でもあのアエネアスがねぇ・・・」

「陛下はアエネアスの評価が低いのですね。アエネアスが不憫です」

「でもあのアエネアスだよ? 気付くとは思わないよ」

「気付くに決まっています。だってアエネアスは陛下のことばかり見ておりますもの」

 意味ありげな言葉を言ってアリスディアは悪戯っぽく笑みを浮かべた。

「・・・・・・!」

「陛下をお守りする羽林の長ですものね」

 有斗が絶句したのを見て、アリスディアはまたクスクスと声を潜めて笑った。


 右府アドメトスが立てた策がいよいよ実を結ぼうとしていた。

 手順の確認と役割の分担、結束を固め裏切り者を出さないために、アドメトスは計画に賛同した同志を集めて酒宴を開いた。

 右府アドメトス、月輪黄門、四条宰相といった高位高官から、武衛校尉や工部鍛冶司丞といった多種多様な実務官までがその場に顔をそろえていた。

 もちろんラヴィーニアもである。

 王師の将軍や羽林の部隊長などがいないものの、その面子の煌びやかさはパウリドの変とは比べようがなく、いわば白鷹の乱や四師の乱に匹敵する大きな党だった。

「これで無事に陛下は河北へと出征することとあいなった。我々が望む状況が整いつつある」

「あの渋い男を動かすのは骨が折れたぞ」

 アドメトスはサビニアスを通じてニケーア伯に再び河北にて反有斗の旗を掲げるように働きかけたのだ。

 だが欲望だけは人一倍大きいものの、実力と才覚に乏しいニケーア伯は大きいものを得るために犠牲を払うという考えがない。とにかく目の前の利だけに喰らいつく男だ。

 王師と王を東京龍緑府から引き剥がすために挙兵するだけでいいと言ったのに、王師と戦うことを恐れてか、なかなか首を縦に振ろうとはしなかった。

 分不相応な成功報酬をちらつかせ、ザラルセンが共に立つからと説得し、サビニアスにいざとなればカヒが後ろ盾になるという空手形を発行させてまで、なんとか兵を挙げることに同意させたのだ。

 もっともサビニアスにとってしてもアドメトスらに謀反を起こさせることは願ったり叶ったりだったので、喜んで協力した面もある。

「御苦労なされましたな。ですが河北に兵火が及ぶとあれば陛下とて動かざるを得ない」

「これで陛下が王都に残りでもしたら、計画は延期せざるを得ないところでした。危ないところであった」

「内府や尚書令などが反対しおったからな。忠義面しよって小憎らしい奴らよ」

「中書令が機転を利かせて陛下の親征を後押ししてくれたのが助かった」

「陛下に王都にいられると、せっかくの計画が水泡に帰すからね」

 一身に集まった好機と感謝の視線を浴び、ラヴィーニアは軽く肩をすくめた。

「まったくだ」

「それでは何のためにここまで準備したか分らぬ」

「陛下が河北に渡り次第、我々は挙兵する。王宮は包囲することで無効化し、各城門を押さえて王都を支配下に置く」

 彼らは先んじて反乱を起こし失敗した者たちを教訓とし、慎重に計画を立てた。

 四師の乱や白鷹の乱、パウリドの変を経て、王師や武衛、金吾、羽林の三近衛兵といった正規の軍人の中で有斗の批判勢力は皆無とはいわないが極めて少なくなった。

 ということはそのうちの不満分子を仲間に引き寄せたとしても、正規の軍事力では大きく劣るということになる。

 もちろん彼らも朝廷の高官。家人や所領の召人など軍事力になりうるだけの人数を集めることはできるだろうが、それでも真正面から叛乱を起こして、有斗を急襲し、殺害ないし身柄を確保すると言った手法が成功する確率は高くないと計算した。

 郊外の王師や過半の羽林の兵などと共に有斗に親征してもらうことで軍事力を極力王都から排し、空になった王都を接収してカトレウスに献じて権力を握ることに決めたのだ。

 各城門を守る武衛と羽林の兵の一部ならば彼らの持つ武力でもなんとかなりそうだったし、そもそもその兵力の大半は王城に宿直しているので王城を囲んで中に閉じ込めることで無力化しようというのが彼らが立てた計略だった。

 王城は外敵から守りやすくできているが、同時に出入口が限られ外に向かって攻撃もしにくいのである。

「陛下は帰るところを無くし、殻を取られたやどかりのように慌てふためくことになる」

「慌てて王都に戻ってこようが王師三師をもってしても、この東京龍緑府の高壁はびくともせぬ。そのうち兵糧も尽きる。河東からカヒの兵が来れば関西に逃げることになるだろう」

 今、朝廷はカヒが畿内に攻め込んだ時に王都で籠城しなければならない事態に備え、兵糧など物資の多くを王都に集積している。

 もちろん鹿沢城や鼓関、あるいは西京にも物資はあるが直近で最大の補給拠点を押さえる意味は大きい。王都を押さえれば王師は畿内では身動きが取れなくなるのだ。

「こうしてカトレウスは労せずして東京龍緑府を手中にし天下人となる。我々はカトレウスに大きな貸しをつくることになる」

「さすがは当代一の策謀家、見事な策よ」

「こんなのは罠じゃない、児戯さ。引っかかる方が悪い」

 誉め言葉にもラヴィーニアはたいして喜ぶ様子も見せずに済ました顔であった。

「違いない」

 アドメトスたちは悪い笑みを浮かべて顔を見合わせた。


 有斗は前回と同様に第一、二、七、九軍をもって河北へと兵を向けることにした。

 堅田城を守備していた三軍は再編中だし、アクトールをはじめとして負傷兵も多く使い物にならないという理由もあったが、畿内にある程度兵力を残しておきたかったという理由もあった。芳野に兵を入れたカヒの動きが気になるからでもある。

 芳野攻めと見せかけて奇兵をもって畿内に侵攻しないとは言い切れない。

 有斗は羽林の兵を率いて王城を後にしようとする。

 有斗が自ら軍を率いて出征する場合、女官たちから無事の帰還を願う言葉を掛けられ、官吏たちから同じように勝利を祈願する言葉を掛けられる。そして王城の正門から出て、朱雀大街で民から歓声を浴びて戦場に向かうというのが一連の儀式のようになっている。

 有斗もアイドルじゃあるまいしと最初は何か恥ずかしかったが、今では単なる縁起担ぎの行動に過ぎないと割り切ってその一連のイベントをこなしている。

 右府や内府などの朝廷の主だった高官から一通り挨拶を受け、馬車に乗り込もうとした有斗にラヴィーニアが近づいて挨拶を述べた。

 そんな時間があるなら執務を取るほうが有用だと広言するラヴィーニアには珍しいことである。

「陛下の戦勝と、一日も早いご帰還を臣はお祈りしております」

 いつもの苦言ではなく、珍しく神妙な言葉づかいで有斗に頭を下げるラヴィーニアをアエネアスは目を丸くして見つめた。

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