狂飆の章

第194話 繋がる謀略

 また暗闇の中に影が集った。

 声が響く。

 だがその声はここ最近では見られぬほど明るさを帯びていた。

「王はまたしても敗北して戦力を減らし、河東の拠点、堅田城をも失った。これで天下統一の道は遠のいた。いや絶たれたと言って良い。我々にとって実に喜ばしきことだ」

 それもそのはず。彼らの目下の悩みの種であった有斗が立ち直りが不可能なほど大きな失敗を犯したからである。彼らにとって思惑を超えて急速に勢力を拡大する有斗はそれだけ脅威だったのだ。

 多くの影が同じ思いだったのか、その言葉に頷いて賛意を表した。

「今度のことで廷臣や将軍の中には王に疑問を抱く者も現れよう。朝廷の中にはもともと王の理想的過ぎる政策に不満を持つ者も少なくない。朝廷は必ず割れる」

「そうそううまく運ぶとは思われませぬが。朝廷というものは内部で暗闘を繰り広げても、いざ外敵に対しては一致して行動するもの」

「割れないなら我々が割ればよい。関西の廷臣や諸侯に関西再興を働きかけるのも悪くはない。朝廷が再び二つに分かれれば、王はその力の全てを朝廷の再統一に使わざるを得なくなる」

「だが朝廷が弱くなれば今度はカトレウスがそれに取って代わるだけではないのか。それでいいのか。それは我々の大義に反する行為だ」

「いや、カヒとて堅田城を落とすのに無傷とはいかず、多大な軍資をも浪費した。ここで一気に朝廷を打ち滅ぼそうと出兵するであろうが、今年の東国の作柄は良くない。民だけでなく諸侯からも怨嗟の声が上げることは必定だ。その土台を揺さぶればどうなるかは分らぬぞ」

「いっそのこと、カトレウスに天下を取らせるのはどうだろうか。カトレウスは年だ。そのうちくたばってしまうだろう。カトレウスの子のうち誰が衣鉢いはつを継ぐにしろ他の者が不満を持つだろうし、癖の強い老臣どもや諸侯を制御できるとは思えぬ。天下は再び大乱となろう」

「いや、それは危険だ。カトレウスが想像以上に長生きし政権基盤を固めてしまうことも考えられる。そうなっては我々の出る幕が無くなる」

「さよう。朝廷もカヒも分裂し、四分五分になって戦い続けるのが一番理想的な形だ。我々の為にはな」

 そう言うと低い笑いを発した。彼らにとっては命を懸けて栄光を掴もうとする兵士たちの生死も、戦で苦しむ民の苦衷もどうでもいいのだ。 

「どうでしょう。ここはカトレウスの足を多少引っ張っておくべきでは」

「ふむ」

「悪くない」

 その提言は多くの者から賛同を得れた。

「だがせっかくカトレウスが王の野望を打ち砕いたのに、我々が力を貸した結果、王が息を吹き返し、天下を取ったら如何するつもりなのか?」

 そう言ったガルバはカヒの担当である。自分の領域に他者が踏み込むことを嫌っての発言であった。

 四師の乱以降、彼らの思惑以上の活躍を見せる有斗に対して一番骨を折ってきたのは自分であるという自負からも自分の策に反するような言葉は拒否せざるを得なかったのだ。

「王に助力するのではなく、カトレウスの足を引っ張るのです。勘違いしないでいただきたい」

「具体的には?」

「オーギューガに援助を行うのです。東国は今年は作柄が悪いと先ほど申されたではありませんか。テイレシアが不倶戴天の敵であるカヒと戦いたくとも戦えない。資金や物資を提供すれば喜んで戦うことでしょう」

「なるほど」

「それは妙案だ。採決を取ろうではないか」

 六人全員の手が上がった。

 リーダーは今日の会合はこれまでにする、と皆に告げた。

「では引き続き諸氏は各々の役目を全うし、来るべき時に備えることにしよう。約束の時は近い。全ては我らの目的の為に」

 リーダーの言葉に他の五人は頷いて了承の意を表す。

 そして唱和するように言葉を返した。

「我らの目的の為に!」


 有斗はカヒが大河を渡った時に備え、第七軍を率いて王都を進発した。

 大船はあらかたラヴィーニアが押さえたままにしてあるから、カヒが大河を渡るには漁船などで小分けにして渡らなければならない。小規模の部隊を逐次投入する危険な形になるから、普通に考えれば渡ってくるとは思われなかったが、対する王師もベネクス城に二師の兵、それも敗残の疲れ切った兵しか持たぬのである。

 万が一の時を考えて第七軍を後詰としたのだ。

 有斗はベネクス城を預かるガニメデとかいうあまり記憶に引っかからない将軍の采配が心配だったのだ。


 有斗が一軍を率いて出兵した知らせはすぐさまカトレウスの下に届けられ、カトレウスは狂喜乱舞する。有斗が無謀な復讐戦を挑みに来たものだとばかりに思ったからである。

 だが有斗は上音羽川を越えるとそこを一歩たりとも動かなくなった。河北に展開する三軍も大河を下ってくる様子は見られなかった。

 結局、有斗が大河を渡る気が無いことが分かってカトレウスは失望し、軍を解散し己は本拠の七郷へと戻った。

 有斗は河東西岸一帯からカヒの大軍が完全に退いたことを確認すると、王都へ帰還するようにベルビオに命じた。

 帰路、有斗は足守川の手前の広大に開いている台地で突然馬車を止めるように命じた。

「どうしたの?」

「ん? ちょっとね」

 馬車を離れて勝手に歩き出す有斗の後を慌ててアエネアスやベルビオが追いかけた。

「思ったより起伏があるんだね」

 歩いてみて初めてわかるが、この場所は真っ平らな草原だと思っていたのに場所によっては随分と高低差がある。

「まぁどこまでも真っ平らな平原なんてどこにもありませんぜ。天然の台地ならたいがいそうでさあ」

「でも東山道から見ると平らで、戦うのにうってつけの場所に見えたんだよ」

 有斗がカヒとの戦いの場としてこの地を値踏みしていることをアエネアスらは知った。

「ま、戦いではこれくらいの起伏はなんてことないです。まさに大軍を布陣するには絶好の場所でさぁ」

「守るなら足守川まで下がって川を盾にして守るのが良いよ」

 大きく不利になるわけでは無いが、逆に大きく有利になるポイントも無い。ここであえて戦うような場所ではないとアエネアスは戦の常道である川を敵に渡らせる形での戦いを提言した。

 有斗はアエネアスの指さす川に一瞬だけ目を向けたが、興味を惹かれなかったかすぐに視線を外した。

「カヒはここで僕らと戦いたいと思うかな?」

「そりゃカトレウスは喜んで戦うだろうね。広々して主力の騎兵を展開しやすいもん。王師とカヒとで一番差があるのは騎兵だし」

「どちらが両翼からの包囲に成功するかで戦の勝敗は決まる・・・か」

「そういうことになるね」

「騎兵が欲しいな」 

「騎兵は馬に乗れなきゃいけないからすぐに増やそうと思って増やせるものじゃないよ。歩兵ならなんとかなるけど」

 アエネアスの応えに、有斗はしばらく考え込む様子を見せた。

「ここは何て場所?」

 有斗は尋ねるが、南部育ちのアエネアスやベルビオは名前を知らず、畿内出身だという羽林の一兵士が答えた。

「確かイスティエアと申します」

「イスティエア・・・か・・・」

 そう言うと有斗は口を閉ざした。イスティエアの大地を吹き抜ける風が有斗の頬をやさしく撫でた。


 カトレウスが一旦、兵を退いた最大の理由は朝廷の影響力を河東から排除するという当初の目的を果たしたからだが、農作業に必要な人手をこれ以上、長期間狩り出しておくわけにはいかなかったことや、このまま畿内に兵を進めるには準備が足らないといった切実な理由もあった。

 準備した兵糧、秣、軍資などの多くを堅田城攻めで使い切ってしまったし、何より大河を渡ろうにも船が無かった。

 カトレウスは大河東岸の諸侯に命じて船の準備をさせ、農閑期に入り次第、もう一度兵を出す心づもりで動き始めていた。

 だがカトレウスのその目論見は脆くも崩れ去る。領土をカヒに攻め取られた上州諸侯がオーギューガの後援を得て上州に帰ってきて、旧臣を糾合し兵を挙げたのだ。

 上州諸侯の常なのだが、それに呼応してたちまちカヒに反旗を翻す者が現れる。そうなれば芳野の諸侯も遠慮は無い。先年の恨みとばかりに兵を出して河東を荒らしまわった。

 もはや畿内侵攻どころの騒ぎではなくなったのだ。

「どういうことだ」

「越も不作だと聞くに、よくもこう兵を動かす余裕があるものよ」

 ざわめく部下を前にカトレウスは苦々し気に呟いた。

 オーギューガを上回る大家のカヒすら出兵するのには多少の無理をしている。もちろん隣国ともいえる上州に出兵するオーギューガと、遠く離れた河東西部へと出兵するカヒとでは負担に差があるのは理解できるが、それでもテイレシアがこうも軽々しく動いて邪魔することは理解に苦しむことであった。

 だが現実は受け入れて対処するしかない。

「畿内に攻め入るよりも先に、やはり芳野を押さえ、上州と越を牽制せねばなるまい」

「しかし朝廷が弱った今こそ、お屋形様が天下を手中にする絶好の好機、これをこのまま見逃す手はありますまい」

「もちろん、いつまでも坂東の片田舎であの女と遊んでいるわけにはいかぬ。必ずや畿内に渡ってみせよう。だが畿内に関東の精鋭を連れて渡ったはいいが、テイレシアに本拠である河東や七郷に攻め込まれては、将兵は妻子が心配で戦うどころの話では無かろう。勝利はおぼつかない」

「それに芳野を押さえるのは戦略的にも意味があります。河北は朝廷の裏庭。芳野から河北へと一隊を差し向ければ朝廷は大きく揺らがざるを得ない」

「さよう、ガイネウスの言う通りだ。回り道を取ることになるが、これが結果的に近道になるかもしれぬ」

 カトレウスは部下だけに言い聞かせていたわけではない。王と今でも雌雄を決したい自分の、内心の焦りを押さえるためにそう言い聞かせていた。

「とはいえ我らが上州や芳野で戦っている間、王に楽をさせるわけにはいかぬ。サビニアスにはもう少し働いてもらわねばならぬな」

 足元に付いた火を大火事になる前に消そうと、芳野に向かう分遣隊はデウカリオに任せ、カトレウスは自身は兵を率いて上州へと向かった。


 その日も右府アドメトスは多くの廷臣から受けた宴の誘いを全て丁重に断ると、一軒のこじんまりとした質素な館へと足を向けた。

 アドメトスがラヴィーニアの館を訪れるのはこれが五度目となる。

 これまで互いの立場と本心を探りつつ会合を重ね、話題は徐々に核心へと迫りつつあった。

「中書令殿は」

 アドメトスはラヴィーニアの目を覗き込み、その反応をうかがいつつ、慎重に言葉を選び紡ぐ。

「中書令殿は天下の趨勢すうせいはこの先いかがなるとお思いか? 陛下はご念願通りに乱世を終わらせることが可能であろうか? 野心家のカトレウスを押しとどめることができようか?」

「わからないね。今の朝廷に河東遠征する力が無いのは確かだが、かといってカヒも大河を越えてまで軍を送り込んで来れるだけの力があるかは、あたしにも分からない話さ」

 アドメトスに対してラヴィーニアは無難な答えを選んで回答をした。

「渡る船が無いという訳か。大河を往来する船は中書令殿が掴んで離さないという噂だからな」

「・・・今のカヒには河東沿岸の諸侯の船を徴収できる。南部諸侯の雲行きも怪しい。以前とは状況が違うさ。それに問題は大河を渡ることでは無く、大河で兵站を遮られることさ。完全に現地調達だけで賄うのなら、朝廷は焦土戦術を行えばよく、飢えたカヒはやがて撤退せざるを得ない」

「だがその戦い方を陛下はお許しになるまい」

「そうだろうね」

 それが現実的で確実に勝利が拾える方策だとしても、王はとにかく理想肌であるので民に多大な負担のかかる焦土戦術を行うといった選択肢は決して取らないだろうということは、もはやラヴィーニアにも十二分に分かっている。

 勝利した暁に民に徴収したものを返せば、差し引きの収支が合って問題は無いなどと思うのだが。

「だとすると朝廷はカヒが大河を渡って来たところを叩く水際戦術を取るか、あるいは東京龍緑府で籠城するかということになろうが、どちらも危うい」

 長大な大河の沿岸をいつどのような規模で渡ってくるか不明な敵を防ぐのは難しいし、巨大な人口を抱える東京龍緑府に何か月も籠城するだけの兵糧は今の朝廷には無かった。あまり現実的な選択とは言えなかった。

「とはいえ先ほど言ったようにカヒも畿内に拠点を持たぬ以上、兵站に不安を抱えている。渡って来るには今一つ何か策を講じなければならないだろうね」

「さよう。双方ともに今は決定打を持たぬのだ」

「朝廷としては関西の動乱を鎮め、大河を防衛線として時間を稼ぐ間に、王師を再建するしかない」

「その前に南部諸侯が裏切ったら?」

「・・・そうなれば状況は一変するね。だけどそうじゃない」

「今はそうだが・・・雲行きが怪しいと言ったのは中書令だぞ」

「・・・・・・そうだったね」

 ここまでアドメトスは明らかにカヒの立場に立って話し、ラヴィーニアは朝廷側の立場で物事を話している。取りようによってはアドメトスの言葉は危ない発言であるというほかない。

 だがラヴィーニアはそれを咎めようともしない。

 そしてラヴィーニアが咎めないことに対してアドメトスはラヴィーニアの心底が見えた気になって満足を覚えた。

「ともかく朝廷は以前とは違い不利な形でカヒと微妙な均衡関係にあると言える。このままでも、いつかは均衡が崩れる時が来るのであろう。だがそれはいつ来るのか? 明日か? それとも五十年後か? その間、無辜の民が戦火で苦しみ続けることになる。我々は一刻も早い乱世の終結の為に尽力せねばならん立場にある。違うか?」

「そうさね」

 否定はしなかったがラヴィーニアは気のない返事だった。

「我々が助力することで現状が変わるのなら、恐れることなく次の一歩を踏み出すべきだ。いつまでも先例や旧習と言ったくだらぬものに囚われていてはならぬとは思わぬか?」

「そうさね」

 またしてもラヴィーニアは気のない返事をした。

「乱世の終結は天下万民の為に必要なことだ。だがそれは何も陛下である必要はない。そうは思われぬか?」

 アドメトスはついに核心に触れた。ここまでの会合でラヴィーニアもアドメトスの本心は薄々は察してるだろうと思っていたし、それに対する感触も悪くはなかったから拒絶することはないだろうと思っていたが、それでも口に出すのに少なからず勇気を要した。

 アドメトスの行為は大逆である。一族郎党死罪は免れない。朝廷からカヒに鞍替えするには大きな覚悟がいるのだ。

 拒絶したら口を封じるしかないと思ってはいたが、殺すのは容易くても有斗の側近たるラヴィーニアを殺せば大きな問題になる。アドメトスが殺したことが発覚すれば、大逆の罪で裁かれなくともその罪で裁かれるのだ。

「それに関しては異論はない」

 だからラヴィーニアが何の躊躇もなく即答したことに、むしろアドメトスが驚いた。次の言葉を話すのに躊躇ちゅうちょしなければならなかったのはアドメトスの方だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・ならば話は早い」

 長い沈黙の末にアドメトスはようやくそれだけ口から絞り出した。

 対するラヴィーニアの返答はまたしても早く明瞭だった。

「どういう話だか興味がある。是非聞きたいね」

 子供のように無邪気な笑みを見せるラヴィーニアにアドメトスはまるで化け物でも見るかのような怯えた目つきを向けた。

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