第191話 落城前夜

 カヒの堅田城攻めが始まって四か月が経った。こうなるとヘシオネは当初の自身の見積もりが甘かったことを認めざるを得なくなった。

「思った以上に本腰を入れて来たな」

 そろそろ春が近い。雪が解ければ越に閉じ込められたテイレシアが動き出す。

 カヒが堅田城攻めにつぎ込んだ人数は全軍に近い。本拠地をいつまでも開けてはいられぬであろう。

 そもそもカヒも諸侯も軍を構成する兵士たちの本業は農民である。そろそろ帰って春先の農作業をしなければ秋の収穫が望めない。つまり早春の頃には少なくない兵を撤退せざるを得ない。

 普通ならそれまで耐えさえすれば籠城戦は長期的な包囲戦へと移行する。すなわち王の為に貴重な時間を稼ぎ出すことができるというわけだ。

 だがカヒは各地に散った分遣隊を再び堅田城に集め、攻城戦を続行するかのような形を見せた。

 不可解な動きではあるが、現実は受け止めなければならない。

「陛下に援軍を要請してはいかがですか」

 堅田城に落ちる兆しはまだ無いとはいえ、長期の包囲戦で兵たちの士気は落ち気味である。負傷兵も増えて来た。何らかの打開策を講じねばならないのではないかとガニメデは言っているのだ。

 別に軍を合わせて野戦に打って出るとか、堅田城に兵を入れ共に戦う必要はないのである。大河の畿内側に援軍が展開するだけでカヒは双方に備えた形で兵を動かさざるを得ないし、味方は勇気づく。

「それも考えたが王都からの知らせでは、陛下は河北からさらに北へと兵を進めたらしい。今から知らせても兵を戻せるかどうか」

「最後の一兵となっても、この城を枕に討ち死にするおつもりですか?」

 別にヘシオネの考えをとがめたわけではない。そうなってもガニメデは無駄死にとは思わなかった。関西と河北へと主力を振り分けた王の戦略は、まず足元を固めることである。堅田城に籠められた兵に与えられた役割は、いかな犠牲を払っても、王に必要な時間を稼ぐことである。

 戦場では勝利の為に兵に無謀な戦いを強いて死に至らしめているのだ。将軍だからと言って自分が例外である理由は無い。

 それならばそれなりの戦い方をするだけである。

「万が一の時は陛下からはこの城を捨ててもいいと許しを得ている」

 だがヘシオネはそうは考えていないようだった。ガニメデに一瞬だけ視線をくれて、そう返答した。

「まだ落城とは程遠い状況だと思われますが」

 兵の士気は若干落ちたが、城郭は都度補修され堅牢で、武器も兵糧もまだまだ十分揃っている。兵を再び集結させたからにはカヒの攻勢が間近にあるかもしれないが、これまでの経緯を考えるとそうやすやすと落城するとは思えなかった。

「その時ではないが、準備は早めに整えたほうが良いだろう」

 大河流域は形だけでもまだ朝廷が押さえているから、カヒは船を集めることができず、堅田城を大河側から包囲することができない。とはいえ早めに船を集めておくことに越したことはない。脱出に使わなくてもカヒに使われないという利点もある。

「ガニメデ卿、船を集めておけ。朝廷の、ラヴィーニアに助けを求めるがいいだろう」

 関西攻め時に共に鹿沢城に籠った仲でもあり、朝廷で重きをなしている。そういった理由からヘシオネは名を上げたのだが、想像と違ってガニメデは渋い顔をした。

「あの中書令ですか」

「不満か。見かけはあんなだが切れ者だ」

「私は見かけのことではなく、中身を心配しているのです。私を人を見かけで判断するような人間とお思いか? 馬鹿にしないでいただきたい」

「わかった。悪かった。だが中書令の才は鹿沢城の防衛戦で卿も存分に知ったと思っていたがな」

「それがし如き野夫にかの御仁の才覚をとやかく言う資格がありましょうや。そうではなく、一度裏切った人間はまた裏切るのではないかと危惧しているのです。大丈夫でしょうか」

「これは手厳しい。卿は鹿沢城では中書令に随分と世話になったと思ったんだけど」

「あれとこれとは別です。もし裏切られた場合、堅田城の三師は退路を断たれてしまいます。そうなれば城代にはいかにして戦うおつもりか。あの御仁に頼らずとも、朝廷に人材が他におらぬわけではありますまい」

 ガニメデの忠告は至極もっともだった。ヘシオネはこの目の前の風采の上がらぬ中年男が己よりも深く、広い視界を持っていることに口籠った。

 だがヘシオネが口籠ったのは、ほんのわずかな間だった。

「・・・わたしは信じるさ」


 ヘシオネは結局、ガニメデにラヴィーニアを使って船を集めるように指示した。

 ガニメデは夜半、城をひっそりと抜け出し王都へと向かった。

 大河流域は表立っては朝廷側が全て押さえているからか、カヒの船影は見えず、ガニメデは何の妨害も受けずに河を渡った。

 馬を走らせて王都へと急ぎ、忙しいラヴィーニアと面会にこぎつけ、朝廷の力で船を集めるよう懇願した。

「堅田城脱出の為に備えて船を集めていただきたい。また河北に駐屯する王師の水軍をお貸しいただきたい」

「堅田城が落ちるとあらば船は出す。だがそんな兆しは見られないじゃないか」

 ガニメデの言葉が耳に届いていないのか、ラヴィーニアは堅田城が早晩落ちるとは夢にも思っていない素振りだった。

「河北と河東とは距離があります。いくら船でも一刻や二刻で下ることはできませぬ。それに落城時の脱出には一時に大量の船がいる。落ちると分かってからでは遅いのです」

「少しでも兆しが現れれば早晩、船を出す。それでいいじゃないか。何故、今にこだわる?」

 それどころか、何を言ってもラヴィーニアはガニメデに協力する気は無いようだった。

「それに既に堅田城の件を伝えるために陛下の下に急使は発している。陛下は今頃、兵を返して河北へと戻っている頃さ。その軍を乗せるために船が必要なのさ。明敏な将軍ならその意味が分かるだろ?」

 ラヴィーニアは船団をガニメデに預けるのに消極的だった。それよりもザラルセン攻めに使った王師を援軍として送り込むことによって堅田城を救おうと考えているようだった。

 だがガニメデはラヴィーニアが故意に遁辞とんじを構えて船を堅田城へ送らないようにしているのではないかという疑いを抱かずにいられなかった。

「ですが陛下が確実にすぐに御戻りになられる確たる証拠はない。その前に堅田城が落城した場合はいかがなさるおつもりか。三師もの大兵を河東の地にて骸となさるおつもりか」

「カトレウスは一度は力攻めを行ったものの王師の手強い抵抗にあい方針を変え、長期戦に備えて周辺の地ならしを行ったそうじゃないか。兵を再び堅田城に集めたとはいえ、あのカトレウスが何の策も無い力攻めを再開するとは思えない。すなわち半年は堅田城は落ちやしない」

 ラヴィーニアはいちいちねちっこく反論し、ガニメデを心底うんざりさせた。

 だが会話の内容は単純に捨て置きできるものではなかった。

 ラヴィーニアはともすれば現場にいるガニメデよりも両軍の実情に詳しく、ガニメデを驚かせると同時に再び深い疑念を抱かせる結果となった。

 だが何はともあれ、今のガニメデには船が必要なのである。

「中書令殿が千里眼の持ち主であることは理解いたしましたし、賢いのも分かっております。ですが戦場にて兵の顔を見、敵の旗色を見ているのは私たち戦場に立つ将軍です。戦には時に兵理や兵法を越えたところにあるものに嗅覚を働かせねばならぬときがあるのです。その私やヘシオネ卿の嗅覚が告げているのです、船が必要だと。我々を信じて船をお集め頂きたい」

 ラヴィーニアは即答せず、猫のように目を細めてガニメデをしばらく見つめていた。

 やがてゆっくりと息を吐きだした。

「・・・・・・それも道理だね」

 抗しきれなくなったのかラヴィーニアはガニメデの言葉を受け入れ、船団を堅田城へ回すことに同意した。

 ガニメデは満足して引き下がったが、もしその場に有斗なりアエネアスなりセルウィリアなり、ラヴィーニアを良く知っている人物がいたらびっくりしたに違いない。

 ラヴィーニアは己が正しいと信じれば相手が王でも折れない女なのだ。

 現役の一軍の将軍とは思えぬでっぷりとした体を揺すって歩く後姿に笑みを浮かべてラヴィーニアは一人ごちる。

「あの将軍、あたしが思っていた以上の将器の持ち主なのやもしれないね」

 一軍を預けるのに十分な器量とてラヴィーニアは王に推挙したのだが、あるいはそれ以上の男やもしれぬ。

 信じられぬことにラヴィーニアはガニメデに敬意を払ったのである。


 ラヴィーニアとの交渉の感触から、面従腹背の行動で船が必要な数まで集まるまでに時間がかかると思っていたガニメデは、即日、ラヴィーニアから船の手配が完了したとの書面と官符が送られてきて驚いた。

 もっとも実はラヴィーニアは堅田城に万が一があった時に備えて、有斗が河北へと大河を渡るのに使った船を帰る時にも必要だからと言って手放さず、手元に留めていた。

 つまりこの時、大河流域の大型船はほぼ朝廷が徴収しており、カヒは満足に船を集められていなかった。

 もちろん漁船などの小舟をかきあつめればそれなりの数になるのではあるが、それでは少数の兵による奇襲程度しか行えず、戦局を左右することはできない。

 実はカヒ側に付くと内諾したマシニッサが大船を幾艘か所持してはいたのだが、カトレウスの要請にもなんやかんやと理由をつけて船を出すことは無かったという理由もあった。

 それでカヒは堅田城攻めに船を使えず、攻め方が限られてしまい、長期戦になった遠因の一つとなったのである。ガニメデが堅田城を何の障害に遭うことなく脱出できたのもそれが原因だった。

 ともかくこれでガニメデは想像よりも早く船団を手に入れ、堅田城へと戻ることとなる。

「やれやれ助かった。これで万が一、堅田城が持ちこたえることができなくなっても、河東軍は他の軍に頼らなくて独力で脱出することができる」

 三師もの軍を失わなくて済む、それは国家だけでなく将兵の家族にとっても喜ぶべき出来事のように思われた。

 ガニメデは安堵の笑みを浮かべた。


 さて、ガニメデが船団を受け取りに王都の北にある渡しに向かっている時と丁度時を同じくして王都の一角で、それと同じくらい重要な動きがあった。

 といってもラヴィーニアの尽力により実行される船団の堅田城への派遣や王師の将軍であるガニメデの動向は朝廷全体が知っていたが、その動きは水面下で行われ当事者以外に知る者も無かった。

 顔を隠すように深く編み笠をかぶったその男は、都の人々の目線を避けるように人気のいない時を見計らって都城の一角の大きな館に吸い込まれるように入ると、館の主に丁重に迎え入れた。

「その方がカトレウス殿の使いというのは真か。私との交渉はガルバ殿を介して行うとの約定では無かったかな」

 都の多くの住人が平伏せなばならぬ高官からの挨拶にも、頭が高く頷くのみと陰口を叩かれる傲慢な右府が、いつにない笑顔でその由緒も知らぬ男を迎え入れ、客座に座らせ歓待した。

「存じております。ですが我が主はこうなったからには深き縁を結んでおくべきではないかと、こう申しております」

「そなたの主の名はなんと申すか?」

「サビニアスと申します」

「サビニアス殿とな。聞いておるぞ、数多の戦で功を立て、カヒ歴代の家臣ではないがカトレウス殿の覚えの目出度き臣下であるとな」

「右府様のお耳に入っていたと知らば光栄の至り、主も喜びましょう」

「まてまて先ほどこういったからにはと申したな。なにがこうなったからなのだ? それに何故、ガルバ殿を通さず直に話し合いに参った?」

「賢明なる右府様にはもう分かっているはずでは?」

「分かっている? 何をだ?」

「関西では諸侯の内乱がまず、北辺のザラルセン如きに王は手を焼いている。そして堅田城はまもなく落城。王の命運が間もなく尽きようとしているということを」

「なにを言うかと思えば・・・関西の諸侯の鎮圧は順調に行っているし、陛下はザラルセンを破った。堅田城はまだ落ちぬ。城の守りも堅いし、兵の士気も高いと報告があったばかりだ」

「我が主が戯言を用いると? 関西では諸侯の城を攻めあぐね、王はザラルセンを破ったものの決定的な勝利を得られず北辺を漂泊しているでは? 救援を求めて王師の将軍の一人が堅田城を離れたとの情報も我が方は掴んでおりますぞ。朝廷は韮山の敗戦を繕うことができず、立ち往生しておられるのでは?」

「!」

「誰の目にも朝廷はもう駄目です。天下の主はカトレウス様に代わりましょう。そのためにも我が主サビニアス、そしてカトレウス様は是非とも右府様の力をお借りしたいと申しております」

 そう話し終えるや否や、アドメトスが険しい顔をして立ち上がった。

 男は斬られるかと身構えたが、アドメトスは男を無視して部屋の境目に行くと、戸という戸を全て締め切って密室を作った。

「ここは我が邸、機密が漏れる心配はありえぬ。それでもどこで誰の耳にも入らぬとも限らぬのでな」

 アドメトスの顔からは笑みが消え、深い皺の奥から隠された策士の顔が現れた。

「それでは話を聴こうか」

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