第192話 裏切り

 いざという時の為にと、無事に使命を果たしたガニメデが船団を率いて大河を東進していることをまだ知る由も無かったが、守備側に危機感は全くなかった。

 それもそのはず。この長い攻城戦の間、カヒ側が城壁に手をかけるようなことも二度ほどあったのだが、大した損害も無く撃退できたからである。

 特にカヒが兵を再集結した後、連日行った総掛かりを退けたことが心理的に大きかった。流石のカトレウスに打つ手なしと思われたからである。

 掘割を深く広くしたことで、重装備の兵が容易く塀際に近づけなくなったからである。

 もちろん日ごとに兵糧や矢玉などの物資が減っていくことは城代のヘシオネには頭の痛い問題であったが、それでもあと一年はゆうに戦えるだけのものはあったし、末端の兵士たちにはなるべくそのことを悟らせないように気を配っていた。

 一番怖いのは現実に物資が不足することでは無く、兵士たちの心に物資が不足するのではないかという恐れが芽生えることである。

 戦意が落ちた兵は戦では使い物にならないのだ。


 再び膠着状態が続くのかと思われた矢先、カトレウスが軍使を堅田城へ送りつけて来た。

 攻城戦とは守備側が守り切るか、攻撃側が攻め落とすかの単純なゼロサムで決着が付くものと思いがちだが、それは世に名高い大阪の陣の話が日本人に与えた影響が大きいだけで、実際は多くの場合は双方に繋がりを持つ人物なり中立的な立場の人間が間に入って、開城や人質などの和睦交渉を行って決着をつける場合が多い。

 例え攻撃側が優勢であっても長期戦、総力戦を行えば勝利しても失うものも大きいし、防衛側もほどほどのところで手を打てば失うものが少なくて済むからである。

 和議は双方の利害が一致するのだ。

 しかしカヒと朝廷の間に橋渡しを行えるものは、この場に誰もいなかった。

 そもそもアメイジアの主権を有する朝廷と、それに対して明確に反抗するカトレウスとでは双方の主張が相反する以上、交渉が成り立つ余地がない。

 にも関わらず和議を申し込んできたのは考えてみれば奇怪至極である。

「カトレウスも苦しんでいるな」

 ヘシオネはそれをカトレウスの苦衷の表れと見た。このまま堅田城を攻め落とせないまま撤兵すれば兵を出した諸侯に対して面子が立たないので、何らかの形を残したいのであろうと忖度した。

「話を聞くことにしようか」

 乗り気を見せたヘシオネに合点がいかぬアクトールが尋ねる。

「交渉に乗るのですか」

「和議がなるかどうかはまだ分からないさ。だけど交渉の間、戦は止まる。時間が延びれば有利になるのは我々の方だ。思った以上の長期対陣ではあるが、いずれ長陣に耐え切れなくなった諸侯や部下に突き上げられてカトレウスは兵を退かざるを得なくなる。和議がならなくても構わない」

「なるほど」

 言われてみればその通りである。アクトールは得心した。


 最初の交渉は双方の主張をぶつけ合う形となり実りある議論は行えなかった。

 カヒは河東からの王師の撤兵と河東の支配権を公式に認めるよう主張し、ヘシオネは河東西部からカヒが手を引くことを求めた。

 ということで意見の一致は得られなかったが、翌日も引き続き交渉を継続することだけは決まった。ここから納得できる条件にすり合わせるのが通例で、双方、意見が一致しないことも織り込み済みだったのである。

 カトレウスは戻ってきた使者をすぐさま謁見を命じたが、交渉の経過については一切、問わなかった。

「繋がりは付けたか」

 そう不思議な問いを発しただけである。

「はい」

「御苦労。さて種は巻いたが、実が実るかどうか」

 カトレウスは使者の答えに満足そうに頷くと、ろうそくに照らされた片面かたおもてに黒い笑みを浮かべた。


 さて、この男は城内で何をしていたのか。

 実はカトレウスが送り込んだ正使が交渉している間、同時に入場した御付きの者たちは当然のごとく監視を受けたが(こういう場合、副使など中に入った者は城内の様子を探るのが通例である)、馬丁ばていに化けたこのガイネウスの部下は卑賎の身なり故、警戒をくぐり抜け、ある人物と接触し得たのである。

 それは河東諸侯の一人アルビカであった。アルビカはその男から渡された妻の手による書簡を読むや震え上がった。

 城内に入った河東諸侯の名前だけでなく入城した将兵の人数や姓名が事細かく記載されており、己が妻子はもとより部下たちの妻子も多くがカトレウスに人質として捕らえられていることが記載されていた。

 要求は簡潔で、このまま敵対すれば一族郎党を皆殺しにするが、内応すれば助命はもとより加増も行うということであった。

 入城時の身体検査をくぐり抜けるために書簡は小さく、多くは語られていなかったが、それがゆえに男は疑心暗鬼に囚われた。

 既に他の諸侯が内応に応じて情報を流しているのではないかといった疑念である。

 そうなれば彼が裏切るか否かに拘わらず落城は必至だ。

 アルビカは己が命欲しさにというよりは一族郎党の為にも裏切らざるを得なかった。


 夕刻、アルビカは己が守る北西の一角の城壁を打ち壊し火を放つと、一族郎党を率いて持ち場を捨てて城外へと遁走した。

 裏切りと言ってもカヒに加わらなかったのは王に遠慮をしたのか、昨日まで味方だった者たちと戦うことに気が引けたのかは分からない。

 だがそれが守備側にとって何か有利に働いたかと言えばそうとは言い切れなかった。開いた城域には代わってカヒの部隊が取りついたからである。

 防衛側がまず消火に終われて、裏切りにあったことに気付かなかったこともあり、カヒは易々とその一角に入り込むことができたのだ。城内は一気に乱戦模様となった。

 折からの強風に煽られて火は燃え移り、守備側は消火と防戦とを同時に行わなければならず混乱した。

 更にここで城内にいた河東諸侯が次々と連鎖的に裏切り、カヒに味方した。彼らは勝ち組につこうと流れに任せたのかもしれないし、あるいはアルビカと同じく既にカトレウスの魔手に絡めとられていたのかもしれない。

 ただ雪崩を打つかのように裏切ったという事実だけは真だった。

 寄せ手はますます勢いに乗り、今や堅田城の全方面から攻め寄せた。

 外郭は次々とカヒの手に落ち、王師は本丸や内郭、大河側へと追いやられた。

 夜間、火と煙とで現状把握するのも難しく、ヘシオネは効果的に兵力を送り込めない。

 現場指揮官のそれぞれの判断で戦わざるを得なく、王師はいたるところで分断された。

 それでも王師は奮戦した。

 防戦一方ではなく、失った外郭を幾度か取り戻しもしたし、孤立した友軍を救おうと逆に兵を発して、たびたび押し寄せる敵軍と激突した。

 ある者は己が守備所で最期まで一歩も退かずに戦い散り、またある者は危急に陥った友人を救おうと雲霞うんかのごとく攻め寄せる敵兵に向かって斬り込んでいき帰ってこなかった。また別の者たちは高楼に立て籠って最後の一兵まで戦い抜き、多くのカヒの兵を道連れに玉砕した。

 だが王師はその度に兵士や名のある百人長を失って、カヒの諸将に名を成さしめることになる。

 こうして戦は完全にカヒに傾いたが、夜半を過ぎても落城の吉報をカトレウスにもたらすことはできなかった。

 王師が意地を見せたのである。

 その中でも特に外郭から内郭にある一本の橋を巡る戦いでアクトールが見せた活躍は特筆すべきものだった。

 率いる一軍の多くを内郭と外郭の境の城壁の低い個所や堀の狭い個所などにあえて配置し、橋と城門にカヒの兵士の目を向けさせたのである。

 それほど卓越した作戦とは言えない。カトレウスやガイネウスならばこの見え見えの策に乗らなかったであろう。だが王師もこの混乱で兵力を有効活用できなかったように、城外にいるカトレウスも城内の様子まではつかめなかったのである。

 堀の外にいるのだから報告もままならなかったのだ。

 そして戦いで頭に血が上ったカヒの諸将は、このヒュベルの作戦に見事に引っかかった。


 兵力と勢いの差に舐めきって、閉じ切った城門目指して殺到したカヒ兵は、まずは豪雨のように降って来た矢の歓迎で足を止められると、城門を開いて打って出たアクトール隊に驚く間も与えられずに首を献じた。

 味方の危機に救援に駆け付けたカヒの兵を、橋という兵力展開のしにくい構造を存分に利用してアクトールは血祭りにあげる。

 勢いは完全に逆転し、アクトール隊は片っ端から敵を橋の下へと叩き落した。

 アクトールも城門を固める兵士たちも疲労困憊であったが、新手を繰り出しては攻め寄せるカヒの攻撃をことごとく跳ね返しただけでなく、幾度かは逆襲に転じて外郭へと打って出て、侍大将の首を獲るなどカヒを慌てさせた。

 確かに一対一の戦いではヒュベルやベルビオに劣るアクトールだが、劣勢の中で兵を鼓舞して進退させるという一点においては王師の将軍の中で誰にも引けを取らないものを持っていた。


 激闘は半刻(一時間)ばかり続いたが、橋の上の戦いは一進も一退もしない大膠着戦へと陥っていた。

 だがアクトールといえども超人ではないのだ。ものには限度というものがある。

 肘に矢を受けバランスを崩し、腿への斬撃を避けきれず受け落馬してしまう。

 首を狙って殺到するカヒの兵をなんとか払いのけ、傷ついたアクトールを回収した王師の兵はこれ以上は支えきれずに後退する。

 カヒの兵がその後を追った。

 遂にカヒは内郭へと足を踏み入れたのである。

 アクトールが退いたことで王師に完全に抗戦する力は失われた。

 気力を無くした王師の兵は武器を捨てて降伏したが、命を助けられた幸福な者は少なく、多くは頭に血が上ったカヒの兵に惨殺された。それを見て燃え盛る炎の中に自ら身を献じる者もいた。

 特殊な形で籠城戦が進んだことで、翼長も百人長も兵士を完全にコントロールできず、カヒの兵は理性のたがが外れた形となっていたのだ。

 だがここで思わぬ方角からの攻撃が、殺戮の宴に舞い上がっていたカヒの兵の頭に冷や水を浴びせた。

 正面からではなく、敵がいないはずの大河側から矢を受けて混乱したのだ。それを見たヘシオネが兵を出して追撃を加えたことでカヒは多くの犠牲者を出してしまい、兵の入れ替えの為に一時退かざるを得なかった。

 矢を射かけたのはガニメデが引き連れて来た船団である。輸送用の船団で多くの兵を抱えていたわけでは無かったが、それでもこの奇襲攻撃で一定の成果が得られたことにガニメデは満足した。

 ガニメデは前日、既に一舎の距離にまで移動しており、堅田城の方角から火が上がると報告を受けると、危険を冒して船を走らせ急行したという訳である。

 カヒが退いた隙にガニメデは手早く上陸する。

「カヒのやつらめ!」

 留守にしていた間に何があったかガニメデには分からない。もはや落城は避けられないとガニメデは見たが、不幸中の幸いにして船団はガニメデの手元にある。堅田城から上手く撤兵すれば傷を浅くすることはできるとも思った。

「殿を承るのでガニメデ卿は城兵の脱出に力を尽くされたし」

 ヘシオネも同意見でガニメデに撤兵を命じた。

「味方を順次船に乗せろ。満載した後は岸を離れて矢を放って味方の援護をするのだ」

 ガニメデは逃げ惑う味方を船から矢を射かけて敵兵を射すくめて援護し、あるいは接岸した船から打って出て味方の救出に力を尽くす。

 ガニメデが連れて来た船団に対して堅田城の船着き場は狭すぎる。

 ガニメデは船が兵で埋まると次の船へと入れ替えさせて一人でも多くの兵を収容しようとした。

 それだけでなく自らは船から下りて城内の指揮下の第十軍の兵士を糾合すると、指揮系統を立て直して再編し、味方の救援に当たった。

 苦戦で指揮も落ち、傷ついて慢心疲労の兵士たちだったが、不満を言うものは皆無だった。自分たちが働かねば多くの同僚が死ぬことを分かっていたからだ。

 やがて傷ついたアクトールを抱いた大きな一団の兵が退いてきた。

 ガニメデは追ってきた兵を引き寄せると、精鋭を錐のように揉みこませて撃退する。

「ガニメデ殿、面目ない」

「バイオス卿、卿が奮戦したことはだれも疑わぬ。まずは後方に下がってゆるりと傷を治すがよろしかろう」

「すまぬ。後は任せる」

 アクトールは口調は軽かったが立ち上がることもできず戸板で運ばれていった。見た目よりも重症かもしれぬとガニメデは思った。

 ならばと思い、船に乗せると重傷の兵の多い船と共に河北へと進発させた。

 負傷兵の世話に戦力を割きたくなかったし同時に王や王都へと堅田城落城の急報を届ける役目を果たしてほしかったのだ。

 何故なら堅田城が落ちればカヒが畿内に侵攻して来る確率は五分であるとガニメデは見ていたからだ。

 今回の堅田城攻めにカヒは全精力を傾けた。余力は少ない。しかも大河を越えて補給する能力は今のカヒにはないであろう。常識的に考えれば畿内に渡ってくる可能性は高くない。

 だが王師の主力は北辺と関西とに二分されている。この隙を見逃さずに東京龍緑府に兵を向けて占拠するという誘惑はカトレウスといえども容易く打ち消せないに違いない。

 とはいえ、そうなった時にそれを防ぐ方策がガニメデにないわけでは無い。この堅田城の残存兵を率いて対岸のベネクス城に籠って戦うのだ。

 そうなればカヒは王都には進めない。そして補給がままならない以上、カヒに勝利の目は無い。容易く拾える勝利である。

 だがその時に軍中に手負いの兵を多く抱えていては兵糧を食いつぶすだけで足手まといとなるのだ。

「この混戦の中、アクトール殿が生きておられたことは不幸中の幸いと言える」

 だが最前線にて戦っていたアクトールがここまで退いてきたということは、城内に残っていて助けられる王師の兵は多くは無いということだ。

 そろそろ城から退く機会を計らなければ、脱出できなくなる可能性がある。

「時間がない。城代は何をしておられるのか」

 到着時に報告をして退却の許しは得てはいたが、その後の連絡が途絶えがちだった。

 ガニメデは抑えの兵を残し、ヘシオネがいる本丸へと兵を率いて向かった。

 到着すると、別口から侵入した敵兵と燃え移った火とで本丸は混乱のただ中にあった。

 目の前の敵兵を打ち負かし、残余の味方の兵を糾合するとガニメデは奥へと向かう。

「ここまで敵兵に入り込まれているとは!」

 内郭の広場には敵兵が充満しており、主塔の入り口を塞いでいた。城壁の上や城壁塔も一部、敵兵の姿も散見された。

「ガニメデ卿か!」

 頭上から降り注ぐ凛とした声にガニメデははっと顔を上げた。

 敵兵の向こう、城郭の窓の一つに水色の髪が揺れていた。

「城代! 今、お助けいたします」

 ガニメデはそう言うと兵に前進を命じたが激しい抵抗にあう。

 身に矢を受けながらもガニメデは奮戦するが、いかんせん手元の兵力が少なすぎて敵兵を押し返して前進することができない。

 ガニメデの基本戦術は兵を自在に進退させて包囲し敵を倒すことである。少数の軍を率いて優勢な敵の中に突っ込み、無理やり前進させることはベルビオと違って難しいのである。

「私に構うな、行け!」

 ヘシオネが手を押すように振ってガニメデに退くように命じる。

「しかし・・・!」

「行け! ここで死んではならぬ! 卿は陛下の天下統一に必要な才だ! 私に付き合って無駄に命を落とすな!!」

 そう言うとヘシオネはガニメデにくるりと背を向け、護衛の兵と共に燃えさかる炎の中に駆け出して行った。

「くそっ!!!!!」

「城代の御命令です。お退きください!」

 なおも前へ進もうとするガニメデを兵士たちが押しとどめると、抱きかかえるようにして無理やり後退した。

 これ以上いても敵兵が増えるばかりでヘシオネを救えないだけでなく、ガニメデたちの退路も絶たれる未来が待っているのだ。

 ヘシオネの救出を諦めたガニメデたちは敵の追撃を受けつつ来た道を引き返し、辛うじて船に転がり込むと堅田城を離れた。

 船に引き上げたのちも、堅田城沖合に多数の船を浮かべて敗残兵の収容に努めたが、ヘシオネらが脱出してくることはなく、翌早朝にガニメデは残有兵力を率いて対岸へと渡った。

 

 主塔に籠って手持ちの兵と共に抗戦を続けていたヘシオネだったが、次々と兵を失って後退し、最後には四方を囲まれ行き場を失った。

「降伏するが良かろう」

 勝利に勝ち誇るカヒの侍大将の言葉に対してヘシオネは睨み付けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る