第186話 第二次河北征伐(Ⅳ)

 有斗が北上し、ザラルセンは南下する。

 双方の位置は偵騎で互いに掴んでいた。しかし双方、迂路をたどる様子も見せずにまっすぐに相手に向けて行軍を続ける。

 距離が一里に縮まり、姿は見えないまでも丘を挟んだ至近距離に双方が対峙するというのに、ザラルセンが自身が優位な場所に布陣もせずに前進を進めていることを聞いて有斗は思わず楽観を口にした。

「敵は正面から戦う気かな? だとしたら有り難い。勝利は目前だよ」

「油断は禁物です。お味方優勢とは申せども、プロイティデス将軍を破った騎兵力は侮れません」

 エテオクロスの言葉に、有斗は自分の内心の緩みが声に出てしまい、周囲の人間に聞かれたことに気が付いて気を引き締め直す。

「わかっている。なるべく囲地や平地での決戦は避けよう」

 ちょうど良いことに双方の間には起伏の富んだ丘陵地帯が広がっている。狭間に全軍を下ろして囲まれるようなヘマをしなければ、兵力と地形から言って包囲や半包囲はそうそう起きない。

 前に進んでいくと、前方の丘がかすかに黒くなる。

 やがて丘の上から粘性のある液体を流したかのようにゆっくりと兵が降りてくるのが見える。どうやら向こうもこちらに気付いているらしい。多くは騎乗の兵だ。賊にしては珍しく旗を掲げている。

 旗は部隊の位置、目印である。旗があるということは、それを使っているということだ。旗を必要とするからにはある程度の指揮命令系統があるということであろう。

 規模といい、賊として舐めてかかって良い相手ではないことがそれだけで理解できる。

 このまま進んでいくと丘と丘の狭間に入ってしまう。有斗は丘の頂上で止まると、縦列で行軍してきた兵を横に広げて陣を敷いた。

「騎馬が多い。それに弓を持つ兵も多い」

 有斗は敵兵の様子を観察するとそう感想を述べた。歩兵が少ないということは、これまで戦ってきたカヒや関西王師と違って、歩兵で陣を作ってぶつかり合うという戦い方ができない。これまで有斗が経験したことがない奇手奇策をもってザラルセンは戦うかもしれない。

 そこで一気に押し切られないよう厚めに陣を敷いたほうがよいと判断し、有斗は命令を下した。その分、陣は幅を持たなくなり、騎兵中心の敵が回り込みやすくなるが

 するすると丘を下り降りてきた敵だが、丘の中ほどで止まると同じように陣形を組み始めた。

「敵は騎馬兵が多いね」

 正確に数えたわけではないが数千の騎馬兵はいそうだった。王師と違い彼らの兵装は軽く、武器も腰に剣こそ刺しているが、どちらかというと馬上で使うための短い弓を持っていることが一番の相違点だ。

「河北や北辺は元々良馬の生産地として知られています。古くは税の変わりに馬を納めていた記録もあるとか」

「彼らの騎兵は王師より強いかな? カヒと比べてどうだろう?」

「どうでしょうか? 王師も訓練は事欠きませんし。引けを取らないと思いますよ。アメイジアで騎馬兵といえば、河北よりも河東のカヒや越のオーギューガがまず一番に名が上がります。彼らほどではありますまい」

「となると数の差が少し心配だね」

 率いる王師は四軍といっても定員を大きく割っているし、主力は歩兵だ。純粋な騎兵の数ではザラルセンが優位に立っている。

 つまりこれまで有斗がアエティウスやアリアボネに教わって来た戦い方が通用するとは限らない相手ということになる。

 韮山の時と同じでどう対処すればいいのか悩んでも答えが出ない現状に、有斗は心の中が少し暗くなった。

 そんな有斗の表情を見て、アエネアスがいつもにもまして声を明るく張り上げる。

「騎兵の数は向こうのほうが多いよね。騎兵は高速に部隊を展開できるから、射程外を回って左右から包囲されたり、一点突破を計られないようにすることが必要じゃない?」

「陣を左右に広げると突破されて、兵を厚く布陣すると回り込まれる、か」

「御意。羽林中郎将殿の言葉の通りかと。寡兵を勢いで補うという方法もありますが、こちらは王師なのです。正々堂々と王道を行きましょう。高所に陣取り敵を引きつけて叩く。騎馬隊は予備兵力として後方においておくことで敵の応変の動きに対処いたすというのはいかがでしょうか?」

 さすがは関東王師にその人在りと知られるエテオクロスである。その作戦にマイナス面は見当たらない。有斗は賛意を示した。


 陣を敷き終ったのは昼前なのに、二時間経っても両軍とも一矢も放っていなかった。

 敵はよほど慎重な性質たちらしい。

 ベルビオもプロイティデスも今にも馬首を巡らして敵に襲いかかりたそうな顔で幾度も有斗を見るが、有斗は首を縦に振ろうとはしなかった。

 王師と敵との間には狭間がある。そこに兵を下ろしては包囲の格好の的だ。ここは敵を動かし陣形を崩してから戦端を開きたい。

 だが有斗が敵が動くのをじっと待っているように、敵の方も王師が動くのをじっと待っていた。

「しかし、動きやがらねぇな」

 そう言った男は弓に巻き込まないようにか、肩で袖を切った服の上に、腕が稼動しやすいように肩口が大きく開いた一風替わった胴鎧をし、弓篭手ゆごてを常人はずれな長さの左手にしっかりとはめ、見たこともないような巨大な弓を抱えていた。鋭い目をした八尺(ニメートル四十センチ)はあろうかという大男だ。

 統率は取れていても所詮賊だ。奇天烈きてれつな格好の者も多い。だがその中にあってもその男の婆娑羅ばさら井出達いでたちは群を抜いて目を惹いた。

 これが腕一本で万の賊を束ねるまで上り詰めた男、ザラルセンである。

「親分、敵は目の前にいるのに襲い掛かって来やしませんね。なんででしょうね?」

 ザラルセンの部下は睨み合いをいぶかった。流賊同士の戦いでは、敵と出会ったら陣形も敷かずに戦いだすこともままあるのだ。

「俺が知るものかよ」

「こないだの旗が見えやがる。ひょっとしてこの間の敗戦で王師のやつら、ビビってんじゃないですかい?」

 早くやっちまいましょうや、と傍らの見るからにがらの悪そうな男が開戦をうながした。

 それまでじっとにらんでいたザラルセンだが、ついに我慢できなくなった。

「まぁいい。俺に盾突くことがどれだけ高くつくことを身をもって思い知らせてやるとするか」

 ザラルセンは攻撃開始の合図を告げる鼓を叩かせ旗を掲げる。


「賊が動き出しました」

 やっと待っていた知らせが有斗の下に届いた。

「このまま日が落ちるまでにらみ合いかと思ってしまったよ」

「その可能性は少なからずありましたが、敵が耐え切れずに出てきましたね」

 アエネアスも安堵したかのような表情を浮かべていた。こんな至近距離のままで周囲を闇に包まれたら、宿営をどうするのか、夜討ちに対してどう警戒すべきか難しい問題になったであろう。

「弓隊用意!」

 有斗が片手を上げて戦闘用意の掛け声をあげた。

 りゅうが一斉に上げられ、鼓が鳴り響いた。

 敵は一旦谷間に降りてから登って来る格好になる。敵を誘い出すためにも王師中軍は距離を取り丘の上に陣取っている。まだ矢頃には遠い。

 と、思った瞬間エテオクロスが

「第一射放て!」

 と、弓隊に命じた。

 ベルビオ、プロイティデス、エレクトライ隊からも次々と矢が放たれた。

 高低差があるぶん、矢は思ったより伸び、先頭集団に突き刺さった。次々と落馬をする姿が見えた。 

 だがやはり有斗には早すぎるように思えた。矢は敵の先頭集団に当たっただけである。

「続いて第二射の準備! 早くしろ! 近づかれるぞ!」

「今の斉射の合図、早くなかった?」

「一回でも多く矢を放って敵の騎馬隊を減らしておきたいのだと思うよ。騎兵はやっかいですから」

 戦闘状態に入って殺気立ってるエテオクロスに代わってアエネアスがそう答えた。

「第二射放て!」

 今度は射程内に敵の主力集団を収めることが出来た。弾幕を張るかのように矢で面を作り敵の陣に空白を作る。見事なものだ。

「続いて第三射の準備! 斉射と同時に弓隊は後退して槍隊は前へ!」

 最後の斉射を弓隊が終えると、槍隊が前に歩を進め、横真一文字に隊列を組む。

 目の前まで引きつけてから一斉に槍を揃えて坂を下ると、敵はたまらず後ろを向いて敗走した。

「このまま押していくぞ! 本陣前へ!」

 エテオクロスの声で槍隊を追うように歩兵戦列は前へと進んだ。


「思ったより損害があるようですぜ、親分。あの矢は射程が俺らの弓より長い。やっかいだな」

「腕や武器の差というよりは位置する高低差のためだな」

 丘の狭間に追い立てられる形となったザラルセンたちの旗色は悪い。

「だが敵をつり出した。計画通りってやつだ」

 反撃をすることで敵は陣形を乱した格好となった。突出した兵を包囲すれば勝利を得ることなど容易いことだ。こっちは人数も多く騎馬が多い。消耗戦や機動戦ならやつらに負けることはないだろう。

「よし残りの騎馬隊を左右にまわせ。谷に入った敵を包囲し攻撃する。敵の本体を釣り出すためにもゆっくりと殺せよ」

 まず釣りだされた機動力に欠ける槍隊を弓騎馬で殲滅し、そこに救援に駆けつけるであろう騎馬隊を数の差で圧倒し、最後に残った弓隊を騎馬突撃で木っ端微塵にする。負ける要素はない。

「りょ~かいです」

 男はニヤリと笑うと自らの配下の賊に声をかけ、坂を駆け下りた。


「あっ・・・丘の敵陣にいた騎馬隊が動き出したよ」

 アエネアスが指摘するまでもなく、有斗もその動きに気付いていた。

 敵は谷の底で王師の槍隊を挟撃する気であろう。それをそのまま放って置けば全滅する。

 かといって無策に援けに行けば混戦になる。王師と言えども陣の進退もままならない。敵はそこを機動力を使って包囲あるいは半包囲をして各個撃破していく気なのだろう。

 だが、有斗は迷わなかった。

 それは相手が諸候や賊なら通用するが王師なのである。劣勢に経っても後ろを見せることなく踏ん張れる兵士たちなのだ。わざと敵の手に乗ってみせるのも悪くない。きっと好機とばかりに、敵は丘の上から降りてくるだろう。

 敵が我々をこちらの丘の上から引きり下ろしたいのと同様に、我々も敵をあちらの丘の上から引きり下ろしたいのだから。

「ベルビオ、エレクトライ。敵は我がほうの槍隊を左右から挟撃するつもりと見た。騎兵を率いて、丘を下ってくる賊を撃滅せよ」

「委細承知!」

 ベルビオとエレクトライは一斉に坂下に駆け下りていった。


 谷間は瞬く間に激戦となった。

 矛戟ぼうげきの音が響き、喊声が木霊する。干上がった谷底に血が川をつくるかのように流れていた。

 王師にとって賊の騎馬隊も歩兵も恐るに足りない存在だった。

 谷間に叩き返しただけではなく、さらに敵が陣取る丘の途中までまくり返した。

 しかしやっかいなのは騎馬が放つ矢のほうであった。

 槍兵が近づくと離れて距離を取り、弓を射る。王師の死傷者は少しづつ増えてき、足が止まる。

「もうまもなく敵の攻勢は頽勢たいせいに変わる」

 足が止まれば後は矢の的になるだけである。ザラルセンは満足げに微笑んだ。

 弓騎馬隊は谷間で距離を取りつつ矢を射ながら、王師の騎馬兵が降りてくるのをひたすら待った。降りてきたら同じように離れた距離から矢を射るだけで簡単に勝利が出来る。気楽なものであった。

 だが、どういうわけだろう。その弓騎馬に王師の騎馬隊がぶつかったことで攻守が入れ替わることになる。

 王師の突進は凄まじく、当初の予定通り、離れて弓を射ようにも距離を取れない。王師の馬のほうが健脚で、後ろを見せた瞬間に背中から切りつけられた。

 こんなはずではない。賊の顔に恐怖の表情が一様に浮かんだ。

 右側をヒュベル、左側をエレクトライが攻め、包囲されていた槍隊を救出する。

 ここに再び王師は一個の意志ある融合体となった。


 対して敵は丘の本陣、坂下にて槍隊と交戦している部隊、騎馬隊に追われほうほうの体で丘を駆け上がる部隊と分断される格好になった。

「これはまずいな」

 ザラルセンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 坂下の部隊と敵の騎馬隊に脆くも蹴散らされた弓騎馬を救援するために部隊を派遣したが、一向に事態がよくなる様子は見られない。

 丘を下るべきではなかったか、とザラルセンは後悔した。弓勢の強さと騎兵力の大なることがザラルセン側の強みだったのである。敵を釣りだすためとはいえ、わざわざ有利な高所を捨てたのは間違いだったかもしれない。

 だがまだ戦闘は続いており、なにより敗北が決まったわけでもない。

 右翼の攻防は一進一退を続けているし、中央は敵は槍兵なので押されているものの、まだまだ侵攻速度が遅い。坂を駆け上がってくるまでには時間があるだろう。問題は左翼だった。

 左翼は完全に押されっぱなしだった。援軍も横から槍を入れたり工夫はしているのだが、敵の足を止めることに成功したものはいなかった。

 ザラルセンは2メートル半のその自慢の大弓を取り出すと矢をつがえた。

 距離があって難しいその的を、狙いを定めた様子も見られないほど早く矢をひょうと放っては番えた。

 一矢目は馬に、二矢目は肩に、三矢目は胸に当たる。

 矢が当たった兵は次々と落馬した。

「お見事ですぜ! かしら!」

「もう少し距離が近ければ頭を射抜いてやるんだがな」

 この距離ではさすがのザラルセンも狙ったところに正確に当てることはできない。おそらく致命傷を負った者は少ないはずだ。鎧の上や馬に当たった者が多いだろう。

 だが味方を鼓舞し、敵を威嚇するに十分すぎるほどの威力であった。

 ザラルセンは次々と矢を放っては敵を馬から引き摺り下ろした。

 それでも左翼は押されていた。

 特に王師の先頭を切って突進を続けている巨躯きょくの男が曲者で、両手で交互にげきを振るい、前を立ち塞ぐ者を一刀の元で斬り捨てていった。

 左翼のザラルセンの部下たちはすっかり怯え切っていた。

「なんだあの怪物 ばけものは」

 この距離からかくも容易に大弓を射て一矢も無駄にすることなく、次々と敵に当てるザラルセンも十分人外の存在といえるのだが、自分のことはすっかり棚に上げてベルビオを怪物扱いする。

 ああいう怪物は味方の士気を高めると同時に、敵の士気を下げる。いるだけでやっかいな存在だ。

 だがもし、あの怪物をしとめることが出来れば、敵兵は意気消沈するに違いない。左翼ももう一度盛り返すことが可能だろう。

 ザラルセンは自慢のその大弓を構えると、ゆっくりと弦を引き、狙いをしぼる。

 巨躯なだけ的は大きいが、騎乗していることもあり的は静止しない。距離もある。風もある。鎧を着ている。この距離なら容易くはない。

 ザラルセンは大きく息を吸うと、呼吸を止めて矢を放った。

 矢は戦場を切り裂き駆け抜け、男の顔に当たった。

「やったか!?」

 大きな唸り声を上げて巨躯の男は馬から転がり落ちた。

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