第185話 第二次河北征伐(Ⅲ)
慶都からの急を要する知らせは夜を日に継いで東京緑龍府に届けられた。
「ザラルセンか」
有斗は関西を攻めるときに北辺の地で会った大巨人の特徴的な風貌を思い浮かべた。
粗野で、野放図で、自信と野心に満ち溢れたその姿は有斗とはまるで真逆で、何を思って朝廷に突然、反旗を翻したかは全く想像がつかない。
「関西遠征では僕らに敵対することも無かったし、話の分かる人物だと思ったんだけどな・・・韮山で僕らが負けたと聞いて、河北を襲う好機だとも考えたのかな? それとも勝ち馬について分け前を得ようとでも思ったのかな?」
「わかりません。流賊の考えることなど常人では見当がつきません。というよりも、おそらく当人たちにも分かってはおらぬのではないでしょうか。もとより知性のかけらなど持ち合わせておらぬ輩どもです」
ラヴィーニアは流賊という存在そのものを一言の下に叩き斬った。
「狙いが分からないなら、どう対策を打てばいいかも考えづらいな。僕らはまず何をすべきだろう?」
「何としても河北を失うことだけは避けねばなりません。今は荒れ果ててはいても、河北は元は畿内を支える大穀倉地帯、国家の基盤ともなるべき土地です。また河北から王都へはまさに指呼の距離。そこに神出鬼没のザラルセンのような馬賊に居座られては、これまでのように気軽に王都を空にして王師を各地に派遣するようなことはできなくなります。喉元に
「そうだね。早いところ、なんとかしないと。でも第一軍は韮山で損耗を受けてる。今回も一旅を失ったというのなら、このまま独力でザラルセンと戦うのはきついだろう。河北はまだまだ荒れていて民の生活も苦しいと聞く。一刻も早く賊を除かないと。援軍を送り、速やかに河北に平和を取り戻そう」
有斗のその言葉に足りないものを感じてか、アエネアスが疑問の声をあげた。
「兵士は勝手に湧いて出てこないよ。誰を、どこから送るの?」
関西で諸侯が蜂起し、河北ではザラルセンが暴れ、南部の雲行きも怪しく、河東にはカトレウスがいる。全てに対処するには現状の王師では数が足らない。
「堅田城の対岸に置いているベルビオ、エテオクロス、エレクトライの三軍を呼び寄せて、河北に送ろうと思うんだ」
現実問題、有斗が取れる選択肢はそれくらいしかない。
堅田城の守備兵は一兵たりとも減らせないし、残りは関西の叛乱諸侯を平定中である。手こずってはいるようだが、それなりに順調にこなしているのだから、後々の為にも彼らにはまずは関西平定に専念させたい。王都には羽林、金吾、武衛の三軍があるが、これらは王都の治安維持、有斗の護衛が主任務であって戦場に直接送り込むというわけにはいかないのだ。
「今、ベルビオたちを動かしたらカヒは攻めてこないかなぁ?」
アエネアスの問いは疑問の形を取っていたが、どちらかというと本人は分かっているが、有斗にそのことを思い起こさせるために疑問の形を取ったと言った口ぶりだった。
「一軍でも動かせばカヒは動くだろうね」
先にカヒが堅田城攻めを中止したのは、河東東岸域に朝廷を封じ込めたことに満足したからではなく、このまま戦っても勝機が薄いと判断したからである。カトレウスも心底では河東から朝廷の影響力を排除したいと思っているであろうことは有斗も理解している。
カヒのことを考えると、この三軍は大河西岸に張り付かしたままにしておきたいところだが、今は河北に安定をもたらすことを優先すべきだ。それに例え大河西岸に兵力を置いていようとも、遅かれ早かれ、いずれカヒは堅田城を攻めてくることに違いはないのだ。
「それでも動かすって言うの?」
アエネアスが不安な面持ちで尋ねた。
「それしかないよ。今は河東より河北を優先すべきだと思う」
もし堅田城に問題が起きれば兵を返すつもりだったし、なんならこの際、堅田城を放棄して河東から手を引くのもありだと考えていた。
カトレウスの恐ろしさと坂東兵の勇猛果敢さは嫌というほど韮山で味わった。いずれ来る再戦の時に備えて足元を整備し、カヒ相手だけに集中できるような体制をまずは整えておきたいのである。
問題は兵糧と財政である。
領内の一定の位置にいれば、軍に日々の兵糧、飼葉、武具などを支給するにはその拠点に物資を集積すれば済む話だが、敵地にいる軍や移動する軍にはその手段は使えない。
軍に合わせて物資も移動させなければならない。つまり輸送するための人員と予算が必要なのだ。
今現在、堅田城と関西遠征軍に多大な戦費と人員を割いている現状、これ以上の出費は国庫が耐えられない。
右府や戸部尚書にそう言われたが、有斗は出兵を取りやめなかった。
財政健全化よりも今は優先すべきことがある。
大河西岸の廃城に駐屯していた第二軍エテオクロス、第七軍ベルビオ、第九軍エレクトライのもとに有斗の命令が届けられた。
河北に侵入したザラルセンら流賊を平定するために大河を遡上せよというのだ。
逐次投入ではなく、三師もの賊を討つには過大ともいえる兵力を一度に投入するのは、カヒに付け入る時間を与えぬよう、速やかに決着をつけるためだ。
三将軍は有斗の意図を瞬時に察し、さっそく陣営地の撤去を開始した。
大河を遡上した三軍が河北に到着する頃を見計らい、有斗はアエネアスら羽林の兵を連れて大河を渡った。
予想に違わず三軍は既に到着しており、特に命令を受けたわけでもなかったが、周囲が見渡せて水の便が良い地を選び布陣しただけでなく、慶都へと使者を発してプロイティデスと連絡を取り、情報を集め終え万全な形をとって有斗を待ち受けていた。
第一軍が敗北を重ね、更に兵力を失っただとか、慶都が包囲されただの危急的状況に陥っていないとの報告を受け、有斗はまずは一安堵する。だがザラルセンの兵は河北の各地を巡って略奪と破壊を重ねているとのことで、放置して置ける状況でもなかった。
「まずはプロイティデスと合流しに慶都へと向かおう。ザラルセンたちがどの程度の物なのか、戦った者たちの口から聞いたほうが早いだろう。第一軍の動揺を抑える必要だってあるし、ザラルセンを退治するには少しでも兵力が多いほうが良い」
「慶都の民も動揺しているだろうしね」
「ああ、そうだね。その通りだ」
河北は点在する諸侯領の他は王領である。だが屯田法で開墾した土地はまだ多くなく、人口の過半は慶都近郊に集中している。慶都の民の動静がすなわち朝廷の河北の動向を占うと言って良い。アエネアスの言葉に自分が気付かなかった理があるのを認めた有斗は頷き同意を示した。
王師三軍は特に何の障害も受けずに、慶都に楽々と入城した。
途中でザラルセンたちとの一戦も覚悟していただけに、有斗たちは拍子抜けした。
彼らは慶都を押さえるだとか、慶都の救出に来るであろう援軍を待ち伏せて攻撃してやろうだとかいった戦略眼は持ち合わせていない。ザラルセンらは賊である。カヒに手を貸してやるといったくらいの軽い気持ちで兵を上げたのであり、城攻めなどという労多くして益が少ないことを好んでやりたくはないのである。
北辺の流賊如きと舐めてかかったわけではないのだが、敗北しただけでなく、事態の収拾の為に王自らが親征するという大事にまで発展させてしまったことにプロイティデスら第一軍の主だった将は恐懼して詫び、処罰を請うた。
「このプロイティデスの不始末のせいで陛下に御足労をかけてしまい、誠に申し訳ありません。このたびの敗戦の責務はひとえに将であるこのプロイティデスにあります。どのような処罰でも甘んじて受けます」
「将軍一人に罪を背負わせるのでは、部下の我らがあまりにも不甲斐ないというもの。我らにも同様の処罰を下していただきたい」
戦場ではプロイティデスの戦い方に反発した彼らだったが、ここでは殊勝な言葉を口にした。どうやら敗戦の中でプロイティデスの実力を認めたものらしい。
「戦をする限り勝敗はつきものさ。一度の敗戦でくよくよしちゃだめだ。そうアエティウスも言っていたよ。敗北は次の勝利で取り返せばいい。第一軍の将兵に罪は無いよ」
有斗は彼らを一人として処罰せず、敗戦の責を不問に処した。
一時の勝敗でいちいち将兵を罰していては、戦いの中で軍から兵がいなくなってしまうし、全軍の士気も下がるというものではないか。
運んできた補給物資を慶都に運び込み、傷ついた第一軍を再編するという作業に二日取られたが、有斗は屋根のある暮らしに未練を残さずに北へ向かった。
河北西部中央まで進出したザラルセンたちだったが、今は少し北へと戻っているという情報が、ザラルセンに住んでいた村を焼かれて慶都に逃げて来た民からもたらされた。
ザラルセンたちは第一軍が敗北後、慶都に引きこもったことをいいことに、各地に散って思い思いに村々を荒らしまわっているとのことだった。
一日の放置が河北を再び荒野へと変えていくのである。
有斗はその一群をさっそく捕捉し、まずは撃砕した。
王師は逃げた流賊を追って東行し、別のザラルセンの分隊と出会ったが、これにも容易く勝利する。
当然の結果ではあるが、まずは順調な滑り出しである。たやすく得た戦勝に兵士たちの足取りも軽く、更に逃げた敵の追撃を開始する。
第一軍の将士も束の間失っていた王師としての誇りを甦らしたようであった。
だが、
「どれほど小物を討伐したとしても河北は安定しない。賊の首魁を捕らえないと意味がないよ」
というアエネアスの言葉は本質をついている。ひとたび起きた叛乱を平定するには、賊を一人残さず殲滅するか、賊の首魁を捕らえるしか手はない。
賊を殲滅するというのは言葉にすると容易いが現実問題としては難しい。現に二度撃破した流賊の大半は軽騎兵の足の速さを生かして逃げ延び、戦死したり捕虜になった者は少ない。ここは戦場でどうにかしてザラルセンを捕らえるのが最良の手であろう。
「ザラルセンがどこにいて、何を狙っているのかを知りたいな」
有斗は敵の意図を探ろうと偵騎を発した。
一方、ザラルセンは逃げ延びてきた部下たちの口から敗戦を知り、同時に朝廷が本腰を入れて自分たちを征討しに来たことも知った。
「兄貴、敵は王師四軍だってよ。こっちの四倍だ。こりゃ勝ち目はねぇや。故郷へ戻ろう」
プロイティデスに勝利し、村々を荒らしまわって気勢を上げていた部下たちも王師四軍と聞いてさすがに顔を青ざめさせる。
「戦わずに逃げる馬鹿がいるかよ。それに王師はカヒや俺らに立て続けに負けて兵が減ってる。せいぜいが三倍ってところさ。二倍ってこともありうる。大した差じゃねぇさ」
「それでもきついですぜ、親分。なにしろ相手は賊じゃねぇ。王師だ」
ザラルセンの手下たちは同数以上の王師と戦うのは腰が退けるようだった。
カヒに手を貸し王師と戦うと言ったザラルセンの言葉を、それはいつものように領土の一端で略奪を行い、僅かな警備兵と小競り合いを行う程度だと高を括っていたのである。
ザラルセン一人だけが王師と、いや、王と戦おうという気概を持っていたのだ。
弱気の虫に取りつかれたかのような部下たちをザラルセンは一喝した。
「馬鹿野郎! 俺たちはその王師に勝ったじゃねぇか! それ以上つべこべ言うとぶん殴るぞ!!」
ザラルセンに怒鳴られることで部下たちはそれ以上の抗弁を口にしなくなった。
彼らは王師と戦うことも怖かったが、ザラルセンはもっと怖かったのである。
ザラルセンは各地に散って思い思いに略奪を楽しんでいる部下たちを集めるために使い番を走らせた。
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