第184話 第二次河北征伐(Ⅱ)

 ザラルセンの右方に現れたのは、先にプロイティデスに合流を命じてられて急行して来た部隊であった。

 数にして一旅でしかなかったが、味方の苦戦、ザラルセンらの数を目にしても怯む様子を見せずにむしろ逆に歩を速めた。

 何度も言うようであるが、第一軍は王師中の王師と自他ともに認める精鋭なのである。仲間の危機を目にして二の足を踏むような臆病者はいなかった。

 ましてやその旅長は一兵卒からの叩き上げであり、己が築き上げた実績と地位に誇りを持っていた。北辺の賊ごときがいかほどいても己が敵になるとは思わなかった。

 行軍隊形をあっというまに戦闘隊形に整え直し、突撃の合図とともに襲い掛かる。

 勇気ある行動であったが、軍の統率者としては視野が狭いとしか言いようがなかった。味方の危機は見えていても、プロイティデスが動こうとしていないことに気を回さなかった。軍が動くべき時に動いていないのには必ず何か理由わけがあるのである。少なくとも指示を仰ぐために伝令を出すべきであったであろう。

 確かに後続部隊は包囲されて危機に陥っていた旅隊をあっさりと救出した。敵を追い散らして包囲の一角を崩し、合流を果たした。


 しかしそれもザラルセンの罠であったのある。


 確かに兵力集中の原則を考えると合流は一見、正しいことに思える。ザラルセンたちが騎兵で機動力を持ち合わせるということも考慮すると猶更優先すべき事柄に思える。だが敵の視線を二方向に分け、挟撃できる態勢をみすみす捨て去ったということに気付いていなかった。

 ザラルセンたちは流賊だ。部隊を二つに分けて敵に対処したり、高度な連携を行うなどといったことはどだい無理なのである。だが得物を中央に囲んで狩り立てるのは狩りと同じ要領なので得意なのである。

 追い散らされたかに見えたザラルセンらは直ぐに反転し、今度は二旅隊全部を囲む包囲陣形を敷いて弓戦を挑んだ。

 ザラルセンたちは流賊であるから軽装であり、引く弓も馬上で使いやすいように多くは短弓である。威力は小さく射程も短いが、その分手数は多く放てる。

 また中央に固まっている王師は単なる的だが、ザラルセンたちは矢を放ちながら動くから王師の矢は当たりにくい。

 味方の救援でせっかく一息つけた旅隊も、味方を救えたと思った旅隊も一気に苦境に立った。

 四方からの攻撃に兵士が次々と落命していく中、二旅は辛うじて円陣を組んで踏みとどまる。

「しぶとい。だがどこまで持つかな?」

 ザラルセンは背負っていた弓を取り出し構えた。鮮やかな朱で彩られた2メートル半のめったにみられない大弓は五人張りの強弓である。

 だがそれをまるでおもちゃの弓であるかのように軽々と扱い、矢を番え放った。

 一矢目は強烈な放物線を描いて曇天を切り裂き、先頭に立って部隊を督戦していた旅長に当たった。

 側頭部に当たった矢は硬い頭蓋骨を貫通しても勢いが衰えることなく、旅長の頭部を身体から切り離した。見たことも無いような弓勢に王師に動揺が走った。

 沸き立つ部下と違ってザラルセンは冷静に次の矢を番えた。放たれた二矢目は少し低く狙いを逸れ、王師の兵が構えていた盾を貫いたものの防がれた。

 すぐに修正して放った三矢目は戦場の風を読み切って見事、もう一人の旅長の胸鎧に命中した。

 鉄鎧でも矢じりを止めることはできず、背中まで貫通し、重傷を負った旅長は口から鮮血を噴き出し昏倒する。

 驚異的な破壊力、そして命中率だった。

 もはや纏め上げる者がいなくなった二つの旅隊は、恐怖で理性のなくなった者からポロポロと零れるように陣形を崩した。だが円陣から離れれば一人の敗残兵だ。逃げる背中に流賊の矢を受けることとなる。

「さて、森の奥で縮こまっている臆病者どもはこれで出てくるかな?」

 ザラルセンは馬上で行儀悪く片胡坐をかいて伸び上がるようにして背後の森を見た。

 もっとも出てこないなら出てこないでも構わない。仲間の危機に足を震わしているだけの卑怯者にザラルセンは興味はない。目の前の敵を殲滅するだけである。

 王師の三旅を屠ったことでザラルセンの武勇は天下に鳴り響くことであろう。


 プロイティデスはことここに至って遂に動いた。

 プロイティデスの命令に従わずに自ら敵の罠にはまりに行った旅長が死んでも自業自得であると言うほかない。だがこのままでは旅長の命に従った兵士も共に討ち死にしてしまう。そもそもプロイティデスらがこの場を生き延びるためにも、二旅もの部隊は必要で貴重な戦力なのだ。

「陛下よりお預かりした大切な兵をあたら無駄死にさせるわけにはいかぬ」

 それに韮山で一万もの兵を失った王師にとってカヒとの再度の決戦の前にこれ以上、兵を失うのは痛い。第一軍の指揮官という名誉ある職を任せてくれた王の信頼を裏切ることにもなる。死んだ時に亡き若に合わす顔が無いというものだ。

 これまでプロイティデスが経験してきた中でも、とりわけ難しい戦になりそうだった。


「全軍に伝えよ。守勢から攻勢に転ずべき時である。合図とともにこのプロイティデスに従い敵を打ち破れ!」

 プロイティデスは全軍に進軍命令を伝え、森を打って出た。

「おおお!!!」

 ようやく目の前の敵とまともに戦うことを許された兵士たちははやり立ち、今にも駆け出すそぶりを見せる。

「焦るなよ。陣形を保ったまま足を揃えてゆっくりと進め」

 陣形を崩し個対個の戦いになっても当面の王師の優位は揺るがないが、それでも数に劣る王師が最終的に勝利するためには組織的な戦いは欠かせない。プロイティデスは何度も指令を出して兵の隊列を整え直した。

 プロイティデスが森を出るのを半ば待っていたザラルセンは腹心に命じて部隊の一部を反転させ、防がせることで対処する。敵に対して味方は多数、二正面作戦を取れるだけの余裕がある。まずは眼前の孤立した統率なき二旅を殲滅してから、返す刀で本隊と有利な状況で戦おうというのだ。

 だがプロイティデスは足止め部隊を一瞬で蹴散らし、ザラルセンの目論見を軽々と打ち砕く。

 プロイティデスはただ味方が危急におちいるのを見るに見かねて、取り返しがつかなくなる前に、やむを得ず当初の予定を変えて森を出たわけではなかったのだ。

 もともと陣形もあったようでないようなザラルセン隊だが、訓練も受けてない無頼の徒の悲しさ。幾たびもの陣形変化に耐え切れずに、まだら模様のように粗密な形になった。その姿に付け入る隙を見て、プロイティデスは勝負に出るときだと判断したというわけである。

 プロイティデスはザラルセン隊の一端を破っても勝利におごることなく、当初の目的に向かって、すなわち味方の救出を目指して前進を続けた。もちろん陣形を崩さぬよう細心の注意を払いながらである。敵は多数の上、騎兵なのである。足を止めれば彼らを待ち受けているのは死である。

 これでザラルセンは腹背に敵を迎える形となった。

 だがザラルセンの向こうにいる味方はもはや軍としての体制を為しておらず、挟撃は不可能だ。だがプロイティデスにはザラルセンらが後ろを向けているだけで十分であった。

 その後備を捕らえ、易々と蹴散らした。

「ちっ。うぜー奴らだ!」

 再びザラルセンの強弓が唸りを上げた。馬上の騎馬武者に当たり、肩を射抜かれ落馬する。だがそれはプロイティデスどころか旅長ですらなく、単なる一兵士だった。戦局を左右するような相手ではない。そもそも既に近接戦闘が始まっている乱戦の中では敵の指揮官を容易に発見できるものではない。

 ザラルセンがいくらぶん殴って押しとどめようとしても、兵は王師の圧力の前に押され逃げ出した。流賊の悲しさである。

 ザラルセンの周囲の守りは極端に薄くなり、ザラルセンも自ら太刀を取っての格闘戦を余儀なくされる。ザラルセンの傍に残った男たちは、この時代にありうべからざる巨体の持ち主であるザラルセンを始め、一騎当千の古強者である。王師の兵相手にも互角に渡り合った。

 だがこれではザラルセン自慢の強弓が封じられることとなる。ザラルセンほどの弓の使い手は王師にもいないが、ザラルセンに勝る剣や槍の使い手ならば王師には余るほどいるのである。ザラルセンは劣勢を覆す最大の武器を失った。

 ザラルセン隊は中央突破を許し、二つに割られた。


 プロイティデスは包囲されていた二旅を救出した。すぐさま本営から幕僚を二人引き抜いて仮の旅長に任じて送り込み、混乱の中にいる部隊の立て直しを命じる。

 プロイティデスは引き続き眼前のザラルセン隊の掃討を命じ、それに応えて第一軍は前進を再開するが、混乱収まらない二旅隊と足並みをある程度は揃えねばならず、足が止まった。

 ザラルセンも逃げ散った配下を呼び戻し、第一軍の背後に陣を再建する。再び包囲すれば陣形からしても、数の上から言っても有利になるのはザラルセンたちなのだ。

 ザラルセンは後方から騎馬で襲い掛かるが、突き崩せなかった。それどころか軽くあしらわれ、逆に追い立てられる始末である。

 先ほどまでのもろさとは打って変わって、王師はしぶとい粘り強さを見せた。

 半分は突破された時の王師の強勢さにザラルセン隊の兵の腰がすっかり引けていたせいもあるのだが。

 ザラルセンは突破の糸口を探して何度も攻勢を仕掛ける。その後方からのザラルセンの攻勢をプロイティデスは凌ぎつつ、最終的に前方の敵を打ち破って包囲陣を突破する。

「よし、目標は果たした。撤兵する」

 戦う前にプロイティデスが想像していたよりもザラルセン隊は手ごわい存在であった。勝てるかもしれないが、手持ちの傷ついた四旅だけでは被害も大きいと冷静に判断し、ここは兵を温存することを優先した。


「野郎! 戦わずに逃げやがった!! 卑怯者めが!!」

 追撃を求める部下をザラルセンは手で制して止めさせた。

「王師にも骨のある男がいるじゃあねぇか」

「逃がしていいですかい? 追わないんで?」

「今日はこんなもんでいいだろ。勝ったのは俺だし」

 あっさりとザラルセンは引き下がる。

 この先も王師と戦い続けるのならば、ここは追撃し、プロイティデス隊にさらなる出血を強いておくのが戦力的にも兵士の心理的にも有効なのだが、ザラルセンにその考えはついぞ思い浮かぶことがなかった。

 ザラルセンは勝ったことで強いということを部下に示せればそれでいいのである。

「追っても何か略奪できるもんでもないですしね」

 部下たちもそれで良しとした。敵が旅の商隊ででもあったならば戦利品も期待できようというものだったが、相手が王師では怪我人や死者を出すうえに得るものは少ない。

 ようするに彼らは気分屋だったのだ。北辺の支配者のような顔をして肩で風を切って暮らしてはいたが、あくまでも流賊の延長で、明日よりも今日、今日よりも今、その一瞬だけを日々生きているのである。もとより戦略や大略といったものがあるわけではない。


 ザラルセンの追撃を警戒し、二里ほどゆっくりと退いた第一軍は敵の騎影が河北の丘陵に隠れると、すぐさま陣形を行軍態勢に組み直して本格的な撤兵に取り掛かる。

 旅長たちから兵の損失の報告が全て上がると、被害の大きさにプロイティデスは大きく嘆息した。

「陛下に申し訳がない」

「では雪辱を期して再戦を挑みますか?」

「軽々しく口に出すな。これ以上の失敗を犯すわけにはいかぬ。万が一、もう一度敗れれば河北を失うことになるのだぞ」

「・・・」

 とはいえ処罰を恐れて失敗を挽回しようと、現実を嘘で糊塗して継戦すれば事態は更に悪化しかねない。プロイティディスの実直な性格もそれを良しとしなかった。

 プロイティディスは慶都に兵を返すと籠城の支度を整えつつ、王都に急を告げる使者を送った。

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