第183話 第二次河北征伐(Ⅰ)

 さて一方、河北の動向も目が離せない状況になっていた。

 関西で三軍が合流するより早く、プロイティデス率いる第一軍は大河を北に渡り、河北の中心都市慶都に入った。

 流賊は河北全域で暴れているらしく、慶都の政庁には陳情を為そうとする民が列をなしていた。

 集まった民たちから河北の惨状を聞くと、プロイティデスは一刻の猶予もならぬと席を温めることなく出立した。悪化する治安に悲鳴を上げた文官たちから急かされたという理由もあったが。

 人心安定の為にここは速戦が求められていると判断したプロイティデスは旅隊単位に軍を分割して各地に派遣し、速やかに賊を掃討しようとした。

 流賊は一般民にとっては恐るべき脅威だが、所詮は訓練を受けた兵士ではない。一度は有斗が討伐したから規模も以前に比べてずっと小さい。

 それに後ろ盾となったとはいえ、カヒはあくまで陽動役としての流賊に利用価値を見つけたから支援しているだけであり、本腰で彼らを援護してやろうなどといった殊勝な心掛けは持ってはいなかった。以前と違って芳野と大河東岸を失っており、兵をはるばる河北に送り込むのはちょっと難しい相談だ。つまり流賊の兵にカヒの兵が紛れ込んでいるということはあり得ない。

 であるからして一個の賊に対して旅隊という数でも十分すぎると言えた。

 山岳など堅固な地形に砦を築いて抵抗を見せる賊もあり手こずる局面もあったが、第一軍はまずは順調に河北の治安を回復していった。

 だが危険は気付かぬうちに彼らのすぐ傍にまで迫っていたのである。


 各地に分散して賊を追討していた第一軍の旅隊の一つが、北辺の荒野から疾風のように南下したザラルセン率いる馬賊に突然襲い掛かられたのだ。

 それまで相手をしていた河北の流賊の歯ごたえの無さに、すっかり気が緩んでいたその旅隊は、他の旅隊どころか旅隊内での横の連絡もつけずに行動しており、軍隊としての陣形もとどめないまま、ただ漫然と逃げる敵を追っていたため、最初の攻撃を受けた一塊の兵士たちははかばかしい抵抗もできずに討取られた。

「これが王師だぁ? たいしたこたぁねえな」

 ザラルセンも部下たちも勝利を容易く拾ったことで気が大きくなった。それまでは王師と戦うと決心したものの、やはり王師相手に自分たちがどれだけできるか不安半分だったのだ。

「よし! 一気に殲滅するぞ!!」

 ザラルセンの合図で部下たちは旅隊の残された核に襲い掛かった。だが勝利の勢いを駆って襲い掛かったザラルセンの部下たちは王師の頑強な抵抗に遭い、たちまち後ろを向いて逃げ出さずにはいられなかった。

 やはり王師とザラルセンらとでは格が違ったのである。

 だがザラルセンの配下は皆、騎兵である。王師のように一流の武器も無ければ武器を扱う技量も無いが北辺の荒野で戦って生き抜いてきた知恵はある。正面から正々堂々と戦って勝てないと見るや、その機動力を生かして備えのない場所に回り込み、あるいは距離を取って矢を射かける。

 その奇抜な戦い方に王師の兵士はすっかり翻弄されてしまった。

 このまま無策に応戦するだけでは消耗して死に至ると悟った旅長は立て直しを図り、かろうじて円陣を組むことに成功したが、降り注ぐ矢の雨のすさまじさに、王師は三刻(約六時間)の激闘の末、遂に崩れ落ちる。

 肉に飢えた野犬のように貪欲な、ザラルセンの兵の追撃を振り切って逃れ得た兵はほんの一握りの数に過ぎなかった。


 修羅場を逃げ延びることができた幸運な僅かな兵は、負傷した身体を引きずって他の部隊に逃げ込み危機を知らせる。ことここにいたって、第一軍に危険が迫っていることをプロイティデスら第一軍首脳はようやく把握した。

「一旅すべてが全滅したというのか!? 北辺の賊ごときに!? 誤報ではないのか!?」

「敵は万を超す騎兵だったとのこと、逃れるのは至難の業だったのでしょう」

「信じられん」

「しかし事実です」

 賊はそれまでの河北の流賊とは比べられぬほどの数だったと言うが、たった一度の戦いで王師一旅が殲滅されるなど、とても信じられぬ報告だった。

 だが全身に矢傷を負い、消え入りそうな声でとぎれとぎれに話す、今にも倒れそうな兵の姿をその眼で見れば否が応でも信じざるを得ない。

「・・・過ぎたことはしかたがない。敵は我らが将兵を討ち、気勢を上げている。勢いのままに襲い掛かってくるに違いない。ここは諸方に散った味方を呼び戻し、敵を迎え撃つべし」

 幸い近隣には三旅の部隊がある。まずは部隊を合流させ、ある程度の数を揃え、それを核としていつ襲い掛かってくるかわからぬ敵に備えつつ、全軍の集結を待って一大決戦に打って出る腹積もりだった。

 プロイティデスはまだ事態を楽観視していたが、実はこの一旅を失ったことは彼と将兵の間に大きなくさびとなって突き刺さっていたのである。


 さて、一軍は十の旅隊で構成されるから第一軍は単純に考えて一割の兵を失ったことになる。

 だが一割の兵を失った実害よりも、一割の同僚を一瞬で失ったことによる兵の士気の低下の方が問題だった。

 第一軍の母体である王師中軍は王師中の王師とうたわれる精鋭。武挙合格者も多く、一兵卒にいたるまで誇り高い。

 本音を言えばアエティウスでさえ、当初は南部のぽっと出の田舎諸侯の若造と侮っており、王の信頼が篤いので仕方がなく従ったに過ぎない。

 もちろん数々の戦で見せた冴えきった采配振りに、最終的には心服したのではあるが。

 だがそのアエティウスは白鷹の乱で落命した。

 プロイティデスはその副将として手堅く無難な采配振りを示していたが、口下手で実直な姿は派手で社交的なアエティウスとあらゆる意味で正反対であり、栄えある第一軍、旧関東王師を率いる将軍としては地味で物足りないという印象はぬぐえなかった。

 副将としての信頼と大将としての信頼はまた別なのである。

 それに王の命とはいえ、やはり諸侯の一家臣に過ぎない男に王師中軍のエリートが従えようかという想いがあった。

 そんな微妙な信頼関係のところに、一旅をも失ったという知らせが舞い込めば将兵の心理に良い影響があろうはずが無い。


 そんなことを知らないプロイティデスは落ち延びる兵を追って来たザラルセンの賊を迎え撃った。

 既に即応体制を整え終えたプロイティデスの手元には四旅の部隊があり、近隣には一旅の部隊が接近していた。これだけあれば存分に戦うことができる。

 プロイティデスは松ケ根と地元で呼ばれる場所に布陣した。松林で覆われた山の尾根からその名がつけられたであろう山の麓から中腹にかけてである。

 傾斜地形と松の木が騎馬の突撃と矢の攻撃を防いでくれるというわけだ。

 勝ちに意気上がる敵の気勢をまずは削ぎ、敵が攻め疲れるのを待って反撃を行おうということである。

 これは敵は騎兵中心で味方は歩兵中心、王師という訓練と秩序が行き届いた兵を率いるが、寡兵しか持たないという条件のプロイティデスが取りうる最適な手法であった。

 この作戦は図に当たり、ザラルセンは多数の騎兵を有する利点をまったく生かすことができずに王師優位に戦は進んだ。

 策もなくこのまま攻め続けるのは痛手が大きいと見たザラルセンは火矢を放って王師を森から追い立てようとしたみたが上手く行かない。大火になれば森が燃え広がるのも早いが、この季節の森は水を多く含んでいるため、多少の火矢では消火するほうが早い。

 ザラルセンは火攻めを諦めると、山をぐるりと取り囲み、王師を包囲して見せた。

 確かにザラルセンらはプロイティデスらの三倍近い兵力ではあるが、山を含めた形で包囲陣形を敷くには物足りない。これは囲みが薄いところを狙って王師が攻撃をかけてくるのを誘っているのだ。平原にでさえすればザラルセンたちが軽騎兵であるという利点を生かすことができる。

 手持ちの兵糧はザラルセンたちのほうがずっと少ない。持久戦で不利になるのはザラルセンなのである。

 だがプロイティデスは誘いの一手に乗ってはくれなかった。あまりにも見え透いた罠であるからだ。これまでザラルセンが相手にしてきたような兵法も知らぬ北辺の賊とは違うのである。

「囲めばふつうは自分だけでも逃げ延びようと焦って出てくる奴がいるもんですが」

「さすがは王師ですね」

 敵を褒めるばかりでちっとも解決策を出そうとしない部下たちの頭をザラルセンは軽く叩いた。

「敵を褒めてどうする。お前らもちっとは頭を使え!」

 かといってザラルセンにも直ぐにいい解決案が浮かぶわけでは無い。

「もう少し揺さぶってみるか」

 ザラルセンはしばらく考え込んだ後、憮然とした顔でそう呟いた。


 流賊はせっかく敷いた包囲陣形をあっさりと崩して、再度プロイティデス隊に襲い掛かった。

 長い対陣に倦んだのか、いつもにもまして散漫になったザラルセン隊の攻撃を第一軍は跳ね除け、他愛もなく追い散らした。

 と、左翼に展開していた一旅がそれを突破する好機と思ったか、あるいは膠着状態が続くことに焦ったのか逃げるザラルセン隊を追いかけ山を下り始めた。 

「馬鹿! 指示もしてないのに何を勝手なことを!!」

 プロイティデスの見たところ、まだ戦機は熟していない。敵は練度で劣り、士気でも劣る。一対一の五分の条件での戦いならば負けはしないが、兵力と機動力なら敵が勝る。今、正面からまともに戦って勝利が得れるとは限らない。

 だが敵は正式な兵士でないがゆえに我慢とか忍耐とかには不慣れであり、時間が経てば経つだけ集中力が無くなり、気力が落ちる。そうなれば有利になるのは王師側である。

 敵兵の気のゆるみを待ち、攻め疲れるのを待つのがプロイティデスの策だった。

「伝令を! まだ攻めるには早い、すぐに戻れと伝えてくるのだ!!」

 だが伝令からプロイティデスの命令を伝えられても、旅長は指示に従おうとはしなかった。

「今戦わずしていつ戦うというのだ。敵は北辺より河北まで長い距離を駆けて疲れており、この数日の対陣で気勢を削がれて、もはや戦う気力も持たざる様子。戦機は十分に熟していると判断した」

「それを判断なさるのは将軍であって貴官ではない」

「将、軍に在りては君命も受けざるところありと言う。何事にも慎重な将軍は戦のことは暫時、この私に任せて御見物なさると良い。臆病者には付き合いきれぬわ」

 旅長はプロイティデスの勇気の無さを多少小馬鹿にした口調で遁辞とんじを構えた。

「それは戦場に身を置かぬ君主の場合の話であり、将軍はこの場にて戦場を見、判断し、戦っておられる。現状には当てはまらぬ。至急、兵を戻されたし」

「兵を戻してどうするというのか。森に籠って無駄に兵糧を費やし、兵を損じてただ時を過ごすというのか。悪いがプロイティデス将軍は何の策も持たずに戦っているとしか思えぬ。現状に手をこまねいて傍観しているのではないか」

 旅長は伝令相手に遠慮呵責のない批判を口に出した。

 戻って来た伝令はさすがにありのままというわけにはいかず、かなりオブラートに包んだ柔らかめの表現で伝えたのだが、それがプロイティデスを宥めるのに十分な効果があったとは言えなかった。

「勝手なことを! もう一度行ってこい! 首に縄をつけてでも持ち場に戻らせよ!!」

 日頃温厚なプロイティデスの剣幕に怯え、伝令はもう一度説得に向かったが、既に乱戦中の旅隊を指揮している旅長の下にたどり着くことは無かった。

 

 プロイティデスに背いて飛び出した旅隊は背を向けて逃げる流賊を追いかけ、これまでの鬱憤うっぷんを晴らすかのごとく幾度も槍を突き入れた。

 それまでの苦戦が嘘のように容易く勝利が近づいてくる。流賊はただ命からがら逃げ延びようとするだけで何の策も持っていないように思えた。

 その姿を見たザラルセンはほくそ笑む。

「エサに食いつきやがったぞ。手筈通りに動けよ」

「合点でさぁ!」

 ザラルセンは追ってくる敵を引きつけると、わざと自分の傍の部隊を割って、二方向へと別れて後退する。

 もはや目前の敗走する敵を追うだけの王師は旅長の声の届く範囲以上に展開して威しまってまんまとそれに引っかかり、さらに散開する形となった。

「よし、もういいだろ」

 ザラルセンは全軍を反転させると逆襲に転じた。もはや戦列と呼ぶのもおこがましい王師の兵士たちに対して容赦なく襲い掛かる。

 一対一では流賊など及びもつかない技量を持った王師の兵卒も圧倒的な数の暴力を前にしてはなすすべもなく討取られた。

「怯むな! 円陣を組んで押し返せ!」

 ここまで佯敗ようはいを疑っていなかった旅長は顔を青ざめさせ大声で叫んで兵を集めると、円陣を組んで対抗しようとする。

 とはいえあまりにも無秩序に敵を追って広がったため、一塊になることができず、組織的に反撃できたとはとても言い難かった。

 今度こそ容易く勝利を得られると思い、ザラルセンは攻勢を強める。

 だがザラルセンの想像と違い、ここまで不利な体勢になっても王師は意外な善戦を見せた。

「これでも勝てねぇのか」

 ザラルセンは一気に勝てないことに苛立つと同時に、自身の想像と違う展開があまりにも続くことに憮然とした。


 とはいえ全体的に見れば圧倒的に優勢なのはザラルセンたちである。善戦はするだろうが、いずれ退勢を整えきれなくなって敗退する。

 それにザラルセンの狙いは目の前の一旅をほふることではない。この突出した一旅の危機を見せつけて他の王師を森から誘い出すことが目的である。本当の勝負はそこからだ。

 だが他の旅隊は一向に森から出てこようとしなかった。

「まさか見殺しにする気じゃあるめぇな」

 侠気の世界に生きるザラルセンからしてみれば、それは理解できない行為だった。一人の部下を理由なく見捨てるかしらは、部下全てからそっぽを向かれてしまうのである。躊躇なくそれを行う王師の将軍が不気味で不可思議な存在に思えた。

 囮で誘い出した敵をあっさりと片付けられると思ったら意外な抵抗を受け、他の旅隊は誘い出されてこないことにイライラしているザラルセンのところに、更に苛立ちを増すような知らせがもたらされた。

「兄貴、悪い知らせだ。東にこちらに向かってくる軍を発見した。王師の別動隊じゃねぇかな」

「へぇ、そいつは厄介だな」

 もはや多少のことでは苛立ちも感じなくなったのか、ザラルセンはまるで他人事のように吐き捨てた。

「挟まれたら、ちと大事ですぜ、兄貴」

 気のない素振りのザラルセンを見て、慌てて部下は挟撃の危険性を指摘した。こんな危機的状況を軽口ひとつですまされては己の命に関わるのである。

 ザラルセンは生意気にも自分に意見をした手下の頭を叩いて気を晴らした。すると同時に頭の中に良い考えが思い浮かぶ。

「待てよ・・・こいつは使えるな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る